木津毅の「話題は映画のことばかり」
第3回:天野龍太郎と語る『ボーダー 二つの世界』

text_Tsuyoshi Kizu

木津毅の「話題は映画のことばかり」
第3回:天野龍太郎と語る『ボーダー 二つの世界』

text_Tsuyoshi Kizu

映画・音楽を中心にカルチャーのあれこれを考えるのが生業のライター、木津毅がさまざまな分野で活躍する映画好きと気ままに話す対談連載。

今回のゲストは、音楽メディアを中心に活躍するライター/編集者の天野龍太郎。彼の音楽に対する鋭い批評には木津もいつも驚かされ刺激を受けているが、じつは無類の映画好きでもあり、その愛と見識はたしかなもの。

そんな彼との談議にセレクトしたのが、映画好きから話題沸騰中のスウェーデン映画『ボーダー 二つの世界』。熱狂的なファンを多く生んだ映画『ぼくのエリ 200歳の少女』と同じ原作者/共同脚本となっている本作は、北欧の空気をたっぷり吸いこんだダークなトーンで、ある「醜い」女性の自己発見を語る……のだが、その異様なほどに独創的な描写には圧倒されるばかり。そしてそれは、現代社会のはぐれ者たちの生き様を映し出しているのではないだろうか? 本作のテーマを中心として、この奇想天外な一本の魅力を探る。

アウトサイダーを見つめる映画たち

映画『ボーダー 二つの世界』予告編

木津:天野くんは僕が音楽メディア周りで知るなかでもかなりの映画好きなのですが、ちょっと好みがよくわからないところもあって。ヒッチコックのような古典から、カンヌに出品されるようなアート映画ももちろん好きだし、かと思えばアメコミ映画のファンでもあるという。

天野:そうですね。映画ファンも音楽ファンも共通する悩みだと思うんですけど、「好きなものって何?」って聞かれると困ってしまって。バスター・キートンのサイレント映画に心躍らされながら、マーベル映画にも夢中、という矛盾を常に抱えています。それは音楽に対しても同じですね。

木津:なるほどね。まあ、僕の勝手なイメージではとくに天野くんは分裂しているんですが(笑)、そんなあなたに最近の映画で「絶対観て!」とアピールしたのが『ジョーカー』と今回取り上げる『ボーダー 二つの世界』。まあ、『ジョーカー』は言われなくてもみんな観ると思うんですが、いや~、『ボーダー』ヤバかったね。

天野:遅れてきたスキゾ・キッズということでよろしくお願いします(笑)! 『ボーダー』超素晴らしかったですね! 腰を抜かしましたよ。本当に多面的、多層的な作品で、観る人によって感想が全然ちがう物語ですし、それゆえに危険な映画でもある。『ジョーカー』は、語弊があるかもしれませんが、わりとみんな見方が似ているように感じてしまうんです。でも、『ボーダー』はもっと広がりがあって、観る人の心を映す鏡のようなところがあります。

木津:ふむ。そのあたりを今日は話せたらなと思うんですが、いちおう簡単に説明を入れておくと、『ボーダー』は『ぼくのエリ』の原作で知られるスウェーデンの作家、ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの短編小説を膨らませた映画。醜い(と一般にされる)容姿を持つティーナが、似た見た目を持つヴォーレに出会うことで、自らの出自を発見していく……という話で、僕はなにより、これは現代におけるアウトサイダーの物語だと感じたんですね。だから『ジョーカー』と並べてみたいなと思ったんだけど、いま天野くんが言ったように、もっと広範に及ぶものではあるよね。天野くんはそもそも、『ぼくのエリ』はどうだったんですか? 

