オカモトショウ(OKAMOTO’S)
ーまず、ご自身と宇多田ヒカルさんに関するエピソードはなにかありますか?
オカモトショウ:正直、ずっと大好きです(笑)。小1の時は子守唄でしたし、音楽好きになる前から好きで、音楽好きになった後はより大好きになりました。あと、先日やっとお会いすることができました。
ーどうでしたか?
オカモトショウ:初めてだったのでかなり緊張して、宇多田ヒカルフリークぶりを出さないように接しました。
ー大事ですよね、そういうのじゃない!っていう(笑)。さて、一言では言えないと思うんですけど、宇多田ヒカルさんの好きなポイントは?
オカモトショウ:なんだろうな…いわゆるこうやったらポップスで、こうやったら売れる音楽で、こうやったら大勢の人に届くという方程式が、J-popでもアメリカの音楽でも音楽の中に公式として存在するとは思うのですが、それからまったく外れた公式を持った人なので、なんでこういう音楽がこんなに胸に響くんだろうっていう謎な存在ですね。
ーではアルバム聴いてみて、全体を通しての率直な感想はどうでしたか?
オカモトショウ:ヤバかったです。やはり素直に天才だと思いました。
ーヤバさの種類は何でした?
オカモトショウ:エネルギッシュなヤバさでした。前作の『Fantôme』は、暗いところが目いっぱい出ている作品だったと思っていて。そこから一転して、エネルギッシュな感じというか、なんていうのがいいんだろう。なんか今、ものすごく溢れてるんだろうなという印象です。あと自分自身もすごく元気になりました。
ー確かに溢れていますよね。
オカモトショウ:だから歌詞なんかも、少しずつだけ風景の歌詞が出てきますよね、改札や日曜日だったり。でも、ほぼずっと自分の感情の推移についてしか話してないし、歌ってない。こういうことってたぶん宇多田ヒカル史上、あまりなかったはずなんですよ。『traveling』もずっとタクシー運転手との会話だったり。でも、前のアルバムから少しずつそういう感じが増えてきていて、今回それが如実になっていて、なんかもう、(甲本)ヒロトさんの歌詞を聴いている様な気持ちになりました。心を歌ってる人というか。
ーうんうん、またそういうのが始まった、と。
オカモトショウ:そう、新しく始まったんだなという感じがすごくしました。あと、リズムのアルバムですね。かなりリズムとビート。で、譜割、自分の歌のメロディーとリズムと。いかに美しいメロディーかということや、いかにかっこいいメロディーかということが旋律の話だとしたら、音色とリズムだなと。あと、言葉か。その世界にいったんだなという気がしました。
ーやっぱり反応しちゃいますよね、リズムに。
オカモトショウ:してしまいますね。なんかすごく変でした。“変”というのはもちろんいい意味で。たとえば、少しトラップ調の曲なんかもあって、それに歌をのせていても、宇多田ヒカル色が強すぎて、いわゆるトラップをやっているんだということがわからないくらい。でも、そういうチャレンジなんだ、ということはもちろんわかるし、今までにないリズムをベースに、前より譜割とかも自由になった印象があります。
ーなるほど。
オカモトショウ:宇多田さんの譜割りは以前からも自由だったんです。下書きなしで書いている様な言葉の途切れ方、例えば「なんとかし、ない~」といった感じで。普通は、1個のメロディーで1つ言葉を言い切って次にいくっていうことが多い中、昔からそういうことを本当にしない人だったので、そういう意味で自由な人だった。それがさらに、節回しが1周目と2周目と3周目と全部少しずつ違うんです。
ー歌詞は同じ4文字だけど、みたいな感じですかね?
オカモトショウ:そうです!達人の域にいってる感じというか、匠の技を見せられているような。でも、そこが言葉をすごく自然に聴かせる方法として機能しているなと思います。
ーじゃあ、アルバムの中で、特に印象に残っている曲は何ですか?
