BEAMSとスペースシャワーTVによる音楽と映像の実験的プログラム[PLAN B]。2016年7月からスタートしたこの名物企画も、11月で遂にSEAMSON 6を迎えた。現在発売中のEYESCREAM No.169では、今年9月からの総集編として、Dos Monos、AAAMYYY、高岩 遼、計3組みのアーティストのクリエイティブの裏側にフォーカスしたインタビューを一挙掲載中。スペシャルダイジェストとして、彼らの“B面”をWEBでも公開しちゃいます。
9月:Dos Monos × 冨永昌敬
“普通の言葉を変調させるのがラップ”
ーDos Monosは、冨永監督の昔からのファンだった?
荘子it(以下、荘):そうですね。大学の図書館で冨永さんの「亀虫」(※1)をみて、すごく面白い作品を見つけてしまったなと不思議な気分になって、メンバーに共有したんですよ。
TAITAN MAN(以下、T):めちゃおもしろかったです。その後「シャーリー・テンプル・ジャポン 」(※2)も見せてもらいました。
冨永昌敬(以下、冨):へぇ、その辺から見てくれてたんですね。どちらも15年くらい前の作品で「普通の映画は作れないから日々実験するしかない」と思っていた頃。かなり変わった作品なので、その時期の作品を見てくれていたなんて驚きです。
荘:「亀虫」は単に自主映画を愛でる気持ちではなく、映画の美学としても成立してると思って、それは自分のやりたいことに近いなと思ったんですよね。
ー以前から両者は知り合いだった?
冨:3月の僕の映画の上映会に、荘子it君が来てくれたんです。上映が終わった後、ロビーで話しかけてくれて。同じ大学の映画学科の後輩なんだって。3年前くらいから映画学科の非常勤講師をしていたので「じゃあ学校で会ってた?」と聞いたら、荘子it君は僕が務める直前に中退しちゃってたっていう(笑)。
荘:(笑)。その後、最終日の上映にも行って、打ち上げに呼んでもらったんですよね。
ー荘子it君にはどんな印象を持ちました?
冨:自分が教えてる生徒にこの人がいたら良かったのになぁ、こういう人が映画を作ったら良かったのに、なんで辞めちゃったんだろうって思いましたよ。それでしばらくしてから、5月か6月くらいだったかな? 荘子it君から一緒にやりたいことがあると連絡をもらって、芸術学部の近くの喫茶店で話を聞いたんだよね。そこですぐに具体的な話になったかな?
荘:いや、とりあえず冨永さんがプロットを書いてみるよ、っていう流れになったはずです。それで僕たちも過去のライブ映像とか、mix前のアルバム音源やDos Monosのコンセプトなんかを長々と送りました。
冨:荘子it君にミハル・アイヴァス(※3)の「もうひとつの街」っていう小説があって「この本で描かれていることはDos Monosで表現したいことに近いんです」って言われて。そんなこと言われたら、買わなきゃいけないじゃないですか(笑)。これが面白いんだけど、また難しい小説でね。でもこんな難しい小説を読ませられるってなんて楽しいんだろうって思いました。これを音楽でやっている人たちの映像を作るってことは、俺も当然読まないといけないわけですしね。3人とも愛読してるわけでしょ?
没:もちろん読んでないです(笑)。
T:荘子itに「こういうのがいいんだよ」って言われて「へえ…」みたいな(笑)。
荘:(笑)。2人は全然読んでいないけど、音源をつくった段階でコンセプトに共鳴するものがあったので、アルバムのタイトルでも引用したりしています。
冨:バイブルみたいなものなんだね。
荘:誰にも共有されてないバイブル……(笑)。
ーDos Monosは今回の制作にあたりどういう狙いがありましたか?