天野:トーマス・アルフレッドソン監督の『ぼくのエリ』、大好きですよ! 昨日観直してたんですけど、やっぱりあの作品も社会から爪弾きにされたアウトサイダーの物語であり、マイノリティの物語であり、みんなが共有している決めごとに絡め取られないクィアの映画でもあると思っていて。でも、リリカルで繊細な描写が胸を打つ、という点では『ボーダー』と共通するところがかなりありますよね。あとはゴアなところがあるのも(笑)。

木津:ああ、たしかに。そう、『ぼくのエリ』は、僕の周りでも、世のなかの主流に行けない人というか、オルタナティヴを志している人にすごく刺さっている感じがして。そこは『ボーダー』もきっとそうだよね。で、リンドクヴィスト原作のこのふたつの映画って、メタファーでアウトサイダー性を表現するでしょう? それが見事だなと思って。『ぼくのエリ』はヴァンパイアだし、『ボーダー』はまず、「醜い容姿」というのを特殊メイクで表現する。文章と違うから、映像ではっきり見せていくのが大事だったとアリ・アッバシ監督は言っているみたいなんですね。さらに、ティーナは人間離れした嗅覚を持っていて、税関を通る人間の「罪悪感」や「羞恥心」を嗅ぎ分けられるという。もうその設定からぶっ飛んでるよね。

天野:映画の冒頭で、ティーナが虫と戯れている様子が感傷的な映像で捉えられているじゃないですか。で、その後にティーナの「特殊能力」が紹介される。キャラクター造形がはっきりと提示されるので、巧みなイントロダクションだと思いました。だから僕は前半、ああ、これは「超自然的な能力を持った醜女の物語」なんだなって、物語の類型を当てはめて観てしまっていたんです。

木津:というと?

天野:日本の神話や伝承にも「醜女」「鬼婆」「山姥」「姥神」って出てきますけど、恐れられるだけじゃなくて信仰されていて。ぜひ「おんばさま」というキーワードで検索してみてほしいです。像とかがティーナにそっくりなので。だから、姥神であり、シャーマンであり、魔女であるティーナが、見た目は変わっているけれども美しい心とスーパー・パワーを駆使して活躍するんだろうって(笑)。そしたら、それが見事にひっくり返されたので、度肝を抜かれました。

木津:前半でよくそこまで想像したね(笑)。でも、その想像が裏切られることになるわけですが……。

※ここから物語の核心に触れますので未見の方はご注意ください。

“フリークス”として生きること

木津:で、度肝を抜かれるというとアレだよね、あのセックス・シーン……。そこで「ええ!?」ってなる……というか、あんなもの見たことない!!

天野:とんでもないですよ! ニョキニョキって……。映画史に残る、画期的なセックス・シーンだと思います。『ぼくのエリ』みたいにボカシがかけられなくてよかった……(笑)。ちょうど映画の真ん中にある、あの超強力なシーンが、観客の予想をバッサリと斬ってしまうわけです。僕たちが持っている性規範や常識だと思い込んでいるものがまったく通用しない「トロール」の世界というのが一気に立ち現れる。アッバシ監督が影響を公言する、ラテン・アメリカ文学のマジック・リアリズムを北欧神話や伝承に直結させるという力技! それによって僕たちの社会のありようを相対化してみせているのが、見事というほかないですよね。

木津:そうだね。わたしたちが当たり前だと思っていることが、マイノリティにとっては当たり前じゃない、ということをメタファーで表現している。そこは『ジョーカー』もそうなんだけど、『ジョーカー』はもっとあからさまに現代の社会制度が取りこぼしてしまう人たちのことを描いていると思うんですよ。でも『ボーダー』はそれ以上に、生まれながらにして差別されてしまう人びとのことを、ある種残酷なまでに遠慮なく描いている。そして、それは貧富の差であり、人種問題であり、ジェンダーであり、あるいはいまヨーロッパで大問題となっている移民や難民のことでもあり……正直、重なる問題が多すぎて僕は胸が苦しくなった。

天野:僕は『ジョーカー』のほうが「これだけアクチュアルなトピックを盛り込んでみました!」って感じがしちゃって、とにかく憂鬱になりました。観るのがつらかったです(笑)。木津さんが言うとおり、『ボーダー』が移民問題を描いているのは明らかですよね。アッバシ監督は映画文化も豊かなイランからスウェーデン、デンマークと移り住んできた人で、そこに敏感なのは当然だと思います。北欧って税金が高くて、福祉制度が手厚くて、教育も充実していて、死ぬまで安泰、移民にも寛容、なんて幻想が日本人にはありますよね。

