PAPERBACK TRAVELER
by Kunichi Nomura
[VOL.60] AUS → JFK
オースチン発、ニューヨーク行き
マム、昨日俺はビルと酒を飲んで、いまは奴のライブに来ているんだぜ!
『濹東綺譚』永井荷風(岩波文庫)
ジェットセットなライフスタイルを送る野村訓市が、旅の途中で読んだ本について綴る、雑誌EYESCREAMの好評連載。毎月、WEBと交互に掲載する。
オースチンでビル・マーレイのライブに感動した後、NYでの『犬ヶ島』プレミアへ。上映翌日の夜、ビルの息子が経営するレストランへ招待され、そこへスパイク・ジョーンズが連れてきた友人が…
ムーン・リヴァー
オースチンではカウボーイバーで朝まで飲んで、そのままバーベキュー行って、ビル・マーレーのライブに行ってまた飲んで、そのまま今度はニューヨークへと行った。
ビルのライブは最高で、劇場のようなかなりちゃんとした会場で、観客もちゃんとした格好で来ている。「ブルースやるの? それともロックな感じ?」前の晩に何度か聞いたのだけれど「まぁ見りゃわかる」の一点張りで中身を教えてはくれない。偶然打ち上げパーティの会場で会った、スラッシャーのイベントで同じくオースチンに来ていたシュプリームのライダーのベンも連れてライブに行ったのだが、それは本当に素晴らしいものだった。
クラシックの正統なピアニスト、チェリスト、そしてバイオリニストを従えて舞台に登場したビルはまず詩や小説の一節を朗読し、そこから楽器の演奏が始まりおもむろに歌い出す。ヘミングウェイに始まり、俺が高校時代に教会で歌わされたような古い賛美歌、アメリカに伝わる民謡から、トム・ウェイツまでまるでライブというより、一つの舞台のようで、2時間の演奏の間に何一つ装飾のないホールには、アメリカの景色が見えてくるような、そんなライブだった。
スラッシュメタルだのパンクやヒップホップを普段は聴くベンもえらく感動して、ニューヨークの母親にメールをしてしまうくらいだった。「マム、昨日俺はビルと酒を飲んで、いまは奴のライブに来ているんだぜ!」そう書くと速攻、お袋さんから「OMG!」みたいな返信が来ていた。ビルは親世代から20代のスケーターにまでリスペクトを集めるすごい男なのだ。まぁ一緒に飲んでいればわかるが、不遜な態度ながら暖かく、どこへ行ってもビル・マーレー然としていて、人を食ったような表情で笑いを取り、まぁとにかく酒も強い、アイリッシュ系アメリカ人の鏡のような男なのだ。2時間ライブをやり、そのまま朝の5時まで飲んで、そのままニューオリンズに移動して、夕方ライブをまたやれちゃう60代って一体何を食べているのだろう。
ニューヨークでの『犬ヶ島』プレミア。それこそ世界プレミアとして、どこかのフェスにくっついた訳ではない最初で最後のもの。ベルリンやオースチンに来た役者だけじゃなく、この夜には名優ハーヴェイ・カイテルや今年のアカデミー主演女優賞をとったフランシス・マクドーマンドも来る。
映画を撮影中のエドワード・ノートンとスカーレット・ヨハンソンだけは都合がつかず来られなかったが。会場はメトロポリタン美術館。映画の上映にそんな場所が借りられちゃうのかっていう感じなのだが、再びブラックスーツを着てレッドカーペットに向かうことになった。
3回目ともなるとこちらも慣れたもので、しかも英語だし、どうせ二度と会うことはないだろう記者たち相手なので、お口の方もスムース極まりない。そこでペラペラ話していると、招待していた友達たちが到着して一緒にレッドカーペットに加わってくれる。ニューヨークで一番古く長い友達で、『犬ヶ島』の仕事をしている間も家に泊めてくれたりしていたシェイディと、撮影でドイツにいたはずのノーマン・リーダスもわざわざ間に合うように帰国してくれ、二人ともスーツで来てくれた。アーティストのトム・サックスも、シュプリームのビル・ストロベックもショーン・パブロも、普段絶対着ない正装、もちろん彼らが考える精一杯の正装で、まぁ普通とは違うがそれでもジャケットを着て来てくれた。「お前が苦労してやった映画のお披露目だ、当然だろう」こういうときのアメリカ人の友達というのは本当にダイレクトというか熱い。「お前を誇りに思うぞ」なんていう言葉を俺たちは日常で使うことはないけれど、奴らは違う。そう言われて悪い気はしないどころか、それまでの過程をやはり思い出してしまう。3年の間、何度も映画のためにニューヨークへと来た。みんなとドンチャン騒ぎもした。間に奴らが東京へ来てやっぱりドンチャン騒ぎをした。仕事の合間に朝まで飲むというのは、それはそれは救われるものだ。それも終わるんだなぁ、そう思うとなんだか寂しいが、晴れ晴れとした気持ちにもなった。
