渋谷編:ウッパ・ネギーニョ②
長谷川町蔵 著

illustration_Rio Arai

渋谷編:ウッパ・ネギーニョ②
長谷川町蔵 著

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毎回、ある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の連作短編シリーズ。 小説「インナー・シティ・ブルース」。第2回は、前回に引き続き、渋谷が舞台となる。

【前回までのあらすじ】
渋谷宇田川町でレコード・ショップを営む、久作。店の常連客は皆個性派揃い。なかでも専門学校1年生の女の子、藤野恋は発言もルックスも風変わりでミステリアスだ。ある日、出不精の久作を、恋さんが街へと連れ出すとそこは久作の知る渋谷ではなかった……。

坂を上りきるとその混乱は収まるどころかさらに増幅した。渋谷のサブ・カルチャーすべての源といえるパルコの建物が三つとも姿を消して、白いフェンスに囲まれていたからだ。こんな渋谷は渋谷じゃない。悪夢のような未来をどうすれば変えられるのか、真剣に考えないと。通りの向こうに東急ハンズの看板が見えた。ちょっと歩けばノア渋谷に戻れる。早速、作戦会議だ。ぼくは彼女に言った。
「とりあえずショップに戻ろう。これからのことを考えるんだ」

でも恋さんの返事は希望を打ち砕くものだった。
「まだわからないの? お店なんて存在しないんだって」

彼女は呆れ顔でうしろに素早く下がると、MDウォークマンもどきのシャッターを切り、ぼくの方に腕を突き出して写されたばかりの画像を見せた。そこにはぼくがパルコ跡地の白いフェンスを背に立っているはずだった。でも写っていたのは白一色の光景だった。
「久作くんもゴーストなんだよ」
「冗談じゃない、ぼくはこうして君と喋ってるじゃないか」
「じゃあ今は西暦何年か知ってる?」

突然言われても思い出せない。でも大学を卒業した一九九六年から二年経っていることは確かだ。
「えーと、一九九八年だろ?」
「今は二〇一八年。ゴーストだから時間感覚がないんだよ」

落ち着くんだ。仮に彼女が言う通り、ぼくがゴーストだったとすると、二年間のつもりで二二年間もレコード・ショップを経営していたことになる。そんな勤勉なゴーストがどこにいる?
「じゃあ、店のあの在庫は何なんだよ? ゴーストがせっせとアナログレコードを仕入れて埃をはたいてジャンル分けして棚に並べて売っていたっていうのか?」
「だからWild Honeybee Recordsなんてこの世に存在しないんだって。ノア渋谷の三一三号室はただの倉庫部屋。本当だって主張するなら答えてほしいんだけどさ、レコードはどこからどんなタイミングで仕入れているの? 売り上げはどこの銀行口座に預けている? いつ駒場のアパートに帰っているの?」

ぼくは何ひとつ思い出せなかった。発作的にノア渋谷の方に走り出そうとしたけど、恋さんがこちらに向けて右手を伸ばした途端、金縛りにあったみたいに動けなくなってしまった。
「あの店のすべてが、久作くんが作り出した幻影なの。それとよく口にしていたレコード・ショップもほぼぜんぶ。いまでは殆ど閉店しちゃっているからね。あなたが見ていたのは九〇年代で時間が止まった幻の渋谷の街。でもその幻影があまりにリアルだったせいで、作った本人まで、今はまだ九〇年代だって信じ込んでいたってわけ。そのことに気づいたから、わざわざ久作くんの好みじゃないセンター街に連れ出して効力を弱めたんだよ。で、駅の向こう側まで歩いたことで、ようやく本当の渋谷が見えてきたってわけ」
「じゃあ常連だったみんなは何? 君も含めて幻影なのか?」
「わたしは一応実在の人間だよ。でもわたし以外は久作くんも含めて全員ゴースト」

恋さんはノア渋谷の方角には向かわずに、右折して公園通りの坂を上っていく。ぼくはもはやうなだれながら彼女についていくしかない。
「さっき、すり鉢状になっている所はゴーストが溜まりやすいって話したけど、あのマンションの近くでもそれが起こっていたわけ。ほらあのへんって窪んでいるでしょ」