木津:あるね。

天野:でも、いまはスウェーデンでもフィンランドでもノルウェーでも排外主義的な右派ポピュリズム政党が躍進しているんです。『ボーダー』の舞台のスウェーデンでは、スウェーデン民主党という反移民・白人至上主義的な政党がいま第3党らしいですし。だから、人間たちから迫害されてきたトロールが移民の象徴だというのは、直感的に理解できます。ジェンダーの面では、木津さんはどう思いました? 人間の目には、トロールたちはクィアにも、男女両性の特徴を持っている生き物のようにも映るんですが。

木津:いわゆる「ヘテロノーマティヴ」――つまり、「異性愛規範」から外れる存在であることは明らかだと思う。だからある種のクィア映画だと言える。『夫のちんぽが入らない』じゃないけど、世のなかには「正しいセックス」という思いこみがあって、それを外れるのは良くない、みたいな無言の圧力があるからね。これもすごく現代的なテーマだよね。そもそもわたしたちが常識だと思っているセックスやジェンダーそれ自体が、マイノリティを疎外しているかもしれない、という。僕は、そうしたクィア的なものの見方が広がったのって、ほんのつい最近のことだと正直思う。で、この映画が見事なのは、映画的なスペクタクル性……って言っていいのかわからないけど、とにかく映像のすごさで見せていることで。僕はそのあとの、裸で森を走るシーンに泣けてきちゃいましたよ。天野くんも言うように、すっごくリリカルなんだよね。その叙情性は多分に原作にあるもので、アッバシ監督がすごく上手に映像化したんだと思う。

天野:水浴びのシーンもキラキラしているんですよね。ティーナが生のよろこびを初めて知った瞬間っていうか。僕の妹ってすっごく重い障害を持っていて、笑うこともままならないんですけど、たまに笑うんですよ。その姿をあのシーンに重ねたりして。あれは映像じゃないと見せられない語り方ですよね。だから、トロールは人間社会から“フリークス”とされる者たちの象徴でもある。性に話を戻すと、トロールは生殖の仕方がかなり画期的(笑)。それが原因でティーナの物語は、また急展開を迎えていくのですが……。

木津:そう、そこでまた、北欧ノワール的なダークな方向に突入していくんだよね。あれは本当に恐ろしかったし、悲しかった。というのは、児童ポルノのモチーフが出てくるけど、それはもともと人間社会にあった「悪」なんだっていう。で、ここからはラストの核心に触れるので細かくは伏せますが、その「悪」と対峙したときにティーナがどうするか。そこがこの映画が語りたかったことなんだなと僕は感じました。

天野:そうですね。僕が重要だと思ったのは、予告編でも引用されている、ヴォーレがティーナに語りかける「人と違うのは君が優れているからだ」「君は完璧だ」っていうセリフで。物語がどう展開していくにせよ、ティーナに投げかけられたこの受容と肯定の言葉はめちゃくちゃ大事だと思うんです。あのセリフは「フリークスであれ」「クィアであれ」「二分法を強いる『ボーダー』になんか絡め取られちゃダメだ」って言っているように聞こえます。

木津:それは本当にそうだね。いまって多様性の時代って言われるけど、それって結局、キラキラしたものばかりがピックアップされがちなんだよね。“フリークス”――要は異端者であれっていうメッセージは本当に大切だと思う。

天野:そういえば、スウェーデンにザ・ナイフって姉弟エレクトロ・ユニットがいて、『Shaking the Habitual』というアルバムを出しています。彼らのメッセージはつまり、「慣習を揺さぶれ」ということですよね。あと、フランク・オーシャンの「Chanel」って曲では、「僕の男は女の子みたいにかわいいし/男らしい武勇伝も持ってるんだ/シャネルのロゴみたいにふたつの面を持ってる」と歌われます。そんなことも『ボーダー』を観ながら思い出しました。なんて、音楽ライターっぽいことも言っておきます(笑)。

