~トランプ時代のアメリカ文学~アメリカ文学を 読むんじゃなく、抗うのなら。

現在発売中のEYESCREAM12月号では、テン年代のアメリカ文学に注目。先日トランプ大統領が、初来日を果たしたとあって本誌の内容をピックアップ。
いま一番関心の集まる話題からみる文学とは。

トランプ時代がやってきた。しかも、フェイクニュースなる〝フィクション〞を引っ提げて。
文学もまた、闘いの舞台になる。ステートメントを掲げて、SNSを駆使して、ライムを刻んで……
〝自分たち〞の物語とは何かという問い掛けを巡って。

前々夜:1998年

~トランプ時代のアメリカ文学~

(咳払い)「紳士淑女のみなさま、本日はご参集いただきまして光栄に存じます」

(万雷の拍手)

「このたび、私どもモダン・ライブラリー社は、20世紀の偉大な小説トップテンを作成いたしまして」

(一同どよめく)

「本日の発表に至ったわけでございます」

(拍手と歓声)

「それでは準備よろしいでしょうか」

(いっせいに)「YES!」

「10位。『怒りの葡萄』ジョン・スタインベック」

「おお! ブルース・スプリングスティーンも取り上げたあの小説!」

「9位。『息子たちと恋人たち』D・H・ロレンス」

「おおっと、愛に生きた男ロレンス!」

「8位。『真昼の暗黒』アーサー・ケストラー」

「やべえ、読んだことない」

「7位。『キャッチ=22』ジョーゼフ・ヘラー」

「ヘラー最高! 異議なし!」

「6位。『響きと怒り』ウィリアム・フォークナー」

「高校の授業でがんばって読んだけど、わからんかった」

「5位。『すばらしき新世界』オルダス・ハクスリー」

「21世紀に向けてのディストピアものですねわかります」

「4位。『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ」

「映画化2回!」「発禁処分!」「言葉の美!」

「いよいよトップ3でございます。みなさま心の準備はよろしいでしょうか」

「あと出てないの誰だっけ」「オーウェルでしょう」
「アトウッドは?」「サリンジャーだって!」

「3位。『若き芸術家の肖像』ジェイムズ・ジョイス」

「そうか、ジョイスは外せないか」
「けっこういい青春小説だった気が」

「2位。『偉大なるギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド」

「永遠のギャツビー!」「忘れててごめん!」

「そして1位は……」

(一同固唾を呑む)

「1位。『ユリシーズ』ジェイムズ・ジョイス」

「金字塔! 異議なし!」
「ちゃんと読了した人いる?」
「ジョイス二つ?」

「いかがでしたでしょうか」

「なんか納得できないんですが」

「いや、編集会議で決めましたもので」

「それって誰が決めてるんですか」
「誰なんだよ」

「作家のウィリアム・スタイロン氏も入っておりますし、
歴史家のアーサー・シュレシンジャー氏もおられます」

「強そうな名前だ」「でも偏ってません?」

「そこは有識者が意見を戦わせた結果ですから、
そういうものとして受け入れていただければ」

「ピンチョンは?」「カミュとか」
「『百年の孤独』は?」「カフカは無視ですか」
「ベケットを外す理由がわからない」

「私は一介の司会者ですので、そのへんはなんとも」

「英語圏限定なら最初からそう言ってほしかった」

「その批判はまったくあたらないかと」

「全員男の作家なんですけど、女性作家はノーチャンスってことですか?」
「先進国の自己満企画だったか」

「……」

「なんだか日本の与党政治家みたい」
「一般読者の意見は無視するの?」
「民主主義の国なんだから我々だって一票を」

「わかりました。じゃあ一般の投票も募ります。
文学の対話ということで」

(一同)「YES!」

(有識者一同拍手)
「よろしくお願いします」

「10位。『フィアー:恐怖』L・ロン・ハバード」
(一般席中央前方が異様に盛り上がる)

