タトゥーカルチャー、ファッション、音楽。ブランド設立20周年を迎えたSOFTMACHINEの根幹に迫る

アパレル業界で働いていた山岸航介とグラフィックアーティストのShuを中心に始まったブランド、SOFTMACHINEが2022年で20周年を迎えた。ウェアとタトゥーカルチャーをミックスアップすることで知名度を高めてきたブランドだが、特に近年は山岸がMustache X名義でDJを始めたことやサーフィンにはまったこともあって、自らが生んだ概念を型にとらわれることなく拡張していることが印象的だ。そこで今回は、山岸にファッションやタトゥーに出会った頃やSOFTMACHINEを立ち上げた当初から現在に至るまでの話を聞くことで、その魅力を紐解いていった。

―まずはSOFTMACHINEを立ち上げる前のことについて聞かせてください。山岸さんがファッションに興味を持ち始めたきっかけは何だったのですか?

子どもの頃は、地元の船橋でサッカーばかりやっていたのでいつもジャージ姿だったんです。それを姉に馬鹿にされたことが洋服のことを気にするようになったきっかけですね(笑)。初めて買った服はagnès b.の真っ黒なシャツジャケット。あとはNIKEのAIR JORDANや、ちょうど恵比寿に日本で初めてSTUSSYのショップができたばかりで、そこで8ボールのTシャツを買ったことも覚えています。

―STUSSYの旗艦店ができた頃ということは90年代前半の話。当時の東京と言えば、いわゆる“裏原系”と呼ばれるファッションが一大ムーブメントを巻き起こす初期の段階です。

そうですね。当時も流行っていましたし、僕が文化服装学院にいた90年代後半もすごい勢いで広がっていた記憶があります。でも個人的にはあまり興味が湧かなかったんです。「流行りに乗っちゃって」みたいな。学校がファッション系だったので奇抜な格好をした人も多かったんですけど、それも好きになれなくて古着を中心にベーシックな物ばかり着ていました。性格的に昔からちょっと天邪鬼なところがあるように思います(笑)。

―文化服装学院を卒業後は渋谷の老舗アメカジショップ、REDWOODで働かれていたんですよね。学生~REDWOOD時代、90年代~00年代初頭の渋谷や原宿は、山岸さんの目にはどう映っていましたか?

ファッションについては、そんな感じでオンタイムの流行を熱心に追いかけていたわけではないので、どちらかというと音楽のイメージのほうが強く残っています。なかでも渋谷のタワレコ(TOWER RECORDS)やHMVといったCDショップ。試聴機が充実していてマニアックな作品もたくさん置いてあったんです。キャプションもしっかり書かれていたので、1度店に入ると5、6時間はいることもざらでした。DJをやっている友達はみんな宇田川町にたくさんあったレコード屋をまわっていて、僕はその頃はまだDJをやっていなかったんですけど、Manhattan RecordsでMUROさんのセレクトしたカセットテープをよく買っていました。ソウル系のレアでかっこいい曲がたくさん入っていたんです。

―音楽はソウルを中心に聴いていたのですか?

いろいろですね。ソウルも好きだし、ヒップホップ、テクノやオルタナティブロックも好きで、なかでもAphex Twinは強烈でしたね。最初は「なんだこのジャンルは」って、よくわからなかったんですけど聴くほどにはまっていきました。音もさることながらミュージックビデオも面白くて、「Come To Daddy」の映像は、ホラーみたいで登場人物の顔が全部本人。「自分をブランドにしちゃうんだ」って衝撃を受けました。それからは作品が出るたびに買っていますし手には彼のロゴのタトゥーを入れています。直接的に音楽にまつわる何かを彫ったのはこれだけですね。

―タトゥーにはいつ頃から興味を持ち始めたのですか?