木津:なるほどね。「Chanel」はブランドのロゴをモチーフにしてるように、ヒップホップのカルチャーとクィアを結びつけた曲だしね。2010年代って、黒人と白人の問題とか、移民問題であるとか、ジェンダーの男女の問題であるとか……すごく「分断」が取り沙汰されたディケイドでしょう? だから、いま天野くんが言ったようなマージナルな存在を掬い取ることの重要性は僕もすごく感じる。ボーダーを引くのも人間だけど、そのボーダーを無効化するのも人間なんだっていう。そしてそれは、アウトサイダーたちだからこそできることなんだと。そう、だから僕は、『ボーダー』はアウトサイダーやマイノリティたちへの優しいまなざしをすごく感じて、だから主流になれない人びとの琴線に触れるんだと思います。 

天野:本当にその通りだと思います。あと、僕はこの映画を宮崎駿ファンにぜひ薦めたいです! 

木津:えっ、そうなの?

天野:ティーナをナウシカになぞらえている人をTwitterかどこかで見かけたんですけど、彼女はある意味『もののけ姫』のサンでもあるので(笑)。それに、トロールってトトロのモデルでもありますしね。それゆえに、いま大きなトピックとなっている地球環境や気候問題とも深く関わってくる。というわけで、ジブリ映画が大好きな人にも、北欧ミステリの読者にも、ホラーやファンタジー映画のファンにも推薦できる、けどかなりショッキングな衝撃の一作だと思います。

『ボーダー 二つの世界』関連作品3選

『ぼくのエリ 200歳の少女』

田舎町に暮らすいじめられっ子のオスカーは、あるとき孤独な少女エリと出会い、心を通わせていく。だが、やがて奇妙な殺人事件が周りで起こり始め……。思春期の孤独と初恋の切なさを北欧の寒々しい風景のなかに封じこめた、あまりにもリリカルなファンタジー。雪と血の静謐なイメージが少年少女の行き場のない想いと重なる。原作のヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの名を世界に知らしめた一作。

『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』

現代北欧ノワールの代表作と言えばこれ。スティーグ・ラーソンの大ヒット小説の映画化で、デヴィッド・フォンチャー版もいいけれど、より北欧の空気を味わいたい方にはスウェーデン版のこちらがオススメ。リスベットのスーパークールなキャラクターが魅力なのは間違いないけれど、同時に、閉じた場所で女性や子どもが暴力の被害に遭う恐ろしさを生々しくあぶり出してもいる。ダークだがスタイリッシュ、しかもディープな北欧ミステリの色香がここに。

『ジョーカー』

アメリカン・コミックの文脈から離れ、現代社会の歪みを映した本作はもはやある種の現象と化した。格差社会から滑落する人間の苦しみを真摯に描いているという称賛も、暴動を扇動しているとの批判も、ある意味ではこれが現実の映し鏡であることの証明だ。いずれにせよここにはいまの社会の問題がこれでもかと言わんばかりに詰めこまれており、だからこそジョーカーはさまざまな文脈でこの世界の「下層」で生きる者たちのアイコンになった。

PROFILE

天野龍太郎
1989年生まれ。東京都出身。音楽についての編集、ライティング。

木津毅
ライター、編集者。2011年ele-kingにてデビュー、以降、各媒体で音楽、映画、ゲイ・カルチャーを中心にジャンルをまたいで執筆。紙版「EYESCREAM」では〈MUSIC REVIEWS〉ページに寄稿。編書に田亀源五郎の語り下ろし『ゲイ・カルチャーの未来へ』(Pヴァイン)。Cakesにて連載「ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん」始まりました。

INFORMATION

『ボーダー 二つの世界』

監督・脚本:アリ・アッバシ
原作・脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト『ぼくのエリ 200歳の少女』
2018年/スウェーデン・デンマーク/スウェーデン語/110分
原作:「ボーダー 二つの世界」早川書房より発売中
配給:キノフィルムズ R18+
ヒューマントラストシネマ有楽町・ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開中
border-movie.jp

©Meta_Spark&Kärnfilm_AB_2018

POPULAR