「ん? 誰? その小説は何?」
「SF作家だそうです。
新興宗教サイエントロジー創始者の作品です」
「ええと……小説としての完成度とかは?」

「投票結果ですから。あと9作品あるから急ぎますんで」
「9位。『ミッション・アース』L・ロン・ハバード」

「また同じ人?」

「読んだ人と読んでない人の熱量の差は認めます」
「一票の尊さを否定してはならない」

「超大作らしいけど、信徒の人以外が読んでいる気配を感じないが」
「組織票が入ったとしか思えない」

「8位。『われら生きるもの』アイン・ランド」
(一般席右側が異様に盛り上がる)

「今度は誰なんだ」
「思想家だとか」「小説家じゃないってこと?」

「あなたたちだって小説に思想を求めるじゃないですか」
「7位。『アンセム』アイン・ランド」

「また複数エントリーじゃないか」
「ジョイス二冊で叩かれた我々って一体」

「6位。『1984年』ジョージ・オーウェル」

「知っている作家だ!」「これで安心できるな」
「さっきまでのは何だったのか」

「5位。『アラバマ物語』ハーパー・リー」

「人種問題は一大テーマですから」
「そういえば『ビラヴド』を選び忘れてた」
「でも、こちらのリストもアメリカ人だらけでは?」

「何をいまさら」「我々はアメリカ人ですから!」
「4位。『指輪物語』J・R・R・トールキン」

「実は私もけっこう好きで」「我が家も愛読していて」

「3位。『バトルフィールド・アース』L・ロン・ハバード」
(再び熱狂する客席中央前方)

「同じ人が三冊目とはこれいかに」
「映画化してコケたのでは」
「それなら聖書とかクルアーンが入るほうが安心できるが」

「それは今から2年後の話なので」「20世紀のバイブルなんすよ」
「2位。『水源』アイン・ランド」(打って変わって熱狂する客席右側)

「こちらも同じ作者三冊目……」
「共和党コアな支持者のバイブルだそうです」
「宗教と政治信条に乗っ取られたか」

「そもそも有識者の投票も組織票の一種じゃないですか」
「1位。『肩をすくめるアトラス』アイン・ランド」(狂喜乱舞の客席右側)

「プロへの反感がこうも露骨に出るとは」
「対話のきっかけはどこに……」

「あれ? サリンジャーは?」
「二人の作家から七冊選んじゃったぞ」
「でも民主主義ですから」

(有識者一同退場)

前夜:2013年

~トランプ時代のアメリカ文学~

むかしむかし、2013年のこと、亜米利加(あめりか)のあるところに、えすえふ作家が住んでおりました。
山に芝刈りにも行かずにえすえふ小説を書いては、でき上がると町に売りに行っておりました。
活劇満載で面白いと言ってくれる人もおりまして、えすえふ作家はそのたびに誇らしく胸を張るのでした。
この作家には野望がありました。町のはるか向こうにある都で認められたかったのです。
都では年に一度の祭り※1が催され、その年一番のえすえふ作品が褒め称えてもらえるのです。
近所での評判からして、俺にもその日が来るはずだ。そう信じて、えすえふ作家は山に芝刈りにも行かずに小説を書きました。
しかし、都から声はかかりません。
これはおかしい。えすえふ作家はそう思いました。俺のような優れた作家が認められないなんて、何かがおかしい。祭りに呼ばれた小説を読んでみると、人種の問題や性を巡る〝てえま〞とやらが盛り込まれているのはわかるが、だから何なのだ。
これのどこが俺より上だというのか? 悩んだ作家は山での芝刈りに精を出すことにしました。

そんな彼が、ある日山に行ったときのこと。ふとひらめいたことがあります。そうか、あの祭りは女やら有色人種やら同性愛者に乗っ取られているのだ!
だからこの俺さまをのけ者にするのだ。わかったぞ。最初から不公平な祭りだったのだ。
左翼特権というやつだ※2。ちくしょうめ。えらそうな連中に、世の中で頑張っているのは白人男性の俺たちなのだとわからせてやる。
俺たち、その代表が俺だ。俺による、俺のための、俺の祭りにするのだ。それが民主主義だ!
めいく・あめりか・ぐれーと・あげいん!!

