TOKYO BLUE EYES
by TETRO.
VISITORS : 007 マヒトゥ・ザ・ピーポー
渋谷は鴬谷町の片隅に構えるヘアサロン、TETRO。目印は鮮やかな青いブルーのアパートメント。この場所には現代のサブカルチャーを形成するアーティストやクリエーターが足を運んでいる。カルチャーの発信地になりつつあるこの場所で聞こえる会話に耳を澄まそう。新たなるエネルギーの発見ができるかも。 壁が“TETRO BLUE”と呼ばれていることにちなんで”青き眼”=人の訪問を歓迎する目を持つ、この場所から東京の今を覗いてみる。連載第七回目に登場するのはアーティスト、マヒトゥ・ザ・ピーポー。
TETROのヘアメイクアーティスト、森田康平が今回、集合場所として指定したのは下高井戸。そしてこの場所に姿を現したのは、GEZANのフロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーだ。
自身がファシリテーターを務める「全感覚祭」ももう目前。彼が発する声に人々が集まり、どんどんと大きな輪になっている現実がある。表現者としてさらなる注目が集まる中、どんな視点で物事を見据えているのか。その鮮やかな感性を覗いてみる。
今、イメージで言い続けてきたことが形になっている
森田:マヒトくんのことはずっと知ってはいたけど、そんなに話したことがなくて。というもの話しかけていいのかわからない雰囲気だったから。それに今だから言えるけど、昔はGEZANにもそこまでハマってなかったんです。ちゃんと話したのは、下津(踊ってばかりの国)とマヒトくんが弾き語りをした日だったね。その時2人の音にぶっ飛ばされた記憶がある。
マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):そうだったね。森田くんは、人との出会いで最初の直感を間違えたことありますか?
森田:苦手から入って、好きになることは何回かあるかな。しかもそうなった時のほうが好きが強い気がする。
マヒト:最近俺は、直感を間違えたなって思ったことが多くて。“直感は間違えない”って信じているからこそ、人は騙しやすいし騙されやすい。逆に人に対する違和感は間違えないんだけど。森田くんに関しては、単純に時間が経って遊んで行くうちにどんどん好きになったストレートパターン(笑)。
森田:笑!
マヒト:自分が結構、腫れ物っぽく出会うことに慣れているから、人に嫌われるのはそんなに動揺しないかな。
森田:尖りまくってる印象があるもんね。
マヒト:腫れ者みたいに扱われるのはそんなに嫌じゃない。トラブルを恐れてないことが、フィルターをかけられる原因でもあると思うけど。でもそれは、自分の好きなところでもあるし、変えられないところ。逆に喧嘩から始まって、それを乗り越えてきた友達って後々まで結構強い。そういうコミュニケーションも存在するし、言葉通りドラマがあったほうが、お互い混じりやすいんです。そもそもちょっとやそっとの相手じゃ喧嘩もできないからね。全感覚祭やレーベル〈十三月〉もそうだし、GEZANもそう。
森田:そのマヒトくんの尖った感じって、刀よりもっとずっしりとした大きな鉄の球体のイメージ。だって刀みたいな人って、脆さもある気がする。でもマヒトくんは触れても別に傷つけはしないのに、めちゃめちゃ強度が高くて、半端ない攻撃力を持っている。それって愛が強い人だからかな。作品にも滲み出ていて知れば知るほど、純粋だし愛が深い。意味がないものに対して、ちゃんと意味を持たせている。当たり前のことを、当たり前じゃなく毎日過ごしているんだろうなって。
マヒト: 俺が思うのは、例えば学校の先生って、人気者のやつとか、手がかかる不良とかじゃなきゃ、数年後まで覚えてられない。そうやって目立つものが残りやすいけど、そうじゃなくて。こぼれ落ちている曖昧な色の感じとかさ、それこそカラスの黒色とかも本当は黒色じゃなくて、どんな色か認識できない色で、それを認識できないから黒に変換して黒色って呼んでるの。そうして名前をつけたり、存在していることを許されてない感情には、これは悲しいって感情だなとか怒りだなって割り振って、ある程度生きているけど、もっとサポートがあったら新しい感情や色として、成立できることがたくさんある。
生き方もそうでしょ。一人ひとりちゃんとピントが合えば何かストーリーを持っていなくても映画になるくらい面白い、オリジナルだと俺は思う。ちゃんと解像度を持って見れたり自分で意識できたらすごい。そうすると、さっき言ってた当たり前のことも当たり前じゃなくなると思う。
森田:本当にそうだと思う。その捉えかた次第で全部変わるんだよな。その曖昧な余白に情緒があるのか。
マヒト:感情が全部色で見えちゃう民族もいるっていうよね。すごい興味がある。俺は残念ながらそこまでは見えないけど。まあ、なにかに惹かれて赤が好きで、最近オレンジも赤に見えてきたおかげで、黄色も赤に見える(笑)。
一同:笑!