オカモトショウ:最後の『嫉妬されるべき人生』がすごかったので、それも1つ挙げたいですし、『誓い』はすごいパワーを持った楽曲だなと思いました。何がということを伝えることがまた難しいのですが・・・歌詞もメロディーも全部深いというか。思い返すとぐっと残っていたのがその辺ですね。もちろん全部良かったですが。
しかも、『初恋』の後に『誓い』。すごい流れだなと。こういう精神世界の話というか自分の心象風景ばかりになってきて、現実のものが登場しない歌詞を書き出すと、物凄く抽象的で誰にでも届いているようで届いていない歌というか、聴く側が自分のこととは関係ない歌になりがちな部分があると思っていて。だからこそ宇多田ヒカルさんは自分の目に写ったものをよく歌詞にしていたんだろうなという印象は、風景がよく出てきていたので、それを感じて歌がリアルだなというパワーを感じられることが多かった。今回その具体的なものを何も言わなくても、すごく本人の気持ちを歌っているなという感じが自然とあって。それが本人の人生のどういう場面の、どういうことを歌っているのかまではわからないことが多いですが、きっとこういうことがあったんだろうなっていう。具体的なことは何も言ってないのに、具体的な歌ってすごいなと純粋に思いました。
ー宇多田ヒカルさんの声が楽器であるっていうことで目立っていますけど、普通に聞いてたら変則的なリズムなども注視せず聞き流しちゃうかもしれないですね。
オカモトショウ:そうだと思います。そういう意味で自然というか、前時代的じゃないのがいいですよね。きちんと今の感じを汲み取っている。パッケージングを考えるとき、アレンジングの最後の色づけだったり、そういったことの積み重ねで今の時代らしくしたいと思って作っているんだろうなって。数々のヒットナンバーがありますが、そっちに戻る気は全然ないという姿勢もまたいい。
ーでもそのパッケージ感は残るけど、あのサビよかったよね、といったことはない気もします。
オカモトショウ:確かに(笑)。だからこそメロディーじゃないんですよ、今回は。“あのサビいいよねー”という部分は、やっぱりメロディーのキレイさじゃないですか。『大空で抱きしめて』なんかはそういう作り方で作った楽曲なんだろうなという感じがしますが、ほかの曲達はもはや、サビにずっと同じメロディーというか、たとえば同じ“ド”だったら、“ド”をずっと連打する様なメロディーじゃないですか。それのリズムのもっていき方と、言葉のパワーで曲を作っているんだろうなと・・・かなり新しいと思います(笑)。どうやっているのかは全くわかりませんが。
ー新しくなるんですよね。それからまた、タイトルが『初恋』という…。
オカモトショウ:これはものすごく狙ってますよね(笑)。『First Love』からの『初恋』でしょ。それでジャケも、『First Love』の時は水色がベースに自分の顔だったのに、今回はオレンジがベースに自分の顔。
ー言葉とか、歌詞とか、特に印象に残ってるところはありますか?
オカモトショウ:『誓い』の歌詞の「約束はもうしない そんなの誰かを喜ばすためのもの」という部分はかなりパンチラインだなと思いました。そこまでずっと好きな人、あなたを愛してるということをアルバムでもずっと歌っていて、『初恋』があって『誓い』にいく。それで『誓い』でも、もちろん“あなたを愛してる”ということを歌っていて、ずっと一緒にいたいと言っているのに、「約束はもうしない そんなの誰かを喜ばすためのもの」ってそんな誰かの喜びのために一緒にいるんじゃないということだと思いますが、その言葉のパワーたるや…(笑)。あと、最後の曲のタイトル『嫉妬されるべき人生』自体もすごいパンチラインだなと。
ーちょっとびっくりしちゃいますよね(笑)。
オカモトショウ:今までそういうパワーを持った言葉をあまり使ってきてないと思うんですよね。もう少しどこか考えさせるものだったり、もちろん『光』とかそういう類のものもありますが、言葉の威力がこんなにあるのは初めてじゃないかなと。少し(椎名)林檎さんっぽいです。
ー前回のアルバムと比べて、その違いみたいなのってどう思いますか?
