過日。小見山峻による初めての写真集「hemoglobin」の発売を記念して、写真展が開催された。完全な自費出版。スタンドアローンな姿勢は、そのまま写真表現にも当てはまる。彼は話す。「文脈や前提知識によって規定されない、地球の反対側で生きる人でも一目見て記憶に残る写真を撮りたい」。その言葉の裏で燃えるのは、10代から変わらない苛立ちと、どこまでも切実な覚悟だった。
“地球の反対側で生きる人でも一目見て記憶に残る写真”
ー展示を終えて、今の気持ちを教えてください。
本当にたくさんの人にご来場いただきました。若い人にも写真集を手にとってもらえて、心から嬉しく、ありがたく思いました。一方で、より深い深度で芸術としての写真に携わっている人たちにももっと目を向けてもらえたらな、と少し悔しい思いもありました。
ーそれは、どんな人たちでしょうか?
今までずっと、若い人たちに芸術としての写真に触れてもらえるよう試行錯誤してきて、その成果はかなり実感できています。ただ、今回に関しては、美術館のキュレーター、アートディレクター、アート写真に携わる人たちにも見てもらえたらな、と考えていました。
ーどうしてそう考えていたのでしょう?
世界中の人に写真を見てもらいたいので、届けるための手助けをしてくれる人にまずは見てほしいな、と。常に「地球の反対側で生きる人でも一目見て記憶に残る写真を撮る」という意志を持っています。もちろん、いきなり全ての人が好んでくれるとは思いません。感性を共有することのできる人にまず認めてもらえたらいい。世界中の国々に1%ずつそういう人を見つけることができたら、そこには希望がありますよね。
ーなるほど。
決してお金が欲しいわけではないし、大きな仕事を求めているわけでもありません。波及させるための話にばかりなってしまっていますが、もちろん一番大事なことは自分の写真表現を研ぎ澄ますことなので。
ー地球の反対側で生きる人でも一目見て記憶に残る写真。ここについて、もう少し聞かせてください。
例えば、ブータン王国の人が、日本の有名人のポートレイトを見ても、ピンとこないですよね。文化や知識の共有を前提にした作品は最終的にはローカルに止まってしまうものだと思います。言語圏や文化圏が違う人が見ても感動できる一枚の写真を追い求めていきたいですね。そうでなければ、写真をやっていく意味がありません。
ー美しさとは何なのか?という壮大な問いにつながりますね。
地球人みんなが「おっ」と思うのは、NASAかナショナルジオグラフィックの写真だと思うんですよ。前人未到の風景に人は驚く。だから、今まで見たことのないものを追求しないわけにはいかない。一方で、写真という表現方法が生まれてからおよそ200年が経ちます。すでにやりつくされている、とも言える。だからといって、新しいものが生み出せないわけではありません。素材や参照元が豊富にある、ということで、逆にチャンスなのだと僕は解釈しています。写真に限らず、さまざまなものを吸収して再構築し、自分だけの表現を形にしたいですね。僕らはミクスチャーの文化を吸収しながら生きてきた世代でもあるので。
“写真という表現は、見ている人の想像に多くをゆだねる”
ー30歳を迎え、やりたいことは?
年齢について考えることはあまりないのですが、2020年以降の社会については期待しています。オリンピックが終わったら不況になると言われていて、僕たちのような立場の人は、苦しい環境になるかもしれない、と考えていたのですが、最近は、若いアーティストが世界的に注目されるのも2020年以降なのかなと思えています。
ーそれはどうしてでしょうか?