かくして、えすえふ作家は芝刈り仲間に話を持ちかけます。俺の書いた小説を祭りに呼ぶよう、都に手紙を書いてほしい。
手紙の数さえ集まれば、祭りに行くことができるからです※3。その年、手紙の数は足りませんでした。
作家はさらに芝刈りの範囲を広げました。都に呼ばれるべきと思う小説を自分で選んで、見せて回る日々が続きます※4。
2014年も祭りからお呼びがかからないと、作家は意地になっていきました。俺たちの数のほうが多いのだから、俺たちに賞を!
要するに俺に賞を!!
共鳴する仲間たちも続々と集結して※5、祭りを〝取り戻す〞のだと息巻きました。
2015年、ついにその運動が実を結びます。あらゆる山々から手紙が山ほど送られ、ついに祭りの候補が、〝俺さま〞軍団の推薦する作品で埋め尽くされたのです。あとは祭りの日に勝利を祝うのみ!
ところが、祭りの日には思わぬ展開が待っていました。五部門で、軍団推薦作品しか候補に残っていなかったにもかかわらず、投票結果を見てみれば、五部門すべてで〝受賞作品なし〞※6になったのです。

俺さまたちは荒れに荒れました。おまけに、『氷と炎の歌』の作者※7である超大物作家からは〝負け犬の遠吠え〞と評される始末。
それでも芝刈りを続ける俺さまたちは、女性を代表にすればもっと票を集められるかも、などといかにも男性の上から目線の工夫をこらしたりもしましたが、そのうち、祭りの仕組みが変わってしまい、軍団票はそもそも受け付けてもらえなくなりました。
行き場を失う自己満足欲求。少数派が世の中を支配していることに募る憎しみ※8。ええいこの恨み、晴らさずにおくものか……。
すると、まったく別のところから、その思いに応えてくれる人物が現れます。国一番と豪語する地主の男が、自分が都の主になると言い出したのです。
女性も少数派人種も知らん、大事なのは俺さまのえごだ!というその姿、何から何まで、えすえふ作家の心を代弁していました。
どなるど・とらんぷという名のその男が、ついに都を手に入れたのです。

Note.
※1 ヒューゴー賞のこと。
※2 日本での類似した例と同様、“**特権”はそれ自体が妄想の産物である。
※3 会員からの推薦数により、各カテゴリーの候補作が決まる。
※4 彼が立ち上げた運動は“SadPuppies”と命名された。自分の作品を含む“推薦すべき候補作リスト”を発表して集票に励むキャンペーンを続けた。
※5 “Rabid Puppies”と呼ばれる別運動と共闘する形になった。
※6 組織的な賞ジャックに対抗して、“受賞作品なし”に投票しようという対抗運動が繰り広げられていた。
※7 ジョージ・R・R・マーティン。『氷と炎の歌』はメガヒットTVシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作である。
※8 くどいようだが、これは妄想でしかない。

来るべき闘いに備えよ!

~トランプ時代のアメリカ文学事件簿~

これほどまでにアメリカの風景が変わるとは、誰が予想しただろう。その男が2016年に大統領選に向けて動き出したときも、共和党からの大統領候補になったときも、そのうち消えるだろうという声は根強かった。それが蓋を開けてみれば、ホワイトハウスに堂々と乗り込み、毎日のように騒動を巻き起こし、2017年には白人至上主義のデモ行進まで発生するという急展開を迎えている。
 ドナルド・トランプ時代。小説家の想像も及ばなかったほどの現実に、僕らは突入した。アメリカ社会を見つめ、ときにはリードする立場であるアメリカの作家たちは、この現実に向き合いつつ、どう行動してきたのか。そんな一年半の事件簿をまとめてみた。

2016.05.24 (Tue.)

ジュノ・ディアスら、早々にトランプ不支持を表明

有力だったはずのプロの政治家たちが、共和党候補指名レースから次々に脱落。トランプが党候補の指名獲得に向けて独走状態になった段階で、アメリカ作家たちはすぐに動き、“アメリカ国民への公開書簡”を連名で発表した。トランプの言動は社会の多様性を破壊しようとしている、と正式に不支持を表明して、その危険性を世に訴えたのだ。名前を連ねた作家たちの豪華さは、彼らの危機意識の表れでもあった。少しだけ紹介すると……

・ジュノ・ディアス(『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』)
・スティーヴン・キング(『グリーン・マイル』)
・ジェニファー・イーガン(『ならずものがやってくる』)
・リディア・デイヴィス(『ほとんど記憶のない女』)
・エイミー・ベンダー(『燃えるスカートの少女』)
・ハ・ジン(『待ち暮らし』)

2016.07.11(Mon.)

