日々映画を作っていく中で忙殺され、失われていく大切なはずの記憶の数々。本連載は映画監督・藤井道人が映画や人、言葉、その瞬間を保管しておくための企画である。「生きていく上で忘れてしまうだろう記憶たちの集積場」をテーマに、様々な出会いを通して、映画が作られていく過程や、映画業界の改善に向かっている様を伝えていく「けむりのまち -Fake town-」。
第二十一回は対談編。相手は日本大学芸術学部映画学科の先輩・後輩の関係にあたる山田智和。互いに、BABEL LABELとTOKYO FILMを束ねる監督として、今の国内映画業界・映像業界を牽引する存在だ。
そんな監督の2人というアツ過ぎる対談で語られたのは、これまでの繋がりや過去のこと、監督としてどう作品に向き合うのか、ということ。場所は新宿のカフェ&バー、カオス。
人生初の映像の現場は“藤井道人”
藤井道人(以下、藤井):実は大学が一緒なんだよね。日大の先輩後輩っていう仲で。
山田智和(以下、山田):意外と知られてないけど本当にそうなんですよね。大学に入学して3日目くらいに藤井さんと出会って。映画学科に入学して「映画サークルにでも入ろうかな」なんて思って、構内を回っていたら、藤井さんと山田さん(BABEL LABEL代表 山田久人)がいて、明らかに周囲のサークルとは違う異質な空気を放っていました。そしたら「映画、作らない? GWに現場があるから」って声をかけられて。当時の自分は『もう映画の現場に行けるの?』なんて思いましたね。<人生初の映像の現場は藤井道人>っていうのは、ちゃんと言っておきたいことです。
藤井:そっか、初現場になっちゃったわけだよね。当時は予算なんてなかったから、とりあえず学生を起用するしかなくて。それで右も左も知らない智和をそのまま現場に引き込んでっていう感じだったね。
山田:そのときから、藤井さんは他の学生と見ている角度が違っていて、もうプロの世界にいましたよね。そんな人が最初に自分に声をかけてくれたんだから、かなりラッキーだったと思いますよ。まぁ、大学で友達とワイワイやりながら自主映画を作って飲み会をやってっていう、青春を謳歌するようなことも、ちょっとはやりたかったですけど(笑)。
藤井:そんなの全然やらなかったでしょ(笑)。当時、自分たちがもっと盛り上げようみたいな気持ちがあったんだよね。ワークショップを始めたり、後輩に「こんな現場がありますよ」なんてことを紹介したり。そういうのは自分たちの代で始めて、結果的に下の代がどんどん出世しているわけだからよかったんじゃないかなと。そこでいくと、智和は卒業してからのルートが途中まで自分と似ているんだよね。どこかに就職することなくフリーランスになって、短編映像を作って賞を取ったり、その実力が買われてWEB CMのディレクターをやったり。そんな風に独学でいった人は他にあまりいないんじゃないかな?
山田:たしかに。藤井さんもそうでしょうけど、僕もあまり学校には行かず映像の現場にいたんですよ。なんとなくですけど、藤井さんの世代を見て育っているので感化されていた部分があったんです。『就職しなくてもいけんじゃない?』みたいな感覚があったというか。
藤井:そう思うと、智和世代の就職率を著しく下げた責任が、自分たちの代にあるのかもしれない。「BABELがいけるんだからいけんじゃない?」みたいな。
一同:(笑)。
山田:でも、藤井さんにはワークショップとかでお世話になっていたし、山田さんにはアルバイトで呼んでもらったりしたし、志真(BABEL LABEL 志真健太郎)さんに編集教えてもらったりとか、BABELの皆さんには卒業してからも随分助けてもらいました。
藤井:それが、今や“世界の山田智和”じゃない。今の若い世代にとってリファレンスにされているのが智和の映像だと思う。俺たちもまずは憧れの監督の模倣から入っていったけど、その立ち位置に智和がいるっていうのは、身内としてもすごく誇らしいことだね。で、どうするの? そんな顔もよくて、映像もカッコよくて、オシャレをほしいままにするような感じでさ。
山田:そこまでほめられるってことは、何か裏があるって思っちゃうんですけど……。
一同:(笑)。
映画が才能の高い人を押さえつける存在になってはいけない
藤井:20代の頃はどうだった? 俺はBABEL LABELで、智和はTOKYO FILMを主宰して、お互いに組織をまとめる立場にいるから、だんだん一緒にやる機会もなくなっていったじゃない。自分の場合、今が忙しくて昔の記憶がポロポロこぼれ落ちてしまっているんだけど。
山田:本当にがむしゃらにやっていましたね。何でもやっていく中で、自分が評価されたり、得意とするゾーンがなんとなくわかってきて。それが音楽の映像だったというか。いわゆるビジュアル表現だと自分は前向きに進むことができて、20代ギリギリで世間が映像監督として認めてくれるようになった感じです。よく、カッコいい仕事ばっかりやっているように思われることがあるんですけど、実際は全然違うというか、けっこうエグかったですね(笑)。藤井さんも大学を卒業する前から今までずっと忙しいですよね。
藤井:うん、あんまり変わっていない。
山田:そっか、規模感が大きくなっているけど、最初に僕が行かせてもらった現場でやっていることと、やっていることは、多分そんなに変わっていないんですね。周囲にいるのは当時から共通している人が多いから。
藤井:そうだね。でも、最近さ。初めてのスタッフがめっちゃ多い現場があって、終わった後に20代のスタッフから「藤井さんは、話に聞いていた50倍優しかったです」って言われて。
一同:(爆)。
藤井:みんなが「めちゃくちゃ怖いよ」って言うらしいんだよね。<川上くん(写真家、撮影監督の川上智之)が藤井組の映画をやった後は激痩せしていた>みたいな、誇張した話が面白半分で広まったり(笑)。今は全然優しく接しているはずなんだけどね。そりゃ、昔は今よりストイックな部分もあったし、うまくいかずにやり直すことも多かったから。
山田:やっぱり20代の頃と戦い方は変わりました?
