小見山峻の個展「なにものでもないものたちの名づけかた」が9月12日(土)から9月27日(日)にかけて開催されることに。今回は”視る”という行為にフォーカスを当てた新作が発表されるとのこと。例えば、次のような作品群だ。
作品の製作過程で様々なアナログの実験を繰り返し、視るという行為を解体模索していった先にある作品のインパクト抜群。是非画像ではなく生で見たいところだ。
以下、ステートメント。
「視る」ということは、「名前を認知する」ことに限りなく近い。
この世界のものはたいてい、それぞれの名前を所有している。そして、私たちのなかにごく自然と沈殿した
経験と知識により、視たものの名前を無意識に思い浮かべて認知する。
視認。それは、目に映ったものに無意識に名前を当てはめることによる確認である。
それが固有名詞であれ、普通名詞であれ、「名前」をもってして私たちは初めて「視る」に至るのである。
つまり私たちは日々、視線を振り分け、そこに映るものに名前を当てはめて世界の認識を広めてゆく。
そして判断し、切り取り、選び、写真として結晶にする。
名前のないものは誰も「視る」ことはできない。
自分自身が「視認」することによって生まれた写真たちから、名前を奪う作業を繰り返した。
名前を失った彼らを、あなたは視ることができないのかもしれない。
或いは経験に基づき名を振り分けて判断するのかもしれない。
あなたが此れらの名付け親になるとき、それはあなた自身のアイデンティティなのかもしれない。
コロナ禍を経て、小見山峻は何を表現するのか。個人的にも気になっていたところであるが、ミクロの世界観を描くような今回の個展、どこか現代の社会性にも通じるようにも感じられる。様々な解釈があるだろうが、まずは自分の目で確認しなくてはならない。
そして、これらに名前をつけなくてはいけない。
INFORMATION
小見山峻個展「なにものでもないものたちの名づけかた」
2020.9.12(Sat)~9.27(Sun)
at haku kyoto
京都市下京区中之町566
OPEN 11:00〜19:00
CLOSE Tuesday
tel_0755855959
mail haku.kyoto.japan@gmail.com
haku gallery kyoto
https://www.haku-kyoto.com/gallery