荘:PLAN Bは若い面々が多いから、僕らは逆にもうちょっと上の世代とコラボしたかったんです。それは音楽の世界で言う「フックアップ」だったり、単純に冨永さんの初期作品が好きという懐古的な趣味でもなく「先人の面白い表現をサンプリング的に使わせてもらう」という、トラックメーカー的な発想です。ミハル・アイヴァスにしてもそう。あくまで対等な関係性にある。対等なんだけど、同い年ではない人とやるっていうのは、俺らの世代には絶対ない感覚なんで。
T:普通のMVを撮ってもしょうがないなとは思ってて。もともと僕も演劇を勉強したり自分で演じたりもしていたので、何か物語があるものを作りたいという話になって、その時に最初にあがったのが「亀虫」でした。あの世界観を僕たちの今のセンスで作品に落とし込んだらどうなるんだろうって。
冨:そうやって、イメージをぶつけられるほうがやりやすいですね。よく「監督のイメージで」って丸投げされることがあるんですが、先にイメージがあったほうが動きやすいタイプなんですよ。結局作る時に一番大事になるのは、時間的・予算的な制限の状況の中で何ができるかを考えることだから。だからまず、あの小説を教えてもらったのがありがたかったです。読んだ上で自分なりに理解したつもりで台本を書いたけど、果たして3人がどう思ったのか……(笑)。
没:僕もミハル・アイヴァスのことはそんなに分かってないですけど(笑)、冨永さんが吸収したことと、Dos Monosの感覚がいいバランスになっていて、面白いのを書いてくださったなって感動しました。
荘:僕は読んでいるから「わかる、わかる」って。
T:ぼくは台本を読んでも全然、何も分からなかったですね(笑)。でも読んだ時に「これは分からないほうがいい」って思いました。咀嚼せず、僕は素材になるだけでいいやっていう感覚だった。
ー分からないものを分からないままにしつつも、当日撮影を迎えたわけですね。
冨:はい。撮影当日も、台本を変えながら撮っていました。きっと、Dos Monosのテーマを面白いと思ってしまったからこそ、彼らの現在進行形の姿を追いかけるのではなく、一緒にフィクションを作ろうとしたんだと思います。この作品で重要なのは、3人は出演者でありながら、音響やBGMも全て担当しているということ。身も蓋もない言い方をしてしまうと、MVは「楽曲が鳴っている間に流れている映像」を作ればいい。これまではそこを丸投げされることが多かったのが、彼らから自発的にこうしよう、ああしようって言ってくれたおかげで、映画でもなく、MVでもないものを作っていけたように思えるわけです。
荘:僕らが音楽を作る時には、筋書きがないことは普通で「刺激的な瞬間が続いていればOK」って進め方をしています。訳が分からなくても、何か刺激的な瞬間に貢献していると思えるならよし。リリックを書く時も行き当たりばったりですからね。普段から「その瞬間に、ふっと何かを超えたものの蓄積体」として(作品を)見てるんです。その意味で、今回の制作もいつもの僕たちのやり方と共通するところがあったと思います。
ーどんな部分を楽しみましたか。
T:本編には棒読みしたり、館内放送風にしたりと、色んなパターンの発声が出てきます。それらが、最終的にはラップへと向かっていくんですけど、僕はこの「発声すること」そのもののグラデーションを楽しんだように思います。色んな発声……それが、3人の共同作業だったって感じですね。やっぱり僕は「亀虫」のコントの力学で物語が進んでいくセンスに憧れがあって。台詞が棒読みだったり、途中で突然切れたり、そういう「台詞をいたぶる感じ」にもめちゃくちゃ興奮するし、快楽なんです。読んでる途中で発話しているものが無下にされていく、初めてその主体になることができて、楽しいなぁって思っていました。
