ゼインの新作『イカロス・フォールズ』を長谷川町蔵が読み解く。本作に託したであろう彼の思いとは

とかく軽く見られがちなボーイバンド(男性アイドルグループ)。だが少年時代から音楽業界で揉まれているだけあって、世のトレンドを嗅ぎ分ける鋭いアンテナを持つ者もいる。事実、ミュージック・シーンのトレンドを切り開いたのが、ボーイバンド出身者だったという例は少なくない。
例えばボビー・ブラウン。ニュー・エディションのメンバーだった彼は、LA&ベイビーフェイスやテディ・ライリーと組んでニュージャック・スウィングを生み出した。あるいはロビー・ウィリアムズ。元テイク・ザットの彼こそがブラーやオアシスが創り出したブリットポップのイディオムを王道ポップスに持ち込んだ功労者である。このふたりには共通点がある。<人気ボーイバンド最初の脱退者>だったことだ。

そうした意味でも、ゼインことゼイン・マリクはこうした伝統に連なる男だ。トータル・セールス7,000万枚、デビューから4作連続全米アルバム・チャート初登場1位を記録するなど、破格の成功を収めたボーイバンド、ワン・ダイレクション(1D)のメンバーとして活躍しながら、彼は2015年にグループを脱退すると、翌2016年にソロ・デビュー・アルバム『マインド・オブ・マイン』を発表。全米・全英チャートで初登場1位を獲得して、ソロ活動を危ぶむ声を跳ね飛ばした。成功の要因は、ポップロックからR&Bへと大胆なシフトチェンジを行ったこと。この路線変更はクリス・ブラウンやM.I.A.のアルバムにゲストとして招かれるなど、アーティスト仲間にも評価された。

しかしこうした成功がゼインに与えたプレッシャーは相当なものがあったはずだ。現在最も人気が高い音楽ジャンルであるR&B〜ヒップホップはリスナーが多い反面、シーンの流れがとても早い。一旦流行を外してしまうと、アーティストとしての死を招きかねないのだ。

そのためゼインはある作戦に打って出た。シングルを次々とリリースして反応を見ることで、次のアルバムの方向性を見極めようとしたのだ。こうして最初に発表されたのが2017年3月にリリースした「スティル・ゴット・タイム」。ドレイク主宰のレーベル、OVO所属のアーティスト、パーティネクストドアとの共演曲である同曲は、ヒップホップ畑のフランク・デュークスとマーダ・ビーツが製作に関わったラテン風味の軽いヒップホップ・ソウルだった。
続いて9月にはシーアとの共演曲「ダスク・ティル・ドーン」をリリース。こちらはポール・マッカートニーやフー・ファイターズ、1D 時代の僚友ニール・ホランも手がけた売れっ子グレッグ・カースティンのプロデュースによるドラマチックなポップチューンだった。

ZAYN – Dusk Till Dawn ft. Sia (Official Music Video)

さらに2018年に入るとゼインは、4月に「レット・ミー」、5月に「エンターテイナー」、7月にロッキンな「サワー・ディーゼル」、8月にティンバランドのプロデュースしたトラック上で、ジャスティン・ティンバーレイク的なシルキーな歌声を聴かせた「トゥー・マッチ」、10月に「フィンガーズ」、そして11月にニッキー・ミナージュとのデュエットによるカリブっぽい「ノー・キャンドル・ノーライト」と怒涛のシングル・リリースを展開。そして12月にこれらすべてを含む全29曲入りの大作『イカロス・フォールズ』をリリースしたのだった。

ZAYN – Too Much ft. Timbaland

「イカロスの転落」を意味するタイトルは、蝋で固めた翼で空を翔ぶ能力を得ながら、太陽に接近し過ぎて墜落死したギリシア神話の登場人物イカロスから取ったもの。ポップスターとしての栄光と挫折、ひとりの人間としての恋愛のはじまりと終わりがこの神話と重ね合わされて歌われるというわけだ。
歌詞に関しては、別離と元サヤを繰り返しているセレブリティ兼モデルのジジ・ハディッドとの恋愛がフィードバックされていることは確実なため、ゴシップ誌的な勘ぐりが出来そうだけど、サウンドの印象はそれとは正反対。<渋い>という表現が相応しいほどだ。