上映のあとはそのまま皆で美術館で飲み、そこから近くのバーへ少人数で移動した。ウェスやビルといった映画組と、パブロたちが早速仲間をテキストで呼び出し、ダウンタウンの20歳そこそこの若い連中がそこに雪崩れ込む。不思議な会話があちらこちらで飛び交う。「へぇ、プロのスケーターなのかい、怪我は多い?」とか「俺、あんたの映画嫌いじゃないぜ」とか。ごった混ぜの皆を見ながら、俺はなぜかとても満足した気分になってハイボールを飲み続けた。
翌日からはいつものプレスデイで朝から晩までホテルで缶詰となった。外は季節外れの雪だった。クソ寒い中、外に出てはタバコを吸った。空を見上げると真っ白にどんよりと曇ったその合間に少しだけ青が見えた。夜、ビルが息子がやっているというレストランに皆を招待してくれた。プレミアに来てくれたがすぐ帰らねばならず、話せなかったスパイクも呼んだ。「友達を連れて行ってもいいかい?」物静かなメガネをかけたその友達はニコニコしながらあまり喋ることもなく、1時間ほどで先に用があると帰ってしまったが、後でそれがフランク・オーシャンだとわかり、皆から大ブーイングの声が上がる。何しろオースチンで酔っ払いながら皆で車に乗り込んだときも、大声でフランクの「ムーン・リヴァー」をかけて歌うほどそこにいる全員フランクが大好きだったのだから。
宴が終わり、次の店に移動するうちに一人減り、二人減り、閉店であろう時間にカーライルホテルにいく。入り口ですぐに、閉店だと言われると「俺に任せろと」とビルが入って行く。「ビル・マーレーさん!」閉まっていたはずのレストラン部分に灯りがともり、一番いい場所に席を作ってもらう。ビルは有名人だから席が作られた訳ではなく、ニューヨーク中のバーで飲んでいて、どこのバーテンとも仲がいいかららしい。「さぁマティーニを飲むぞ」深夜を大きく回ってからのマティーニに、最早味を感じることはなかった。
どうせ飛行機でもホテルでも寝る暇なんてないだろうと、薄い文庫本を持っていった。
永井荷風の『濹東綺譚』。昔の向島にあった玉の井と呼ばれた風俗街と言っては風情がないのかもしれないけれど、そこで出会った女との出会いと終わり。歳を取ると、さらに古く、消えていく街並みに惹かれるものがある。
耐震の問題もあり、まだ残る路地裏の街並みというのはこれから急速に消えていくだろう。今もまだ昭和の匂いが残る場所はなるべくもう一度見ておきたいといつも思っているのだけれど、それより永井荷風という人も気になる。若い頃はフランスに行き、それこそ海外通として通ったモダンな男が、いつの間にか消えていく明治や江戸に固執するようになったその生き方に。それは人こそ若い奴の方が頭も柔らかくて面白いとつるむけれど、ものに関してはどんどん古いものに惹かれる俺は、荷風になんとなくシンパシーというやつを感じているからかもしれない。
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[VOL.58] 東京発、ロサンゼルス行き『オールド・テロリスト』
profile
野村訓市 Kunichi Nomura
1973年、東京生まれ。大学在学中から世界中を放浪しながらバックパッカー生活を送る。およそ7年間の旅から帰国後、インタビュー雑誌『スプートニク』を編集・刊行し、高い評価を獲得。現在は雑誌での企画・編集・執筆の他、イベントやブランドのディレクション、プロデュース、DJなど多方面に活躍中。また、自身が主宰するTRIPSTERでは、ショップや飲食店の空間プロデュースやインテリア制作も手掛けている。
Instagram : @kunichi_nomura