INFORMATION
yahyel『In Amber』
on sale
https://spaceshowerfuga.lnk.to/inamber
yahyel 10th Anniversary / OLD FRESH OLD BLOOD
日程:2025年10月12日(日)
会場:Zepp Shinjuku (TOKYO)
時間:OPEN 17:00 / START 18:00
料金:前売り¥6,000
チケット:https://eplus.jp/yahyel
yahyelがキャリア4枚目となるニューアルバム『In Amber』をリリースした。2010年代、UKを中心に台頭したポストダブステップや北米のエレクトロR&Bと共鳴するようなデビューアルバム『Flesh and Blood』(2016年)、その下地のうえでオリジナリティを追求した2ndアルバム『Human』、思ったように活動ができないコロナ禍のなか、肉体性やオーディエンスとのコミュニケーションを求め生演奏と向き合った3rdアルバム『Loves&Cults』。本作はそんな過去3作を1本の線で繋ぐような内容に仕上がっている。そこにハイパーポップやダンスホールレゲエといった、これまでの彼らのイメージからすると意外に思えるアッパーな音楽の要素まで盛り込み、yahyel流のダークネスとポップネスに落とし込む。まさに結成10周年にふさわしい、キャリアの集大成と新たなフェーズを示す進化の並走。彼らが10年の変遷を振り返って思うこと、そしてこの作品に込めた想いとは。
ー結成10周年ということで、あらためてここまでのバンドの変遷についてお伺いします。まずは2016年に1stアルバム『Flesh and Blood』をリリースした時期は、メンバー個人の出自やキャラクターを明かさずに活動されていましたが、のちのインタビューではそこに覚えた違和感について語っていましたよね?
篠田ミル(以下、篠田):あの頃そうした理由は、アジア人とか日本人といった人種でキャラクタライズされるのが嫌だったから。僕とガイ(池貝)と当時のメンバーのMONJOE(杉本亘)は海外経験もあったし、今よりも“洋楽”と“邦楽”の隔たりが強かった時代に、“日本人は邦楽”みたいなゲームに乗りたくなかったんです。ただ、必要のない情報をシャットアウトする意図だったのに、匿名キャラみたいなところが先に走ってしまって。
ーたしかに、私もyahyelが出てきたときにその匿名性には引っ張られましたけど、それは前提としてそこに確かなポップミュージック、レベルミュージックが存在していたうえでの興味というか。
池貝峻(以下、池貝):そう見てもらえることがレアです。ポップミュージックは作品以外の部分のファンタジーが重要で、聴いている側の印象は僕らの意図とは関係なく動く。それも社会のおもしろいところだと思うんですけど、当時はあまり折り合いがついていなかったし、そこを作品で突破できなかったことは不甲斐なかったですね。
篠田:そこからの2ndアルバム『Human』って感じだったよね。
池貝:そうだね。顔を出していようがいまいが、音楽的な強度を上げさえすれば僕らの抱えている問題を解決できると思ったのが『Human』でした。でもそうじゃなかった。
篠田:我々は匿名というキャラでウケてただけ。そこでガイの言う強度を突き詰めたんだけど……って感じで。
ー『Human』の強度とは?
池貝:僕らは大前提として歌物のポップミュージックを作っていて、その領域を広げたかった、という脈略での強度ですね。グローバルな目線だと、当時はベースミュージックとポップスが接近していて、そのなかでどれだけいいものができるかという実験が幅広く行われていました。それをやりたかったんです。
篠田:『Flesh and Blood』はガイの言った海外で起きていることを見よう見まねでやろうとしていたフェーズで、『Human』はもう一歩踏み込んで、「自分たちのオリジナリティってなんなの?」というフェーズだった思います。
池貝峻
ーyahyelが結成された2010年代は北米やヨーロッパを中心に、これまでのロックやヒップホップといったジャンルにおける形式的なマナーに捉われない、ポップミュージックやエレクトロニックミュージックが台頭してきた時代でした。yahyelはそのグローバルな動きとシンクロした音楽性と、いわゆる日本の音楽業界的なバビロンから解放された活動が刺激的で。それがポップスのリスナーの目の届くところにあるということがとても重要なことだったと思います。また、当時の東京に目を向けると、音楽性はさまざまですがオルナタティブな音楽を鳴らすアーティスト/バンドや、新しいJ-POPの芽吹きに沸いていましたよね? それらの現象は今の多様なポップミュージックの発展の礎になっていると思うのですが、いかがですか?
