PAPERBACK TRAVELER
by Kunichi Nomura
[VOL.62] HND → JFK
東京発、ニューヨーク行き
どこいるんだホームボーイ?
『Young, Sleek, And Full Of Hell: Ten Years of New York’s Alleged Gallery』Aaron Rose (DRAGO ARTS AND COMMUNICATION)
ジェットセットなライフスタイルを送る野村訓市が、旅の途中で読んだ本について綴る、雑誌EYESCREAMの好評連載。毎月、WEBと交互に掲載する。
3ヵ月間東京にいて、ジェットセットなライフスタイルとはほど遠い日々が続き煮詰まっているところへ、『ビューティフル・ルーザーズ』の映画公開から10年記念ということでNYでエキシビジョンをやるとの連絡が来て…
5、6、7月と丸々どこも海外に出なかった。この20年でそんなに長くずっと東京にいたのは初めてのことだったのだが、それがなぜかといえば答えは簡単、仕事を溜め込んだからだ。年の前半をほぼウェスの映画のプロモに取られた訳で、しかもプロモというのは時間こそ取られるにせよ一銭にもならないので、非常にマズイ。どんなに楽しくても、ホテル代やら飯代やら旅行中は一切金がかからないにせよマズイ。という訳で、初夏から夏の間はせっせと東京で昼は働き、そのストレスで夜はせっせと酒を飲む羽目になった。それはもう大量に。それはそれで楽しかったのだが、ずっと同じ街にいるとだんだん煮詰まってきて、頭が痛くなってきたりする。そんなときに突然いいニュースが舞い込んできた。『ビューティフル・ルーザーズ』の映画公開から10年記念ということで、突然ニューヨークのホールギャラリーで過去と今、Then and nowといういつものメンツでエキシビションをやるとキュレターのアーロン・ローズから連絡が来たのだ。
バリー・マッギーやトーマス・キャンベル、ゴンズと言ったみんなの作品が集められ、来られる人は皆ニューヨークに集まるという。行くしかないだろう! 速攻で俺はチケットをとっていた。10年前、映画の公開に合わせて原宿のラフォーレミュージアムでビューティフル・ルーザーズのエキシビションをやった。映画だけ公開して、そもそも展示は見せないんじゃ話にならんと、ナイキの協力を得て、できる限りのことを当時やった。皆でトンチンカンチン、ほぼ徹夜で数日かけて準備をし、会期中はたくさんのワークショップをやった。ホームメイドタトゥーのクラスや、ジンの作り方クラス、毎晩来日していたみんなと飯食って騒いだあの夏は、俺の心の引き出しの中でも、とりわけいい場所に仕舞ってある。
8月も終わりに近づいたこの夏の最後に、みんなとダウンタウンで集まる、断る理由なんてないじゃない? 俺は出発ギリギリ前にチケットを取り、まるで逃げるように羽田を後にした。
夜近くに空港へつくと、アーロンやロスから来てる親友のアレクシスから連絡が入っていた。「どこいるんだホームボーイ? 俺たちはカッツでパストラミを食うぞ、これから」。荷物を部屋に投げ込んですぐにカッツへと向かった。観光客でごった返すようになったこの名物デリ、昔アーロンがアレッジドギャラリーをオープンさせた90年代の前半は、ロウワーイーストには洒落たカフェなんてものはなく、老舗のカッツとかしかなかったのだ。
店の中に入ると壁沿いにみんながいた。巨大なパストラミサンドとピクルスが山盛りになった皿。ニヤニヤしているところをみると、いつもの下ネタを話しているに違いない。「ヨォ兄弟」。あっという間に昔話に花がさく。ギャラリーの準備は順調かと聞くと、どうやら作品の到着が遅れてるらしい。まぁ何とかなるだろうという話をしてその晩は皆と別れ、俺は朝まで酒に付き合ってくれる若手と合流し、時差ボケ防止のためにテキパキと酒を飲み続けた。