荘:書き言葉を生き生きとやる(表現する)っていうことがラップの根源だと思うんですよね。韻を踏むこと=ラップではないじゃないですか。ポエムだって韻を踏むし、音程を取る(歌う)ラッパーもいれば、そうじゃないラッパーもいる。究極的にラップってなんだって言ったら、フリースタイルだとしても、「書き言葉的な何か」で、それをちょっと気取った言葉を気取って言う、ということに尽きる。ラップをしてる時ってちょっと気取ってる瞬間があるんですよ。
T:気取る……とか、俺の解釈「色気」なんだけどね。
荘:うん、色気でもいい。普通の言葉を「変調」させるのがラップなんです。一見、第4話の中でだけラップしているように見えるんですけど、究極的には全てラップです。普通の喋り方はしない。映画で一番つまらない瞬間って、セリフを「物語の進行のために読まされてる」という状況の時で、それに関しては映画でも演劇でもラップでも同じことが言えるかなって。全ては音楽として作っていて、あくまで脚本の奉仕のための音ではない。
ーA面(普段の活動)に反映できるような「得たもの」があれば、教えてください。
冨:振り返ると「亀虫」の頃の作風に似たものがあったと感じますね。あの頃やっていたことをまた思い出させてもらったし、今試してみたかったことをやれた。昔やろうとしていて、いつの間にかほったらかしにしていたことに、再度挑戦できたというか。
T:「亀虫」にあった「何かが起きた派生からしか、次に進めない」っていうアウトプットの作り方を、この脚本を読んだ時にも感じました。僕は昔から冨永さんのそういうところを尊敬していて、僕もそういうタイプのリリック書き、ラッパーになりたいと思ってるんですね。でも、冨永さんは(イメージの)「飛び方」が異常なんですよ。A点からB点までの飛行距離が。たった800文字の言葉を連ねただけなのにすごい世界を描いている。それを、僕は16小節という縮小された中でやりたいなって、めっちゃ思いましたね。飛ばしたいですね。
荘:「飛距離」と言うと数値化されてしまうど、本当はその人ごとの実感が強固にあるはず。算出できるものではなくって、単純に感覚の違い。だからこそサンプリングを使うわけです。ロジックでは掴めないんだけど、わざと変なことをやっているんじゃない。その人にとっての確かな「実感」っていうものを、自分のロジックの中に取り込むことができる……それがサンプリングなんだなと再確認しました。
冨:昔途中でほったらかしにしてたものが約10年越しに実現できて、でもできたらできたで欲が出てくるんですよね。もうちょっとこうしたらよかったかな、って。だから一緒にまた何かやりたいな。全ての音をアーティストが担当するというのは、映画だとやらないことですからね。だからこそ、ここまでできたんだっていう実感がある。10年前だったら思いつかなかっただろうし、こういう作品づくりを今回だけにしたくないって思いますね。
※1…2003年の作品。「亀虫の兄弟」「亀虫の嫁」「亀虫の妹」「亀虫の性」「台なし物語」の5編からなる連作短編コメディ集。
※2…2005年公開。パート1と2があり、1はサイレント映画“風”の作りになっている。
※3…チェコの作家。他作品に「黄金時代」など。
10月:AAAMYYY × Margt
“結局は「人と人だった」”
“結局は「人と人だった」”
ーお互いが知り合ったきっかけは?
Margt/マーゴ・アラタ(以下、ア):イッサ(イサム)とAAAMYYYが知り合いだったんじゃなかったっけ?
