CULTURE 2019.10.19

Seihoと木村太一が語る“テクノロジー/愛/記憶”と、そう遠くない未来のこと

photography_Takao iwasawa, text_Takuya Nakatani
EYESCREAM編集部
EYESCREAM編集部

8月末にリリースされたSeihoの新曲「Wareru feat. 5lack」と、「Levi’s® Trucker Jacket with Jacquard™ by Google」プロジェクトのコラボレーションによるミュージックビデオ、という名のショートフィルムが公開されたのは先日アナウンスしたところだが、その監督を務めた映像作家、木村太一とSeihoの対談が実現。リーバイス®の同プロジェクトが掲げる“CONNECTED NOT DISTRACTED(つながる。とぎれることなく)”というメッセージに共鳴する形で制作がスタートしたこのコラボレーションフィルムを軸に、テクノロジーの可能性や未来のことについて、世界の先端で活躍する二人に話してもらった。

—今回のコラボレートに至った経緯から聞かせてください。

Seiho:5lackとは同い年ということもあって以前から仲良くしていて、「一緒に曲を作りたいね」って話をしていて。去年のアメリカツアー中にできたスケッチみたいものを5lackにいくつか送っていたら、あの曲を返してくれた。帰国したタイミングで、ちょうど太一くんとも知り合って。ここも同い年だったのもあって「何か作りたいね」って話をしていたんです。

木村:最初はステージの演出やろう、とかもっと違う話だった。

Seiho:そうそうそう。けど、この曲が上がってきたときに、これを太一くんが撮ってくれたら面白そうだなと思って、デモ音源を送ったんです。それがちょうど去年の夏前くらい。そのあと、どうしようかなって考えているうちに夏が過ぎてしまって。僕のなかではこの曲は夏の曲のイメージがあったから、次の夏までちょっとほっといてみるか、みたいな。

—そこからミュージックビデオという名のショートフィルムへと発展していったと。

木村:最初はMVって言ってたけどね。

Seiho:そこから話が発展していって。

木村:発展というかSeihoくんが勝手に変えただけですけどね(笑)。そもそも何で変えようとしたの?

Seiho:誰かにオファーするときに、僕が発注したら面白い作品ってできないじゃないですか。例えば写真や映像を撮ってもらうにしても、「こういうイメージでこういうふうに撮ってほしい」って言っても、僕のイメージが具現化されるだけで、それはクリエイティブとして面白くない。そうじゃなくて、こっちがオーダーできるのって、相手にプレッシャーをかける土台づくりしかないと思うんですよ。そのなかで上がってきたものを100%受け入れるというリスペクトだけあればクリエイティブなコラボレーションは成立する。だから、このタイミングで木村太一にオファーするんだったらMVじゃないな、みたいな。それよりもちゃんと構成があって、ストーリーがあって、なおかつ極端にアブストラクトになりすぎないバランス感のものをオファーしたほうが、太一くん的にも燃えるところはあるだろうなと。

ー実際、そのオファーを受けたときはどう思いましたか?

木村:正直言うと「面倒くさいなあ」みたいな(笑)。ショートフィルムにするならストーリー書かなきゃいけないし、そんなポッと浮かぶもんじゃないよ、とか思いながらやっていたら、意外とポンポン浮かんだという。SeihoくんとLINEでやりとりしながら、その日くらいにもうベースができてましたね。“夏”という大枠があったので、そこを通してやれたらなってところから、Seihoくんが「高校時代、日本にいなかったからこそ感じていた違和感をやってみたら?」って。そこから“夏休み”でやってみようかって。(註:木村太一は、映画監督を目指して12歳で単身渡英した。現在もロンドン在住)

ーSeihoさんは今回の作品を観て、率直にどう感じましたか。

Seiho:意外とカットしないなって。あの間の捉え方は新しかったですね。あの時間軸を飲み込めるから、後の曲がしっかり入ってくるというか。太一くんは日本の高校を経験してないから、「“夏休み”ってこんなんじゃないかな」みたいなところと、日本人の持っている思い出の美化された部分がきれいにハマっている。それが生々しくないというのが今回のポイントで。ああいうことをやるとどうしても生々しくなっちゃって、観ているこっちが恥ずかしくなっちゃうけど、その本当ギリギリのバランスで保たれている。

ーあの初々しさとは裏腹に、リリックでは「あいつのためには生きられない」「確実なんてありえない」とあって。そことのバランスもギリギリのなかで成立していますよね。

木村:本当そうです。コケる要素しかない、みたいな。よく俺もやってるなって思ったし、手伝ってくれたプロデューサーも、「今回はコケるから関わりたくない」と言ってたくらい(笑)。本当ギリギリのラインですよね。今回の作品は自信あるし、いい作品ができたって思っているんですけど、一歩間違えば、このインタビューすらなくなる可能性もあった作品ではあった。

