INFORMATION
「Old Town Road」で突如世界に現れて以来、ほんの数年で新世代のポップスターとして高い注目を集めるに至ったリル・ナズ・X。2019年のEP「7」を経て満を持して発表されたファースト・アルバム『MONTERO』は、たとえば「INDUSTRY BABY」のMVにみられるように人を食ったような軽やかなユーモアの感覚を残しながらも、ゲイであり黒人のラッパーである自らのアイデンティティ(そもそも『MONTERO』はリル・ナズ・Xの本名、モンテロ・ラマー・ヒルからとったものだ)に向き合い苦闘する、内省的な色合いの濃い一作として高い評価を受け、2022年の第64回グラミー賞では5部門にノミネートされた。
リル・ナズ・X『モンテロ』
その足跡のひとつひとつが世界に変化の可能性を刻み込むようなリル・ナズ・Xの活動のなかで、『MONTERO』はサウンド面でも新しい基準を打ち立てたと言えるのではないか。ミックス・エンジニアとしてヒップホップをベースにBTSなどのK-POPまで数多くのサウンドを手掛けてきたD.O.I.は、同作を高く評価する一人だ。いわく、そのプロダクションは「未来的」で「パラダイムシフト級」。耳に飛び込んでくる鮮やかでキャッチーなサウンドがリル・ナズ・Xの表現を支え、大きなポピュラリティを獲得せしめたことは間違いないが、そのサウンドはどのように新しく、またどのように生み出されたのだろうか。D.O.I.にじっくりとその凄さについて語ってもらった。
ーまず、リル・ナズ・Xというアーティストについて、もともとどのような印象をお持ちでしたか。
「Old Town Road」で登場したときは、リル・ナズ・X自身よりもビートがとても特徴的で注目していました。カントリーというキーワードで紹介されているのに、サンプリングソースがナイン・インチ・ネイルズのめっちゃマニアックなアルバムだったんです。なので「これはカントリーなのか」と思ったんですけど(笑)。ただ、当時はEDMのコード進行がカントリーのものだったこともあり、カントリーの影響が特定のマーケットを超えてポップミュージック全体に及んでいる流れを感じた1曲でした。あと、リル・ナズ・Xはフロウが他のラッパーと比べてめちゃくちゃキャッチー。「Old Town Road」のヒットを受けてリル・ナズ・Xが小学校に訪問して曲を披露する動画を見たら、その場の子どもたちが全員歌っていて。「子供でもわかるくらいキャッチーなフロウなんだ」って衝撃を受けました。
ーネットを通じて買ったタイプビートにラップをのせた「Old Town Road」にはじまるリル・ナズ・Xのキャリアも、EP「7」、『MONTERO』と活動の規模がどんどん大きくなっていきます。
「7」はバンドっぽいサウンドを取り入れたり、いわゆるトラップなどの範疇にないアプローチが面白いEPで、同郷のアウトキャストの影響を感じました。ただ、そのなかでも「Panini」は時代を先取りするような未来的なサウンドの曲で。この「Panini」の先進性が『MONTERO』に引き継がれていると思います。『MONTERO』はとてつもなく未来的なサウンドなんです。
ー「未来的」というのは、具体的にはどういうことなんでしょうか。
サウンドのトーンが尋常じゃなく明るいんですよ。ゲットーっぽいニュアンスのトラップとは違って、左右のステレオ感がワイドでボーカルもめちゃめちゃ明るい。そこに未来的な新しさを感じたんだと思います。1曲目、「MONTERO (Call Me By Your Name)」の時点でサウンドの新しさが際立っている。スパニッシュギターから始まってボーカルが入ってきた瞬間、ボーカルの処理だけで「なにか明らかに違う手法が使われているな」という気がしたんです。
ーD.O.I.さんがサウンド&レコーディング・マガジンに寄せた短評でも、ミックスやサウンドの斬新さについて書かれていましたね。もう少し詳しく伺えますか。
アルバム全体に共通しているのは、ボーカルの中低域をかなり削り、歪みによって倍音を付加して高域を強調していることです。元のサウンドにちょっとした歪みを足すと、びりっとした感じが加わって、音が縁取られてはっきりする。すごくキャッチーに聞こえるんです。ただ、『MONTERO』は一般的に正しいとされている手法ではありえないくらい強調をしていたんですね。それが、これ以降は「あそこまでやってもいいんだな」となった。そういう意味でパラダイムシフト級です。
たとえば、中低域を削りすぎると「声が細い」と言われたりする。でも、『MONTERO』以降は日本のラッパーでももっと中低域を削ってほしいという人がでてきました。リル・ナズ・Xを意識したわけじゃないと思いますが、たとえばJJJくんも中低域を削ってくれってよく言うんです。直接『MONTERO』が影響しているかはともかく、こうしたサウンドの感性はいまやいろんなラッパーの方に浸透しているのかもしれません。
ーラッパーにとって、声がどのように響くのは重要なポイントです。ラッパーがそういうサウンドを求めているということは、まさに「いま」の感覚にフィットしているんでしょうね。
