Profile
HENRIK VIBSKOV
1972年生まれ。デンマーク出身デザイナーとして唯一、パリ・ファッションウィークの公式スケジュールでショーを行う。ロンドンのセントラル・セントマーチンズ美術大学を卒業後、2003年よりプライベートブランドをスタート。アート、音楽など業界を跨いでファン多数。
眠り。命に欠かせないルーティンであり、疲労やストレス一切合切を身体から解放してくれる行為。そして、時に夢を見る。それは科学では語り尽くせない複雑な回路で人を桃源郷へと導く……。2018ss[ヘンリック・ヴィブスコフ]は“眠り”がテーマ。大胆さと繊細な美意識が溶け合う、センセーショナルなコレクションだ。去る10月16日(月)、Amazon Fashion Week TOKYO 2018S/Sに公式招致され、ブランド初となる東京でのコレクションを発表した同ブランド。独創的なクリエイションはいかにして誕生するのか、初めての東コレ、実はバンド活動もしていたこと、知りたい全部を訊いてみた。
飽くなき好奇心が凝縮された、唯一無二のクリエイション
―Amazon Fashion Week TOKYO 2018S/Sへ参加することになった経緯を教えてください。
先日、金沢21世紀美術館で開催された、日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念展にアーティストとして招待されて。そのインスタレーションを終えて、すぐにチームに『もっと何か東京でやるべきだ』と相談したんだ。じゃあ何をする?ってなった時に、ショップイベントなのか、インスタレーションなのかという案から、日本でやった事のないことをしようって話になり、東京でランウェイをやってみることになった。
―今回のコレクションテーマは“眠り”ということでしたが。
そう。前回のランウェイ中に、ある“アクシデント”が起こってしまった。その出来事こそが、今回のインスピレーション。ショーのパフォーマーの一人が、居眠りしちゃったんだ!まあ、お客さんを入れた状態から仰向けになった状態で少なくとも1時間はスタンバイしていないといけないから、自然と寝てしまったんだろうとは思うんだけどね。そんな出来事があって、本コレクション“眠り”は完成を遂げたんだ。
―そしてブランド初となる東コレでの発表、いかがでしたか?
驚いたのが、全体的にオーガナイズされていたということ。パリコレと比べると搬入と搬出がスムーズだし、スケジュール通りにしっかりと進行されていて、感心することの連続だったな。パリだとやっぱりマイペースだし、皆がコーヒーとタバコを片手に、ごゆるりと準備していらっしゃる(笑)。それを経験すると、仕事としてきちっとしていた東京の運営は、本当にすごい。実は本コレクションを発表すること自体はパリ、コペンハーゲンに続いて3回目なんだけど、これまでにない特別なプレゼンテーションになったよ。
―“眠り”をテーマにしながら、布団のようなものを用いた迫力ある演出や、洋服のディテールに、どこか“東京”を感じました。
“スリーピングバッグ”のことか!そうだね、ここ2年間のコレクションは全体的に日本の形状やシステムを取り入れている。っていうのも今、パリを中心とする欧米で、オリエンタルがトレンドなんだ。コペンハーゲンから車で1時間ほどのところにある、サマーハウス(夏だけ訪れるような別荘)エリアに、日本人の方が営むヴィンテージショップがあって、甚平とか着物が揃っている。そこで直接手にとり、インスピレーションを得るんだ。
2018ssのディテールをここで説明するね。コレクションピース全体を通して様々な“眠り”の要素を散りばめている。例えば、狐やイルカが寝ているシルエットや、眠りを連想させるグラフィックノベル“ZZZ”をパターンに起こした。寝相の悪い人はパジャマが大きく着崩れるだろ?そのルーズ感を表現したアイテムもある。そして、夢だ。悪夢やモンスターといったファンタジーも欠かせない要素のひとつ。アイウェアには、沢山のマッチ棒を貼り付けた。眠たいけど眠っちゃいけない時、マンガとかではよく目につっかえ棒としてマッチを入れたりするだろ?
―TEAM VIBS COATをこの来日タイミングでローンチしたのはなぜですか?