レコード・ヴァレーのことだ。
「あそこで低周波みたいな鈍い音がどこからか聞こえてくるって苦情が、長年寄せられていたの。それがここ数年どんどん酷くなって、入院する人が何人も出て。調べてみたら発生源が三一三号室だったことがようやくわかった。でもただの倉庫部屋だから最初は原因がわからなかった。それで巡り巡ってわたしに話が回ってきたってわけ」
「きみは何者なの? 霊媒師とか?」
「わたしはゴーストと話せたり、彼らが作った幻影を見ることができるってだけだよ。まあそれで小遣いは稼いでいるけど」

ぼくは何だかガッカリした。
「生前のぼくがどんなだったかまではわからないんだね」
「あ、ごめん。話していなかったけど久作くんは死んではいないんだよね。本体は別の場所で生きてる。今のあなたは渋谷の土地に取り憑いた残留思念だから」
「残留思念?」
「人間が絶体絶命の時に強い想いを抱くと、それが実体化することがあるって知ってる? 要するに生き霊。ほら「源氏物語」の六条御息所だっけ? 光源氏の浮気に怒ったら、その想いが実体化して浮気相手を殺しちゃった話があったでしょ」

アナログレコードが好きなだけのぼくが、そんな怨念を抱くなんて信じられない。
「どんな強い想いを抱いたってわけ? まさか宇田川町でレコード・ショップをオープンしたかったって怨念とか?」

冗談を言うと、彼女は「たぶんそれが正解」と言った。そして例のMDウォークマンもどきをしばらく操作すると、誰かのプロフィール写真みたいなものを見せてくれた。その写真の男はぼくと顔形はよく似ているけど、少し老けていて、少し太っていて、少し髪が薄かった。
「これが、わたしがあちこち調べて突きとめた久作くんの本体。西原久作、一九七二年生まれだから今年四六歳だね。出身は群馬県。久作くんは大学時代に東京に出てきてアナログレコードを買うことに夢中になってバイト先もレコード・ショップだった。その頃に夢見ていたのが、宇田川町でレコード・ショップを作ること。お父さんは水道業者をやっていてわりとお金持ちだったから出資してもらえると思ったんだろうね。でも大学最後の年にそのお父さんが脳卒中で倒れてしまった。ひとりっ子のあなたは卒業後に地元に帰って家業を継がざるをえなくなった」

写真の中の本当のぼくは笑顔だったけど、その顔にはこれまで乗り越えてきた幾つものトラブルと、やりたくないことをやってきた苦しみが皺になって刻まれていた。こんな中年には絶対なりたくない。でもとても大人の表情をしていると思った。彼女は説明を続ける。
「本体の久作くんはその後結婚したけど今はバツイチ。最近は町おこし隊の活動に力を入れているみたい」
「でも今もレコードは集めているんだろ?」
「それが普通なら地元に帰ってもそういう趣味って続けるものじゃん。でも久作くんって真面目な性格だったんだろうね。東京の部屋を引き払う日にレコードを全部売っちゃったみたい。それがマズかった。その時の残留思念が妄想のレコード店を作ってノイズを撒き散らしちゃったわけだから」
「常連のみんなは?」
「それぞれのプライバシーもあるから詳しくは言えないよ。でも本体は全員四十代で、あのへんにあったレコード・ショップに強い思い入れがあった人たち。最初あの倉庫部屋に入った時はゴーストがうじゃうじゃ居てビビったもん。それをひとりひとり外に連れ出しては本当のことを教えて除霊していった。で、久作くんが最後のひとりってわけ」

常連客を外に連れ出していたのはそういう理由だったんだ。
「それにしても渋谷のレコード・ショップって凄かったんだね。わたしヤマンバギャルとセンターGUYの除霊も定期的にやっているんだけど、ここまでパワーは強くないから」