ここ数年、インデペンデントなクリエイティブエージェンシーが増えていて、国内でも大手のクライアントがそういった会社と広告制作をする機会も増えています。大手でさえ、既存の構造に対する危機感を感じているんですね。また、雑誌に関しても、どんどん大衆紙が売れなくなっていて、インデペンデントなものが次第に狭く濃く支持されつつあります。そういった状況の変化に加え、2020年以降の不況を鑑みると、費用が安く感度の高い若手のアーティストに新しいチャンスがもたらされるのではないか、と考えられます。再び広告がおもしろくなる時代が来るのかもしれません。お金持ちになりたい人にとっては向かい風でしょうけどね。
ーなるほど。景気の悪化が逆に希望になる、と。
そうした変化を迎えられるようにしておきたいですね。今回、Penの最新号「クリエイター・アワード」の一企画に選出してもらえて、背中を押される一つの要素になりました。同世代のアーティストたちとともに新しいビジュアルメイキングの時代を担うことができたら楽しいだろうと思います。写真の芸術表現は、長らくマイノリティな時代が続いてきましたが、こういったきっかけで、写真の社会的な価値が上がると嬉しいです。
ー社会的な評価を得て、求められる役割も少しずつ変わっていくのかもしれません。
そういった意味でも、今回の展示で課題を感じられたのはよかったと思います。30代のスタートが、乗り越えるべき壁とともにはじまったことで、改めて意志が明確になったというか。僕はまだまだ若手です。本質的には、18、19歳の頃から変わっていないんですよ。甲本ヒロトさんのエッセイの受け売りですが、「思春期に感じていた理由のない苛立ちがロックだ」と彼は書いていて、そういう感情はお金では買えないものだし、その鮮やかな気持ちを持ち続けられることは、自分の特性かなと。
ー表現に携わる人の重要な資質ですね。
本当にそう思います。海外の青春映画が好きだということも、まさにそういう感情の現れ。「アメリカングラフィティ」とか、「バッド・チューニング」とか、高校卒業式の前日のような映画をよく観ていて、EYESCREAMの連載
もそこから着想しているのですが、たとえば「バッド・チューニング」に関して「よかった」という人もいれば、「起承転結がなくて面白くなかった」という人もいる。17歳の感受性をテーマにした映画に共感できなくなったら、それが年老いたということなのでしょう。
ーアートも娯楽も、受け取る側を試しているのかもしれません。
特に海外のエンタメって、想像の余地を残していますよね。わかりやすさより、考えるということを促す。一見なんのCMかわからないけど、見ていく中で、「あ、歯磨き粉のCMだったんだ!」と気づくようなものもある。
映画のポスターについても、日本版は極端に説明過多だったりして。そのあたりの根本的な感覚の違いは大きいです。美しさとか想像力に関するリスペクトが乏しいんですよ。
ー雑然とした大通りを眺めても、日本と海外の違いは顕著なように思います。
そうですね。特に写真という表現は、見ている人の想像に多くをゆだねる、最も寡黙な芸術だと思っています。一枚の写真の情報量は少ないけれど、1秒で何かを伝えることができる。世の中にある芸術の中で一番無口な芸術だと思いますね。だからこそ、おもしろい。
ーなるほど。
想像力にゆだねる、ということが尊重されない環境は、写真という文化にとっては逆境です。何が写っているか、誰が撮ったか。記号的な情報にフォーカスするのではなく、写真という芸術そのものを見つめている人が、決して多くないんですよね。想像力の必要ない写真が多くなってしまうことに、僕は反抗していくべきだと思っています。
ー共通のイメージの中で郷愁を誘ったり共感を得るのではなく、新しいイメージをもたらしたい、ということでしょうか?
そうですね。常に一番新しいものとして表現をしたい、ということです。それは一つの時代をつくることとも言い換えられるかもしれません。
人の記憶の中にあるイメージを利用して郷愁を誘うのは、当たり前すぎて、誰にでもできること。僕は根本的なアイデンティティと向き合うために写真をやってるから、その公約数を目指してもしょうがないんです。
ー個人的で、孤独な戦いですね。
猛烈な孤独感の中から生み出されたものに、誰かが共感してくれたとき、救われるような気持ちになります。だからこそ、今回の「hemoglobin」の写真を見て、いいって言ってもらえたり、写真集を買ってもらえるのは、すごく嬉しいんですよ。それは、孤独な作業を続けていくための大事なガソリンです。
INFORMATION
hemoglobin
仕様:112P/B5変形/限定500部
価格:¥4500+TAX