FASHION 2020.06.03

FASHION STYLE CHRONICLE〜今さら聞けないファッションスタイルのヒストリー録〜 Vol.02 MODS STYLE

EYESCREAM編集部
EYESCREAM編集部
Styling_ Hisafumi Motohiro, Edit_Ryo Tajima[DMRT]

“○○リヴァイバル”といった言葉がファッションには付きもの。過去に一世風靡したトレンドが時代を巡って再び流行するのだから、ファッションスタイルのムーブメントは面白いわけだ。ブランドやセレクトショップのニューアイテムの解説でアイビーやプレッピー、モッズやテッズなどなど……よく聞くスタイルの言葉がある。だが、そのスタイルって本当はどんな姿をしていたのか、何となくしかわからないことが多い(ーと思うんですが、そんなことないですか??)。
そこで、ここではスタイリスト、元廣壽文さんに教わり、現在ではスタンダードとなっているファッションスタイルの歴史を辿って、時代背景を振り返りつつ、どんな服装だったのかを探究してみたいと思う。巷でよく聞く○○スタイルが、本当はどんなものだったのかを知る最初の一歩になればいいな、と思う。
FASHION STYLE CHRONICLE〜今さら聞けないファッションスタイルのヒストリー録〜、第2回目にピックアップするのはモッズスタイル。

FASHION STYLE CHRONICLE Vol.02 MODS STYLE

モッズ(MODS)は1960年代にイギリスで生まれたカルチャーです。その起源は1950年代の後半にあります。その頃イギリスではイタリアンスタイルのファッションが流行していました。オーダーメイドで作った細身のジャケット、ボタンダウンシャツ、折り返しのない細身のパンツに身を包み、カフェやバー、クラブに集いモダンジャズを嗜む若者のことを、モダニストと呼んだそうです。このモダニストが後のモッズという言葉の基になっています。

その後1960年にイギリスでは徴兵制度が廃止になり、若者は仕事に就けることになりました。仕事で得た収入を家に入れず、ファッション・音楽・クラブ・バイク・ドラッグといった己の楽しみに費やし、モダニストを自分流に表現した若者達のことが、モッズと呼ばれるようになります。

※クラブに集う当時のユース

彼らはそれまでの社会に蔓延していたエリート志向への対抗心を持っていました。学歴や家族構成に関係なく、何を着るか・何を聴くか・何に乗るかという彼らのルールの中で互いに繋がりを持ち、快楽主義者による排他的集団として結束されていました。
昼間は適度に働き、夜になると有り金をつぎ込んで作ったテーラードスーツに身を包み、デコレイトしたベスパかランブレッタに乗ってクラブに集まり、ドラッグを愛用してモダンジャズ・R&B・スカに合わせて夜通し踊る……モッズはそんな音楽やファッションをベースにした彼らのライフスタイルのことを言います。

※デコバイクの一例

最初のモッズファッションは、Vゾーンの浅い細身のテーラードスーツ、ナロータイ、フレッドペリーのポロシャツ、表革のローファーといったところでしょうか。
1962年のファッション誌でモッズファッションの特集が組まれたこともあり、モッズファッションは流行に敏感な若者に浸透し始めます。彼らのためにロンドンのカーナビーストリートやキングスロードにはモッズ専門のショップが出来たほどでした。

※カーナビーストリートに集まる若者達

その後1964年、モッズと当時敵対関係にあったロッカーズ(リーゼント、革ジャン、単気筒バイクといったアメリカ風スタイルを好む集団)との間で「ブライトンの暴動」と呼ばれる大きな衝突が起こります。これがスタイルウォーとゆう名で新聞などに過剰に取扱われた結果、モッズ=不良というイメージが世間に広く浸透し、若者の間で一気に流行します。この頃からポークパイハット、ボトムはリーバイスのスタプレやフレアシルエット、スウェードのデザートブーツといったカジュアルめなモッズスタイルが増えました。

