PAPERBACK TRAVELER by Kunichi Nomura
VOL.72 東京発、サンフランシスコ行き HND → SFO

PAPERBACK TRAVELER by Kunichi Nomura
VOL.72 東京発、サンフランシスコ行き HND → SFO

ジェットセットなライフスタイルを送る野村訓市が綴る、EYESCREAM本誌の人気連載「PAPERBACK TRAVELER」の最新エピソードをウェブで特別公開。
東へ西へ世界中を弾丸旅行で飛びまわってきたジェットセッターは、どこにも行けない2020年の春、あの旅の日々がいかに特別なことだったのかをあらためて知る。海の向こうで、夜通し飲み歩き朝まで一緒に騒いだ仲間たちへ想いを馳せ、そして日本がこれからどうなるかじゃなく、これからどうしたいのかを君に問いかける……

VOL.72 東京発、サンフランシスコ行き HND → SFO
そろそろ本当にどんな国にするのか考えなきゃいけない時代なんだ

『極北』マーセル・セロー(中央公論新社)

A Change Is Gonna Come

 考えてみれば随分と頻繁にあちこちと出かけてきた。それはもう旅と呼ぶのも恥ずかしいほど仕事がらみで、ただの出張旅行と呼んだ方がいいのかもしれない。大体が3泊とかの弾丸旅行で、もったいないからと仕事しては夜は現地の友達と飲み歩いて、朝まで騒いできた。この連載も何年もうやったか覚えちゃいないけれど10年は経つと思う。そして俺はこんな生活をもう随分としてきた。最初は自腹の貧乏旅行、途中から格安チケットの取材旅行、そのうちマイルが貯まりまくって勝手にアップグレードされたりするようになった。金持ちが金を持つとどんどんさらに儲かるようになると聞くが、マイルも同じでステータスが上がると貯まる率がよくなり、雪だるま式にマイルが貯まる。まあ、それは置いておくとして、とにかく頻繁に海の向こうにでかけて行った。 

 昔は雑誌の取材が多かった。いろんなところに行ったものだった。そのうち雑誌の景気が悪くなり、もう取材はないかと思っていると、結局違う仕事が入ってきたりするもので、目的は時代と共に変わってもその頻度は変わらなかった。ほぼ1ヶ月に1回。俺はよく外人の友達を連れて東京で飲んだり食ったりしてるから飯屋に詳しいんじゃないか、とくに寿司屋、ということでよく行きつけの寿司屋はどこですかと聞かれる。「どこに連れて行くんですか? 銀座ですか?」はっきりいって銀座は知らない。それどころか行きつけの寿司屋なんてない。まともな寿司屋がやってる時間に飯を食うひまなく働いているし。なので俺の行きつけの寿司屋があるとすれば、昔は成田の寿司屋で、月1で1人で食ったものだった。なんかもしあって帰って来られないとしたら日本で生きてるうちに寿司食いたいという爺さんみたいな発想で。あまりに頻繁に行くので店の兄ちゃんに「飛行機会社の人じゃないですよね?」と話かけられて仲良くなった。たしか8週間連続で食いに行ったときだ。いろんな漬物とかそっと出してくれて嬉しかったなぁ。あの兄ちゃんももう辞めていない。とにかくそんな風にして成田でえらくたくさんの時間を過ごし、ここ最近は羽田で過ごした。羽田じゃつけ麺屋が行きつけなのだが、カウンターで金を払い、ブザーをもらうタイプなので誰ともちっとも仲良くならない。とにかく毎月1回、空港で儀式のように同じものを食べて意気揚々と出かけた。この連載で何度ニューヨークのことを書いたかわからない。サンフランシスコもパリも。ニューヨークの友達には、はっきり言って東京の幼馴染より頻繁に会っていた。いつでも会えるから都合のいいときになんて話していると永遠に都合なんか合わないが、今週3日間だけニューヨークにいると連絡すれば向こうは無理しても時間を作ってくれる。せっかく遠くまで来たんだ、いっちょう飲むかと。逆に彼らや彼らの友達が東京に来るというとどんなに忙しくてももてなしてきた。あたり前だ、もらったものは返さなきゃいけない。もらうばかりじゃ江戸っ子が廃る。そうやって暮らすうちに国境とか時差とかそういうものはどんどん意味を失っていき、世界はどんどん小さいものになってきた。そうした暮らしがいつしか日常になり、当たり前のこととして受け止めてきた。「くんちゃん、よくそんな毎月海外行けるね」「疲れない?」。疲れるっちゃあ疲れるが、飛行機で気絶したり、読めなかった本を読んだりすれば苦じゃなかったし、まぁ毎月ブルートレインで国内出張に出かけてるようなもんだと思っていた。

