ドラマ『ソロ活女子のススメ3』のOPテーマ曲として現在オンエア中。TOMOOのメジャー4thシングル「夢はさめても」が4月5日に配信リリースされた。上辺だけの関係を越え、時に傷つけあいながらでも、あなたと深く関わっていきたいんだと歌うこの曲は、TOMOOが10代の頃に生まれたという。かつての自分が書いたまっすぐな言葉に、今の彼女はどう向き合っているのか。“心”と“言葉”についての対話の記録。
「きっとこのおとぎ話には続きがある」と
何となく気づいていた
ーピンポイントで恐縮ですが、「いってらっしゃい」にある〈エンジンオイルは地面に垂れて青く光っていた/マーブル模様が炎のように青く光ってた/いいや これも炎だよ/ぼくはそう呼ぶことにした〉という歌詞が好きで、今日お会いできるならこの歌詞について聞きたいと思っていました。
ありがとうございます。普段から自分が無意識に考えていたことを景色の中に見出すことが多いんですけど、ある日、道端を歩いている時にたまたまエンジンオイルが光っているのを見かけて「あっ!」と思って。そこから曲にしていきました。
ーどうして「あっ!」と思ったんでしょう?
音楽をやっていると、「あの人は調子が上がっていった」、「だけどこの人はちょっと落ち目だ」というような言い方で評価されることが多いから、自分の中にも「羽ばたくか、落ちるか」という意識が強く根付いてしまい、「落ちたくない」と怖がってしまっていたんですよ。だけど、例えばすごく活躍していた野球選手が、年齢やケガを理由に結果を残せなくなって引退しても、はたしてそれは本当に「落ちた」ということになるんだろうか?という疑問が心の中にあって。
ー引退後も別の形で充実した野球ライフを送っているかもしれませんからね。
はい。ただ形が変わっただけなのに「落ちた」とか「終わった」と言って、価値がないものだと決めつけるのって嫌だなと思ったんです。それで地面に垂れているエンジンオイルを見た時、今このオイルは車を稼働させるエネルギーとしての役割を果たしていなくて、炎とは無縁の状態だけど、それなのに炎のように見えるなと。それが“評価の対象とは無縁になったものも実は似たような姿をしている”ということを象徴しているように思えたんですよね。当時私は23~24歳。同世代の人たちが就職していくなか、「私はこの先音楽を続けていけるんだろうか」「自分でもよく分からないな」と悩んでいたのも、曲作りに影響したと思います。
ー素晴らしい発想。「いってらっしゃい」のリリースは2020年ですが、実はそれ以前の曲を聞いた時、「なぜこの人は、こんなにも自分に厳しい目を向けているんだろう」と思ったんですよ。
あははは。『Wanna V』(2016年リリースの1stミニアルバム)の曲を書いていた頃は心に余裕がなかったし、常に自責感がありましたね。当時の私ってほやほやの木みたいだったんです。木って雨風にさらされて傷つくほど強くなるものだと思うんですけど、私は逆境の中で何かを勝ち取ってきたような経験もなく、安全に、すくすくと育ってきてしまった。そんな自分になかなか自信を持てずにいました。
ーだけど「いってらっしゃい」のように、自分や他者のことを「どんな状態でもいいんだよ」と肯定する曲も少しずつ書けるようになっていって。
確かに、肯定的なメッセージの曲が増えていきましたね。コンプレックスは変わらずあるけど、歳を重ねるほど視界が広がって自由になれている感覚があるし、もっと自由になっていきたいと思っています。私は今まで、近しい人から言われた「あっちに行くのは危ないよ」「こういう感じの人とは距離をとった方がいいんじゃないか」というアドバイスを内面化してきたんですよ。だけど関わる人の数が年々増えていって、新しい価値観に触れる機会も増えていく中で「あなたはもっと自由になれるよ」と声を掛けてもらえることも増えていって。そしたら今度は「今までの線引きは本当に真実なのかな」「境界線なんて本当はなくて、あると思っているだけなんじゃないかな」と疑問に思うようになっていったんですよね。一つの物事をポジティブか、ネガティブかで完全に分けるのは難しいんじゃないかと。
ー前シングルの「Cinderella」もそういう曲でしたね。新しい世界へ進んでいった“君”に対し、“私”は変われないままだけど、今は変わるべき時じゃなかっただけで、“変われなかったからといって劣っているわけではない”と言ってくれているような。
