COVID-19の影響で打撃を受けたベルリンクラブシーン。2020年10月現在、主要クラブはほぼ休業状態だ。その状況にあって、例えばベルグハインは現在、クラブ営業を休止してアートエキシビジョンを開催しているように、アートシーンは動き出している。ニューノーマルへと向かうベルリンにおいて、カルチャーシーンで活躍するクィアピープルたちにフォーカスし、新しいムーブメントを紹介する「Berlin Fluid View」。
以下、ベルリンでフォトグラファー/ビジュアルアーティストとして活躍するink Agopがナビゲートする。
Agora Collectiveによる実験的なフードパフォーマンスは観たことがあったし、インスタグラムでは前からつながっていたけれど、ブラジル人アーティストCaique Tizziとリアルで出会ったのは今年の夏のこと。そこからやりとりを重ねて、去る9月のBerlin Art Weekの会期中に、ギャラリーの屋根裏部屋で行われたパフォーマンスを撮影、そして話を聞いた。
L→R / Alessandra Escafura、Caique Tizzi、Paula Faraco、Joana Dias
—ベルリンに来たのはいつ?
2009年だから、もう12年になるね。
—ベルリンにはどういった経緯で来たの?
出身はブラジルのサンパウロなんだけど、アートを勉強した後、サンパウロの広告代理店で働いていたんだ。あまりやりたい仕事ではなかったけどお金が必要だったからね。でも広告代理店のアートディレクターにはなりたくなかった。あるとき、パリを見に行こうと思って、6ヶ月パリに滞在する予定でヨーロッパに来た。「エレクトロニック・ミュージックが好きだったらベルリンに行くべきだよ」って言われて、パリから週末だけベルリンに遊びに来たつもりが、そのまま2週間ずっとベルリンにいたんだ。ここで恋人が出来て、生涯の親友に出会って……完全にハマっちゃったんだよね。
ブラジル社会はすごく保守的で、自分が何者であるか、どういうポジションにいるのかを常に証明しなくちゃいけないけど、ベルリンではそんなこと必要ない。自分が自分のままでいられる、こういう都市はほんとここだけだよね。
—Caiqueの料理のルーツは?
家族はイタリア系移民で、ブラジルとイタリアと両方のルーツを持っている。名前のCaiqueはブラジル名、Tizziはイタリア名なの、ちょっと変わってるでしょ。サンパウロの工業地区で、イタリア系移民の家族で育った。日曜日には家族みんなが集まって食事をするのがイタリアの習慣で、パスタ、チキン、ポレンタとかイタリア料理を山盛り食べていたのをよく覚えてるよ。友達も「Caiqueの家の料理が一番美味しい!」って言ってた。ブラジル料理は、地理的にもアメリカの南に位置するから、アメリカ料理と似ているところがある。でもブラジルにはトロピカル・カルチャーがあるから、パイナップル、コリアンダー、チリとか新鮮で風味豊かな要素が強い。庭ではパッションフルーツやマンゴーが採れたよ。
—パラダイスじゃん!
パラダイス……でもないよ。ブラジル人シェフ・アーティストって聞くと、トロピカル、パラダイスなイメージを持つかもしれないけど、実際ブラジルは生きていくのにタフなところだよ。パラダイスな部分は……1%くらいかな。
料理に話を戻そう。もしドイツに移住してなかったら、料理のパフォーマンスはしていなかったと思う。ブラジルのフレイバーが恋しくて、再現したかったんだ。ドイツは常に発展的、実践的、挑戦的で、素晴らしい社会を作っていて、その恩恵を他の国から来た人も受けているし、その姿勢を学べたことは自分自身にとって良かったけど、官能性や感情的なことについては……ちょっとね。その姿勢が料理にも反映されていて、ドイツ料理はすごく実用的で、タンパク質、炭水化物、野菜など栄養を摂取するためのものって感じがして。ラテンアメリカや他の地域にある、一緒に食事を楽しむという感覚に飢えていたからそれを再現したかった。
Agora Collectiveで料理を始めたときに、隣にトルコのスーパーマーケットがあってね(※註:Agoraの拠点のあったノイケルンはトルコ人移民が多く住むエリア)。ドイツのスーパーマーケットに行くと、ただジャガイモとか食糧が陳列されてあるだけ。でもトルコのマーケットでは、フルーツはカットされていてジューシーなのが見えるし、トマトは吊り下げられていたりしてディスプレイに凝っていて、まるで自然を褒め称えているみたいで活気があった。そこで、トルコや中東のいろんな調味料やスパイスを使ってノイケルンスタイルの料理を始めたんだ。トルコのフュージョン料理は自分にとってドイツの一部だよ。
—Agora Collectiveについて教えてくれる?