ジョージ・ソーンダーズ、トランプの支持集会に潜入

『短くて恐ろしいフィルの時代』(2011)で、煽動型の支配者の恐ろしさと虚しさを抉り出したジョージ・ソーンダーズ。そんな作家がトランプを放っておくわけがない。事実、ソーンダーズはトランプの選挙活動を取材するべく、支持集会(いわゆる“rally”)に潜入してのルポを決行した。そして、集会をそのまま描写したそのルポは、ソーンダーズの小説世界そのままだった。
「スピーチ自体はほぼすべてが虚しい主張だ。主張と自慢話。主張、自慢話、そして自己弁護」。まさに、『フィルの時代』で住民を煽る支配者のような光景が、そこでは繰り広げられていた。トランプ批判のために集会に登場した女性たち(それにしてもなんという勇気!)に対して向けられる敵意と暴力など、これが本当に21世紀のアメリカで起きているのか?と背筋が寒くなるような現実を、ソーンダーズは見せてくれる。そして事実、この煽動者が11月にはホワイトハウスを手に入れてしまうのだ。

2016.11.17(Mon.)

コルソン・ホワイトヘッド、“BMF”宣言

2010年代に入ってから全米各地で注目を集めた、警察によるアフリカ系市民への暴行事件。あのディアンジェロが沈黙を破って新作『ブラック・メサイア』を発表する気になったほどの、人種をめぐる緊張。そうしたアメリカの現状もまた、2016年の大統領選挙の背景となっていた。そして、11月上旬にトランプ候補の当選が確定する。その異様な雰囲気は、11月中旬に行われた全米図書賞授賞式にも影を落とした。受賞したのはコルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』、かつてアメリカにあった黒人奴隷¥の逃走経路が、実は本物の地下鉄道トンネル網だったとしたら?という大胆な発想を、ある女性奴隷の運命と絡めて語る傑作である。
もちろん、ホワイトヘッドの受賞スピーチは選挙後のアメリカを見据えたものになった。これから出現するトランプ時代を生きていくために大事なことは三つ、「みんなに優しくして、芸術作品を作り、権力と闘うこと(Bekind to everybody、Makeart、Fightthe power)」だと言った。このスローガンの頭文字を取れば“BMF”となる。これだけでも最高のスピーチなのだが、その数秒後、それをさらに上回るほどカッコいい言葉が待っていた。“BMF”を簡単に覚えられるフレーズがある、とホワイトヘッドは続け、こう言ってスピーチを締めくくったのだ。「俺はあいつらに心を折られたりはしない、だって、俺はバッド・マザー・ファッカー(Bad Mother Fucker)だからだ」。

2017.01.20 (Fri.)

ポール・オースターが出馬表明

出馬といっても、大統領選の話ではない。日本でも抜群の知名度を誇る小説家ポール・オースターは、NYとその多様性をこよなく愛する一人であり、2000年代はブッシュ政権に対して激しく「ノー」を突きつけていた。そんなオースターが、言論の自由を擁護する国際ペンクラブの活動に共鳴しないわけがない。とはいえ彼は小説家が本業であり、執筆の妨げになるといけないから、という理由で、ペンクラブのアメリカ支部長の職はこれまで固辞してきた。しかし、トランプ就任を機に、オースターは一大決心をする。「ここで声を上げなければ一生後悔する」と、2018年からペンクラブの支部長に就任する決意を表明したのだ。ちなみに、支部長とはいえ、英語での役職名は“president”なのだから、ついつい想像が膨らんでも仕方がない。もしアメリカの大統領(president)がトランプではなく、オースターだったら、どんなに素敵な世界だろう……。

2017.01.24 (Tue.)