 それがいかに特別なことだったのかと今になって思う。日本には地震や台風といった天災があった。やってた仕事の景気が悪くなったことも何度もある。けれども東北が地震で止まっているとき、九州は何事もなかったように稼働していた。九州が地震で止まったときも同じ。どこかで何かがあれば被害の少ないどこかが稼働し、どうにか釣り合いを保っていた。仕事の景気が悪いときにはニューヨークの会社から仕事依頼がきた。今回のように同時多発的な災害というのは初めてじゃないだろうか? 影響を受けていない職種などないだろう。景気がいいのはポルノサイトぐらいだとアメリカの友達が言っていた。家にこもった若いやつらは何をしていいかわからずせっせと自家発電しているらしい。

 いつになったらまた旅、いや旅行にいけるのか。日本だけが平常に戻ったとしても相手が同じじゃなきゃ叶わない。俺は今までの幸運を噛みしめるとともに、早くその日が戻ってこないかと考えずにはいられない。それがいつになるのか? 今これを書いてる時点ではわからないけれど。どのくらい会社が潰れたり、職がなくなるのかもわからない。だからそろそろ本当にどんな国にするのか考えなきゃいけない時代なんだと思う。もう、作り変える、くらいの。なんなら明治維新みたいな。藩が県になって和服が洋服になったくらいの。そのくらい変わんないと未来が明るいとはどうにも俺は思えない。だからもし、これを読んでいる読者の中に若い子がいて、「やべーなぁ。バイトどうしようかなぁ」とか「アホな社会だな」くらいにしか現状を思っていないとしたら是非考えて欲しい。与党とか野党とか、言葉ジリをとることでもなくて、やばいんだぞと思うこと。俺たちの国はもう先進国でもなんでもなくて、過去の栄光で食ってる業績斜めの会社みたいなんだということを。

 そんなときにもしかしたら今年最後の海外かもしれないとはつゆ知らずサンフランシスコに行ったのだけど、そのときにマーセル・セローの『極北』が本屋で売っていたので買って読んだ。村上春樹訳だから平置きに置いてあったのだろうけれど、読むと村上訳らしくない、えらく暗い話だった。近未来かどこか時代背景もわからない時代に、ソ連の北極圏に移り住んだ家族の子供を主人公としたディストピア小説というか。エンターテイメントもので映画化もできてしまいそうだが、まぁ核戦争後だか疫病後だか世界の終わりに世界の果てで生きる話。マッドマックスじゃあないけれど、みんなこういう設定が好きだよなぁと普段なら笑って思うのだけれど、なんとなく笑えなかったのは、世の中の雰囲気が変わっていく様を空港で感じたからかな。あからさまに人が減りだし始めたころだった。何があるかわからないというけれど、それは本当なんだなぁと。いつになったら笑って酒を飲んで朝帰りできるようになるのか。飲めたらその一杯をゆっくり、じっくりと飲むよ、神様。

PROFILE

野村訓市

1973年、東京生まれ。大学在学中から世界中を放浪しながらバックパッカー生活を送る。およそ7年間の旅から帰国後、インタビュー雑誌『スプートニク』を編集・刊行し、高い評価を獲得。現在は雑誌での企画・編集・執筆の他、イベントやブランドのディレクション、プロデュース、DJなど多方面に活躍中。また、自身が主宰するTRIPSTERでは、ショップや飲食店の空間プロデュースやインテリア制作も手掛けている。

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