リクエストがあったんだよ(笑)。それだけじゃないんだけどね、何か日本では特別なこと、新しい試みにも挑戦したくなったんだ。このコートはショーに携わる人が、チームの証として着る、いわば戦闘服みたいなもの。実は、随分前からこれを欲しがってくれる人がいてさ。それも、結構いろんな人に言われていたんだ。だから、とうとう売ることにしたよ。でも、このお馴染みのコート、個人的には“TEAM VIBS”の“TEAM”がなんかしっくり来なくて…。『変えませんか?』って提案したら、『そこは残したい』って言われてしまった(笑)。“VIBS COOL”なのか、何かしっくりくるワードあったら教えて欲しい。VIBSはあだ名で、昔からよく名前で遊ばれていたんだ。[ヘンリック・ビブスコフ]にはデザインチームを含む全従業員が参加しているスレッドがあって、俺らの主な連絡ツールとしている。メンバーは20人くらい?そのグループ名もまた、“VIBSIES”って文字られているんだ。
―新しいSNSみたいですね(笑)。
キャッチーだろ?今は少し変化して“SVIBSIES”だ。ウチの若いチームがよく“Hey VIBSIES!”って呼びかけるんだけど、『誰か今夜遊べる?』ってことでね、そんな連絡ばかりで今やただのパーティースレッドになっちゃったんだ…。
―名前でここまで発想が広がることに驚きました。
そもそも、よく名前を間違われるんだ。空港とかで迎えにきてもらう時、決まって間違われる。“VOBSKOV”とか“VUBSKOV”、“HENDRIX”って書かれていたな。面白いから、見つけたら必ず撮影してコレクションしているんだ。
※インタビュー中、名前がどう変化したのかを表してくれた。ヘンリックの脳内を覗ける貴重な一枚。
―[ヘンリック・ビブスコフ]の世界観はアーティスティックなだけでなく、私たちに寄り添うような身近さもあるように感じます。
誰にでも起こりうるような身近で、普通な現象をテーマにするようにしている。すなわち、俺のパーソナルな出来事をきっかけにするんだ。例えば、あのパフォーマーが寝てしまったコレクションは“ワークアウト”がテーマで、それは当時、俺自身が体を動かしていた時期だったからなんだ。でもバスケやホッケーなど下半身を動かすことはしても上半身が硬くて。当時の彼女に『ヨガでもすれば?』って言われたけど、自分がヨガをする姿が想像できなくてさ。それなら、俺が思う“ワークアウト”をコレクションでも表現してみようって思った。でもここが重要で、テーマが身近であるからこそ、タイトルは映画かのように壮大にみせるんだ。2018ssも“The Great Chain of Sleepers”ってホラー映画みたいでしょ。観客の想像力を掻き立てる手段のひとつさ。
―ありふれる事象をテーマに置いて、そこから派生していく発想って、セントラル・セントマーチンズに進学したことが影響していますか?
そうだね。あそこは何をしても説明を強いられるんだ。例えば、シンプルな白いシャツを作ったとして『なぜこの白いシャツを作ろうと思った?』って聞かれる。それに対して、『これは白いシャツだ』としか言いようがない時でもね。でも、コンセプトを自分でイチから構築すれば、説明ができるんだ。この因果性を重視する思考回路そのものが、セントラル・セントマーチンズのおかげなのかもしれない。今、同学校をはじめいくつかのファッションカレッジで講師も勤めているけど、この発想がいかに重要なのかを教えているんだ。雑誌に載っていた商品をそのまま再現しよう、既製品をみて着想を得ようとするんじゃなく、頭で考えて自分のデザインに落とし込むところまで持っていかないといけない。誰かのを見て刺激を受けるなとは言わないが、個性が重要。すごく頭のいる作業だけど自分のものにした時、初めてアイデンティティーも形成できる、意味のあることになるんだ。
―そもそもファッションの世界に引き込まれたきっかけは?
俺が生まれ育ったデンマークの田舎町で組んでいたバンドで、かな。メンバー全員が歳上で、そこに順応しようとした。カルチャーというカルチャーを彼らから吸収したんだ。The Smithsとか、The Cureを聴いて、全身黒色の服をまとい、ポインテッドシューを履いた。いかにもインディー・ロックのバンドマンって感じ。田舎だから、コミュニティも狭くて、みんなが同じ本を読み、同じ音楽を聴き、同じようなファッションをしていたんだ。だから、まずはアイデンティティーをってことでポインテッドシューを履いてみたんだ。そして黒デニムを履き、徐々にバンドマン・スタイルに変貌していった。だから、音楽がそもそもの入り口だね完全に。
―バンドのメンバーに触発されて、だったんですね。
そう。でも考えてみたら本当に触発されて変わった時といったら、やっぱりセントラル・セントマーチンズに入ってからじゃないかな。入学の決め手は、当時好きだった女の子が通うと言ったから(笑)。進路の話になって、全然行く気もなかったのに俺はクールを装い『俺も行くよ』って言っちゃったんだ。それで自分で申し込んだんだけど、何かの手違いで申し込まれてなかったみたいで。慣れないからとにかく緊張していたんだね、まあそれで連絡してみたら職員に『何かの手違いですね、明日が審査の最終日なので、ロンドンの学校に来てくれますか?』と言われた。俺は『オ…OK!』と。一晩でポートフォリオ作り上げて、デンマークの田舎町からロンドンに飛んでいったさ!無事に入学できて、その彼女も手に入れたよ!
―すごいエピソードですね!
これが俺にとって、本当のファッションへの入り口。
―これまで、パリコレを発表の舞台に選ばれていますが、なぜですか?
やっぱりパリが世界で売り出していくには最大のプラットフォームだからかな。ロンドンはパワーに浮き沈みがややあるように思う。今は活気付いて来ていると思うけど、3、4年前だと、バイヤーや来ているクライアントの質感はパリの方が圧倒的に良かった。ロンドンのファッションデザイナーはとにかくパリで発表することを目標としていたんだ。
―バンドTrentemøllerのドラマーとしても活動をしていますが、バンド活動とファッションデザインは、相互にいい影響を与え合っていると思いますか?