シングルを連発した結果、ゼインは「レット・ミー」に最も大きな手応えを感じたのだろう。同曲で幕を開けるアルバムでは、「レット・ミー」に連なるミディアム〜スローのビートにチルウェイヴ的なウワモノが乗ったトラック上で、真摯に歌声を聴かせるナンバーが数多く収録されている。

ZAYN – Let Me (Official Video)

メイン・プロデューサーを務めるのは、フランク・オーシャンのコラボレイターで、サム・スミスやロードをプロデュースしているマレイと、自らアーティスト活動も行なっているUKのデュオ、メイク・ユー・ノウ・ラヴといった前作からの続投組に、チャーリーXCXやイギー・アゼリアを手がけて注目を浴びたチーム、ソルトワイヴスを加えた三組。すべての曲にはゼイン自身がソングライティングに関わっており、サウンドの方向性決定に主体的に関わったことがうかがえる。

それにしてもゼイン、ここまで歌える人とは。ヴォーカル・レンジも広くてファルセットからバリトンまで自由に行き交うパフォーマンスには驚かされる。そんな彼のヴォーカルを取り去ると、「レット・ミー」はザ・ウィークエンドが歌いそうなトラックであることに気づく。これは決して偶然ではない。ゼインとザ・ウィークエンドの因縁は浅くはないからだ。
ゼインは2017年6月に日本公開された映画『フィフティ・シェイズ・ダーカー』のサウンドトラックにテイラー・スウィフトとのデュエット曲「アイ・ドント・ワナ・リヴ・フォーエヴァー」を提供しているが、映画では前作にあたる『フィフティ・シェイズ・オブ・グレー』の主題歌「アーンド・イット」を歌っていたのはザ・ウィークエンドだ。加えてジジ・ハディッドの妹ベラ・ハディッドのボーイフレンドこそが彼なのである。

The Weekend “Earned It” (Fifty Shades Of Grey) Official Lyric Video

様々なビートを試すうちに、親交があるザ・ウィークエンドに通じるトラックに魅力を覚え、プロデューサーにオーダー。しかしいざヴォーカルをレコーディングする段階になって、ゼインは「もう少し歌を前面に押し出してみたらどうなるだろう」というアイデアを得たのではないだろうか。

現在、ヒップホップとR&Bの境界線はあってないようなものだ。ドレイクやトラヴィス・スコットはラッパーとして扱われているものの、ヒット曲の大半で歌っているし、「ノー・キャンドル・ノーライト」でデュエットしているニッキー・ミナージュもまたしかりだ。対するR&Bシンガーも声を張り上げるのではなく、ビートにどう声を乗せていくかに重きを置いているシンガーが多い。その代表格がザ・ウィークエンドであり、ジャネイ・アイコやH.E.R.、SZAと次々とこのスタイルを踏襲した才能が登場している。

H.E.R. – Could’ve Been (Official Video) ft. Bryson Tiller

しかしこのままではシンガーがシンガーである意味がない。ヒップホップのビートに乗るテクニックが当たり前になった今、シンガーはより歌を前面に押し出す方向にスタイルを変えていくべきなのではないか。ゼインはそんなシーンの変化を自ら望み、本作にそれを託したにちがいない。

ZAYN – No Candle No Light (Lyric Video) feat. Nicki Minaj

僕が本作を聴いて思い出したのは、元ワム!の故ジョージ・マイケルが1990年に発表したセカンド・ソロ作『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』だった。ポップアイドルだった彼がひたすらヴォーカルを聴かせることに注力したアダルトな同作は、リリース当時物議を醸したものの、現在では彼の最高傑作とみなされている。そういえばギリシア系キプロス人を父に持つジョージ同様、ゼインもパキスタン系のルーツを持つ移民の息子だった。

INFORMATION

ゼイン『イカロス・フォールズ』

2018.12.21 RELEASE
国内盤CD:2,800円+税 / 配信:2,500円
日本限定ボーナストラック2曲収録(CD・配信いずれも全29曲)

https://lnk.to/ZAYN_IcarusFallsEy