“トランプ・ストーリー・プロジェクト”始動

去る1月20日(金)に大統領就任式が行われたわずか数日後、ニュースサイトSlate.comが“Trump Story Project”を立ち上げる。フィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』は「もし、差別主義者が大統領に就任していたら?」という発想の歴史逆転小説だが、その“もし”はトランプ就任という出来事で実現してしまった。実際に逆転した歴史を生きる中で、どのような物語を紡げばいいのか、まずは10人の作家に声をかけてスタートしたのが、この“トランプ・ストーリー・プロジェクト”なのだ。 百万人の移民が一度に追放されたとしたら?という短編、あるいはテーマパーク“トランプランド”がすでに解体されたという設定で語り始められる短編など、作家たちが持ち寄った物語は反骨精神の塊というしかない。これぞBMF!

2017.08.18 (Fri.)

ジュンパ・ラヒリ、捨て台詞とともにホワイトハウスと決別

インド生まれの作家ジュンパ・ラヒリは、デビュー作『停電の夜に』から日本の読者にもよく知られる移民作家である。彼女はオバマ前大統領時代に、ホワイトハウスの芸術人文委員に任命されて就任していた。政権交代後も委員会は続いていたのだが、2017年8月、17人の委員がいっせいに辞任した。トランプ大統領に宛てた公開書簡は政策を強く批判する内容だったが、もっと注目すべきは手紙の各段落の最初の一文字をつないでいくと、“RESIST”つまりは“抵抗する”という単語が浮かび上がるという仕掛けになっていたことだ。それは「私たちは抵抗する」という意思表示であるだけでなく、手紙を公開することで、アメリカ国民に「抵抗せよ」と呼びかける一言でもある。

2017.08.24 (Thu.)

スティーヴン・キング、トランプのツイッターアカウントからブロックされる

スティーヴン・キングといえば、ホラーの概念を大きく変えた偉大な作家であり、作品の映画化・テレビ化の数でも現役作家トップである。そんなキングは前出の公開書簡に名を連ねただけでなく、100万人を超えるフォロワー数を持つツイッター上で、早くからトランプ批判の舌鋒を繰り広げてきた。中でも秀逸なのは、自身に批判的な報道を“フェイクニュース”だと繰り返すトランプ大統領に向けてのこの一言。

“The news is real. The president is fake.”
(ニュースは本物。フェイクなのは大統領)

お前なぞ大統領の真似事をしているだけの偽物だ、と断言してみせたのだ。調子で投稿を続けてきたキングだが、2017年夏、今度はトランプ大統領のツイッターアカウントからブロックされるという出来事が発生した。それを「生きがいがなくなってしまったぞ」と
大げさに嘆いてみせるあたり、やはりキングは役者が違う。

激動の一年半、作家たちも実に様々な方法でトランプ時代と対峙してきた。とはいえ、彼らの最大の武器が物語であることを忘れてはならない。数年がかりで書き上げられる小説という作品を使って、この時代に何を伝え、次の時代に何を残そうとするのか。作家たちの闘いはこれからが本番なのだ。

現代作家が“炎上”する時……

~ツイッター名言集~

作家といえば、かつては華やかな存在だった。文化的なアイコンに祭り上げられた(がゆえの重圧にも苦しんだ)アーネスト・ヘミングウェイのような、誰もが知っているあの顔という存在感のレベルにとどまらず、私生活でも派手な話題を振りまく作家たちには事欠かなかった。
若き詩人だった二十代のウィリアム・フォークナー。とはいえ、まずは手に仕事を、ということで就職した口はミシシッピ大学の郵便局長。そこで伝説のサボりぶりを披露する。まず、気分が乗らなければ郵便局を開けない。各教員のもとに届けるべき雑誌類を自分が先に読み、遅配するだけでなく勝手に捨てる。詩を書くのに夢中で郵便局に人が来ても応対しない、友人が訪ねてくれば勤務時間中でもゴルフに出かけてしまう。そんなところに監査が入ると知らされ、観念したフォークナーは、「資本主義社会で切手を売ることに疲れ」といった趣旨の辞職願をしたためて退場したのだった。