池貝:ポップスのフィールドにいながら、その考え方で踏ん張るっていうのは僕らの明確な役割だと思っているので、姿勢についてはおっしゃるとおりで、そう評価していただけることはありがたいです。でも、それが時代にどう作用したのかは、周りが評価することだと思っています。
篠田:世代的なことで言うと、僕ら1990年前後生まれは、いわゆるデジタルネイティブというか、SNSも初期から触ってたし大学生が終わるくらいにはSpotifyなどのストリーミングサービスを使い出して、でもまだギリギリCDも売れていた転換期だったんですよね。そこで起こった波に乗れたバンドだったと思います。
池貝:とはいえ、今思えばそれは繊細な状況が重なっていた部分もあります。例えば、経済。当時だって、既存の音楽構造に対する疑問はかなりありましたが、今の実体経済と比べれば、バンドがたくさんいて、ライブの現場も多くて、そこにお金を出してくれる人もたくさんいて、ストリーミングも本格的に一般化する前兆で、いろんな要素が重なった時期だった。相対的な比較ではラッキーだったんです。今はそんな“オルタナティブ”に対する余剰は少なくなっていると思うし、個人的には新しい世代に対する負い目にも感じでいます。
篠田:雑誌『POPYE』(のシティボーイ)とシティポップリバイバルの関係性とか、雑誌もまだ影響力があったし、ある種のトレンドセッター、トップダウンみたいな情報も生きていたから。うん、ほんとうにラッキーだったね。
池貝:「洋楽と邦楽ってわかれてるらしい」とか、「なんでこの題材は見向きもされないの?」とか、そういう蓄積されてきたものが表面化してきた時代で、そこに抗いたい、壊したいという共通のメンタリティが、当時の僕らと近い距離にいたアーティストの間にはあったように思います。そのメンタリティが生の情報として伝わった時代だったんじゃないかと。
ー山田さんはどうですか? 当時の立ち位置はVJで、映像のクリエイターがバンドメンバーにいるということが珍しく、yahyelはその部分でも注目されていましたよね。
山田健人(以下、山田):二人の言うことに異論はないんですけど、僕はおもしろかった、楽しかったという感覚ですね。SuchmosやYogee New Waves、(大井)一彌がもうひとつ在籍しているバンド、DATSもそうですけど、僕らの周りにいたバンドやスタッフの中で映像をやっている人が少なくて、ライブハウスも音楽も大好きだし映像もやりたかった、そういう意味でのラッキーみたいな。
ー大井さんはどうですか?
大井一彌(以下、大井):思い返せばですけど、僕は“yahyelの一彌”でいることが楽だったんですよ。匿名性というペルソナを背負うことで得られる効果みたいなものを実感していたというか。
ーそこは池貝さん、篠田さんとは異なる部分ですね。
大井:僕はちょっとドラムが達者な人というか、当時から職人のようにプレイヤーとしての自分を突き詰めていくんだろうな、と感じていたので。だからメンバーの所在を明かさないというステイトメントによって、演奏に集中できたし精神的な強度も高まってアドレナリンが出るような、yahyelという看板にある種の麻薬のような魅力を感じていたんです。それもあってか、『Flesh and Blood』や『Human』のときは、振り返ると恥ずかしくなるくらい排他的に振る舞っていたと思います。すべての選択において、勝てるかどうか、みたいな。ひたすら勝ちたかったし自分たちこそが世界の先端でいようとすることに固執していました。
ー若気の至りみたいな?
池貝:一彌はそう思っていたんだね。でも、僕らなんて若気の至りだらけですよ。永遠の中二病バンド。
篠田:デジタルタトゥーもけっこうあるよね。「なんで坊主なんだよ」ってね。
池貝:それは知らん。
篠田ミル
ーそして『Human』以降、アルバム『Loves&Cults』の先行曲「Highway」を出すまでの間、リリース活動が止まります。それはなぜだったのですか?