恋さんは感心したように言った。ぼくは胸を張って言った。
「渋谷の街だけでアナログレコードの在庫が八〇万枚くらいあったんだ。質も量も世界一だったんだよ。そんな街に通うクリエイティブなリスナーなんて、世界中どこを探したって他にいやしない」

でも恋さんの返事は冷淡なものだった。
「あのー、それって久作くんがいつも言ってたことだよね。ずっと訊きたいと思っていたんだけど、珍しいアナログレコードを高いお金を出して買うのとクリエイティブな行為っていうのがイマイチ自分の中では繋がらないんだけど。クリエイティブって、ゼロから何かを生み出すことでしょ」

あまりの正論に何も言い返せなかった。長い沈黙のあと、「ぼくは彼女に逆に質問をしてみた。
「ぼくらがかけていた音楽は君にも聴こえていたんだよね? あれ、どう思っていた?」
「うーん、ドトールにいるみたいだなって思ってた」
「ドトール?」
「ああいう曲って昼間のドトールでよく流れているから」

ぼくらはレアなラウンジのレコードを掘っては「最高だけど、一歩間違うとこれって喫茶店のBGMだよねー」って笑いあっていた。それが二〇年後、本当の喫茶店のBGMになってしまったのか。
「すっかりCDの時代になってしまったんだな」
「わたしの周りは誰もCDなんて買っていないよ。みんなこれで音楽を聴いてる」

彼女はMDウォークマンもどきを顔の横にかざしてみせた。

その場で崩れ落ちそうになりながらも、ぼくは公園通りの坂の終点であたりを見回した。するとそこにあるはずの渋谷公会堂もフェンスに囲まれていることに気がついた。ここに至ってようやく悟った。自分のような九〇年代のゴーストは、もはやこの街では生きていけないのだと。ぼくは恋さんに除霊される運命にあるのだ。何処でぼくは始末されるんだろうか? すると彼女は意外なことを言い出した。
「えーと、ここでお別れ。ここまで来たら、あとは自然に行くべき方向に足が向かうはずだから。本当は最後まで送っていきたかったんだけどさ、これから下北沢で小劇場関係者の除霊の打ち合わせなんだよねー」

恋さんは少し悔しそうな顔でブツブツ言うと一転、笑顔になって
「じゃあね。仕事だったけど色々話せて楽しかった」と、リップサービスか何だかわからないことを言うと、彼女は手を振りながら笑顔で公園通りの坂を駆け下りていった。

これからどうすればいいんだろう? しばらく途方に暮れていると、これまでにない感覚が身体を襲ってきた。まるで荒縄を胴に巻き付けられて引っ張られているような感覚だ。それは恋さんのとは違う、もっと有無を言わさない悠然とした力だった。

左手にNHKホール、右手に国立代々木競技場が見える広い舗道の真ん中を、ぼくはまっすぐ奥へと引っ張られていった。行き止まりには代々木公園が見えるけど、巨大な力はぼくに右に曲がるよう指示する。坂道をしばらく下りていくと原宿駅の三角屋根が見えてきた。一瞬、原宿でレコード店をオープンするヴィジョンが頭に浮かんだけど、それはすぐにかき消された。表参道の行き止まりへと足が自然に向かっていったからだ。

ぼくは全てを理解した。表参道は、そこが明治神宮への参道だったからそういう名前なのだ。そして明治神宮こそ、明治天皇の御霊を祀るために作られた東京随一のスピリチャル・スポット。ぼくはここで除霊されるのだ。ぼくの身体は、すでにクローズしている門をすり抜けて明治神宮の中へと導かれていった。

自分がこれまで集めてきたアナログレコードや、そこから受けた感動を全て失ってしまうことが今さらながら怖くなってきた。でももう別の選択肢は残されていない。鬱蒼とした樹木が左右に並ぶ広い参道の遠くの方には、ヒッピーからBボーイまで、各時代の渋谷の残留思念らしきゴーストがノロノロと歩いているのが見えた。おそらく駅が地下化するまでは、渋谷に溜まったゴーストは全員、自然に明治神宮へと導かれて除霊されていたのだろう。でも駅の変化でそれが弱まってしまった。恋さんは、その力をサポートする役割を任されていたのだ。

