自分の作品を創るほかなかったんです。自分のためだけの作品を創るとなると、消化しきれなかった思い出と向き合うことになった。
小袋成彬は、かつてのEYESCREAMにとって以前からずっと身近な存在でありつづけた。R&BユニットN.O.R.K.のヴォーカリストとして、さらには新進音楽レーベルTokyo Recordingsの代表として、弊誌の企画に参加してくれたこともある。そんな彼が、CDデビューを発表して大きな話題となっている。裏方としての意識が強かったはずの彼が、何故歌うに至ったのか。
歌いたいことがなかったので、じゃあ何から始めればいいのだろうと思っていた
—EYESCREAM 最新号とともに、かつて小袋さんに関わっていただいた2015年8月号の特集をお持ちしました。
「ああ、懐かしいですね!『A GREAT DAY IN SHIBUYA』ですね。伝説的な企画じゃないですか!『A GREAT DAY IN HALEM』って、1958年にNYで集まったジャズミュージシャンが集合写真を撮ってて、それがみんな後に有名ミュージシャンになったんですけど、そのオマージュをしようって、若いミュージシャンに集まってもらったんですよね。名企画だったんですよ」
—はい、冗談抜きに小袋さんと当時の副編集長による、本当に名企画でした。
「(スタッフに見せる)だってほら映ってるの・・・サチモス、DATS、水カン、ネバヤン、SANABAGUN、D.A.N、KANDYTOWN——」
—もっと沢山登場していますが、本当に多士済済で、みんなそれぞれの場所で確固たる地位を得ています。そしてこの企画の中で小袋さんも登場されていますが、それはTokyo Recordingsのレーベル代表としての登場で、いわば裏方だったわけですよね。
「ですね」
—その小袋さんがこうしてメジャーデビューしているわけですよね。当時のことを考えると不思議な気持ちにもなるんですよね。
「僕自身はそれほどの感慨はなかったりするんですけど」
—ははは。でも、2015年に雑誌で、企画協力してくださっていたレーベルオーナーが、こうしてCDデビューするというのは不思議な気持ちにもなるんですよ。当時、小袋さんにはやっぱり自分で歌いたいっていう気持ちがあったのかな、とか。
「・・・まったく歌いたくなかった、といえば嘘になりますね。ただ、歌いたいことがなかったので、じゃあ何から始めればいいのだろう、という感じでした。かと言って歌いたいことなくても別に幸せだし、仕事楽しかったし。そもそも人に認められたいという欲求も低いほうだし、って」
—じゃあ、2015年にああして撮影をしたミュージシャン達のことは、どんな風に見ていたんですか? 眩しい存在だった?
「当時からサチモスはもうグングン来ていましたし、もちろん優れたミュージシャンだと思ってましたけど、うらやましいとか眩しいとかはなかったですね」
—そういう見方は、やっぱり当時は音楽レーベルTokyo Recordingsの代表としての意識が強かったということですね。
「そういうことだと思います。ただ、レーベルを大きくしよう、とは思ってたんですけど、腹の底では『じゃあ、大きくしてどうすんの?』というのは絶えずあったのも事実ですけど」
—なるほど。注目されるレーベルの経営をしながら「歌いたいことはない」としていた小袋さんがいて、ただ、こうしてリリースされるCDを聴けばわかるんですが、小袋さんはどうしたって「歌いたいことがある」言葉の人、物語の人なわけです。その両者には大きな切断があるのか、それとも地続きの物語があるんでしょうか。
「プロデュースワークをやっていると、売上というものを大事にしなければならないのと同時に、アーティストのアーティスト性を大切にすることも求められるんです。これにだんだんイライラしてくるんですよね。人が欲しいものを与えて行くか、それとは関係なくアーティストの表現したい芸術を追求するのか、どちらかをやりたい、と思うようになってきてしまったんですね。プロデューサーとして両者の間をついていくことが、どうにも面白くなくなってしまったんです。そうなると、自分の作品を創るほかないんです。自分のためだけの作品を創るとなると、消化しきれなかった思い出と向き合うことになるんです。心が沈む作業なんですよ。そうなると、やっぱり誰にも会わなくなりましたね。ほとんど遊ばず、1年半作ってましたね」
INTERVIEWの続きは、本誌5月号[VISIONS]をご覧ください。
[VISIONS]
1.VISIONS:菅田将暉
3.VISIONS:今里(STRUGGLE FOR PRIDE)