池貝:そこはいちばん苦しかったよね。僕らが目指してきた世界、音楽的な垣根を取っ払うということがふつうに行われるようになってきた。でもそれは僕らの想像していたかたちとは違ったんです。僕らの好きな電子音楽の要素がポップスのなかに存在する。でもすごく日本的な作法に則ったもので、それが世界に認められていきました。僕らは海外のアーティストと同じ立場で同じ会話ができる、そういうクロスオーバーを目指していたから、「ああそうなっちゃったんだね」と。同じ音楽業界にいながらまるで他人事のように眺めていました。でも、そんな状況をふまえて生きていかなきゃいけないというリアルもあって、メンバーそれぞれが迷っていた気がします。少なくとも僕はそうでしたね。今までのやり方だと自分たちのやっていることが無いものになってしまうというか……。なんとなくそんな感覚がメンバーそれぞれにあったと思います。それは『Human』を出したころから薄々気付いていたことで。
ーその状態でコロナ禍に入った。
池貝:そうですね。そこに各々がどうやって生きていくのかを考えなきゃいけないタームが重なって、個人の力で痛みを伴う脱皮みたいなことをしなければいけなくなったという流れですね。
ーそこから『Love&Cults』のリリースに至った流れについて聞かせてもらえますか?
池貝:どうやって立ち直ったかよくわからないんですよ。覚えてない。かなり苦しかったけど、みんなで頑張って会えるところまでに持っていったという感じですかね。ときに話し合いながら、ときに話し合わないという選択を取りながら、最後まで諦めずにやろうよって。そうやって長い期間、ずっと折れそうな心を抱えながら制作していました。
篠田:気合いを入れていたというよりはしんどかったですね。yahyelの曲作りはコミュニケーションなんですよ。歌以外はパートも固定されてなくて、一彌以外がドラムを打ち込むこともあるし、コード進行ひとつとってもそれぞれのロジックを持ち寄って話し合うので、すごく流動的。だから4人のコミュニケーションがちゃんと機能していないと地獄ですよ。その期間が長かったように思います。
ー生演奏にこだわったこともあり、ライブも含め濃厚なコミュニケーションの要素を強く感じました。それはとてもポジティブな意味合いで。
池貝:それもありますね。ライブができなくて飢えていたんで。そこは作品にもパフォーマンスにも表れていたと思います。
大井一彌
ー続く今回のニューアルバム『In Amber』は、どのようなベクトルで制作したのでしょうか。
池貝:今回は自分たちの活動のなかで得た実感や手法を、とりあえずぜんぶ詰め込んでみようという気持ちでした。『Love&Cults』のときも似たような感覚はあったけど、詰め込みすぎて取っ散らかった印象があって、それが良さでもあり反省点でもあったから、今回はそこをもう少し研ぎ澄ましてみようという意識で取り組みました。そこで、それまでのように、アルバム好きが高じて全体の流れを意識して曲と曲を関連付けるような作業はせずに、1曲ずつ、それぞれの情報量と向き合いながら作っていきました。その視界のひらける感覚は、説明できないですけど、前作でのバンドとしての回復と結びついていると思います。
篠田:いわゆる1stアルバムに近い感覚もあったような気がします。とにかくデビュー前に作ったいい曲入れとけ、みたいな。あとは、我々は今となってはプライベートで遊ぶ感じでもないし、それぞれの個人の活動があるし、制作がみんなで集まる口実みたいなところもあったかな。
ーバンドとしてたくさん苦しんで、悩み続けて、それでもなぜまた会いたくなるのでしょうか。
篠田:なんだろうね……。
大井:それはもう、バンドは家族だからですよ。
池貝:こういうときに、ちょっとくさいことをストレートに言うのはだいたい一彌だよね。でもそう思います。実家に帰省する感じに近いかも。嫌なところもいいところも知っている、ファンタジーじゃないリアル家族みたいな。
ー話を聞いていると制作は穏やかなムードだったような気が。
池貝:制作なのでたいへんなことは個々にあったと思うけど、前作と比べれば圧倒的に穏やかに進みました。
大井:雑音がない状態で音楽のみと向き合ってクオリティを高めることができました。昔みたいに勝てるとか勝てないとか、そういうことを考えずに。
ー1曲目の「No Other Cars」は、1stアルバムの『Flesh and Blood』のような初期のシンプルなベースミュージック的側面と、前作『Loves&Cults』に収録されている「Four」のような、山田さんがギタリストとしても機能するようになったことで獲得したバンド然とした魅力が混ざったような曲で、そこにyahyelの新しいシグネチャーを感じました。
池貝:『Loves&Cults』の制作やライブの過程のなかで、これがオレらのシグネチャーなのかもって、メンバー同士確かめずともわかっていた部分はあって、『In Amber』の制作にあたって「これが今のyahyelっぽいよね」って、そういう会話をしたよね?