そうだと思います。ボーカルのトーンは時代感を決める結構大きいところで。昔の音楽は結構くぐもっていたのが、いまはだんだん明るくなってきている。それに合わせて、昔なら「これ歪んでない?」と言われるようなこともいまは大丈夫とされるようになったり。正解が時代とともに変わっているんです。『MONTERO』は、あの時点で一番新しい処理だなと思いました。
ーちなみに、リル・ナズ・X自身の声にはどんな特徴がありますか。
昔、いまみたいに歪みをプラグインでコントロールできないときも、地声でそんな音を出せる人がいたんですよ。自分の喉で倍音、歪成分をつけられているということです。すると、他の人の声よりも一歩近く聞こえる。そういう人は確実に売れるといわれていました。リル・ナズ・Xはまさにその「売れる声」。もともと倍音が多いうえ、そこに後から歪みを足して、さらに強調するために余分な中低域をカットして、ビリビリくる成分だけにしているから、もうマシマシなんです。
ーここまで主にボーカルについてお話いただきましたが、さらに各曲について深掘りしていきたいと思います。特に興味深かった曲はありますか。
やっぱり「MONTERO」がすごく印象的でした。通常、ああいったスパニッシュギターを使ったような楽曲はもっとオーガニックになるはず。構造をみても、スパニッシュギターがメインで、目新しい要素はないんです。なのに、時代を先駆けた未来っぽさが感じられる。マスタリングのクリス・ゲリンジャーやミックスのサーバン・ゲネアは、どちらも繊細ですっきりした方向性のサウンドをつくる方です。たとえばクリス・ゲリンジャーはK-POPの仕事も多く、めちゃくちゃ高域が上がっていてソリッドな質感が得意。そんなクリスとサーバンのケミストリーがすごく高いレベルで起こっている。
ーたしかに、アタック感の強いスパニッシュギターの音が、プラック系のシンセのようにビビッドに響いていますね。
なにより、すごい歪ませ方をしている。トラップ以降、TR-808の低いベースを低音が鳴らない小さいスピーカーでも聴かせるため、歪みがテクニックとして重要視されています。そんな808の処理で鍛えられた歪み感が、808以外の要素にも活かされている。そのおかげで、この曲のスパニッシュギターなどさまざまな要素が「次のサウンド」を感じさせるものになっているんだと思います。
ー他にはいかがでしょう。
「INDUSTRY BABY」は、カニエ・ウェストとTake A Daytripの共同プロデュースなんですが、クレジットを見ると生でホーンセクションを録音している。おそらくサンプルがもともとあって、そこに重ねているはずです。フレーズ自体はずっと一緒なのに、音の種類を変えることによってバリエーションをつけているのが面白い。ただ、この曲はさっき言った明るさが少ない。カニエが絡んでいるからローファイ感があるニュアンスを出したかったのかもしれません。他の曲と比べて低域から高域までのレンジ感が狭い曲ですね。
このアルバムが面白いのは、曲によってマスタリング・エンジニアが結構違っていること。通常、アルバムのマスタリングは一人のエンジニアが担当します。スケジュールの都合で、先にマスタリングを済ませてあるシングル曲だけエンジニアが違っている場合もあるんですが、『MONTERO』は全然違う。アメリカの普通のアルバム制作における大原則として、アルバムのトーンは統一するものだと思います。それが今回は無視されている。「INDUSTRY BABY」も、他と比べてここまでレンジ感が違っていいのかと思ってしまうほどです。いい意味で、ひとつひとつの曲が乖離している。そのおかげでアルバムが遊園地っぽくなっているというか。アルバムを流れで聴くというよりは、あっちからこっちから色んな角度で曲がやってくるみたいな感じで、楽しいですね。
ーサウンドだけではなくジャンル感も全然違って、なかには「VOID」のようにグランジっぽい曲もありますね。
「VOID」はボーカルの処理こそ他の曲と共通していますが、全体の周波数のバランスでいうとめちゃくちゃ薄いし軽い。現代のアメリカで主流のトラップをベースにした楽曲に比べて地味です。その地味さがいい感じに働いて、音にパンチがないからこそ刹那的に聴こえる。2020年代のローファイというか、XXXテンタシオンとか若い世代のローファイ感のオマージュみたいになっていると思いました。この曲に参加しているジョン・カニンガムは、XXXテンタシオン『?』の多くの楽曲をプロデュースした方でもあります。
あと挙げるなら、4曲目の「THAT’S WHAT I WANT」。これはプロデューサーだけで「勝ってる」と思いました。というのも、これってザ・キッド・ラロイ&ジャスティン・ビーバー「STAY」とほぼ同じ作家陣なんです。KBeaZy、ブレイク・スレトキン、オマー・フェディらが連名でクレジットされていますが、このうちブレイク・スレトキン、オマー・フェディにカシミア・キャットとチャーリー・プースを足すと「STAY」になる。また、KBeaZy、ブレイク・スレトキン、オマー・フェディの3人は24kゴールデン「Mood feat. iann dior」というヒット曲の作家陣でもあります。ある意味、大ヒットを狙うなら外せない、「フルパワーで攻めよう」というときの人選なんです。実際、この曲はリフの感じをはじめ売れる要素が満載です。ミックスはサーバンで、マスタリングがランディ・メリル。ランディはクリス・ゲリンジャーとは少し違って、もうちょっとナチュラルな音です。おかげで、ボーカルの倍音のびりびり感や高域の明るさがある一方で、中域の情報量があって完成度が高くなっています。