Seiho:あと、観ていてすごくいいなって思ったのは、最初と最後のアブストラクトな映像の部分。最初、あれは夢ってことで始まるじゃないですか。でもあれって実際、逆の可能性もある。ここ結構重要で。太一くんの作品は毎回、ここの機転が利いている。「Lost Youth」(註:木村太一の自主制作短編映画。2016年発表)もそうなんですよ。どっちが夢でどっちが現実なのか、その並行世界のなかで描かれている。今回の作品でも、あっちの世界の夢なのか、こっちの世界の夢なのかというのが、トンチが利いていて面白いなって思いましたね。

木村:最後、誰もいないからね。

Seiho:そうそうそう。だからあれはもしかしたら、庭にいる虫の夢だったかもしれないという。楳図かずおの漫画「14歳」もそういう話なんですけど、そのオチとも取れるような世界観が一気に広がる。ミクロとマクロがつながる作りはめちゃくちゃ面白い。

—作品のなかで、祖母の飼い犬のマルちゃんが花瓶になって……というシーンも印象的でした。「私たちが知らないだけでさ、ものとかにさ、気持ちとかあるんじゃない」「かもね」という主人公二人のやりとりは、今回のリーバイス®とのコラボレートのテーマにもなっている “テクノロジー/愛/記憶”にもつながっていくという。

木村:そうですね。僕にはそういう思想みたいなものがあって。最初はセリフでそのまま思想を読み上げる形だったんですけど、Seihoくんから「もう少し例え話の方が面白いんじゃない?」って。そのときに目の前にたまたま花瓶があったので、そこから書き進めたらうまくハマった。あそこが今回のキーポイントだと思っています。あれで作風が引き締まったというか、人やもののつながりを重要視することができた。

—その思想というものをもう少し詳しく聞かせてください。

木村:ものにも魂を含むことができるよね、という思想ですね。すごくベーシックなことで、ものを大事にしていこう、だとか。おばあちゃんが人や物事を忘れちゃう悲しみも、ものが忘れられる悲しみと一緒で。

Seiho:僕はそもそも、自分の音楽に対する電子音と生楽器の組み合わせの部分も含めて、ものに対しての命の話は、フラットにしていきたいタイプの人間で。僕にとっての人の命とものの命ってあまり変わらない。だから、すべてのものにどれだけリスペクトを持てるかということが試されている。すべてのものに、いいものと悪いものが共存しているから、それをどれだけ自分がフラットに取り扱えるか。テクノロジーが発展していっている今、いろんなもののアイデンティティの在り処みたいなものを考える時期ではあると思うんですよ。

ー今こそ、それを考える時期だと。

Seiho:アイデンティティに関しては、哲学でいうと一番最初は個人のことを考えて、その次は他人のことを考えて、その次は関係性のことを考える。でもグレアム・ハーマンのオブジェクト指向存在論が一般的に理解されはじめて、
“自分がどう考えているか”じゃなく、周りの環境をいかに捉えて、それによって自分がどう形成されているか、という。ここ最近、AIとか別のところに命を持たせたらどうなるのか? ということが現実的に近くなってきたときに、そもそも人のアイデンティティや自分のアイデンティティってどこにあるんだ? って。よくある船の話で、船を買ってずっと修理を続けて、すべてを直しまくって元にあったパーツがなくなったその船は、その船なのかという問題。それを人間の身体に置き換えたとしても、現実的に起こりうることとして近づいてきている。そういうアイデンティティの問題は、ここ数年考えていることではあるので、今回の太一くんの作品を観たときに、そうそう、みたいにはなりました。

—今日、お二人が着用しているリーバイス®スマートジャケットについては、その魅力や可能性ってどういったところだと感じますか?

木村:この小さな変化が、後々大きなインスピレーションを与えて、もっと可能性が広がっていくんだろうなという提示は、本当に素晴らしい。小さな積み重ねがあってこそ、どんどん大きな変化につながっていくものだから。

Seiho:ここからはもう画面を見ない時代になるのか、というのが率直な感想ですね。家に帰ってテレビしかなかったり、パソコンしかなかった時代から、それ自体をどんどん持っていけるような時代になって、それがどんどん小型化していって。ほとんど全員がスマートフォンを持っている状態から、今度はほとんどのものがウェアラブルで整うようになって、そもそも画面から離れていくという。IoTでそれぞれがつながっているけど、そもそも誰も画面は見ずに生活する、という未来の最初の一歩になるのかなって。

木村:下を向かなくて済むよね。

Seiho:うんうん。そこは結構、大きい変革だと思いますね。

—興味深い変化ですね。

Seiho:で、そのときに一つ思うのは、じゃあ実際の音楽とか映像って果たしてどこまで必要なのかということと、じゃあ実際の音楽とか映像って何なのかという問題。ウェアラブルな世界とVRの世界を歩くのと、その境目がなくなったときに、“実際”ってどっちなのか。今後、そういった“実際”という感覚が薄れていきそうな気がしてるんですよね。そもそもVRで見ることも“実際”になっちゃうというか。VRで見た経験もまた、実際にそこに行った経験と同じくらいの価値があるものとして取り扱われるようになるかもしれない。

—それって作り手からしたらどういう世界になるんですか?