やがて巨大な本殿が見えてくると、入り口部分の木のそばで小さな人影が手を振っているのが見えた。ぼくが一番会いたかった人、マリさんだ。agnes b.のスナップ・カーディガンにホワイトジーンズ。首にはいつものBiG miniを下げている。彼女はここに連れてこられてからもずっと、ぼくを待っていてくれたのだ。
「常連のみんなも一緒に待っていたんだけど、わたし以外はシビレを切らして先に行っちゃって」

そう語るマリさんは、少しやつれた様子だった。きっと恋さんから本体についての残酷な情報を聞かされたのだろう。ぼくは彼女を慰めるつもりでテンション高めにこう言った。
「本体のぼく、バツイチで四六歳の水道業者だってさ。今より少しデブで少しハゲてる」
「わたしは母親の面倒を見るために地元に帰ってタウン紙の手伝いをやってる。それはまあいいんだけど三児の母だって。しかも全員男の子。サイテー。恋ちゃん、そこは本当のことを言わずに嘘ついてくれればいいのに!」

マリさんは無理やり笑顔を浮かべながらそう言った。
「じゃあ行こうか」

ぼくと彼女は一緒にゆっくりと本殿へと近づいていった。ここまでくると早く始末してくれという気持ちになってくるから不思議だ。本殿はそれほどのオーラを放っていた。

「処刑人はどこにいるのかな」

マリさんは説明してくれた。
「わたし遠くからずっと見ていたけど、あそこには誰もいないみたい。除霊はセルフ・サービス。みんな本殿の前に進んでいってお祈りすると次の瞬間、ふっと姿が消えちゃうの」
「何か決まったしきたりとかはある?」
「みんな適当にやっていたよ。薮さんは南無阿弥陀仏って唱えていたし、ミカエルさんは十字を切っていた。杉浦さんなんてスケボーに乗って叫びながら消えていったし。あの人らしかったな。でもやっぱりここは神社だから、二拝二拍手一礼が多かったかな」

ぼくはマリさんに提案した。
「自由にやれるんならさ、拍手のところだけはぼくららしくやろうよ」

マリさんは「あ」と声を出したあと、了解という笑みを浮かべてくれた。

今この瞬間なら、「レア盤を高いお金を出して買うのとクリエイティブな行為が繋がらない」という恋さんの疑問に答えることができる。

確かにクリエイティブではなかったかもしれない。でもぼくらなりに真剣だった。ぼくらの世代は高校時代にバブル崩壊を迎えて、大学にいる間に阪神大震災とオウム事件が起きた。就職氷河期で就職もうまくいかなかった。親たちが信じていることはもう通用しなくなっていて、世界は悪くなる一方だってわかっていたんだ。だからせめて結婚だとか子育てだとか介護だとか人生の深刻な問題が目の前に迫ってくるまでは、自分たちが見つけた自分たちだけのヒット曲で、無責任でいられる時間を祝福したかったのだ。そんな強い想いが、すり鉢状のあの場所に集まって、期間限定のマジックキングダムを作り上げたんだ。

ぼくとマリさんは本殿の前で二回お辞儀をしたあと、手拍子を打った。そう、「ウッパ・ネギーニョ」のブレイク部分のあの譜割で。

 「パパパ・パンパンパンパン・パパパン」

こうしてぼくらは永遠にこの世から消えたのだった。

「渋谷編:ウッパ・ネギーニョ」 了

小説『インナー・シティ・ブルース』

渋谷編:ウッパ・ネギーニョ①

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』。ほかに小説集『あたしたちの未来はきっと』、『21世紀アメリカの喜劇人』、共著に『ヤングアダルトU.S.A』など。また、EYESCREAM本誌でもスクリーンで活躍する気になる俳優たちを紹介していく『脇役グラフィティ』が大好評連載中。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000