SKATE AND STUFF -from California Street-
Photography & Report by Ryuta Hironaga
スケートボードの発祥の地カリフォルニア。そこには日常的にスケートカルチ ャーが根付き独自のライフスタイルを送っているスケーターが暮らしている。単 身渡米した写真家・廣永竜太が撮りおろした写真と共にスケートライフをお届けする企画「SKATE AND STUFF」。第3回目は Powell Peralta, Blind, Girl といった80年代、90年代を代表するスケートカンパニーに属し、スケートボードカルチャーが目まぐるしく進化していった時代に、そのシーンの中心にいた人物、Rudy Johnsonと、彼の息子であり先月の誌面の方で取材したMillion Dollar DoomsdayのメンバーDiego Johnson。スケーター親子二代をドキュメントした。
Introduction from Ryuta Hironaga
「EYESCREAM WEBをご覧の皆さん、こんにちは! 廣永竜太です。アメリカではサマータイムという年に二度の恒例行事がありまして、今月(3月)の第2日曜日に1時間進みます。たかが1時間ですが、ちょっとした時差ボケみたいな状態になります。ですが、その分陽が伸びるので夏がきたー!とテンションが上がりました。連載第3回目はRudy Johnsonと、その息子、Million Dollar DoomsdayのメンバーDiego Johnsonを取材してきました。こうやって親子で同じスケートカルチャーを生きる、というのもアメリカならでは。西海岸ならではですよね。日本もそうなったらいいな。是非ご覧くださいませ!」
FOCUS-Rudy Johnson & Diego Johnson
「Legendary」という言葉が相応しいRudy Johnson。彼は80年代、90年代を代表するスケートカンパニーに属し、スケートボードカルチャーが目まぐるしく進化していった時代に、シーンの中心にいた人物だ。1989 年、Powell Peraltaから、当時のLAストリートキッズ、Paulo Diaz, Gabriel Rodriguez, Guy Mariano そして Rudy Johnson の4人がフィーチャーされた『Ban This』というビデオがリリースされ、彼は一目置かれる存在となり、この四人は「The LA Boys」と呼ばれるようになった。Mark Gonzalesが当時、属していたスケートカンパニーVisionの利益優先のやり方に反旗をあげ、Vision(視覚)に対し、Blind(盲目)を立ち上げ、Rudyはゴンズ本人からスカウトされ、1991年、Blindから初のプロモデルを創出しSpike Jonesが監督を務めた名作『Video Days』にも、彼のパートは残されている。その後、1993年 Mike Carroll, Rick Howard, Spike Jones がGirl skateboardsを立ち上げ、Rudyはオリジナルメンバーとして在籍していた。 そんな彼は現在、設立約20周年を迎えるトラックカンパニーRoyalのファウンダー/オーナーであり、三児の父親である。その長男、Diego Johnsonも父、Rudyの血を引くスケートボーダーであり、17歳の現役高校生。彼とは数年前、Crailtap (Girl,Chocolate,Royal などのスケートブランドを抱える総合会社)のイベントで知り合い、近所のシルバーレイクに住んでいるということもありハングアウトする仲になった。そこで今回、取材の旨を伝えたところ、父の了解を得て快く引き受けてくれた。
取材を行ったのは月曜日ということもあってDiegoを学校に迎えに行き、父Rudyの職場である、Crailtapへと向かった。Crailtapの中にはスケートパークが設けてあり、Diegoと滑っていると、奥からRudyが現れた。軽い挨拶を交わすと「スケートするのは久々だよ。体が動くかわからないけど、さぁ始めよう」と親子二代のスケートセッションは始まった。まずRudyはスケートの感覚を取り戻すようにパーク内を巡回し Diegoは果敢にバンクやウォールを攻めていた。しばらく滑っているとDiegoが「Hey, Dad! Let’s do a wallride there」と提案した。壁を走るDiegoの下を父Rudyが滑り抜けるという内容だ。流石の親子、事前に練習していたかのように息がぴったりと合っている。数回のトライでメイクし二人は仲良くハイファイブをした。
セッションが落ち着いたところで二人にいくつか質問を投げかけた。
ー二人はどうやってスケートを始めたの?
