Licaxxx × 荒田洸(WONK)「注文の多い晩餐会」
vol.09 〜藤原ヒロシの巻〜

photography_Ryuichi Taniura

Licaxxx × 荒田洸(WONK)「注文の多い晩餐会」
vol.09 〜藤原ヒロシの巻〜

photography_Ryuichi Taniura

DJを軸にマルチに活躍するLicaxxxとWONKのリーダー/ドラムスである荒田洸の二人が、リスペクトする人を迎える鼎談連載。その第九回には、近年はfragment designのほか、音楽活動も再び活発化させている藤原ヒロシが登場。取材を行なったのは緊急事態宣言の発令前のタイミング、昼下がりに集まって世間話からゆるーくスタートしながら、「どう生きるか」まで会話は深まっていった。
EYESCREAM誌面には載りきらなかった部分も含めて、完全版でお届けします。

中学2年でパンクに洗礼、高校卒業後はロンドン留学

藤原:(新型コロナウイルス感染拡大の状況を受けて)思うんだけど、もう一回、来年2020年をやればいいんじゃないかな。

荒田:斬新ですね(笑)。

藤原:カレンダーも変わらず、何ごともなかったかのようにもう一回2020年をやればいい。東京オリンピックもそのままの名称でできるし。

Licaxxx:無駄も生まれず(笑)。いいかもしれない。

藤原:みんな歳もとらない。ポジティブなアイデアかなと。

荒田:めっちゃ面白いですね。それ、訴えていきましょう。

Licaxxx:私がヒロシさんのインタビューで好きなのが「カプリコの上が好き」という。お菓子好きなんですよね。

藤原:お菓子きらいな人いるの?

荒田:甘いの苦手な人とかいません?

藤原:それポーズの可能性ある。カプリコの頭を出されたら食べるよ。

Licaxxx:本当に食べてなかったら「カプリコの頭」って表現出なくないですか? だからブチあがった。

藤原:あと、僕はスジャータになりたい。

(一同笑)

藤原:スジャータってコンビニであまり売ってないのにJRとかには売ってるの。

Licaxxx:たしかに、新幹線乗ったらスジャータある。

藤原:ポプラみたいなところにしか置いてないというマイノリティさと、JRというマジョリティも押さえている最強の会社なんです。

Licaxxx:かっけえスジャータ。

荒田:改めて、今日はよろしくお願いします。仕事のコラボのお話とかのインタビューって結構あるじゃないですか。そういうのじゃなくて……

藤原:世間話にしましょう。

荒田:それやりたかったんですよ。小学生のときは何していましたか? 僕は野球やってたんですけど。

藤原:小学生って一番の花形スポーツはドッジボールだと思っていた。

荒田:えええ!

Licaxxx:あ〜、でもドッジボールって絶対やらない?

藤原:野球って中学くらいからじゃないの?

荒田:小学校から高校までずっとしていました。

藤原:それなのに、なんでこんなにチャラい感じなの?

Licaxxx:(笑)

荒田:チャラくはないですよ。坊主だった反動ですよ、すべては。野球部員って結構そうじゃない?

Licaxxx:うん、そうかも。

荒田:小学生の頃、何かハマっていたことはありましたか?

藤原:ファッションには目覚めていた。7つ上の姉の影響があったからね。

荒田:何年生くらいですか?

藤原:小学3年とか4年くらいかな。姉は高校生だったからファッションもすごく好きで、しかも同じ部屋だったから自然といろんなものを知った。だから小学5年のときに(KC&ザ・サンシャイン・バンドの)「That’s The Way」を踊ったりしていた。

Licaxxx:やばい(笑)。かなりイケてる小学生ですね。

荒田:それもお姉さんからの影響ですか?

藤原:そうですね。無理矢理それを聞かされる。主導権握られているから逃げられない。

荒田:こわかったんですか?

藤原:全然こわくない。

荒田:ケンカとかはなかったんですか? 「テレビ見せろよ」とか。

藤原:なかったですね。その姉に、いろんなところに連れて行かれた。自分の友達より姉の友達のほうが多かったくらい。

荒田:中学では部活は何を?

藤原:バスケットやっていました。

荒田:そのときの影響って生きてますか?