10代の後半とかそのくらいだったような気がします。ファッションの延長線上のような感覚でしたね。洋服って基本的には店で売っている物を買うわけですからどうやっても誰かと被るじゃないですか。それに対してタトゥーは入れる場所も絵そのものも大きさも人によって絶対に違うところに惹かれました。初めて入れたのはREDWOODにいた頃。その時のタトゥーアーティストが今のSOFTMACHINEのデザイナーのShuなんです。

―そして2002年にShuさんとSOFTMACHINEを立ち上げられました。タトゥーとファッションを掛け合わせるというイメージは当初からあったのですか?

Shuに彫ってもらっているうちに仲良くなって飲んでいる時に「何か一緒にやらない?」って話になったことがSOFTMACHINEを始めたきっかけです。彼はタトゥーアーティストだったから絵が描ける。僕はアパレルの業界にいる。お互いの得意分野を掛け合わせて「じゃあタトゥーのデザインを落とし込んだ洋服作る?」って、流れでやることになりました。だから正直に言ってブランドをやることそのものに熱い想いがあったわけではないんですけど、僕にとってタトゥーアーティストって憧れの存在だったから、すごく嬉しかったですね。

―ちなみに当時すでにウェアとタトゥーカルチャーをミックスしたブランドはあったのでしょうか。

JUN MATSUIさんのやっていたLUZというブランドの展示会はよく行っていましたけど、たぶんそれくらいだったと思います。でも彼はトライバル系のアーティストでShuは別のスタイルだったのでSOFTMACHINEでやろうとしていることとはまた違いました。アメリカでもそういうブランドは僕の知る限りはなかったですね。TENDERLOINCOREFIGHTERといったストリートブランドは好きで、当時COREFIGHTERの展示会にも行かせてもらっていて、自分たちもあんな感じで展示会とかできたらいいなって思っていましたけど。

―そしてSOFTMACHINEを始めた結果はどうでしたか?

大変でしたよ。最初はなかなかお金にならなかったのでスタッフと一緒に倉庫とかでバイトしていました。

―そこからどのように軌道に乗せたのですか?

立ち上げ当初は地元の船橋の友達に助けられましたね。みんなにTシャツを見せてオーダーを取って買ってもらったこともありますし、隣の津田沼に安く借りられる物件を紹介してもらえたことでショップを開くこともできました。SOFTMACHINEをそれなりの規模感で認知してもらえるようになったのは、2006年とか、もうちょっと先だったかな? アメリカによく行くようになってしばらくしてからですね。

―アメリカで何があったのですか?

自分はタトゥーのブランドをやっているのにタトゥーアーティストではないことが、もともと心のどこかに引っ掛かっていたんです。どうやったら嘘っぽくならないかよく考えていました。Shuにも「もっとタトゥーのことを知ってほしい」と言われていたし、本を読んだり詳しい人の話を聞いたりいろいろ勉強していくなかで、アメリカにも行くようになりました。そこで現地の関係者との繋がりをたくさん作って、好きなタトゥーアーティストにタトゥーを入れてもらったり、自分たちの服を着てもらって撮影した写真をwarp MAGAZINEに載せてもらったり、けっこうぎりぎりのところまでお金かけて動いていましたね。

そのうちサンフランシスコの「Bay Area Tattoo Convention」という大きなタトゥーのコンベンションにも参加させてもらえるようになって、みんながあちこちでタトゥーを彫っているなかにブースを出して服を売っていました。そんなことを何年か続けているうちにいろんなタトゥーアーティストとコラボした商品も作る機会が増えてきて、だんだんと名前が売れていったんです。そんな感じで最初の10年はタトゥーカルチャーとしっかり付き合っていました。今振り返っても楽しかったし、やってよかったと思います。

初めてアメリカで撮影した時の一コマ、BOB ROBERTSとJUAN PUENTE。SPOTLIGHT TATTOOにて。

「Bay Area Tattoo Convention」でBILL SALMON氏とSOFTMACHINEのブースにて。

イタズラ好きのBILL SALMON氏が山岸に作ったアーティストパス。コンベンションの和気藹々とした雰囲気が伺える。

タトゥーアーティストでペインティングアーティストでもあるSHAWN BARBER。彼の作品集をプレゼントされた時の一枚。

アメリカに何度も通うようになり家族のように仲良くなった一番の親友TIMとロングビーチの仲間たち。

―アメリカを見たことで山岸さんご自身にはどんな変化がありましたか?