オカモトショウ:前回はとにかくそういう意味でも暗さが際立っていて、それこそジャケもモノクロでしたし、それまでの自分の身辺整理の様な印象が少ししたというか。“あの時私はこうだったよね~”“あの時私はこういう風に思ってたよね”ということが歌われているようなイメージがありましたが、今回「新しく溢れでているの今、私」という、生命力がブワッと花咲いている感じを受けました。しかもそれを「死ぬまで私このままいくわ」と突っ走っていく印象があったり。何でしょうね、女性のパワーって。恋した時の女性のパワーは本当にすごい。変な話、通して聴くのが少し疲れるくらい、エネルギーを当てられるというか。もう、パクチー本当にありがとう、みたいな(笑)そういう意味ではもう本当に俺の勝手な想像ですが、お子さんがだんだん大きくなっていく中で、お子さんとの間で歌っていて思いついたメロディーなのかなと思ったり。昔から『ぼくはくま』にはじまり、ちょこちょこそういった面を出している宇多田さんでしたが、今回もきちんと、そういう楽曲があってよかった。
ーそうですよね、あそこでもう一回いけるってなりますし。
オカモトショウ:なりますね。でも今までも、今まで以上にそういう“みんなのうた”的なテンションのものよりも、“アレンジがすごく泣ける曲”の様なアレンジになっていて、その曲のシリーズとしてまた進化しているなという感じがしてよかった。
ーその文脈、という感じですね。
オカモトショウ:そうです。その枠の中の最新系というか。決して毎回同じことをやってるわけじゃないよっていう。よかったです。
ーオカモトさんも歌詞とか書くし、曲も作ったりするじゃないですか。作り手として宇多田ヒカルさんの手法とか、歌詞でも曲でもいいのですが、何か感じるところってありますか?
オカモトショウ:宇多田さんは、偉大なプロデューサー、ミュージシャン、アレンジャー達に曲をカラフルにしてもらう作業をしてると思うんです。このクレジットを見る限り、毎回様々な人と一緒にレコーディングスタジオで作業をしているんだろうなって。色々なタイプの人とやっている中で、最初から一貫して宇多田ヒカルは、宇多田ヒカルという部分があって、そこのブレのなさはやっぱりすごいなと改めて思います。
歌とメロディーの伴奏であるキーボードや、ギター、ピアノなど、そのピアノと歌がまず入ってる時点で、宇多田ヒカルになるんです。その印象は今回ももちろんありましたし、なんならファーストアルバムが一番その感じが薄かったなと。その宇多田ヒカル感は、自分でプロデュースなどをしはじめてからより濃くなっていった気がしていて。どんなジャンルのビートだろうが、楽器が入っても崩れないというか、“何っぽいよね~”ということがあまりない、その強靭さがすごい。逆に~っぽいものを作ろうと思えば、作れる人なのかという疑問が出てきました。もはや、そう思って作っても宇多田ヒカルになってしまうのではないかと。誰のカバーバンドもできない人というか。
ー確かに。このCDをジャンル分けするとしたら、どこに入れていいかわからないですよね。
オカモトショウ:宇多田ヒカルのCDの隣に置くしかない(笑)。他に置くところがないです。あとこれはレコーディングの人だからということもあるかもしれない。ライブでどうみえるかということよりも、スタジオだからこそ起こりうるミラクルを封じ込めている感じというか、スタジオミュージシャン達とのセッションだったり、なんか“スタジオワークの鬼”というか、なんていうんでしょうね。それが宇多田ヒカル感というものに繋がるのかもしれないですね。録れている音の具合だったり、徹底しているところも、適当だろうなというところも含め、その具合がとても心地いい。だからモノに落とし込まれた時に、具合の良さというか、面白いなと思っています。いやーでも超好きでした(笑)。