藤原:すごく生きてると思う。その部活が思いのほか厳しくて。毎日10kmくらい走っていました。結構そこで体力ついたのかも。

Licaxxx:私もバスケ部だったけど、そこまで走ってなかったです。

藤原:でも他の部活より走らない?

Licaxxx:たしかに。陸上部と同じくらいは走っていたかもしれない。

荒田:その頃もファッションには興味があったんですか?

藤原:そうですね。中学2年くらいでパンクに洗礼を受け、中3になるとディスコに行ってましたね。

荒田:すごいですね。パンクに行ってディスコなんですか。

藤原:目まぐるしく時代が変わっていたときだからね。

荒田:そのふたつは全然違う印象があるんですけど。

Licaxxx:精神性は近いよね。

藤原:そう。昔は“マイノリティ括り”みたいな。体制に対して変わったことやっていると、なんでも認められるというか。パンクもファッションもマイノリティだった。

荒田:周りと話合いましたか?

藤原:いや、だから姉といた。

荒田:羨ましいな。

藤原:パンクそのものは、普通に日本の雑誌に取り上げられるくらい有名になっていたけど、そんな格好している人はほとんどいなかったから。

荒田:高校でもバスケはやってたんですか?

藤原:いや、何もやってなかった。夏休みとかに東京に来たりしていたくらい。授業もほとんど出なかった。

荒田:ヤンキーですね。

藤原:ヤンキーじゃないけど、先生から毎週「この授業とこの授業を出ないと出席日数足りないよ」という表をもらっていた。

荒田:それには行ってたんですか?

藤原:そう。

Licaxxx:文系ヤンキーの類だ。

藤原:学校が嫌いだった。

荒田:勉強はしてなかったんですか?

藤原:まったくしてなかった。今となっては勉強って面白いと思うけど。あのときはなんだったんだろうね、教え方とかかな。

荒田:高校の頃に、将来は何しよう、とかはありましたか?

藤原:その頃は洋服が好きだったから、デザイナーになろうとまでは思ってなかったけど、洋服に関わる何かはやりたいなと。当時は洋服と音楽ってばっちりリンクしていたので、両方出したいと思っていた。

荒田:高校を卒業してからは?

藤原:(地元の三重から)東京に出てきて、みんなにちやほやされて育ちました。

荒田:ちやほやされて(笑)。東京には大学で、とかですか?

藤原:大学は行ってない。セツ・モードセミナーという洋服の専門学校に籍はあったけど、速攻でロンドンに遊学したりしてほとんど行かなかった。学校を理由に一人暮らしというか、東京に住みにくるみたいな。

荒田:とりあえず東京に住みたい、みたいな?

藤原:そうそう。出身は東京ですか?

Licaxxx:東京の、東村山市です。

荒田:僕も東京です。

藤原:地元を出て親元を離れる感覚って、東京の人にはわからない。逆に東京にいると一人暮らしのタイミングなさそう。

Licaxxx:ちょっと遅いかもしれない。

荒田:必要があまりないから。

藤原:地方で親と一緒に住んでいたのが、急に東京で一人暮らしになるとすごく放たれる感じなの。

荒田:なんでもできる! みたいな。

藤原:そうそう。100%自由になるからそれはすごく面白かったですね。

荒田:100%自由になってから、最初に何したんですか?

藤原:友達と遊んだり、毎日レコード屋に行ったり。

荒田:どういった遊びを?

藤原:クラブだとか。すぐ大人と知り合いになって、「この子は若くて面白い子だからタダで入れてあげて」みたいな感じで一回もお金払ったことなかった。そういう時代だったんですよ。

荒田:ええっ、タダなんですか。

藤原:お金なくなったら、六本木とかに行って大人に奢ってもらっていた。

荒田:何その時代。最高やな。

藤原:今って奢ってもらえない?

荒田:大人の方々には世話にはなっていますけど、そんなに普通にフラフラしてて奢ってもらうってことはないですね。

Licaxxx:確かに。最近は後輩が増えてきて奢る側のほうが増えてきました。

藤原:奢ってもらってた時期もあった?