 『ラスベガスをやっつけろ』の原作者ハンター・S・トンプソン、映画俳優のジョニー・デップとジョン・キューザックがつるんでいたある夜のこと。今日は自分が持っているダッチワイフの誕生日だ!と言い出したトンプソン、二人を連れてロサンゼルスの夜の街に繰り出し、適当にバーに入ってはそこの客と記念撮影をして、『Happy birthday to you』を歌うという奇行を繰り広げた。その深夜、警察に通報が入る。サンセット大通りの交差点で、男がダッチワイフに殴る蹴るの暴行を加えているという。駆けつけた警察にトンプソンいわく、「本気で誕生日を祝ってやったのにまったく感謝してくれない」
 ヘミングウェイは自殺した。ハンター・S・トンプソンも自殺した。ジャック・ロンドンも、シルヴィア・プラスも、リチャード・ブローティガンも自ら命を絶った。その系譜は、21世紀ではデイヴィッド・フォスター・ウォレスの自死(2008年)まで紡がれてきている。

時は変わって2010年代。驚くほど、その手の話題は少ない。そもそもアメリカの作家といえば、NYに住み、近所の仲間同士でつるんであれこれ話し合う、という濃密な人間関係がなくなってきていることも、そこには影響している。多くの作家は全米各地に散らばり、大学で教えているため、勤め人としてそれなりの常識を要求される。そうでなくても、アルコールなり麻薬なりの中毒を抱えた作家も希少種になった。詩人がTEDでプレゼンをして、視聴者から高評価を受ける、それが2010年代のクリエイター事情である。もっとも、勤め先の大学院創作科で学生に手を出してクビになった作家もいるのだが……。
 作家は書くのが本業なのだから、それ以外であれこれ注目しないほうがいい、というのは、もちろん正論である。とはいえ、作品に加えて何かの話題を期待してしまうのも、まだまだ健在な読者心理である。ハチャメチャなプライベートをもう期待できないとすれば、今の作家は何をしているのか?

現代作家が“炎上”する時……

~ツイッター名言集~

俺たちのディランはあの男だ!


ハリ・クンズル 2016/10/13 (木)
2030年にケンドリックがノーベル賞を受賞しなかったら大問題だな

2016年のノーベル賞はボブ・ディラン。オッズには名前があれど、厳密には詩人でも小説家でもないディラン受賞はあちこちに波紋を広げた。ディラン世代の作家たち(たとえばスティーヴン・キング)は絶賛したが、若手作家たちには微妙な空気が流れた。書店が減り、文学の読者が減っている最中で、専業作家が選ばれる方が今後に繋がるんじゃないか。これからキャリアを築いていかねばならない作家たちがそう感じても無理はない。 その斜め上を行ったのが、パキスタン生まれ、『民のいない神』(2011)が日本でも翻訳されたハリ・クンズル。ディランが受賞なら、2030年に受賞すべきはケンドリック・ラマーだろう、と大予言したのだ。その一言は、ラマーが代表する新しい世代の表現者たちと歩んでいくという決意表明である。

作家vs.ユーチューバー?


ジョン・グリーン 2017/7/23 (日)
2007年のYouTubeドラマと2017年のYouTubeドラマの違いは、ランボルギーニを持っているユーチューバーの数が一気に増えたことだな

 『さよならを待つふたりのために』(2013、『きっと、星のせいじゃない。』として2014年に映画化)という青春小説の名作を送り出したジョン・グリーン。難民問題や政治についての社会的発言も多く、YouTube上でのビデオブロガーでもある。そんな彼のツイートでは、本の刊行に合わせて何千枚という紙にサインしていくという修行が進行していく様子も拝めるのだが、グリーンがネットの住人でもあることを裏付けているのが今回のツイート。あの有名人をYouTubeで見られる!のではなく、今やYouTubeで有名人が作られる時代。小学生が憧れる職業はユーチューバー。ユーチューバー+高級車という組み合わせが、10年前までは想像もできなかったことを、グリーンは証言している。

トランプについて言わせろ! 3連発


ゲイリー・シュタインガート 2017/5/11 (木)
短くもトラブルだらけのドナルド・トランプ大統領時代を、歴史書は教訓として取り上げるのか、それとも、もう歴史書なんてなくなっているか

