FASHION 2020.07.09

FASHION STYLE CHRONICLE〜今さら聞けないファッションスタイルのヒストリー録〜 Vol.03 HIPHOP STYLE

EYESCREAM編集部
EYESCREAM編集部

“○○リヴァイバル”といった言葉がファッションには付きもの。過去に一世風靡したトレンドが時代を巡って再び流行するのだから、ファッションスタイルのムーブメントは面白いわけだ。ブランドやセレクトショップのニューアイテムの解説でアイビーやプレッピー、モッズやテッズなどなど……よく聞くスタイルの言葉がある。だが、そのスタイルって本当はどんな姿をしていたのか、何となくしかわからないことが多い(ーと思うんですが、そんなことないですか??)。
そこで、ここではスタイリスト、元廣壽文さんに教わり、現在ではスタンダードとなっているファッションスタイルの歴史を辿って、時代背景を振り返りつつ、どんな服装だったのかを探究してみたいと思う。巷でよく聞く○○スタイルが、本当はどんなものだったのかを知る最初の一歩になればいいな、と思う。
FASHION STYLE CHRONICLE〜今さら聞けないファッションスタイルのヒストリー録〜、第3回目にピックアップするのはHIPHOPスタイル。

FASHION STYLE CHRONICLE Vol.03 HIPHOP STYLE

ヒップホップほど変化の激しいファッションカルチャーは他に無いと思います。

1970年代の初め、世間ではまだディスコブームだった頃でしょうか、NYのサウスブロンクスで生まれたそうです。貧困なアフリカ系アメリカ人の若者が公園で街灯電源に繋いだターンテーブルを使ってDJプレイをし、ダンサーが踊り、グラフィックアーティストが腕を披露し、MCがラップする。そんなブロックパーティーと呼ばれる集まりがヒップホップオールドスクールの始まりだと言われています。

オールドスクールといえば、カンゴールのハット・カザールの607・レザージャケット・金色のネックレス・Leeのデニム・ファットレースに変えたadidasかPUMA・女の子はフープピアス、といった感じでしょうか。JAMEL SHABAZZの「BACK IN THE DAYS」にはそんな当時のアンダーグラウンドのリアルなスタイルが納められています。そんなリアルなスタイルでステージ上に上がったのがRUN-D.M.C.です。「Sucker M.C.’s」や「Walk This Way」のビデオクリップでの彼らはいわゆるオールドスクールです。

それまでヒップホップの礎を築いてきたと言われいているAfrika BambaataaやGlandmaster Flash & Furious Five、彼らはどう見ても普段着とは思えない衣装を身に纏っています。どんな意図かは不明ですが、自分たちのアンダーグラウンドな普段着からビジュアルイメージを一新してメディアデビューしてきた訳です。

それがいいか悪いかは別として、ブロックパーティの本場から出てきた彼らが「オシャレ」したのに対し、中流階級と言われるクイーンズ出身のRUN-D.M.C.は「普段着」でメディアに出てきたのです。イメージ戦略の重要性を感じますね。

オールドスクールといえばDapper Danも欠かせないと思います。
数年前にGUCCIとコラボしたことで話題にもなりましたが、元々はハイブランドのブートレグ(海賊版)を専門に扱うテーラーでした。ヒップホップのサンプリングという手法とDapper Danの服作りのマインドがリンクして若者の支持を得て、80年代後半、当時人気のあったスポーツ選手やヒップホップの大物が着用したことで、ブランドとしての地位を確立させました。Eric B. & Rakimが愛用してましたが、「Paid in Full」のジャケ写で彼らの着ているのなんてまさにGUCCIのブートレグですね。

もちろん無許可でハイブランドをサンプリングしていたので、Dapper Danは92年に訴訟を起こされて閉店に追い込まれたのですが、まさかそのハイブランドとコラボする形で復活するとは、わからないものですね。

西のDr.DREやSNOOPDOG、2PAC、東のPUFF DADDYやBIGGIE達が活躍していた90年代、いわゆる太いパンツや大きめのシャツといった、B—BOYでイメージされやすいスタイルが確立されたのはこの頃でしょうか。Karl KANIの広告塔に2PACやBIGGIEが登場していますが、Echo やPHAT FARMといったウエアが日本でも流行ったのは90年代後半くらいでしょうか。またRALPH RAULENやGUESSといったトラディショナルなブランドもこのころのヒップホップアーティスト達には愛用されていました。NETFLIXのHIPHOP EVOLUTIONで当時2PACもキャラクターとのギャップがすごいポロベアーのセーターを着ています。

こういったトラディショナルなブランドをゲットー(黒人貧困街)出身の彼らが着用することにも意味があったようで、それまで高級な洋服店でのお買い物は金を持った白人たちの嗜みでしたが、ヒップホップは自分たちでその地位を高め、敢えてトラッドなブランドを着ることでカウンターカルチャーを表現していたんだと思います。ストリートにRALPH LAURENなどのファッションが取り込まれ始めたのはこの頃からでしょうか。他には当時黒人に差別的だった(今はもちろん違いますが)TIMBERLANDのイエローブーツが流行り、今古着屋でよく見かけるNAUTICAが多く出回っていたのもこの頃です。最近だとMALL BOYZがイメージヴィジュアルでKarl KANIを着てましたね。90年代後半、流行りすぎて地方のヤンキーが着てたイメージのあのブランドを着ているとは、「まさかそこで来るか!?」っていう驚きを感じました。

2000年代に入り、ヒップホップはさらなる変化を遂げます。エレクトロミュージックが流行り、ヒップホップやハウスミュージックがMIXされ始めて、スキニーデニムを履くB-BOYも出て来ました。
Pharrell WilliamsはA BATHING APE®を愛用し、90年代のカウンターカルチャー的なアプローチではなくポップな要素をヒップホップに取り込んできました。この時代から日本のブランドやポップカルチャーがヒップホップアーティストに受け入れられてきました。大物のSNOOP DOGがBILLIONAIRE BOYS CLUBを着てたりするのもありますが、一方90年代以降日本のポップカルチャーのマンガやアニメ、テレビゲームが世界に広まり、それをリアルタイムで経験した海外の若者が今、ヒップホップにスト2やマリオの音をサンプリングするような形で日本のポップカルチャーを取り込んだ表現をしている例もあります。

Pharrell WilliamsがGUCCIのモデルをしたり、Kanye Westがハイブランドとのコラボをしたりとファッションセレブとしての地位を築き、Kanye WestのスタイルアドバイザーをしていたVIRGIL ABLOHはOFF-WHITEでラグジュアリーとストリートのMIXという新しい風を吹き込みました。
近年ではA$AP ROCKYがDIORのモデルを務める、Tyler, The Creatorのファッションスタイルが多くの若者に支持されるといったように、今やファッションカルチャーを作る側の立場としてヒップホップは切り離すことのできない地位にあります。公園から始まったヒップホップが、今では世界を股にかけるカルチャーとして多くの人たちが認めています。近年のファッションカルチャーのムーブメントは、ヒップホップと共にあると言えるのではないでしょうか。


※画像はスタイリスト私物の文献よりスキャン。LP、CDは編集部/スタイリスト私物

Vol.01 IVY STYLE

Vol.02 MODS STYLE

STYLIST PROFILE

元廣壽文

建設会社で約10年間勤務後、30代からファッション業界に転身。2018年にスタイリストとして独立。古着を取り入れたスタイリングを好み、ファッション誌・広告などで活動。

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