ープロデュース陣からミキシング、マスタリングまでが噛み合った一曲なんですね。
絶対外せないときには、ヒットのポテンシャルを持っている人に預けるのが正しい。その時代時代で人選は変わっていきますが、調子がいい人ってなにやっても調子がいい。勝手に当たっていく。この曲に関しては完全にそうだと思いますね。
ー楽曲だけではなく、『MONTERO』収録曲の大半を担当しているマニー・マロクィンとサーバン・ゲネアという二人のエンジニアについてもお話を伺いたいと思います。それぞれ、どのような特徴のあるエンジニアなのでしょうか。
ここ20年くらい、いいと思ったミックスのクレジットを確認すると、8割以上がマニー・マロクィンなんです。突飛なことはそんなにしていなくて、普通にいい。でも、実はそれが一番難しい。ギミックで他と差別化するのは、手法さえ知っていれば簡単ですから。また、「音が太い」という表現がよくありますが、彼のサウンドは本当に「太い」と思います。中低域のリッチ感が段違いなんです。普通だったらここまで強調するともっさりしてスピード感がなくなりそうなのに、そうした欠点がない。もう横綱相撲です。すべての要素がかみ合って、まるでバンドがその場で演奏しているみたいに感じるんです。それを感じるのはマニー・マロクィンくらい。他には本当にいません。
ーサーバン・ゲネアはいかがですか。
ザ・ネプチューンズが出てきたときに、なんていう音なんだろうと思って。そのサウンドを手掛けていたのがサーバン・ゲネアでした。衝撃を受けて、彼が秘密兵器として使っていたとある機材をわざわざ海外で探して買ったくらいです。サーバンは、テイラー・スウィフトなどのサウンドを聴いてもらうとわかりやすいですが、めちゃくちゃ軽やかで心地よさがある。かといって、ローエンドがすかすかになっているわけではなく、しっかりローがある。ポップスの周波数の黄金比を見つけちゃった人なんじゃないかと思います。
二人とも、自分のカラーを持ちつつ、常に時代にあわせてアップデートしている。通常だったら名人芸になってカラーが固まってしまいかねないのに、ちょっとずつ変化している。時代によって味を少しずつ改良する、老舗のラーメン屋さんみたいな感じですね。アメリカのTOP40級のヒット曲を手掛けているのはほんの数人のエンジニアだと言われています。時代ごとに、その数人の顔ぶれが少しずつ変わっていく。その意味でいうと、この競争が激しいミックス・エンジニアという業界で、20年そのポジションにいられるというだけでとんでもないことなんです。自分も同業なのでわかるんですが、Aクラスのクライアントを扱っているとオーダーもすごく増えてしまって、次のAクラスを担う新人たちを扱えなくなってくる。クライアントの世代交代にあわせて、時代とともにエンジニアも新陳代謝していくことになります。でも、常にこの二人はそのときどきのAクラスのクライアントと仕事をしている。
ーまさにリル・ナズ・Xもほんの数年前にデビューした若手のポップスターですね。
おそらく、『MONTERO』のサウンドをつくるにあたってリル・ナズ・XやTake A Daytripの意向も多かったはずです。そこを吸収して自分の仕事をしているのが、彼らのすごいところ。変にエゴを出して我を貫くと凡庸なサウンドになってしまうかもしれない。柔軟に新しい人の意見を尊重できる人たちなんです。あきらかにこれまでの仕事とは違うサウンド感ですから。
ー『MONTERO』には他にもミキシングエンジニアが参加していますが、注目されている方はいらっしゃいますか。
二人います。ジョン・カステリはザ・キッド・ラロイ「Without You」やディスクロージャーがプロデュースしたカリード「Talk」のミックスを手掛けていて。曲にヒットポテンシャルを付加できる、いい感じの質感をつくりだせる方です。もう一人はトム・エルムハースト。この人はすでに大御所で、アデルのファースト・アルバムなどを手掛けた方。「Sound on Sound」というエンジニア向けの英語メディアにインタビューが載ったり、音楽制作のノウハウを学べるオンラインコミュニティ「Mix with the Masters」にもよく登場しているので、手法はかなり研究しましたね。
ー『MONTERO』は新人であるリル・ナズ・Xがここにきてポップスターとしての華やかさを一気に増したアルバムだと思っていたんですが、お話を伺って、サウンドの力も大きな役割を果たしていたのだと感じました。
はい。「サウンドの話をしても、聴いている人は細かいことまでわからないんじゃないか」という人もいますが、ぱっと聞きの新しさとか古さはまさにそこに出るんですよね。繰り返しになっちゃいますけど、『MONTERO』は1曲目のイントロがかかってボーカルが入った瞬間に、そのサウンドに「新しいなにかが始まる」と感じられた。それだけで「これは最後まで聴こう」って思わされるアルバムですね。