 『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』(2013)が日本でも紹介されているシュタインガートはソ連に生まれてアメリカに移住した変わり種作家。その経歴がゆえか、アメリカの政治についてツイートは非常に多い。歴史の知識なんて知ったことか、というトランプ近辺の動きを指したこのツイートは、未来に向けた分かれ道をギョッとする形で描いている。歴史書がトランプ時代を過去のものとして“反省”できる道がひとつ。もう一つは、このままの流れでもはや誰も歴史書なんて読まず書かない時代に突入してしまい、社会が自分のエゴだけを追求する人々だらけになっている、という道なのだ。日頃はなかなか気付けない、決定的な瞬間が目の前にあることを教えてくれるのは、やはり作家の感性の賜物だろう。

セス・フリード 2016/11/13 (日)
通報者:男がバズーカを持って、私の家に来ています。『バズーカ・タイムだ!』とずっと叫んでいるんです。緊急通報オペレーター:彼が何かするまで待ってください

このツイートが、一週間前に当選が確定していたドナルド・トランプのことを指していることは疑いようがない。しかし、『大いなる不満』(2014)で寓話と幻想に満ちた世界を作り上げたフリードのツイートは、それ自体がひとつの寓話のようになっている。「バズーカ・タイムだ!」と叫んでいながら放置されている男女は、その実、ロシアでも、ドイツでもフランスでも、日本でも事欠かないからだ。その現状を140文字の作品に昇華するあたり、フリードはやはり冴え渡っている。

マット・ジョンソン 2017/9/19 (火)
この世の終わりがここまでアホらしいとは思わなかった

もちろん、「この世の終わり」とはトランプ政権になってからの迷走ぶりを指している。不正義に抗議する、正面からの抵抗ももちろん重要なのだが、噴出する差別意識も政権のマッチョな行動もすべて引っくるめて一言で皮肉る姿勢は、作家の武器はやはり言葉だということを教えてくれる。

フットボールへの愛がゆえに


ダニエル・アラルコン 2017/6/3 (日)
全文明世界はセルヒオ・ラモス憎しで団結している

アラルコンといえば、『ロスト・シティ・レディオ』や『夜、僕らは輪になって歩く』などの小説家であり、アメリカでのスペイン語ラジオ放送局の創設者であり、ジャーナリストであり、熱狂的なフットボールファンである。最後の点については、長年のアーセナルFCのサポーターであるがゆえに、美しいフットボールだがタイトルにはなかなか恵まれないという悲運を毎年のように味わう、それがアラルコンの立場である。
2017年6月3日(土)は欧州クラブ最高峰を競うチャンピオンズリーグ決勝。この日、レアル・マドリードとユベントスが対戦し、大接戦が期待されたのだが、蓋を開けてみれば4-1でレアルの圧勝に終わった。アラルコンが“燃えた”のは、試合も終盤、ユベントスのMFフアン・クアドラードと交錯したレアルDFセルヒオ・ラモスが派手に痛がって、クアドラードを退場に追い込んだ場面。どう見てもラモスの“演技”だったこのシーンに、あんな真似を許すな!と盛り上がったのだ。その思いを支えるのはもちろん、ときには勝負よりも美学を優先しているように見えるアーセナルへの愛情であり、芸術家としての自負である。

僕らはみんな紙の民


シャーマン・アレクシー 2016/11/22 (火)
電子書籍のファンたちよ、教養があってセクシーな人は君たちに恋してくれないぞ。だって、君たちがどんな素晴らしい本を読んでいるのか、その人には見えないんだからな

アメリカ先住民の血を引き、『はみ出しインディアンのホントにホントの物語』(2010)などの作品でファンも多い小説家・詩人のアレクシー。1990年代のデビューから変わらず若々しい感性を保ち続けてきた彼だけに、このツイートにもただの“懐古厨”とは違うユーモアが漂っている。本を読んでモテたい気持ちあるだろ? じゃあ紙の本のほうがアピール力高いんだぞ、というその言葉には何とも言えない説得力がある。だけれど、アレクシーの一言は、じりじり後退を続ける書店の文化を守りたいという真􄼨な思いから発せられたものだろう。 そんな彼も、ツイッター上の罵詈雑言に耐えかねて、2017年の元日を最後に、投稿をやめると宣言してしまった。誰もが自由に発信できるメディアとは諸刃の剣でもある。