篠田:『Love&Cults』の段階でもなんとなく見えていてことだったんですけど、当時はそれを提示できるほど修練しきれていない感覚があって。そのあと、ライブアレンジをけっこう研究したことと、EP『Salvaged』で過去の曲、僕らがそもそも持っていたエレクトロニック/ベースミュージック的な要素と『Loves&Cults』でのバンドの肉体性が混ざった作品を作って、そのことが「No Other Cars」に繋がったように思います。
ーアルバムタイトルにある“Amber=琥珀”という色がリリックにも出てきますが、どういうイメージで書いた曲ですか?
池貝:「No Other Cars」という曲のタイトルからも伝わると思うんですけど、寂しかったんだろうなって。“No Other”という言葉には、ほかの同世代のバンドやミュージシャンも含まれていて、みんな世の中に適応していかなければならないから変わっていくじゃないですか。その都度それぞれがきっと大きな選択をしてきたと思うんです。辞めていったヤツもいれば、続けているヤツもいるけど、今何をしていようが、ふつうに生きていてくれる、平和に過ごしていてくれるだけでうれしい。みんながそれぞれの道を歩き出して、生活は続いていく。それはバンド内という小さな単位でも同じです。孤独に自分たちを突き詰めていかなければなって、強く思ったと同時に少し寂しかったんですよね。曲単位で作っていったとは言いましたけど、それがアルバムの全体的な指針になった部分はあると思います。アルバムタイトルにも使った琥珀という色は、西日が落ちていく夕暮れ時の琥珀色の空とそんな人生のタームが重なったことや、時間が動いていない、時間に動かされていない、琥珀に閉じ込められている僕らだけの知っていることなど、いろんな意味がありますね。
ー音楽的な背景における意外性もおもしろいアルバムで、「Daffodils」はこうきたかと。
池貝:原型は僕が海外のアーティストに提供する予定で書いた曲なんですけど、僕らも音楽シーンのひとつの流れとして、ハイパーポップとかも聴いてるよ、みたいな。
ー「Ya」も意外という意味では同じで、ダンスホールレゲエのビートを採り入れています。「Daffodils」でのハイパーポップもそうですけど、そういった陽の要素が強い音楽がyahyel流のダークネスと絶妙に融合していて。
篠田:ダンスホールのビートにしようかどうかは最後まで悩んだんです。デモがそれっぽい感じで、でも僕らのアイデンティティとはあまり関係ないし、けどダンスホールのエネルギーってすごく魅力的だし、そこを変えちゃうと何かが損なわれる気がするし、どうやったらyahyelらしさと中和できるか、みたいなことを考えましたね。
大井:あのグルーヴが持っている明るさからどうしても離れられない難しさはありました。
池貝:最初に作ったときは、ダンスホールということに大意はなくノリだったんですけど、最終的に音色の使い方でいい感じにダークになったと思います。そのプロセスってBjorkがやってるんだよね。
篠田:Rosalíaとの「Oral」だよね。
ーそこまで跳ね切らないビートが印象的でした。
大井:有機的にしていけばいくらでも明るいグルーヴになっていくけど、「Ya」はその真逆で、ただの記号になるまで削ぎ落しました。ハイハットすらほとんど入ってなくて、ほぼキックとスネアだけにしたことで、インダストリアルな感じになりましたね。
篠田:そこはArcaとかCardopusherのような、インダストリアルなダンスホールの文脈があったおかげで、我々なりの解釈ができたのかなって。
池貝:先人って偉大だよね。
大井:『Flesh and Blood』や『Human』の時期は、僕はライブ要員で、打ち込みをどうやって生ドラムに置き換えるかがテーマでした。それを音源でも実装してみようという話になったのが『Loves&Cults』で、めちゃくちゃ生のドラムを録音しました。そのうえで、肉体性を感じるためには必ずしも肉体的な音、生ドラムを使えばいいわけではないという結論に至り、あえて打ち込みだけでいくと最初に決めたのが今回の『In Amber』なんです。
