あなたは自分の好きな本を書いた作家がどのような姿なのか知りたくないですか?
醸し出す雰囲気も含めその姿と文章のスタイルが一体となった作家について、
山崎まどか氏が語る。
本を見た目でジャッジしてはいけないと人は言う。ましてや、作家のルックスで判断してはいけないと。しかし、アメリカの文芸書を見ると、出版社は作家のポートレートのインパクトというものを心得ていると思う。アメリカの作家の肖像写真は男女を問わず、魅力的なものが多い。憧れの作家の写真をロックミュージシャンや映画俳優のポスターと共に壁に貼っている、若い読者の姿が容易に想像できそうだ。そういえばドラマ『ギルモア・ガールズ』のヒロインは、デイヴ・エガーズ(!)のポスターを部屋に貼っていた。
読者は自分の好きな本を書いた作家がどのような姿なのか見たいものだし、ポートレートの方を先に見て、この人がどんな文章を書くか知りたいと思う人間もいるだろう。作家の「顔から入る」なんて不謹慎だろうか?でも私たちは作家の肖像を見るとき、その造作だけを見るのではない。醸し出す雰囲気や知的な風情、深い眼差しといった中に、彼らの文章の片鱗を探しているのである。時折「こういう文章を書く人はまさしくこんなルックスをしているだろう」という「顔文一致」としか言えない作家もいる。その姿と文章のスタイルが一体となった時に、作家はアイドルとなるのだ。
Truman Capote
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裏表紙一面を作家の写真が飾ることが多かった時代、その「見た目」のイメージの大きさというものを熟知し、最大限に利用した作家として、評論家/作家のヒルトン・アルスはトルーマン・カポーティの名前を挙げている。1947年、『遠い声、遠い部屋』の裏表紙を飾ったのは、ソファにしなだれかかる中性的な美少年としてのカポーティの姿だった。本当は背が小さくてエキセントリックな風情のカポーティだが、フォトジェニックであることは間違いない。自分を引き立てるポーズや服装のスタイルというものを彼は心得ている。カポーティの小説のイメージと、カポーティの写真は切り離せないものだ。こういうのを「パッケージが出来ている」というのだろう。
John Steinbeck
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パッケージが出来ているといえば、ジョン・スタインベックもそうだ。『怒りの葡萄』や『エデンの東』などを書いた彼の精悍なルックスと青い瞳を見ていると「ジョン・スタインベックの小説の映画化作品で主演を務める俳優のようだ」と思ってしまう。同じことは、スコット・フィッツジェラルドにも言える。隙のないダンディなスタイルで決めた彼は、その刹那的なまなざしも含めて『楽園のこちら側』等で彼が描いた主人公そのものだ。
F Scott Fitzgerald
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Jack Kerouac
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J・D・サリンジャーの正式なポートレートはたった一枚しか出回っていないが、あの清潔で少年的なアップの写真は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の作者にふさわしいものだ。ハンサムなジャック・ケルアックな写真を見ると、それだけで『オン・ザ・ロード』の主人公の道のりを辿るのが嬉しくなってくる。だって、文中で旅しているのは、このポートレートの「彼」なのだ。
一方で、出回っているポートレートのイメージがあまりに有名なために、ハンサムだということに気がつかれない作家もいる。カート・ヴォネガットといえば口ひげのある中年期の顔をイメージする人がほとんどだと思うが、ネットで若き日の彼の写真を探して欲しい。マイケル・セラやジェシー・アイゼンバーグのファンがキャアキャア言いそうな、ボーイッシュな美貌の文化系男子の姿がそこにある。『スローターハウス5』を書いていそうというより、読んでいそう!
Neil Gaiman
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Junot Diaz
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古典や二十世紀の大物作家たちだけでない。現代の文芸界も、アイドルになりうる作家たちが大勢いる。イギリス出身ではあるが、アメコミの原作者として高い人気を誇り、現在はアメリカ在住のファンタジー作家ニール・ゲイマンなんか最たるものだ。あの無造作に伸ばしたような、くしゃっとした巻き毛の髪型と端正なルックスは反則である。『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』『こうしてお前は彼女にフラれる』のジュノ・ディアスは、書いている小説や本のタイトルに反して、ちっとも非モテに見えない。ブルックリンで猛烈に人気がありそうな知性派のルックスをしている。
Jonathan Safran Foer
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ブルックリンで超絶にモテそうだといえば、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』のジョナサン・サフラン・フォアもそうである。メガネ男子好きにアピールするさわやかなハンサムであり、イノセントな少年の面影がある。一時期、女優のミシェル・ウィリアムズと噂があった時は、ブルックリンの文化系カップルの最高峰に位置するドリーム・コンビではないかと興奮したものだが、本当のところはどうだったのだろうか。女優といえば、彼はナタリー・ポートマンの友人である。ポートマンは彼の『イーティング・アニマル アメリカ工場式の難題』を読んでビーガンになってしまったというほどのフォアのファンだが、雑誌で公開された二人の往復書簡はまるでラブレターのやりとりであった。そういう華やかな物語が私生活でも似合うところがある作家なのだ。
物語を感じさせるルックスといえば、サイモン・ヴァン・ボーイの名前を挙げておきたい。日本では作品が未訳だが、村上春樹やミランダ・ジュライも受賞したフランク・オコナー国際短編集賞にも輝いたことがある作家である。ブルックリンのお気に入りのカフェにMacBookではなくタイプライターを持っていくというヴァン・ボーイも「パッケージが出来ている」作家の一人だ。いつもスーツ姿で巻き毛を七三に分けている。賞に輝いた短編集『冬に始まる愛』は病気で亡くなった妻に捧げたものである。この本が出た時のヴァン・ボーイの写真にはいつも、可愛らしい愛娘の姿があった。おしゃまな娘の人形に着せるドレスまで手作りするハンサムなシングル・ファーザーの作家……これはまるで榛野なな恵の漫画『Papa told me』に出てくる的場新吉先生ではないですか!
あの漫画で的場先生はどんな小説を書いているのだろうかと常々思っていたのだが、その答えがサイモン・ヴァン・ボーイの小説にあったのだった。私の個人的な文芸アイドルである。ちなみに数年前、彼の小説のヒロインのモデルとなった美しい女性と再婚した。知り合う前に写真で見た彼女を見て小説を書いてしまったのだという。
Paul Auster
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「書いている作品は好きじゃないのだけど、ルックスが好きなのでつい本を買ってしまう男性作家がいる」と読書家で知られる女優のゾーイ・カザンがツイートした時、真っ先に彼女のファンが挙げたのがポール・オースターの名前だった。『ムーンパレス』『リヴァイアサン』など、柴田元幸の翻訳によって日本でも大変な人気があるオースターだが、そのポートレートの魅力には抗えないものがある。鷲が羽を広げたかのような精悍な眉毛に濡れた琥珀色の瞳。少年期からの思い出を身体的な感覚と共に綴ったエッセイ集『冬の日誌』の本国版の表紙は、若き日のオースターの美しすぎるモノクロ写真だった。彼は若い頃の写真をあまりに効果的に使いすぎる、という意見もネットでチラホラ見かけたほどに印象的な装丁だ。やはり表紙=作家の風情は大事ということなのだろうか。ファンたちの憶測にカザンはこう答えている。
「彼の場合はルックスだけではなく、本の方も好きです」
PROFILE
Madoka Yamazaki
山崎まどか
コラムニスト。著書に「女子とニューヨーク」「オリーブ少女ライフ」、共著に「ヤングアダルトU.S.A.」、翻訳書に「愛を返品した男」「ありがちな女じゃない」等がある。