CULTURE 2018.01.05

〜アメリカの 女性作家 たちが 咲かせる 多様な花〜アメリカ文学を読むんじゃなく、遊ぶのなら。

EYESCREAM編集部
EYESCREAM編集部
Text—Madoka Yamasaki Edit—Shigemitsu Araki

今、あえてアメリカの女性作家に特化して
ここで取り上げる意味とは?
山崎まどか氏が、女性だけに付随する歴史/文化を通して、
彼女たちが実らせてきたものは何かを語る。

今時、アメリカ文学だろうと他の国のものだろうと、男性作家と女性作家を分けて
語ることになんか意味があるだろうか。

きっとそういう意見もあると思うけど、意識的に取り上げないと女性作家の功績は見えてこないことが多い。今年の三月、女性史月間におけるオハイオ州クリーブランドのとある書店の試みが話題となった。書棚にある男性作家の本の背表紙を全部裏返しに差し込んだのだ。そうして明らかになったのは、書店にある女性作家の本がいかに少ないかという事実だった。
 
もうひとつ、女性の作家を分けて取り上げることに意味があるとしたら、女性だけに付随する歴史/文化を無視して彼女たちの作品を語ることが出来ないという点である。ピューリッツァー賞の受賞者であるイーディス・ウォートンの作品は、彼女が所属していた19世紀末の上流階級における女性の立場や生き方という要素抜きには語れないものだ。狭量な人々の目とコルセットの中で押しつぶされそうな真意を描いた彼女の作品が、一度はアメリカ文学史に埋もれて、20世紀後半になってもう一度浮上してきたという事実は興味深い。ウォートンの小説は「取るに足らないこと」を取り上げていると思われていたのだ。でもそれは、誰にとっての「取るに足らないこと」なのだろう。
 
女性作家たちが男性作家に与えた影響についても、看過出来ない。スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』の語りかけるような文体は、19世紀後半のネブラスカを舞台にしたウィラ・キャザーの『マイ・アントニーア』を意識したものだ。トルーマン・カポーティの作風は、彼と同じく南部の出身であるカーソン・マッカラーズやフラナリー・オコナーと切り離して考えることは出来ない。昨年、ノンフィクション作家のゲイ・タリーズは「自分に影響を与えた女性作家など一人もいない」と言って物議を醸したが、文学的なノンフィクションを書く作家としてのジョーン・ディディオンの名声は大きくなる一方だ。ミステリーやサスペンスの分野に目を向ければシャーリィ・ジャクソンやパトリシア・ハイスミスがいる。現代の黒人文学はトニ・モリソン抜きには語れないものだ。詩人で自伝的な小説『ベル・ジャー』でも知られるシルヴィア・プラスや、風刺の効いたエッセイや短編を書いたドロシー・パーカーなど、アイコン的な女性作家たちの道のりを辿るだけで、アメリカ文学の豊かな地図が広がってくる。
 
そうした女性のアメリカ文学史を背景にした現代の女性作家たちは、大輪の花を咲かせている。その中でも私が好きで、いつも動向が気になる作家たちを何人か挙げておきたい。

Joyce Carol Oates

Photo/Getty Images

Donna Tartt

Photo/Getty Images

60年代にデビューしたジョイス・キャロル・オーツは近年、最もノーベル文学賞に近い場所にいるアメリカの女性作家として紹介されることが多い。七十代の終わりになった今も精力的な活動を続けていて、小説、詩、エッセイ、戯曲など様々な形態で作品を発表している。小説だけをとっても、ミステリー、ホラー、ヤングアダルトなど分野が多岐にわたる。あまりに作品数が多くて翻訳
も少ないため、そのステイタスの大きさが日本から見えにくいところもあったが、最近は『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』『邪眼:うまくいかない愛をめぐる4つの中編』などの短編・中編集が翻訳されて、その独特のダークな魅力が改めて新しい読者に知られつつある。『黙約』でデビューして以来、十年に一作というゆっくりとしたペースで大作を発表してきたドナ・タートは、女性作家という枠組みを超えたところから見てもスケールの大きな作家である。日本では四巻に分けて発売された『ゴールドフィンチ』は現代のニューヨークが舞台でありながら、まるでディケンズの小説であるかのような堂々たる名作の風格があった。