ベルリンに引っ越してきて最初の2年はいろんなところで働いて、2011年にブラジル人の友人とAgora Collectiveをスタートした。当時24歳で、「今やらなきゃ!」って気持ちがあって、いつもアゴラ、アゴラって言ってた。アゴラってポルトガル語で「今」という意味なんだ。ノイケルンのミッテルヴェークという美しい石畳の通りにある黄色いレンガ造りの建物を借りたんだけど、庭には林檎の木があってね。ミッテルヴェークって「道の途中」という意味で、そこをまさに文化の交差点にしたんだ。
Agora Collectiveのあった建物。下の写真のようなスペースになっていた。
この場所で多文化的な活動をしようというアイデアからスタートした。1階は実験的なレストランで、料理、エコロジー、社会活動、アートなどの交差点としてAgoraの基盤となる重要な部分。庭にはハーブガーデンのあるパーマカルチャーを展開したよ。上階にはコワーキングスペースがあって、教育プログラムスペースでは、例えばチーズをどうやって作るかをみんなで一緒に学習できるプラットフォームがあった。そのまた上階にはアーティストレジデンシースタジオ、アートエキシビジョン、上映会ができるスペースを作った。ベルリンにいる若いアーティストの夢を全部詰め込んだカプセルのような場所だったよ。
EUから助成を受けて、テート・モダンをはじめとした美術館、ノイケルンやパンコウ(ベルリン地区)の機関とコラボレーションしながらたくさんのアーティストたちと一緒にプロジェクトを行うことができた。本当に素晴らしい体験だったよ。この美しい建物で7年活動した後、ジェントリフィケーションの波が来て家賃が高騰して新しい場所に移った。同じノイケルンのKindlビール醸造所の巨大なスペースに移ったんだけど、それが崩壊のときだった。他のグループの人たちも加わって、もっと安定してプロフェッショナルになるように手助けしてくれたんだけど、それはうまく働かなくてAgoraは終わりに向かっていった。Agoraの活動は1年半前に終わったよ。
素晴らしい人たちに囲まれてたくさんのリスペクトと愛があった。Agoraを運営しながら、自分は誰か? 自分が言いたいことは何か? 自分がしたいことは何か? を経験的に学んでいった。絵画から料理に移行したのもAgoraがきっかけだったしね。自分にとって一番重要な教育の機会だった。Agoraの仲間はあちこちに散らばって、それぞれ違うことをやってるけど、彼らは今でもいい友達で素晴らしい思い出だよ。多分10年後は懐かしい思い出になっているだろうね。
—この新型コロナの状況下で、ベルリンでの活動は変わった?
そりゃね、自分みたいな人間がロックダウンの最中にいると……分かるでしょ? 悲しくて、落ち込んでたよ。。。マイボーイフレンドは、何かを生み出さなきゃっていうプレッシャーもないし、静かなスタジオに籠もって仕事できるって喜んでたけどね。でも自分は全然違うタイプで、社会的な繋がりが必要な人間だから、すごく怖かった。正直今でも怖いよ。でもベルリンにいるからラッキーだよね。そんなに厳しいロックダウンではなかったし、アメリカやブラジルに比べたら政府もよくやってる。ドイツ社会の良い一面でもあるよね。
新型コロナ状況下で、新しいポップアッププロジェクトLimboを始めたよ。Limboって言葉は中間という意味で、リンボーダンスって知ってる? リンボーダンスの制約がある状態をどうやって切り抜けるかという意味も込めてLimboというネーミングなんだけど。1週間のポップアップディナーという形で、フォトグラファーのEoin Moylanのスタジオでスタートさせた。
この状況下でも、身近な人と食事と会話とワインを一緒に楽しむ必要があって、ロックダウン後の生産と消費を考える目的で、地元の小規模生産者が作る食材を使った伝統的なレシピの5コースのディナーを提供している。いつもやっている南米料理をベースにした実験的なインスタレーションやパフォーマンスとはまったく違うよ。ニューノーマルに対する答えとして、広いスタジオ空間に距離をとってテーブルを置いて、ポストコロナレストランという形にしたんだ。6月と7月に開催して大好評だったから、12月にまたやるよ。Limbo Winterとしてね!