森田:もう赤の範疇が…! そう、聞きたかったことがあって、GEZANのアルバムリリースを皮切りに映画に小説、フジロックってすごい短期間に濃い活動をしているけど、今あるこの景色とスピードは全部前からイメージしていたこと?
マヒト:ミラクルではないかな。まあ、俺が妄想しすぎているのかも知れないけど。イメージ以上の奇跡が起きたことは今までないかもしれない。
森田:そうなんだ。僕も先のことをイメージすることはできると思っている。マヒトくんがイメージについてライブ中にもよく話しているし、その言葉の中で思考が想像から先の“創造”になっているんじゃないかな。
マヒト:10年前の知人と少し前に会う機会があって。高校時代、俺がバンドをやりたがっていた話になりました。でも周りに一緒に音楽をやりたい友達がいなくて当時はやきもきしていたんですけど、今はそうなっている。だとしたら、10年後の今、イメージで言い続けてきたことが形になっているねって話してました。
森田:現実になったね。
マヒト:物事を実現させるためには、こんなステップを踏まないといけないとか達成までのプロセスを考えて、その計算式が見えなかったら作れないのかなってムードがあるけど。10年前の俺は、ギターも弾けないのに「俺は音楽で食っていく」って、答えだけ言い続けている状態だったわけ。でもそれを言い続けていることによって、間の余白がいつの間にか埋まった。そう考えると、今このタイミングでイメージして言い続けていることは、また10年後にしれっと叶っているんだろうな。
森田:叶えたいことを言葉にしていくのは僕も大切だと思います。
マヒト:なんか出会う人も、不思議と必要な人に出会うようになってますよね。欲しいものとかやだなって波長とか、いろんな信号が出てる気がする。それが言葉にしなくても感じていて、その信号が引き寄せあって、出会った時に結びつく気がします。
森田:引き寄せの法則ね。
マヒト:アマゾンの少数民族にピダハンっていう独立言語の民族がいて、違う民族と言語が被らない。その独自で生まれた言葉をアメリカの言語学者が書いた本があるんだけど。すごいのはピダハンの中に、「ありがとう」「ごめんなさい」って言葉がなくて、命令と宣言しかない。他者との関係を円滑に進めるときに、「ありがとう」や「ごめんなさい」は日本では必需品じゃないですか。言葉で伝えないと伝わらないし、でもその言葉が無いからといって、その概念が存在していないわけではない。たとえば、隣の家族が困っていたら垣根を超えて、みんなで助け合うし、つまり究極の民主主義ですよね。
マヒト:日本では、その言葉をコミュニケーションの武器として上手くコトを進めるための道具に使っていたりしている。でも言葉にして現実の空間に残せた者だけが、本当に存在するのではなくて、さっき話した波長とか体が持ってるいろんな情報が、目に見えなくても言葉にしなくてもやっぱり存在している。ライブもそういう部分があると思うし、そりゃ波長が合わなかったら同じ曲を聴いてもなにも響かないかもしれない。無理に自分の欲しいものを捻じ曲げて、友達関係とか見え方をトリミングして作っていると、めちゃめちゃノイズだらけで気持ちよくないでしょ。
