DJ DYE(THA BLUE HERB) × Ren Yokoiの交わすDJ論:Motivators Vol.07

photography_Tom Urasoko, text_TAISHI IWAMI

DJ DYE(THA BLUE HERB) × Ren Yokoiの交わすDJ論:Motivators Vol.07

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Ren Yokoiによるマンスリー対談シリーズ「Motivators」。今回のゲストは、昨年結成20周年を迎え、それでもなお札幌を拠点に最前線をひた走るTHA BLUE HERBのDJ DYEだ。Renがかねてから興味を寄せていた存在で、フジロックフェスティバル ’17でそのパフォーマンスを目の当たりにしたこと、そして渋谷Contactでの初対面を経て、今回のオファーとなった。Zeebraを父に持ち、少年時代をヒップホップとともに過ごし、現在はハウス〜テクノのDJとして活躍するRenと、THA BLUE HERBのライブDJとしてだけではなく、ヒップホップの枠を超えてダンスミュージックを広範囲にプレイするDJという意味でも、Renの先輩にあたるDJ DYE。ひと回り世代の違うこの二人の、DJやクラブに対する価値観がクロスする、なんとも有意義な時間となった。


―THA BLUE HERBは2017年で結成20周年を迎えました。去る10月に日比谷野外大音楽堂で行った20周年記念ライブも台風直撃のなか大盛況のうちに終えた今、どんな心境ですか?

DJ DYE(以下、DYE):やるまでは野音での公演を意識はしてたんですけど、そこが終着点というわけではなく、野音以外にもいつも通り全国でのライブもあったので、意外と自然な心持ちというか。でも、重要な歴史の通過点ではあったと思います。

―DYEさんがTHA BLUE HERBのメンバーになったところから振り返れたらと思います。

DYE:トラックメイカーのO.N.Oが働いていた洋服屋の客だったんです。彼がやってたパーティーに遊びに行くようになってからDJもやりはじめた。そのあと、しばらくして誘われたというか、最初はO.N.Oの代打みたいな感じだったんですけど。

―O.N.Oさんと出会った頃はまだDJはされてなかったんですね。

DYE:最初に出会った頃は中学生だったし、まだやってなかったです。ただ、ヒップホップに興味がある少年でした。

―その当時はどのあたりのアーティストが好きだったんですか?

DYE:なんだろう? ボビー・ブラウンとかかなあ。やっぱり『ダンス甲子園』(註:日本テレビ系列「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の人気コーナー)の存在は大きかったです。

Ren Yokoi(以下、Ren):俺は1992年生まれなので、物心ついた頃にはもう終わっていたはずなんですけど、なぜか『ダンス甲子園』っていうのはキーワードとして自分のなかにありました。

DYE:ドクター・ドレの1stアルバムと同じ年に生まれたんだ。

Ren:それこそ俺の名前はMC REN(註:ドクター・ドレも所属したヒップホップグループN.W.A.のメンバーのこと)からサンプリングしてますからね。

―RenさんがTHA BLUE HERBを知ったのはいつ頃ですか?

Ren:いつどこで認識したとかではなく、家庭環境もあって、それこそ『ダンス甲子園』みたいに、ヒップホップに関するいろんなワードが勝手に入ってきてたんですよね。そのなかのひとつだった。実際にライブを観たのは、正直なところかなり最近で、2017年のフジロックなんです。

DYE:最終日のレッドマーキー、「今年もフジロック終わっちゃうよ」っていう最後のアクトの2つ前。観てくれてたんだ。

Ren:フジロックって、レッドマーキーだけをとっても、1日を通していろんな顔を見せる組み方で、それが面白かった。その最後の最後にして、もう決定的でしたね。興奮しすぎて、一緒にいた友人とはぐれる勢いで、一人で前まで行きました。

―THA BLUE HERBのヒップホップって、“独自性”がひとつのポイントだと思います。東京を中心としてヒップホップを追っていた人たちからすると、ある意味、異質で、そしてオリジナルなもの。

DYE:THA BLUE HERBの音楽は、やはりメッセージをいかに伝えるか。ライブDJの観点から言うと、BOSS(ILL-BOSSTINO)の声の帯域と音をいかにぶつからないように鳴らすかを意識しています。そもそもラッパーが歌いたい音じゃないと、ラップが乗っていかないから。

Ren:俺も、最初は叔父のSPHEREのライブDJがスタートだったんです。そのときに思ったのが、ライブDJって場のグルーヴを作る人で、ラッパーはその波に乗る人。それを最高の形で体現しているのがTHA BLUE HERBなんじゃないかと。

DYE:あるバンドの人に言われたのは「指揮者みたいだね」って。Renくんが言ってくれたようなグルーヴの抜き差しとか、そういうことだと思うんだけど。

Ren:”指揮者”って表現はめっちゃわかります。

DYE:楽器隊が何人いても、俺らのように1MC1DJとトラックメイカーみたいなシンプルなスタイルでも、スピーカーから出る音はひとつ。そこでいかにグルーヴを作っていくか。MCって詩人の朗読会ではなく、ヒップホップっていうフィルターとラップっていう手法を通してどうなるか。そこが重要だからね。

Ren:今は、MCだけが前に出ちゃってるイメージが強いけど、DJに乗ってMCがその場を盛り上げる、それこそ「Master of Ceremonies」ですよね、もともとヒップホップはそうだった。そのスタンスがあった上で、MCが光ってるグループって少ないから、フジロックで観たときは本当に感動しました。

―今まで見てきたヒップホップのライブとは明らかに違っていた?

Ren:今のヒップホップは、曲もパフォーマンスも、お客さんがどういう曲を聴きたいか、どんなパフォーマンスを観たいか、そういうことありきでセットリストを展開しているように感じる。それは、オーバーグラウンド・カルチャーになったことの証でもあるから、全然いいんですけど、本質はそれだけではないというか。MCとDJが共鳴し合うライブ感、そこの差だと思います。

―国内においては、ヒップホップのフォロアーじゃない人たちがヒップホップを認識したきっかけとして、THA BLUE HERBの存在は大きかったと思います。その理由のひとつとして、ライブDJだけでなく、ダンスミュージックのDJとしても活動しているDYEさん振り幅の広さも大きく関係していると感じますが、そういう嗜好になったのはなぜですか?

DYE:「アンダーグラウンド・ヒップホップ」と「メインストリーム」っていう言葉が出てきたときに、僕はアンダーグラウンドのほうが好きだった。マッシヴ・アタックとかDJシャドウあたりを聴くようになって、そこからエレクトロニカ、テクノって感じで広がっていった。特になにかを意識していたわけではなく、自然な流れでそうなっていきましたね。

Ren:僕が4つ打ちの世界を知ったのも、アンダーグラウンドなものありきでした。でも、アンダーとかオーバーとか、その隔たりもなんか嫌で、そこもクロスオーバーしていくべきというか、そもそもそんな分け方に実体はないというか、なんて言えばいいんだろう…。

DYE:うんうん。自分たちのことをバリバリ王道だと思ってやってるからね。

Ren:そこなんですよ! なにをしてアンダーグラウンドなの? って。まさに“王道”っていう感覚。

―本人たちはアンダーグラウンドだとは思っていない、と。

Ren:だから、「俺、アングラだから」って言う人の話はよくわからない…。

DYE:今は音楽そのものがかなり細分化されているし、ひとつのジャンルとして”アングラが好き”っていうのはあるかもしれないけどね。