Licaxxx:ありました。それこそDJはじめたての18、19歳の頃は上しかいなかったので。

藤原:リカ姐さんはなんでDJになったの?

Licaxxx:私は、ジャイルス・ピーターソンが好きで。

藤原:へえ。全然かけてる曲と違くない?

Licaxxx:そうですね。ちょうど私がハマった2008年あたりはポストダブステップの流行った頃で。

藤原:ジャイルスってダブステップとかもかけてたんだ。

Licaxxx:すごくかけていました。ちょうどジャズとダブステップの間みたいなのが出てきた頃で。ジャイルスはクラブのプレイだと、ハウスっぽいときもあれば、ラテンからベースミュージックにいったりもしていて、それがすごくよくて。

藤原:あの人、ラテン系だからね。

荒田:今はクラブに行くことかあります?

藤原:ゼロです。

荒田:ゼロですか? なんでですか?

藤原:なんでだろうな。特に面白いって感じもしないからかな。お酒も飲まないし。

荒田:普段からお酒はまったく飲まないんですか?

藤原:お酒ゼロ、煙草ゼロ。

荒田:飲みの誘いはないんですか?

藤原:ないですね。東京に出てきたときからお酒飲まないイメージをうまくつけてきたから。

荒田:うまくつけて(笑)。

藤原:あの人付き合い悪いし、呼んでもすぐ帰っちゃうし、みたいな。「あいつはああだから」という。

荒田:ご飯も誘われないんですか?

藤原:ご飯は行く。

荒田:じゃあ「飲みに行きましょう」ではなく、「ご飯行きましょう」って誘えばいいんですね。

藤原:そうだね。飲みに行ったりするの?

Licaxxx&荒田:行きます。

藤原:居酒屋とかで?

荒田:場末の居酒屋で梅水晶とレモンサワーを飲んでいるときが一番幸せですね。

Licaxxx:私はDJやっててもやってなくてもずっとクラブに行っているタイプなので、飲むといえばクラブになります。おいしいご飯食べながら少し飲んでからクラブ、みたいな感じです。

今でも思うのは、人っていつストップしてしまうんだろうなということ

荒田:僕は、音楽だけで食えるとは最初から思っていなくて。だからヒロシさんみたいな生き方いいなと思うんです。

藤原:どこにも所属せず、どこかで稼げればいいなという。

荒田:はい。ヒロシさんを見ていると、自分がかっこいいと思っていることをやっていて、それがどんどん次につながってどんどん大きくなっているのがすごく羨ましい。いろいろ考えてしまうんですよね。「これじゃあ日本の市場には受けない」とか、でも寄せたくもないとか、そういう葛藤もあって。

藤原:あんまり考えなくていいような気がする。振り返ってみて今思うのは、かっこいい/かっこ悪いは、あとで他の人が決めることだから。自分の好きなことだけをやって、できるだけ人の顔色を見ない。それが一番いいと思う。顔色を見るのは仲良くなってから。最初のうち、仕事しているときはできるだけ迷わず、相手に空気読めないと思われるくらい自分のやりたいことだけをやる。仲良くなってから初めて、相手の顔色を見て、その人のことを考える。

荒田:なるほど。

藤原:嘘っぽいかもしれないけど、若い頃もあまりお金を稼ごうと思ったことなかったんだよね。お金がなくても生きていけるバブルな時代だったからかもしれないけど。クリエイティブなことをやりたかったし、それがかっこいいと思っていた。お金はその結果として入ってくるだろうと。

荒田:お金稼いで、買いたいものとかなかったんですか?

藤原:それもよく言われたけど、自分の等身大のものしか買いたいと思わなかった。自分のほしいものは自分のキャパシティ内で収まっていた。

荒田:ビバリーヒルズに家とかほしくなかったですか?

藤原:まったくそういうのなくて。自分のほしいものは手に入るものでしかなかった。それが本当は頭いいんじゃないかなと思うんだけど。

荒田:どういうことですか?

藤原:世の中では大きい夢を持って、無理を可能にするというのが美しいストーリーみたいになっているけど、無理あるでしょって思っちゃう。

Licaxxx:自分の買えるものの範囲をどんどん拡張していけば、結局はそうなっていきますよね。

藤原:そう、自分のキャパシティが少しずつ大きくなっていくから。今の自分にできることを把握することが重要で、それに対して成功していけばいい。

荒田:めっちゃほしいものがあるんです。

藤原:なに?