森田:損得関係を気にしたりとかね。マヒトくんはちゃんとインプットをアウトプットしているからすごい素敵だなって思っている。今回の「全感覚祭」で実施するフードフリーも革命的なことだから。オフィシャルサイトに載っているフードについてのステイトメントも震えた。強い明確な思いがあるんだなって。
マヒト:あのステイトメントを読んで、感動してくれた農家さんがたくさん協力してくれるんだけど、自身がエネルギーをかけたお米をこんなにも提供してくれるってすごいことだと思う。「全感覚祭」はそれをかけられる価値のあるイベントなのかって言われたら確証がまだなくて。だから今それに向けて準備をしているんだけども、自分でも発信したことの意味がまだなにかわかっていない部分も多少あるんだなと感じています。
「全感覚祭」に協力してくれている、銀杏BOYZの元ギタリストの中村明珍さんが今、山口県の周防大島に移住して農業とお寺の僧侶をしているんだけど、もっと農家について聞いてみようってカルロス(GEZAN)たちと話しています。あのコンセプトを掲げた上で、自分の目線以外の目線からも見たい。波長が合って、ものが動くことって最高なことだと思うから、それに答えられるような時間になればいいな。
森田:すごく楽しみ。マヒトくんが開催にあたり思ってることだったり、やろうとしてることがこっちにも感じるから。普通にただライブに遊びに行くより特別。
マヒト:今年は、フードもアーティストと一緒にタイムテーブルを出そうと思う。18:00〜19:00はカレー、19:00〜20:00は豚汁とご飯、って感じ。だから「うわ、GEZANと豚汁被ったわ~」とかね。
森田:え! すごい!
マヒト:「全感覚祭」も、自分たちはこう思うって主張でもあるけど、そうじゃないものが9割9分9厘。世の中に対して、ある意味痛烈な批判だからね。まあでも、ぶっ壊そうっていうカウンターではなくて、こっちもいい匂いするでしょ? って感じ。ただ、成立すればいいけど…。
森田:やってみないと本当わからないよね。大阪も行きたいなぁ。唐突だけどマヒトくんって死にかけたことある?
マヒト:2回くらいあるかな。
森田:その生死を彷徨う経験があるのとないのじゃ、力の出しかたが違うのかなって。壁にぶちあたっても、まだこんなんじゃ死なないから大丈夫って思えるのかも。
マヒト:でも最近なんか、本当に死ぬのかな? って思うんだよね。もはや死の世界が無いのかもしれないと。生が終わる瞬間に違う生が始まっている。だっていなくなる瞬間って、たぶん死を実感する暇がないわけよ。そもそもその概念自体が存在してない気がする。
わからないことを死って呼んで、そうしないと生きていることを表現できないから、今がどういう時代だったかって現すために、ないものに名前をつけたんだと思う。きっと永遠に生を繰り返して、消えることができない。そうじゃないと、俺の頭はこんな感じじゃないと思うんだよな。記憶だったりデジャブとか、観た映画も聞いたことも混同してるかもしれないけど、初めての人生にしたら、慣れすぎじゃない? みんなもそうだよ、初めての人生だったらもっと狼狽してると思う。…ちょっとやばい話だよね。
森田:やばい話だね(笑)。でもマヒトくんにしか出来ない考え方だし、本当いつも想像にないようなすごいこと言い出すよね。今後どんなことやっていくのかなって一番気になる人なのは間違いない。超楽しみ。
マヒト:自分的には、5年くらい先は見えてるかな。退屈も悟りの境地もない挑戦的な時間は約束されてそうです。