※ロッカーズとモッズの抗争を紹介する誌面

モッズの定番と言われるモッズコートはアメリカ軍のM-51パーカのことです。これはあり金をつぎ込んで作ったスーツがバイクに乗った時汚れないために、当時大量に出回っていたアメリカ軍放出品のM-51を着たのが定番化したものです。

5〜6年前日本でもフィッシュテールのモッズコートが流行りましたね。Supremeや日本のドメスティックブランドからも出ていましたし、あのおかげで古着屋でもモッズコート人気が再燃した感はあります。日本の古着屋ではオリジナルのM-51は名作として今でも人気がありますし、サイズの良いものは少なくなってきたと思います。

※M-51パーカ ¥24800+TAX info_Grandberry Jam

※THE WHO初期のステージより

※Small Faces

モッズのミュージシャンで良く言われるのは、THE WHOSmall Facesですが、正統派モッズグループはやっぱりSmall Facesでしょうか。

THE WHOは根っからのモッズではなく、マネージャーの指示で当時流行っていたモッズらしい格好をしていたようですが『My Generation』を出して以降はモッズをやめて独特のファッションに変化していきます。特にロジャー・ダルトリーは素肌にレザー、フリンジという独自のアイデンテティに基づいたトバしたスタイルがお好みでしたね。

当時のモッズにはアメリカからもたらされたモータウン系の音楽も好まれていました。マーヴィンゲイやマーサ&ヴァンデラス、スティーヴィー・ワンダーといった有名どころは当時イギリスのモッズたちの間で見ることを義務付けられていた人気テレビ番組『READY STEADY GO!(※)』で特集されるほどでした。

※READY STEADY GO!……1963年8月から1966年12月に放映されたイギリスの伝説的ロック/ポップチャンネル。ビートルズも出演

※左から、スティーブ・マリオット、ロジャー・ダルトリー、ロッド・スチュワート、ロニー・レーン

※モッズに愛されたミュージシャン例

※Small FacesとThe Supremes

男女の間ではマーヴィン・ゲイとタミー・テレルの名曲、「Your Precious Love」が定番曲だったとか、シュプリームスの「Stop in The Name Of Love」のダンスが流行ったとか、一度は聞いたことのある名曲揃いの本当に良い時代です。

※暴動のために集まるモッズ

その後流行により増えた次世代モッズにより、ブライトン以外でも暴動が起こるなど社会的トラブルを多く引き起こし、流行としてのモッズは衰退してゆきます。元祖モッズたちはこうした問題を引き起こす次世代モッズとは同調せず、むしろモッズが流行ったことで逆にモッズに嫌気がさし、テーラードスーツを燃やしてしまう人もいたとか。そういった、人と同じことで安心をしない、自分の欲求に対しピュアであり続ける姿が、まさしくリアルモッズマインドというところなんでしょうか。そうであれば、ロジャー・ダルトリーのあの何者にも左右されない独自のスタイルも、もしかするとモッズと呼んでもいいのかもしれませんね。
60年代のモッズのライフスタイルやロッカーズとの対立については、79年のモッズリバイバル時に作成されたイギリス映画、「さらば青春の光」を見ればどんなものか分かると思います。

流行としてのモッズは終わってしまいましたが、79年にモッズリバイバルがイギリスで巻き起こったり、日本では今でも毎年MODS MAYDAYというイベントが行われているように、モッズという音楽・ファッションを自分たちの独自のセンスで表現するライフスタイルは、生き続けているようです。

※本記事に掲載しているすべての写真、素材は編集部及びスタイリスト私物をスキャン/撮影したもの

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Vol.01 IVY STYLE

STYLIST PROFILE

元廣壽文

建設会社で約10年間勤務後、30代からファッション業界に転身。2018年にスタイリストとして独立。古着を取り入れたスタイリングを好み、ファッション誌・広告などで活動。

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