ー1度、生ドラムを使うという過程を経てたうえでの、というところが重要なわけですね。
大井:はい。「Ya」みたいに微妙にグリッドをずらすことで妙な跳ね感が生まれるとか、そういう細かい違和感を作ることで打ち込みでも肉体性を想起させるころができるし、打ち込みであれば同時にyahyelらしい精神的に静謐な音楽としての機能も持たせられる。生ドラムって音が大きいから。他の曲に関してもdutch(※山田の通称)のモジュラーシンセやミルのアープオデッセイからサンプルを採取して並べてみるとか。モジュラーシンセは生き物を扱っているかのように有機的だし、アープオデッセイも機嫌があるシンセというか、すごく揺れるからおもしろいんですよね。
山田健人
ーギターはけっこう鳴っているイメージですが、どうですか?
山田:そう、それでさっきちょうど、どのくらいギターを弾いていたのか振り返ってみたんですよ。『Loves&Cults』は11曲中9曲、それに対して今回は5曲とか。僕的にもいい意味で「いらねっか」って思ってたし、いちおう全曲試したんですけど、ほとんど抜いたんですよね。アナログシンセと向き合って上質な音、太くていい音を前に出すことにかなり注力したので、ギターに限らず余分なものはいらないなと。
篠田:dutchのランダムなシーケンスを僕のアープオデッセイに走らせて「これおもしろくね?」みたいな。
池貝:そこに僕がコードとメロディをつけてとかやっていくうちに、そもそもの下地だったミルのアープの音が無くなるという、そういうセッション感を楽しんでたよね。
ー確かに「No Other Cars」もギターが効いているイメージはありますけど、ほとんど弾いてないっていう。
山田:中盤で10秒くらい、最後に15秒くらいですね。弾くんだけどいかに弾かないかという感覚でしたね。
ー「How」のギターはまさに引き算の妙というか。「きた!」みたいな。
大井:わかります。どこかでギターは鳴るんだけど、できるだけ鳴らさないことで渇望される感じですよね。
ー背景としては90年代のブリストルを感じますが。
池貝:そうですね。僕ら趣味はバラバラですけど、そこはみんなの共通するところ。
篠田:90年代のバンドにはみんな影響受けてるよね。
大井:いまだにMassive Attackの話するからね。繰り返しになりますけど、勝てる勝てないじゃなくて、そういう僕らが純粋に好きな音が詰まった作品です。
篠田:あとそれらが30分尺に収まっているというところも作品のポイントかと。
ー10月12日にはZepp Shinjuku (TOKYO)で10周年ワンマンライブ『OLD FRESH OLD BLOOD』があります。ニューアルバムを全部やっても尺が余りますから、過去の曲もたくさん演奏するんですよね?
山田:セットリストはなんとなくあって、10周年ということで1stからの曲もあるし久しぶりにやる曲もあるし、それを今の我々のモードで演奏します。過去から今がどう繋がっているのかを、横綱セットリストで体現したいと思っていますし、このライブを通して、また未来が見える新しい何かが生まれるような気もしています。
大井:Zepp Shinjukuと僕らの音楽は相性がいいので、楽しみですね。
池貝:音楽的にも、人間同士としても、いろいろなことを誤魔化せなかった僕らの変遷がわかるようなセットにしたいです。よろしくお願いします。
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日程:2025年10月12日(日)
会場:Zepp Shinjuku (TOKYO)
時間:OPEN 17:00 / START 18:00
料金:前売り¥6,000
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