自分で意識している以上にドラムを叩くという行為が自分にいい影響を与えていると思う。たまにイライラしてると、彼女に『ドラムでも叩いて気持ち切り替えて来たら?』って言われるくらい、俺にとって叩くことは、自分の気持ちを整理できる行為なんだ。実は、人間が生まれてから最初に演奏できることってリズムをとることなんだよ。何かを叩いてね。そんな本能的なことだからこそ、格別にインスピレーションを得るという訳さ。
―だからこそ、コレクションテーマが身近になってくるんですね。
大いに関係している。人間に関すること、ユーモア、政治的なメッセージ、カルチャー全部を大事にしているけど、ユーモアは特に欠かせないね。
―改めて、音楽とファッションの関係性についてどう思いますか?
極めて重要だよ。どちらも趣向ってやつだろ?10代に組んでいたバンドもそうだったんだけど、それによって小さい社会の輪が形成されるんだ。みんなで同じ方向を向いていて、同じ本を読んで、同じ映画を観ていた。そんな輪が大小さまざまに存在するんだ。それぞれにお手本となる人がいてね。時に、グループ間で好き嫌いが生じて争ったりもする。ポップカルチャーとサブカルチャー、メインストリームとアウトサイダーのような構造さ。そうなる理由は単純で『そのテイストが好きじゃないから』。でもこれって、当事者としては複雑な関係のように感じるんだけど、俯瞰してみたらちっぽけなことなんだよね。そしてこの行動パターンは人生の色んな場面に潜んでいるんだと思う。だから、バンドマンがどういう衣装でステージに上がっているのかというのも興味深い。それだけ、自己のアイデンティティーを形成するのに直接的に作用するもの同士だってことになる。
―The SmithsとかThe Cureをヒーローとして格好を真似るのではなく、それを聴いていた、グループの一員になるために、そこに似合うファッションをすることで自己表現をしていたんですね。
うーん、なんというかそのバンドは好きだったんだけど、そのバンドになりたいという気持ちじゃなかったんだ。むしろ、そういう同じ音楽を聴いていた人たちとと同じ格好をしたいという方が強かった。そこで感情をシェアできるし、コミュニケーションをとる手段としていたんだろうね。
―Trentemøllerはコペンハーゲンをベースに活動していますが、ちなみに最近のコペンハーゲンにはどんなバンドがいるのか教えてください。シーンとしての盛り上がりはどうですか?
いいと思うよ、特にLissとかLust for Youthはいいね。確かGENTSは1回パーティーで会ったことあるな…でもLissがいいよ!メンバーはとってもシャイなんだけどね。皆ユーモアがあって、好き。彼らのマネージャーを昔から知っていて、2年前くらいに、彼らが最も新しくてイットなバンドだよって紹介されたんだ。Boiler Roomというドイツのナイスなバンドがうちのスタジオでパーティーをしたんだけど、そこにLissやGENTSが一緒にプレイする日も近いと思う!Smerzは2人のガールズバンドでこれもまた人気だよね。ルックスもキュート。小さいコミュニティーだからみんながだいたいまとまっているんだ。でもどこか一線を画しているバンドって言われたらIceageだね。もっとパンキーでドリンキーな感じ。Lissたちはもっとシャイであまり注目をされるとかえってストレスを感じちゃうタイプさ。
実際は、こういったシーンを牽引しているバンドって言われていたのも2年前なんだけど、東京で人気があったり、ファレル・ウィリアムスもLissのファンだったりと世界中で注目されていっているのは確か。
―ブランドの話に戻りますが、[ヘンリック・ビブスコフ]はこれまでランウェイを発表するだけでなく、そのコレクションを美術館でも展示してきました。過去には、世界中で回顧展も開催していましたが、ランウェイと展示、発表する上で違いを持たせていることってありますか?
ランウェイであろうと展示であろうと一番大事なのは、自分が楽しめるかということ。何か新しいことをするんだ。展示に関しては美術館ごとにキュレーターがいて、いい展示ができたりもするが制限もある。会場ごとにいい美術館をセレクトしてはいるけど、何であれ、新たしいことを発信することが一番大切なんだ。
―確かに、新しいことをやり続ければ、同じものにはならないですね。
最後に、今後の展望について教えてください。
常に、同時にいろんなことを考えているんだけど、いつか建築にも挑戦したいなと思っている。未来永劫に残るようなものだからね。洋服をデザインでも体のラインに沿って模っていくという作業は、建築と似ているんだ。絶対に変なのを造ってみせるよ。
Profile
1972年生まれ。デンマーク出身デザイナーとして唯一、パリ・ファッションウィークの公式スケジュールでショーを行う。ロンドンのセントラル・セントマーチンズ美術大学を卒業後、2003年よりプライベートブランドをスタート。アート、音楽など業界を跨いでファン多数。