Margt イサム(以下、イ):そう。友達のつながりで知り合ってから、昔AAAMYYYが所属していたバンドのMVを撮らせてもらったり、ジャケットやアートワークの仕事をさせてもらったりして。ソロになってからもその関係が続いている感じだよね。
AAAMYYY(以下、A):うん、アートワークはずっとマーゴにやってもらってる。イッサと最初に会った時のことは覚えていて、確かサマソニでcrossfaithが出演した年に、フェスが終わってからみんなでイッサの家に行ったんだよね。イッサはその頃幕張に住んでたから。みんな酔っ払って部屋のカーテンを剥ぎ取ったり、椅子を破壊したり……(笑)。そのあと、マーゴが映像を始めたのをユカリ(※UCARY AND THEVALENTINE)から聞いて、彼らが撮ったユカリのMVがめっちゃくちゃかっこよくて、それからお仕事をお願いするようになった。
ーそれで、今回もマーゴと。
A:そうですね。PLAN BのことはSuchmosとdutch(※山田健人)がコラボした頃から知っていて、今回のお話を頂いて「私ならマーゴしかいない」って。しかも、今年の夏はちょうど彼らがNYから日本に一時帰国してたタイミングだったんですよ。
ア:超盛り上がったよね。昔からAAAMYYYとNYで撮影できたら最高だねって話はよくしていて、ついにそれを叶えるチャンスだ!って。それで、今回の「NYでAAAMYYYのドキュメンタリーを撮る」というアイデアを提案したら、PLAN Bの制作チームにすぐにOKをもらえたから、こんな自由にさせてもらえるのかとびっくりした(笑)。
ーNYではどんなふうに過ごしましたか?
A:午前と午後でざっくりとした予定だけ組んでいたんですが、滞在日数が限られていたので、色んな場所でサクサク撮っていきました。マーゴが拠点にしているお家に滞在して、近くのデリで買ってきたサンドイッチを食べながらとか、一緒にお酒を飲みながら作戦会議しました。久々に、家族と一緒に過ごすみたいに団らんしていたけど、遊び呆けてたんじゃなく、すごく真面目にやってました。
イ:AAAMYYYとは友達の関係から始まっているから、仕事の感覚はなかったかも。なんでも言える兄弟みたいなんだよね。
ー本編ではNY在住の3人組バンド・JIL(ジル)や、ダニエル・ジョンソンのソロプロジェクト、コンピューター・マジックとのコラボレーションの様子も収録されていますね。
A:JILとのコラボでは、メインの2人が私の曲を聴いて色んなアイデアを出してくれて、最後にボーカルのジュリアンが唄を入れました。彼らはメンバー同士の付き合いが長いから、お互いの思考への理解がとても高くて、彼らが何を大切にしているかがヒシヒシと分かった気がします。意見の言い方にも優しさがあるというか、ジュリアンのモチベーションを保つように気遣いながらコミュニケーションしているのがめちゃくちゃ伝わってきて、お互いに尊敬し合っているんだなって。休憩中に皆で外でタバコを吸っている時に、ジュリアンが「こういう曲作ったんだけど」って携帯で流し始めたことがあって。3分くらいある曲なのに、流れている間は誰も一言も話さずにしっかり聴いて感想を言っていた。そういうところにも、彼らの人の良さが出ているなって思いました。
ーコンピューター・マジックとのコラボについては?
A:意外だったんですが、ダンジー(※コンピューター・マジックの呼び名)がめちゃくちゃオタクな女の子だったんです。
イ:部屋にある小説とかポスターとか漫画が、SF系ばっかりだったりね。ゲームもいっぱい持っていて、部屋に入った瞬間に「このゲーム、1週間で126時間プレイしたの!」とかいって見せてくれたよね。
ア:めちゃくちゃ可愛い見た目なのにオタクな動作っていうそのギャップが良かったですね。
ーコラボにおいて気をつけたことは?
A:お互いのハーモニーを壊さないよう、相手のテンションにできるだけ合わせるようにしました。JILの場合は、彼らから湧き出てくるものがあったのである程度自由に作ってもらいました。ナンジーの場合は、曲の作り方が私と全く一緒で「次はあの音だよね」「うん」みたいなコミュニケーションで、すぐに完成しました。1から一緒に作っていくのが上手い子でしたね。
ーMagrtが映像を編集する上で意識したことは?
