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サッカー日本代表 アウェイレプリカユニフォーム半袖
サッカー日本代表 アウェイオーセンティックユニフォーム半袖
サッカーにおいて、真の闘いは圧倒的不利な敵地にこそ。そこではミラクルも悲劇も因縁もつぶさに後世に刻み込まれ、今もネバーエンディングに語り継がれる。『the away』。“アウェイ”にまつわる5ストーリーズ。
1950年7月16日、ブラジルのリオデジャネイロ。20万人以上ともいわれる観衆をのみこんだエスタジオ・ド・マラカナンは、5カ月遅れのカーニバルみたいな熱狂に包まれ、タイトルの予感に沸きたち、そしてある男のゴールによって、静寂と悲しみの底に沈んだ。ある意味では永遠に。アルシデス・ギジャ。サッカー史上最大級のアウェイゴールをスコアしたウルグアイのストライカーだ。
マラカナッソ、あるいはマラカナンの悲劇とも呼ばれるこの逆転劇は、ワールドカップブラジル大会の決勝リーグ最終戦で起きたもの。その衝撃は大きく、試合終了後にはホームの観客の20名が失神。死者までだしてしまった。ブラジルに深く根をおろした悲しみの記憶。ギジャ自身も試合後のスタジアムで、喜びと同時に、大きな悲しみを感じる程だったという。
あるいはもしかしたら、名実ともに世界一のフットボール大国となった現在も、ブラジルにはその記憶に苛まれているのかもしれない。憶えているだろうか。前回大会の準決勝、ブラジル対ドイツの試合を。1ー7、前半だけで0−5。ミネイロンの惨劇。この結果ではない。失点を重ねるたびに混乱し、足が止まり、呆然とするカナリアたち。そして静まっていくスタンド。あの声を失った表情こそがそれだ。
再び目にしたその光景を、ギジャはどう感じたのだろうか。確かな情報を得ることはできなかったが、少なくとも愉快だとは思わなかったはず。彼はウルグアイの勝利のためにプレーしただけで、ブラジルを悲しませるためではなかったのだから。有名な彼の言葉がある。「マラカナンで20万人を黙らせたのは、たった3人しかいない。フランク・シナトラ、ヨハネ・パウロ2世、それから私」。たぶんきっと、ちょっと申し訳なさそうに言ったのではないか。2015年、ギジャは永眠する。奇しくもというか、ふさわしくもというか、日付は7月16日。マラカナッソからちょうど65年目である。
Edit—Satoshi Taguchi, Hideki Goya, Makoto Hongo
Art Direction—Ren Murata(brown:design)