英語も勉強するようになったし、いろんな人を見て影響を受けました。タトゥーアーティストでファッションもかっこいい人を見て、それをデザインに起こして商品を作ったこともありますし。あとアメリカはタトゥーやアート全般に対する評価が高い。タトゥーアーティストがコレクションブックを出したら、3〜5万円くらいでもコンベンションで飛ぶように売れる。日本だとまずそういうことはありませんから。

―どうしてそうなのでしょうか。

そもそもの土壌の問題というか、アートとかそういうものに対してお金を使う人が日本は少ない。音楽もそうですよね。いろんな世界のことを知っているDJも「ギャラがいちばん安いのは日本だ」って言いますし。僕もここ5、6年、Mustache Xという名義でDJをやっていて、ロシアのクラブでプレイした時に、ギャラの約束なんてしてなかったんですけど「少なくてごめんね」って、ちょっとしたお礼みたいなノリで600ユーロくらい渡されましたから。まあ服作りもDJも、自分のやっていることに関してはアートだとは思いませんが。

―なぜアートではないのですか?

アートという言葉や存在を否定しているわけではありません。でも、アートって敷居の高いものだと思っている人も多いし、活動が認められないことに対する言い訳のように「アートだから」と逃げる人もいる。僕は受け手がいてこそのアートだと思っているので、あまり軽々しく自分からは言いたくないんですよね。

SOFTMACHINE 10周年の際に制作された写真集『DECADE OF SOFTMACHINE』。タトゥーカルチャーの重要人物が多数収録された貴重な一冊。

―続いては、SOFTMACHINEの20年の後半について、お伺いしていきます。約4年前、2018年9月にEYESCREAM WEBでRen Yokoiさんと対談されたときに、洋服が好きで仕事にしたことでご自身に起こった変化について話してくださったじゃないですか。あの時におっしゃっていたことがすごく印象に残っています。

“違和感”を貫くこと。SOFTMACHINE山岸航介とRen Yokoiが語る:Motivators Vol.11

いろいろと紆余曲折ありましたけど、今はシンプルにみんなが楽しくやれて飯が食えたらいいなって思っています。かっこいい物を作ることは大前提。そのうえで期限を守って展示会を開いてちゃんと売って、みんなが生活できる状況を作ることが仕事じゃないですか。いくらいい物を作ってもこだわりすぎて納期を守ることができずにうまく売ることができなくなったら意味がない。あとは値段もできるだけ抑えたいんです。だからポジティブに妥協することが必要だと僕は思います。今はそのあたりのバランスが自然にうまく取れていますね。

―バランスがうまく取れるようになっていったターニングポイントを挙げるとすれば?

お客さんからのレスポンスは大きいですね。SOFTMACHINEの服を着てくれている人に会うのはすごくうれしいし、意見をもらえる機会は多いほどいい。一例を挙げると、ここ数年はサーフィンにはまっていて九十九里に家を買って毎日のように海に行くようになったこと。その近くにONEWORLDというサーフショップがあってSOFTMACHINEの商品も置いてもらっているんです。実際に買ってくれるサーファーの人たちと話したことを持ち帰って、メンバーと話し合って服作りに活かすことはよくありますね。

―具体的にはどんなところに活きているのですか?