イ:ドキュメンタリーなので、大前提としてしっかりと流れが分かるように構成すること。それと、今回はAAAMYYYとmargtのコラボなので、単なるドキュメントにならないよう速いカット割りにしてみたり、ところどころ僕ららしいテイストを入れ込んでいきました。しっかりドキュメンタリーでありながらも、ユーモアは忘れないよう心がけました。
A:マーゴはNY在住ということもあって海外の方との現場が多いから、変なミーハー感が無い映像になっているんだと思う。そもそもマーゴがJILと関わっていたからこうしてコラボができたんだし、あの現場もマーゴじゃなかったら成立しなかったわけで。
イ:それは僕らも同じで、AAAMYYYとのコラボだからこそ撮れたって思う。この3人じゃないとできなかったよね。
ア:僕らはアーティストと仕事でいきなり関わるより、先に友達になってから仕事を頼まれたりするほうが多くて。すでに気が合った状態で撮影するからああいう映像になるんじゃないかな。
A:結局は「人と人」の現場だったんですよね。(音楽という)同じ場所で、かっこいいことをやってる人が集まって同じバイブスで何かを作るということは、日本じゃない場所でも、どこでだってできるんだなって強く感じました。
ー今回の制作を終えて「A面」に活かせることはありますか?
A:たくさんあります。というか、今回作ったものはフルで応用していけそう。コラボした曲は次のアルバムに入れようと思っているし、本編の映像でMVにもできそうな部分がたくさんある。音としても、映像としてもアウトプットできるものはたくさんあります。
ア:それは絶対あると思う。初めてのドキュメンタリーにしてはかっこよくできたと思うけど「もっとこうすればよかったな」ってあとから出てくるアイデアだってあるから、そういうのをまとめてパート2を作りたい。もう一回NYで撮影だね(笑)。
11月:高岩遼 × ジンベエザメ
“失いかけていたヘドロのような感覚”
ーこのプロジェクトの話が来た時、何を思いましたか?
高岩遼(以下、高岩):嬉しく思ったと同時に、俺で大丈夫かな?と思いました。自分で言うのもアレですが、俺は(今のシーンの中で)浮いてると自負しているので。でも、どうせやるならクソくだらないことをやりたいと思いました。もちろん、最高という意味で。
ー何を軸にプランを考えましたか?
高岩:(他の回で)海外に行ってる人が多かったこともあって、ギリギリまで予算を使わせてもらって、俺の好きな場所に行かせてもらおうかなと考えました。
ー(笑)。
高岩:好きなところで、かっこよく仕事すればいいじゃないかって。あと一つあるのは、他のみんなは感度の良いことをやっているけど、高岩の場合は期待されてるものが違うから「俺×◯◯」でかっこいい何かを作る、ということではないだろうと。そんな考えを軸に、制作チームのみんなと色んなアイデアを考えました。NYに行く、マグロを釣る、ラスベガスで一攫千金、学園モノ、ヒーローモノ……アイデアはたくさん出たんですが、最終的には最近出したソロアルバム『10』につながる企画がいいなという話になって。
ーそれで、ジンベエザメの話が浮上してきた。
高岩:ええ。自分、三陸の出身で18歳まで海で育ったんで、お魚に対して愛着があるんです。地元の宮古市は「鮭の街」ということもあって、福の神とも言われる魚類最大の魚・ジンベエザメに会ってヒット祈願しに行こうじゃないか、という形でようやくまとまりまして。で、調べてもらった結果「野良ジンベエ」がいるのがタイだと。
ーそれで、ジンベエザメには会ったんですか?
高岩:会った気はしました。
ー気はした?
高岩:なんか遠くに尾びれが見えたような気がした、っていうところですか。まぁ、海は広くて深かったっていうことです。あとクラゲに刺されましたね、オオクラゲに。ウェットスーツを着ていても、シュノーケルをはめる部分に隙間が空いてしまうじゃないですか。そこに後ろから張り付かれて。
ー大丈夫だったんですか?
高岩:痛かったですよ。取ってからもジンジンと。でも病院には行かなかったです。クラゲごときで行くかって。
ー今回は編集の段階でも自ら指示を出していたそうですが、どんな部分にこだわりましたか?