私自身が「今はそのタイミングじゃなかっただけ」と思えるようになったのは、リリースから少し時間が経ってからだったんですけどね。曲を書いた当時は「結局私は線の内側に留まってしまっている」という後悔も若干ありつつ、「だけど向こうの世界にも希望があるのが見えて、ハッとした」「だからこれを曲に残さなくちゃ」という感覚でした。私の場合、物事が過ぎ去って、気持ちが落ち着いたあと、「真実のようなものを見た!」と気づけた時に曲を書きたくなることが多いんです。
ー自分が書いた曲でも、時間が経つと解釈が変わることってあるんですね。
そうなんですよ。それこそ今回の「夢はさめても」は10代の頃に書いた曲なんですけど、今歌うのが一番しっくりきています。確か18歳の夏だったかな? 〈抱き合えるならば 骨まで抱きしめて/あてにしちゃだめよ この肌も その瞳も〉というサビが鼻歌のような感じで浮かんできたんですよ。
ー人間関係の核心をまっすぐに射貫くような、ある意味容赦のない歌詞ですよね。この歌詞を18歳で書いたんですか。
はい。18歳の私は恋に恋している状態で、恋愛でもその他の人間関係でも痛い目にあったことがなかったけど、「きっとこのおとぎ話には続きがある」と何となく気づいていたんですよ。今は楽しいけど、相手に対して「こんな姿があったのか」と思う日や熱が冷めてしまう瞬間もきっと来るだろうって。多分、「私は恋が知りたいんじゃない、愛が知りたいんだ」という気持ちが湧き始めた時期だったんでしょうね。だからサビの歌詞は「人と本気で関わるってこういうことだろうな」と想像しながら書きました。だけどそのあと、いろいろな経験をしました。自分が勝手に作り上げてしまった相手の像がバラバラに崩れていったり、「私、情けないな。何やってるんだろう」と思うようなことがあったり、他の人からは「えっ……」と思われそうな自分の一面を相手にいっぱい見せてしまったり……。そういった経験を踏まえて、19歳か20歳の頃にサビ以外の歌詞を書き、曲を丸ごと完成させました。そして27歳の今になって思うのは「やっぱりおとぎ話には続きがあったな」ということ。でも、わたあめのように甘い恋を味わえなくなったとしても、地に足をつけて、人と人として相手と向き合って、もう一度、出会い直せる方がよっぽど嬉しいことだなと思います。「この人と本気で向き合おう」と思った時に内側から出てくる人間の力強さをこの曲に込められたら、という気持ちで歌いました。
ー〈泥がつかないように 上辺をなで合う日々〉とは対照的に、心を裸にして、他者と向き合えば、ぶつかり合って泥まみれになることもあると思います。だけど、泥の中でも輝いている人の心の“核”のようなものを信じているからこそ、初めて愛を歌おうという気持ちになれるわけで、つまり18歳のTOMOOさんは、人間の純粋性をすごく信じていたんだろうなと感じます。
そうですね。そう考えるとすごく無邪気で、今よりも幼い歌詞だなと思います。だけど私が見たかった真実は昔からずっと変わっていないんだなとも思いますね。形は変わらないけど、年齢を重ねて、いろいろな経験をして、解像度が上がったような感覚で希望を歌いたいと思えています。
ーなるほど。そんな曲を付き合いの長い高木祥太さん(BREIMEN)とともに形にできたのも、ドラマがあっていいですね。
20歳の頃に高木さんと知り合ったので、もう7~8年の付き合いになりますね。高木さんが最初に気に入ってくれたのがこの曲で、「いつかアレンジしたい」とずっと言ってくれていたんですよ。で、2番Bメロが終わったあとの間奏は原曲にはなかったもので、今回高木さんが加えてくれたものなんですけど、レコーディングが終わったあと、高木さんから「気づいた? あの間奏、前奏と同じコード進行なんだよ」と言われて。「何それ、高木さんすごい!」と思って。
ー本当だ、確かに!
前奏は私が「人生のようなイメージで、長調の明るい響きの前におどろおどろしいコードを置いて、コントラストをはっきりさせたいな」と思いながら昔作ったもので、そこから高木さんがあの間奏を作ってくれて。つまり、さっき話した“真実の形は昔から変わらない”ということが音でも表現されているんですよね。「その時が来たら、ぜひアレンジをお願いします」と伝えてから7~8年経ってしまったけど、もしもあの時音源化していたら、今みたいな表現にはならなかったかもしれないなと。そんな話を高木さんとできたのも嬉しかったです。
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