藤井:そうだね。怒っても何も解決しないってことがわかっているから。作品の導き方が変わったのかもしれない。20代の頃は気合い重視だったりしたから。だけど、映画の現場は長くて2ヶ月くらいずっと一緒にいるでしょ。そうなると、やっぱり嫌いな人を作らない方がいいし、そもそも、そういう環境にしないってことが1番大事だったりするから。
山田:そんな風に、藤井さんて怖いんじゃないかとか、藤井映画といえばこう、みたいに、周囲はいろいろと構えてくるわけじゃないですか。それを毎回どうやって乗り越えているんですか?
藤井:いい意味で周りを気にしないようになってきたね。映画は俺たちが悩んで悩んで悩み抜いた画の連続で成立しているものだけど、それを数字や星の数で評価されるわけじゃん。そんなのをいちいち真に受けてると傷つくから(笑)。昔は評価されたくてエゴサとかしていたけど、最近はお好きにどうぞって。そういう話題の対象にされる立場にいるわけだし、仕方ないよねって思うようにしていて。
山田:自分からすると、映画が自由だと思って映画学科に入って映画業界に入ろうとしたら、実はそうじゃなかったってことを大人になって感じた部分があったんですよ。だったら、自由に表現できるところにいたいと考えるし、距離感が難しいから自主制作映画しかできないっていうか。そこを藤井さんは切り拓いて、インディーズに固執することなく、ちゃんとメジャーの世界でエンターテイメント性のある表現しているのがすごいと思うんです。
藤井:メジャー映画ってさ、がんじがらめのことが多いじゃない。「こうなんです」って予め決まっている、みたいな。
山田:ありますね。
藤井:それは変だな、おかしいなって思ったときに出会ったのが、スターサンズの河村さん(スターサンズ元代表 河村光庸)で、あの人にすごくいいタイミングで出会えたから、今も自分の主張を通しながらやれているし、その分、「やっぱり藤井は面倒くさい」って言われているかもしれない。だけど、それで守れるものが増えたんだよね。
山田:作品もそうなんですけど、藤井さんの向き合い方に作り手側が感化されている気がするんです。日大卒の子とか、なんかすごくいい目をしているんですよ。例え、違う分野にいる子であったとしても、藤井さんたち、BABELがやってきたことに、次世代の子は励まされているんじゃないかなって。
藤井:俺らも大人になって、智和みたいなクリエイターを失望させたくないっていうのはけっこうあるんだよ。映画が、才能やクリエイティビティの高い人たちを押さえつける存在になってはいけないって思う。ビジネスだからって理由で、大人たちに夢をクシャクシャにさせられた人を見ているともったいないなって思うんだよね。自分たちがメジャーに居続けることで、メジャーっていいところなんですよってことを伝えつつ、逆に下の世代の刺激になっていればいいかなって思う。
山田:すごく刺激になっていると思いますよ。
純粋なモノ作りを感じた 嘘がいらない世界
藤井:智和は東宝でデビュー作(映画『四月になれば彼女は』)をやってみて、総括するとどうだった?
山田:表現の幅として、こんなにも可能性があるメディアなんだなってことを再認識しましたね。約2時間の間で人の一生を描くチャンスがあって、映像も音楽もファッションもあって。これまで自分がやってきたことの先にある世界でした。自分の演出のジャッジも、もっとセルフィッシュなものになると思っていたけど実際にはそうならなかったですね。ストーリーや役者、スタッフにとって大事なことがあったし、純粋なもの作りを感じました。うまく言葉にできないんですけど、嘘がいらない世界があったと思います。大変なことも多かったし、考え方を変えなくてはいけないことも多々ありましたけど、『それって何のため?』って考えると、100%本気で「作品のため」って答えられる感じがあるというか。例えば、MVだったら、アーティストのためだったりする部分もありますからね。
藤井:そうね、MVの主役は音楽だったりするから。
山田:人間と物語がもっとも大事で、そこにみんなが向かうっていう環境がこんなにも整っているんだなって。自分が目指した世界が存在していることを知れて希望になりました。だからこそ、自分が本当に何をやりたいのかっていうのが明確じゃないといけないし、そうでないと責任が持てない。そこのところでいうと、藤井さんはオリジナルの物語を作って形にして公開しているってところが本当にすごいと思いました。今回、なかなかうまくいかなくて何回もやり直した部分も実際にあったので。
藤井:でも、これって好きだからできることなんだよね。5分おきに起きるすべてに対して選択をしていく仕事なんて、そんなにないから。だから楽しいよね。プロデューサーになんて言葉をかけるのが正解か。それはカメラマンにもそう。言葉の選定から決断のタイミングまですべてに責任があるのが監督の仕事っていうかさ。
山田:そうですね。だから今回の件はありがたい話でしたけど、今後は自分で企画して形にしていかないとなって。楽しい世界だけど、その分の厳しさがあって、自分がどういうスタンスで向き合うのかが大事だと思いました。
半分冗談・半分本気でマーベルを撮りたい
藤井:じゃあ、次はどうしたいとか。そういうことはもう考えている?