Rudy:実は BMX を始めにやってたんだよ。
Diego:まじかよ。知らなかった(笑)。
Rudy:近所の少し年上の友達がBMXをやってて、とてもクールだったんだ。そのあと彼がBMXをやめてスケートを始めて、それでオレもスケートを始めたんだ。確か1986年だったよ。
Diego:オレは確か4歳のときに親父がスケボーをくれたときかな。でも、当時はすごく嫌いでさ、 難しいしオレには合わないと思ってすぐスケートを辞めたんだ。
Rudy:そうそう。スケートパークに連れていってミニランプのやり方とか教えていたんだけど、彼はスケートにハマらなくて、向いていないんだな、と思ったよ。
Diego:それでスケートの道には進まなかった。でも小学生のときにテレビゲームの『SKATE 3』っていうゲームにハマって、初めてスケートってカッコいいと思って、そのときに本物のスケートに興味を持ったんだよ。それで13歳のときに本格的にスケートを始めたんだ。
ーそうなんだ。(笑)面白いストーリーだね。RudyさんはDiegoが生まれて来る前から、子供にスケートをさせようと思っていましたか?
Rudy:いつかできたら良いなとは思ったけど、実際に自分の子供がスケートするなんて考えてもみなかった。
Diego:そうだよね。何も教えてくれなかったし。この技どうするの? って聞いても、いつも「知らないよ、ただもっとスピード出せ」としか言わなくて(笑)。
Rudy:ははは!! だって、その通りだろ? スピードがあれば簡単に出来る。立派なアドバイスだ。まぁ、オレは1度も強制的にスケートさせてないよ。彼自身で始めたことだ。
ー最初に親父のスケートビデオ見たときどう思った?
Diego:親父がシーンの重要なスケーターだってことは知っていたけど、オレは実際にどうだったのかはよくわからなくて。それで14歳のときにYouTubeで親父の名前を検索してビデオを観たら、かなりヤバかった(笑) 。特に『VideoDays』はビビったよ。
ー僕も実は最近観たんだけどけどかなり良かった。ビデオではDowntownの映像が多かった気がしたけど、当時はどこでよく滑っていましたか?
Rudy:ありがとう。懐かしいなぁ。当時はDowntown、Mid City, Los Feliz, Lock WoodなどLAのあらゆる場所で滑っていたよ。
Diego:親父は俺が通っていたKingっていうミドルスクールでよく滑っていたんだよ。25年後に自分の子供がよくスケートしていた学校に通うなんて奇妙な話だよね(笑)。「今日、学校のハンドレールでボードスライドできたよ」って言ったら「そうか。俺は朝一でやってたぞ」って。マジかよ。もっと上手くならないといけないって思ったよ。
Rudy:ははは! そこはウォーミングアップに使ってたよ。毎週土曜日の朝食の時間に5-O,リップスライドとかやってたな。そうだ、せっかくだし昔の写真やデッキを見せてあげるから、ついて来なよ。
とパークを後にしてCrailtapのオフィスへと僕を案内してくれた。彼のデスクや昔の写真、デッキなど紹介してくれて最後に25年前のRudyのポートレートと現在の彼の写真を撮った。
今回彼らを取材して親子という関係以上に、一個人のスケーターとしてお互いのリスペクトがあり、普通の親子にはない何かがあるように感じた。子は親の背中を見て育つという言葉があるように、Diegoも父Rudyの背中を見て成長しているはずだ。次世代へと受け継がれていく過程で、きっと新しいものや面白いもが生まれていく。
RudyからDiegoへ。今後の彼らの動向に注目しよう。
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Diego Johnson
Rudy Johnson