そういったカントリーサイドの人たちの意見ってすごく大事だなって思います。東京にいると東京を中心に考えたファッションになっちゃうんですよね。でも同じ物を海辺の街に住む人たちに着てもらえるかとなると基本的には難しい。ほとんど都心に出かけることなく海や自然を中心に生活している人に1枚1万円を超えるTシャツや、変わったデザインの高い服はいらないじゃないですか。変わったデザインの服もまたファッションだけど、「それってかっこいいの?」という見方もある。

―確かに。

そういう意味でSOFTMACHINEは“東京ファッション”みたいにはしたくないんです。どこの土地に住んでいても着られる物を作りたいし、まだそんなにお金を持っていない若い人たちにも手に取って欲しい。例えばTシャツにしても、昔はオリジナルボディにこだわっていましたけど、今は既成品に落ち着きました。あと変わり種のジャケットとかも今はいらないかなって思っています。Tシャツ、スウェット、パーカ、パンツ、それに今みたいな春~夏前だったらコーチジャケットくらいがあればいい。ベーシックな物を揃えてできるだけ価格を抑えてグラフィックを楽しんでもらいたいですね。それでもまだ高いかもしれませんけど。

FUCTの代表、Erik BrunettiからプレゼントしてもらったというTシャツ。FUCTのショートムービー「The Doctrine」に登場した警官が実際に着用していたもので、血のインクが付着したままになっているのもクールだ。

Erik Brunetti

Erik Brunettiと山岸

―そして迎えた20周年。「SOFTMACHINE XX」と銘打ってSOFTMACHINE単体の商品以外に、さまざまなブランドとのコラボ商品も展開されます。

FUCT、YELLO、Rwche、SURFSKATECAMPの4ブランド、あとは電気グルーヴとコラボします。FUCTは90年代からあるずっと好きなストリートブランドで、10年くらい前に代表のErik Brunettiと知り合ってから個人的に付き合いがあるんです。このタイミングでFUCTのロゴが入った商品を展開できることがすごくうれしいですね。YELLOはレディースのシューズブランドで前々から何かやりたいとは思っていて、最近は女性のお客さんも増えてきたからこのタイミングで1足作ったら面白いんじゃないかと思いました。

Rwcheはユーモアや考え方がすごく好きなんです。グラフィックや出す商品の発想が独特。このあいだなんてテレフォンカード作っていましたから。今は500円分のテレフォンカードの原価が500円以上するらしいです(笑)。SURFSKATECAMPはサーフィンを通じて知り合った若い人がやっている靴下のブランド。「そんなブランド名で靴下だけやって売れるの?」って僕は思ったんですけどけっこう人気あるんですよ。そういう意味では僕の感覚が古いのかもしれない。彼らをフックアップしたい気持ちもありますし、SOFTMACHINEが年を取らないようにという意味合いもありますね。

電気グルーヴは最初に聴いたテクノ。ライブもよく観に行っていましたし、(石野卓球がオーガナイズする国内最大級のテクノフェスティバル)「WIRE」でも遊んでいましたね。DJをやるようになってからは卓球さんと同じパーティに出ることもあって、2年前にはSOFTグルーヴというコラボシリーズを展開したんです。それを20周年のタイミングで再びやることになったので、楽しみにしていてください。

―“タトゥーとファッション”という芯がありながら、さまざまなスタイルのブランドとコラボしていることがSOFTMACHINEの魅力だと思うんです。例えば電気グルーヴとタトゥーカルチャーって、直接的には文脈を作りにくいイメージもあるのですが。

その違和感みたいなものがいいんですよね。例えば僕のDJって、いわゆる4つ打ちのダンスミュージックに入ると思うんですけどファッションはそれっぽくないし、動きやすい格好でサーフィンに出かけるけどJack Johnsonみたいなサーフミュージックは聴かない。でもそれって別に変わったことではないと思うんです。「この音楽にはこの服」みたいに、カルチャーの型を突き詰めることもかっこいいと思うけど、僕は“自分が本当に好きなもの”だけを突き詰めてオリジナルのスタイルにしたい。

―10周年と15周年の際はそれぞれelevenとVENTでアニバーサリーパーティも開催されましたが、20周年の予定は?

場所はWOMBということだけ決まっています。あとは今話を詰めているところなので、引き続き情報をチェックしていただけるとありがたいですね。

INFORMATION

SOFTMACHINE

SOFTMACHINEオフィシャルサイト:http://www.softmachine-org.com
SOFTMACHINE Instagram:@softmachine_official
山岸航介Instagram:@inkedlife