荒田:長野の別荘。

藤原:そんなの思ったこと一度もない。

荒田:マジすか。仲間で使えるレコーディングスタジオも併設された別荘があれば最高だなと。

藤原:僕、仲間とか思ったことない。仲間意識ゼロです。

荒田:え、ゼロですか。

藤原:仲間って言葉がそんなに好きじゃない。個々のほうがいいじゃん。一人同士がそれぞれ力あれば、一緒にやるときもいろいろできるし、別々でもできる。

荒田:カルチャーってどう生まれると思います?

藤原:カルチャーとは何か? というのは考えたことあるけど、どう生まれるか、進化していくかはあまり意識したことなかったな。

荒田:ロンドンにいたときは、そういう体験はありましたか?

藤原:すごくあった。

荒田:それはじわじわと何か生まれてきそうな雰囲気があったとか?

藤原:ロンドンには高校出てすぐ行ったから、82年かな。パンクは70年代後半なのでそこには間に合わなかったんだけど。ロンドンに行ったら、日本からパンクの格好した小さいヤツが来た、って面白がられて。好きなだけいていいよって居候させてくれた。そこには仕事もロクにしないような人もいれば、帽子のデザインをやっている人もいて、いろんな人が一緒に住んで、シェアして平等だった。それがすごく美しかった。日本ではあまりシェアする精神ってなかったから、それはすごく学んだ。その環境は羨ましかったな。その頃のロンドンは、次の進化を求めていた時代だったと思う。

荒田:“次”って難しいですよね。

藤原:パンクスだった人たちがディスコやヒップホップ、それにヘタウマながらもジャズとかもやったりして、いろんなことをやりながら変化していった時代だった。そういう意味ではいい時代だったかな。

荒田:そのときってみんな何を求めているんでしょうね。“次”のことを考えているのかな。

Licaxxx:でも、音楽を掘ってるときってそうじゃない? リバイバルも含めてだけど、次、何がリリースされて何が流行っていくかとかは、DJは普通に考えているよ。

藤原:リカ姐さんはこれからもDJ続けるんですか?

Licaxxx:そうですね。「歌とか歌わないんですか?」ってたまに聞かれるんですけど、絶対歌わないです。

藤原:(笑)

Licaxxx:あまり前に出ることに興味がなくて。それよりは、自分のフィールドであるクラブというカルチャーが日本にも根付くまでがんばりたい。そのために次の世代に向けて土壌を耕していく、みたいな。

藤原:耕すことが重要らしいですよ。それがカルチャーだから。耕すという意味のラテン語が「colere」で、それが変形して「culture」に変化した。

Licaxxx:うんうん。だから、耕していきたいですね。

藤原:今でも思うのは、人っていつストップしてしまうんだろうなということ。みんなそれをどこで決めるのかなって。僕らの世代はパンクから始まった人が多いけど、今でも革ジャン着て下北沢で飲んでいる僕と同世代の人もいれば、スカにいった人もいて、そこからヒップホップにいった人もいる。ヒップホップのまま止まってる人やハウスで止まってる人もいる。居心地のいい場所を見つけて人は止まっていく。そうじゃなくて、パンク好きだったけどある日、革ジャンを脱いで結婚して子育てする人も、サラリーマンになる人もいる。そういう意味では、僕は革ジャンを着ていないけど結局、革ジャンを脱げなかった一人というか。それぞれみんないろんなタイミングがあって止まったり、変わったり進化していったりするのが面白いなと思うんだよね。


藤原ヒロシ

ニューアルバム『SLUMBERS 2』がサカナクション主宰〈NF Records〉より10月7日にリリース。
@fujiwarahiroshi


荒田 洸

“エクスペリメンタル・ソウル・バンド”を標榜するWONKのバンドリーダーであり、ドラムスを担当。
@hikaru_pxr


Licaxxx

DJを軸にビートメイカー、エディター、ラジオパーソナリティーなどさまざまに表現する新世代のマルチアーティスト。
@licaxxx1

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