Seiho:幸せでしかないですよね。僕はなるべくテクノロジーがどんどん発展していって、誰とも会わずに誰とも喋らず、でも大勢の人に囲まれているような感覚で死んでいければ一番幸せですね。実際、今の世の中も結構そうなんですよね。だって一人で生まれて一人で死んでいくから。でもそれを生きているうちは騙し騙しやっているわけじゃないですか。けど、この騙し騙しやっていることと、テクノロジーを使って騙し騙しやることに、僕はあまり差はないと思っていて。もっとテクノロジーが進んでいけば、誰とも会わずにいられるけど、でもそうなったときに、たまに電話したいなとか声聞きたいなっていう相手が絶対出てくるじゃないですか。そのほうがずっと重要。そのときに電話したい相手がAIで作られた死んだおばあちゃんでもいいわけで。自分がかけたいと思ったことが大事だから。

—そこでいうと、木村さんは映像作家としてVRの世界はどう見えていますか? そういった表現にも挑戦していきたい、といった思いはありますか?

木村:ないですね。僕は、制限された世界が好きなタイプだったりするので。VRって表現が無限にあるからいいよねってなると、意外に演出的にはよくなかったりする。例えば、ホラー映画をVRでやろうとしたときに、「ワー!」ってなる場面だったとしても、反対を向いていたらその場面が見えない。そうなってくると、制限された世界を押し付けるのも表現者にとって重要になってくる。「ここだけで表現する」という美学もあるわけですから。僕はそっちが好きなタイプなだけで、もちろんVRの世界がよくないってわけじゃない。それは可能性を広げるものだから。でもその可能性を否定するのも必要だと思っている。アートや科学って否定し合って高め合っていくものだから。

Seiho:基本的にテクノロジーの発展って、徐々に右肩上がりになるんじゃなくて、直角に上がるものだから、僕らにどうすることもできないと思ってるんですよ。昔、馬車の時代に、馬車がここから進化したらどうなるかというのをいろんな人に聞くと、みんな馬が機械になるって思っている風刺があって、自動車という形を想像できた人はいなかった。それと一緒で、僕らがどれだけ未来のことを言ったとしても、想像できていない。じゃあ何ができるかと考えたら、僕たちは欲望を追求することしかできない。先日、大阪のMetomeくんと話してた、ビーカーにみんなが一滴一滴垂らしていってる状態、って話が面白くて。ああでもないこうでもないってずっと垂らしていったら、100人目とか300人目とか、それが10,000人目とかになるかもしれないけど、誰かがポタッて垂らした一滴が表面張力を崩してドバッと流れちゃうみたいな。そのときこそテクノロジーが直角に上がる瞬間だと思う。だからたぶん、発明とかテクノロジーって同じタイミングで生まれちゃうんですよね。一人の優秀な人間が発明することは絶対にないんですよ。僕らができるのって、ビーカーに一滴一滴垂らすことだけ。いろんなクリエイターが、もしかしたら自分が新しいものを作れるかもしれないって毎日チャレンジしてるから、誰かがその一滴を落とせるんですよね。だからビーカーに落とす人の数がなるべく必要で。

—それって、リーバイス®の掲げる「ヘリテージとイノベーション」にもつながる話ですね。

Seiho:新しいものと古いものの話をするときに、「この人は新しいことをやっているから」「この人は古いことをやっているから」というよりは、みんなで一個のビーカーに垂らしている感覚で考えていたい。みんな結構、新しいことをやっている人と伝統を守っている人は反対にいると思ってるんですよね。でもそうじゃなくて、実際は同じビーカーにみんなで垂らしている。ここが理解できたら一緒にやることも全然違和感がないし、伝統的な人が新しいことをやったり、新しいことをやっている人が伝統的なことに戻るのも違和感がないというか。逆に本当に新しいこと追求していたり、伝統を追求している人たちって、お互いのことをわかっているから、理解し合えている。

木村:テクノロジーで言うと、いい方向に進んでいるとしか思ってなくて。それより興味があるのは、若い世代の人たちが、テクノロジーを通じていろんな新しいものを提示できるようになって、国籍や人種、性別とかがどんどんオープンになっていくこと。そうやって「自分自身でいていいんだよ」ってなっていったほうが、いい社会になっていくんじゃないかなって。そういう意味では、なんでもありでいいじゃんっていう風にも思いますけどね。

Seiho:今の方向性は全然悪くなくて、さっき言ったみたいに、ウェアラブルのテクノロジーが発達していけば、どんどん人と話さないといけないことも増えるし、スマホから離れて外を見る機会も増えるし、ヘッドホンを外して外の音楽を聴く機会も増えてくる。そうなるともっと開放的になると思うんですよね。ここ数年の、「情報を追いかけなければならない」という呪縛からいろんな意味でようやく解き放たれるきっかけにはなるかな、とは思いますね。

INFORMATION

Levi’s® Trucker Jacket
with Jacquard™ by Google

リーバイス®ストア全店
リーバイス®オンランストア
ビームスの一部店舗などで発売中
https://www.levi.jp/2019aw_googlejacquard.html

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