翌朝、太鼓隊が叩く調子良いドラムのリズムみたいにガンガン痛む二日酔いの頭で友達と目玉焼きとコーヒーをがぶ飲みし、皆の作業する会場へと向かった。ギャラリーのファサードを、昔のアレジッドギャラリーの写真を見ながらアレクシスがエイジング塗装で再現していた。オリジナルの看板もアーロンがちゃんと倉庫に保管していたらしく、ちゃんと入り口の上に同じように鎮座している。「クン、そこに落ちてる木っ端を俺にくれ」アレクシスはダンボールに垂らした黒いペンキを木っ端の表面に伸ばすと、それで建物の角や表面をゴリゴリ擦る。あっという間に自然な汚れがそこにできる。「本物のアレジッドがバワリーに復活したみたいだ」アーロンはニコニコそれを眺めていた。ヴァンズのオーセンティックにスラックス、よれたレーヨンシャツにハット。記憶に有る限りずっとトレードマークのようなこの出で立ちでアーロンはずっと路上で出会ったアーティスト達と一緒に歩んできた。いなくなったもの、売れてメジャーになったもの。ストリートアートと呼ばれてきたものはメジャーへと浮上し、そこに取り込まれていった。その全てを目にしてきたアーロンがなんとなく感傷に浸っているのを俺は一歩下がったところからずっと見ていた。
そして次の日、6時に開場する前から人がどんどんギャラリー前に集まり出した。混む前に見ようとする家族連れから、熱狂的なファンまで、やがて7時になる頃にはものすごい数の人で路上まで溢れかえるほどになっていた。かつてダウンタウンの片隅にあった小さなギャラリーとそこに溜まっていた、金はないけど情熱だけは腐る程あるという若いアーティストたちの過去と今を、夏の終わりに祝福する、そんなムードに包まれながら。「こんなにバラバラな人たちが、ダウンタウンのアートショーに大勢集まるのはいつ以来だろう」そんな立ち話をたくさん聞いた。
2次会、3次会と宴は続き、最後まで残った俺とアーロンはソーホーにただ一軒残る古い、安酒場に行った。二人で飲むのは10年ぶりくらいで、そこで随分と話した。昔のこと、今、これからのこと。互いに随分歳をとっちまったな、いつまでこんななのかなと笑いながら、また10年後にこれをやろうと話して、バーを出た。ビルの谷間の空が色付いてもう少しで夜明けだ。ホテルまでの道のりは千鳥足だったけれど、なぜか心はすごく軽かった。
ニューヨークへ行く前に久しぶりにビューティフル・ルーザーズと、アレッジドについての本、「Young, Sleek, And Full Of Hell: Ten Years of New York’s Alleged Gallery」を本棚から引っ張り出して読み返した。ここに出てくるアーティストたちこそ、俺が若い頃から今に至るまで、尊敬し、楽しみ、今に至るまで人生を豊かにしてきてくれたものたちだ。同時代にそんな人たちが存在し、一緒に歳を取っていけることの幸福。もし今これを読んでいる若い子がいたらぜひ読んでみてほしい、辞書を片手に。金がなくても、やる気と仲間がいればどんな材料でもアートは作れるし、そしてそれを武器に世間へ殴り込みをかけることができるのだ。そんなものを俺はまた見たいなぁ。
[PAPERBACK TRAVELER] ARCHIVE
[VOL.58] 東京発、ロサンゼルス行き『オールド・テロリスト』
[VOL.60] オースチン発、ニューヨーク行き『濹東綺譚』永井荷風(岩波文庫)
profile
野村訓市 Kunichi Nomura
1973年、東京生まれ。大学在学中から世界中を放浪しながらバックパッカー生活を送る。およそ7年間の旅から帰国後、インタビュー雑誌『スプートニク』を編集・刊行し、高い評価を獲得。現在は雑誌での企画・編集・執筆の他、イベントやブランドのディレクション、プロデュース、DJなど多方面に活躍中。また、自身が主宰するTRIPSTERでは、ショップや飲食店の空間プロデュースやインテリア制作も手掛けている。
Instagram : @kunichi_nomura