2014年に山木悠が発表したインタビューブック『CURIOSITY』。本誌は、何者でもなかった彼が、会いたい人に会って話を訊く為、世界を放浪した記録であり、文字通り“好奇心”を具現化したような印刷物だ。
彼に刺激を与え、その好奇心を掻き立てる、さまざまな人たちについて。第一回はグラフィティアーティスト・フューチュラ。
01 FUTURA
いつものように神宮前をフラついていると、「とあるアーティストの個展があるので、PRに協力してくれないか」と主催する会社のおねーさんから話が来た。作品制作のために来日するタイミングで、媒体のコーディネートとインタビューをして欲しいということだった。俺自身、本をたまに作りはするが、それを生業にしているわけでも、ライターでも通訳でもない。もちろんPRという仕事をしているわけでもない。何より、興味関心がない人の話を「あら、いいですねぇ」と聞くほどお人好しでもない。場合によっては断ろうと思っていたが、すぐにその考えを改めた。そのアーティストの名はフューチュラ。ボールペンで書かれたテキストでさえ、ファンが争奪戦を繰り広げる男である。
彼のことを知ったのは、2000年に出版された黒い大判の本に収録されたインタビューを読んだ時だった。先輩たちからレジェンドと呼ばれ、NikeやLevi’s、最近ではOff-WhiteやLouis Vuittonなどストリートからビッグメゾンまで数々のビッグネームとコラボレーションし、自身もFUTURA LABORATORIESという名でブランドをやっているカルチャーを地で生きているようなニューヨーク出身のアーティスト。70年代、まだグラフィティがアートと定義される前の時代に、若者特有のフラストレーションを発散する道具として筆代わりにスプレー缶を選んだ。そして、サブウェイをキャンバスに見立てた若者たちの無垢なクリエイションが80年代にはアートと化した。このムーブメントがなければ90年代の裏原宿のカルチャーや、現在のようにラグジュアリーブランドがストリートと交わり、メインストリームとなることもなかったはずだと個人的には思っている。
朝早く設定されたアポの時間に、夜行性の俺は眠い目を擦りながら現場に着いた。そこには誰よりも声が大きく、陽気で華奢な人が出迎えてくれた。昔から知っているだけあって、不思議と初めて会った気がしなかった。そして、今から20年前に語っていたインタビューの内容について、改めて本人に聞いてみることにした。人間、金が入ると優先事項が変わってしまうことが多々ある。そこんとこどうなのよ、と。だが、フューチュラは昔と変わらず、家族を大切にし、仲間たちと共に作品を展示できること。そして、新しい世代に作品を観てもらうことをとても楽しみにしていた。そんなことを丁寧に息子ぐらいの年齢の俺に投げることで、昔の自分を思い出しているようだった。楽しそうに話すその姿を見ていると、こういう人たちのストーリーは可能な限り残しておく必要があると強く、そして切に願うのだった。