高岩:……実は結局、ジンベエザメには会えなかったんです。でも、タイまで行って会えなかったなんて制作チーム的にはマズいから、なんとか会えた形にしようとしていたんですよ。でも、俺は(事実通り)会えなかったというオチにするほうがいいと伝えました。PLAN Bの趣旨は「アーティストのB面」じゃないですか。ステージ上での高岩は、多分バッチリかましている。そんな男が行くぞと言ってタイまで行ったのに、ジンベエザメには会えなかった。会えてないし、クラゲに刺されてお前は何をやってるんだ、っていう。でも、こういうところこそB面っぽさじゃないかと、その感じが良いと思ったわけです。それに、ほぼ初めて会う4人で(タイに)行ったんですが、最終的にすごく良いチームになって帰ってこれたんですよ。全員本当にジンベエサメに会うつもりでいたし、俺以上に悔しがってくれていた。そういう映像チームが高岩の良いところを引き出してくれて、シュールで馬鹿げてるんだけど、どこかパッションがあるような作品になったなと。たくさん学ばせてもらいました。
ー具体的に言うと?
高岩:俺、ロケみたいな収録が初めてで。チームのみんなが高岩と面白いものを撮りたい、作りたいという行動や発言に、プロの技と力を感じたというか。そういうものを見れて、僕自身すごくためになりました。
ーこのプロジェクトを通じて「A面」に活かせることは?
高岩:まず、上京してからほぼ10年経った今、高岩のソロを出せたということは俺にとってプレミアムなことです。そしてこのPLAN Bでもわがままを通させてもらって、いろんな人が高岩のプロジェクトに関わってくれて、こうやって高岩個人に焦点が当たる取材を受けさせてもらえている。これは昔だと考えられないことでした。そんな中で行ったサムイ島ではジンベエザメには会えずに終わったことで、海から「お前なんかちっぽけなんだよ、頑張れ」ってクギを刺されたたような気がしました。そんなに上手く行くはずがない、と。
ー海が教えてくれた。
高岩:はい。嘘ではなく、時には人が溺れてしまうことがあったりするのが海だし、俺にとって(海が)“厳しい親”みたいな存在で。『10』は始まりに過ぎない。お前が見てるビジョンは壮大なんだから、まだまだだと思いなさい」と言われたような気がするんです。タイからの帰りには日本の台風の影響でバンコクの空港に14時間くらい拘束されたりして、もう散々だった。でも、東京に着いた時には、すごく楽しかったなと思えて。奢らずに頑張ろうと旅で思わされたというか「よっしゃ、やったろ」というフィードバックがありました。これは芸術性に活かすというよりは、ステージに立つ高岩や、普段街を歩く俺としての、メンタルの話なんですけど。昔から知っている自然の脅威や、そこで培ったタフさで路上(での演奏)をやることに活きていたんですが、最近そのヘドロのような感覚を失いかけてたかもしれないですね。
ーあのバラエティタッチの映像の裏に、そういう思いがあったのは意外でした。
高岩:奢らないことがすごく大事で、馬鹿げたことをやらしてもらうからこそ、通常の人間の100倍以上考えないとダメだと思っています。感謝を忘れたくないし、ずっとショーマンでいたい。
ー来年の展望を教えてください。
高岩:福の神には会えなかったけど、俺は必ずスターになると思ってるし、やっぱりあいつはやってくれるっていうものを、毎年デカくしていきたい。それがバンドのステージのキャパなのか、音楽性なのか、ビッグバンドの編成がオーケストラになるのか、まだ分からないですけど。2018年のはるか先を行く2019年にしたいと思ってます。
PLAN B
放送局:スペースシャワーTV
放送日時:毎週木曜日21時57分~22時00分(リピート放送あり)
毎月1アーティストをピックアップし、全4回放送
BEAMSのウェブサイトでは各回オンエア終了後に過去の放送番組の視聴が可能。
www.beams.co.jp/special/plan_b/
@planb_mag