山田:やっぱりオリジナルをやりたいと思っていて。まだシナリオもできていないんですけど、今のこの東京の感覚だったりとかを、30代のうちに残したいとは思っていて。
藤井:俺たちは20代の頃から、どっちかというと批評的な目線で、街と自分、時代と自分っていうのを大きなテーマにして、それを大事にしながら撮っていたよね。特に新宿、中野なんて街はどんどん変わっていくわけじゃん。だから、すごく智和に共感するんだよね。
山田:僕も勝手にシンパシーを感じています。藤井さんに一貫しているのは、街でどう在るのかっていう視点で、そこがどの作品も変わっていないのがすごいなって。人間も街も好きじゃないと、そこにスポットライトを向けてセリフを書かないわけじゃないですか。
藤井:そうね。いつまでその感覚があるのかを考えると怖いもん。最近だと、『パレード』を書ききった時に、インディーズ時代の仲間から「藤井ちゃん、やっぱり変わらないな」って言われて、それが恥ずかしくもあり嬉しくもある、みたいな。いつまで、朝日に自分の感情が重なったり、浮遊している青年に自分を重ねたりすることができるんだろうって恐怖がめちゃくちゃあって。作品選びとかも、どこか父性が付いてきているというか。自分が若手じゃないことを自覚したからかもしれないけど、エンタメの拡張とか、社会的義務みたいなものが自分の中に混じってきている自覚がある。
山田:その義務感みたいなものが、逆に藤井さんに自由を与えているなって勝手に思っています。なんか楽しそうだなって。
藤井:無茶ぶりだけどね、毎回。でも、難題に向き合う方がアガる性質だから(笑)。
山田:実際、いつまで行けそうですか?
藤井:2027年で1回、監督人生の幕を閉じようと思っているんだよね。というのも、河村(光庸)さんの遺言企画が2027年まであるから、そこまで頑張ろうって。2028年からは今のところ空けている状態。逆に海外には興味があるから、韓国とか台湾とかアジアの各国で稽古したいなって気持ちかな。
山田:その2027年までのざっくりとしたプランはどういう感じなんですか?
藤井:来年はね、上下(半期)2本。プロデュース作品が、数本という感じ。意図的にプロデュース作品を増やしていて。2026、2027年も似たような動きをしつつ、ドラマシリーズをやって海外作品に挑戦。あとは、河村さんの企画かな。基本的には、今やっていることの拡張なんだけど、最近は「将来、どうなりたいんですか?」って聞かれた時に、半分冗談、半分本気でマーベル撮りたいって言ってるんだよ。日本でやるにしても超大型のエンタメ作品とかやってみたいし。ダサいとかカッコいいって話ではなく、観客の分母をいかにして増やすかってことを日本人でやっている人が少ないからトライしたい。
山田:マーベル! いいですね。たしかに、藤井さんにはアメリカのアカデミー賞を狙いにいってほしい。
藤井:いきたい、いきたい、本当に。50歳くらいになったら、そこら辺を目標にしたいな。40代は多分もっと戦わなきゃいけないから。智和はどうしていきたいと思っている?
山田:2、3年に1本は映画を撮れたらいいな、と。さっきもお話しましたけど、次はオリジナルをやるって決めたんですよ。そしたら、意外とやりたい原作ものが出てきちゃって。
藤井:そういうのあるよね(笑)。
山田:そうなんです(笑)。まずはそれをやって、その後に少しずつ増やしていこうと思っているところです。
藤井:是非、プロデュースをやらせてくださいよ。
山田:いやぁ、もう。まだプロットまでいってないので。
藤井:でも、本当にね。今までチャレンジャーだったのが、もうチェンジャーにならないといけないね。智和も俺も、切磋琢磨しながらやっていけたらいいね。
山田:本当にそうですね。自分ももう少し作品が増えていったときに、さっき藤井さんは冗談でプロデュースする話をしてくれましけど、サークルの時のように、いろんな形で合流できるといいなと思います。
※本連載にて、藤井道人監督への質問を募集。
監督が一問一答形式でお答えするので、
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