Karen Russell

Photo/Getty Images

カレン・ラッセル、ケリー・リンク、エイミー・ベンダーといった、SFともファンタジーとも違う、現実と幻想が重なり合うような浮遊感のある不思議な作品を書く作家が多いのも、現代アメリカ文学の特徴の一つである。

Miranda July

Photo/Getty Images

女性作家は様々なバックボーンを持って現れる。ミランダ・ジュライは映像作品やインスタレーションのアーティストとして活動を始めた。小説は彼女の表現手段の一つだが、人の孤独をユニークな形で軽やかに描くジュライの作品世界は唯一無二のものだ。

Ruth Ozeki

Photo/Getty Images

アメリカ文学の大きな特徴の一つに、様々な国から渡ってきた移民たち独自の文化を背景にした多様なボイスがある。ベンガル系インド人の移民二世であるジュンパ・ラヒリの筆によって、アメリカに暮らすインド系の人々の物語はポピュラーなものとなった。ラヒリのそれは自伝的なものだが、日系アメリカ人であり曹洞宗の僧侶でもあるルース・オゼキの自分のバックグラウンドへのアプローチはまたユニークだ。彼女の『あるときの物語』は、日本の中学生の日記が、巡り巡ってカナダの孤島にたどり着いたところから物語が始まる。

Jhumpa Lahiri

Photo/Getty Images

Chimamanda Ngozi Adichie

Photo/Getty Images

現代の「アメリカ文学」を構成する作家たちが、アメリカ出身とは限らない。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェはナイジェリア出身。19歳でアメリカに渡ってきた移民作家である。代表作の長編『半分のぼった黄色い月』はナイジェリアのビアフラ戦争を背景にした物語であり、『アメリカーナ』はアメリカとイギリス、それぞれ別の国に渡ったナイジェリア出身の若者たちが故郷を離れてアイデンティティを模索するストーリーだが、どちらもロマンスの物語でもあって、恋愛小説としての吸引力が彼女の作品を特別なものにしている。アクティビストとしての側面も大きく、彼女の
TEDトークの講演を元にした『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』は新しいフェミニズムのバイブルとして国内外でベストセラーとなった。その影響力の大きさは計り知れない。

エリザベス・ストラウトの小説を読んでいると、ニューイングランドの労働階級から中流階級の人々の暮らしの中に隠されたドラマが分かってくる。そのきめ細やかさはもはや名人芸の域に達していると言っていい。

Maggie Nelson

Photo/Getty Images

そして来年、日本でも翻訳版が出版予定のマギー・ネルソンの『アルゴノーツ』を読むと、文学というものの境界が大きく広がっているのを感じる。性が流動的なパートナーとの関係性をベースとして書かれたこの作品は、私小説であり、ノンフィクションであり、同時にカルチュラル・スタディーズの本でもある。セクシャリティやジェンダーが多様化している時代においては、作品のジャンルも曖昧で、より豊かで、複雑なものになっているのかもしれない。「女性作家」「小説」という枠組み自体で語れない作品も生まれてきているからこそ、ここで女性作家たちの紡いできた物語を振り返ってみたいという気持ちもある。
 
アメリカ文学の女性作家の世界は豊かで奥が深く、多様性に満ちているが、私の視点から見える作家や作品はまだまだ限られている。きっとこれからも、新しい作家たちが新しい物語を運んでやってくるだろう。

PROFILE

Madoka Yamazaki

山崎まどか
コラムニスト。著書に「女子とニューヨーク」「オリーブ少女ライフ」、共著に「ヤングアダルトU.S.A.」、翻訳書に「愛を返品した男」「ありがちな女じゃない」等がある。

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