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夏休みを直前に控え、休暇の過ごし方を考えている人も多いんじゃないだろうか? 休みだからこそ、これまで観れなかった名作を一気に観てしまいたい! そんな映画/ドラマ好きへ。この夏、EYESCREAMがオススメしたいドラマ作品をライターの渡辺志保さんに紹介してもらおう。
紹介してもらうドラマ作品はこちら。
『親愛なる白人様』
4月末よりNetflixオリジナル作品として配信されており、人種差別を題材とした衝撃的な内容で大きな話題を呼んでいる名作だ。映画『ムーンライト(※)』のバリー・ジェンキンス監督が6話目を手掛けていることでも知られている。
※2017年アカデミー賞で作品賞を受賞
みなさま、こんにちは。今や、映画やドラマを楽しむためにストリーミング・サーヴィスは欠かせません。我が家でも、NetflixにHulu、Amazon Primeなど、一体いくつのサーヴィスに加入しているのやら…という環境で、日々鑑賞を楽しんでいます。本コラムでは、普段は音楽ライターとして活動している私が普段の生活で観た映像作品を糸口にして、現代のアメリカにおけるヒップホップ・ミュージックやその他カルチャーなどとの関わりなどを綴っていきたいと思いますので、お付き合いのほど、何卒よろしくお願いします!
「Wickedness or Weakness(邪悪な己か、弱い己か)」と、自分の中の二面性を掘り下げてアルバム『DAMN.』を完成させたのはラッパーのケンドリック・ラマーだが、そのテーマはNetlflixで放送中のドラマ『親愛なる白人様』の主人公にも当てはまりそうだ。次世代のスパイク・リーとも言われる映画監督、ジャスティン・シミエンによる同名の映画をドラマ仕立てに新装した本シリーズ。映画では主に学内新聞部に所属するライオネルの視点で物語が進んでいったが、ドラマ・シリーズでは女生徒であるサムことサマンサの視点を主にしながら、チャプターごとに主人公が代わる形で物語が展開していく。現代のキャンパスを舞台にしているだけあって、登場人物が独自に開発したAPPやSNSのハッシュタグなどを駆使する様子を描写し、シャープかつスピード感を持ってストーリーが進む展開はまさに2017年に観るべきドラマといった印象だ。
『親愛なる白人様』の舞台はアイヴィー・リーグに属するアメリカ有数の名門校、ウィンチェスター大学。全米、いや、世界中から優秀な生徒が集うウィンチェスター大においても、人種差別は顕在化している。そもそもの発端は、白人生徒たちが顔を黒く塗って酒宴に興じた<ブラックフェイス・パーティー>だった。その場をスクープしたのはライオネル。そして、サムはそのグロテスクなパーティーの様子をフィルムに収め、記録していた。ウィンチェスター大の生徒たちは人種別に隔てられた寮に住み、それぞれが見えない壁とルールに囲まれて生活している。サムは、黒人生徒たちを率いる存在であると同時に学内のラジオで「Dear White People(親愛なる白人様)」と呼びかける番組を放送中のDJでもあり、番組内で、肌の色によって受けた差別的な出来事や生きづらさ、矛盾を皮肉を交え主張する立場。とはいえ、彼女も自分の二面性ーーそのダブルスタンダードの上に生きているのだ。彼女はハーフ・ブラックで、ライト・スキン。親友のジョエルが「ブラック、ミルクなし、砂糖なし」と書かれたTシャツを着ているシーンでは「そのTシャツ、私は着れないわ。だってミルクが入ってるもん」と言う。そして、彼女のボーイフレンドであるゲイブは白人であり、作品初盤のサムは、彼と付き合っている事実を周りには伝えたがらなかった。声高に自分たちの権利と正義を主張し、すべて計算し尽くされたようなルールの中に生きているようなサムだが、同時に、自分のダブルスタンダートの中で苦しむような姿を見せ、ゆえに本作は我々の生活にも通じるようなリアリズムをまとう。正義を主張する大胆な姿を見せると同時に、ボーイフレンドの態度に一喜一憂する姿も見せる。正義を主張するだけのヒロインだったら、堅苦しすぎてドラマは成立しなかったかもしれない。しかし、このサムの二面性が、ストーリーによりリアリズムを持たせ、私たちの生活に潜む不都合な真実を気付かせてくれようとするのだ。自分のダブルスタンダードに悩むのはサムだけではない。学部長を父親に持つトロイは、父親の期待に応えようと過剰なまでに穏健な優等生でいることを望むが、その反面、父親からの支配に悩み、内面のアンバランスさも見せる。そんなトロイに憧れを抱く女生徒のココは、シカゴのゲットー地区・サウスサイド出身。地元で初めての奨学金生徒としてウィンチェスター大に進学したという背景を持つが、大学生になったココは、自分の出自を隠すかのように、地毛をキツく編んでウィーヴ(かつら)の下に隠し、白人生徒と同じようなクラッシーな服装を好む。そして、映画版で大きくフィーチャーされていたライオネルは、同性愛者だ。最初はそのことをひた隠しにしていたライオネルだったが、学内新聞「パスティーシュ」の部長のアシストなどもあり、徐々にその事実を周りに知らせていく。それぞれが自身の二面性と葛藤しながら物語は進んで行くが、このライオネルだけは、客観的な分析能力をもってして、クールに自分という存在を認めているようにも見える。同時に、オドオドとしながらも果敢に取材を続け、ブレずに自らの主張を続ける彼の姿は、本作の主題を体現する存在でもあるかもしれない。
もう一つ、本作において大きな転換の役割を果たすのは、原理主義的でマルコムX的とも言える思想を大切にしているレジーの存在だ。チャプター5で山場を迎えるストーリーはこうだ。ある日、複数の寮をまたいでパーティーが行われる。クイズ大会で連勝するレジーはまるで生徒間におけるキングのごとき存在。曲を流して酒を酌み交わしつつ踊る中、フューチャーの「Trap N****」という曲が流れる。ご存知の通り、タイトルにも使われているNワードは「ニガー」を表す単語であり、アフリカン・アメリカンを侮蔑する単語。ただ、該当のフューチャーの楽曲にはタイトル通り、Nワードが頻出する。ある白人生徒は悪気なくその言葉を発して歌詞内容を歌うのだが、その状況に耐え切れずに場の空気を一変させたのがレジーだ。
「歌詞だったらイケない言葉も口に出していいのかよ?お前は気にならなくても、俺たちは気になるんだ」
楽しいパーティーの場は、一瞬にして一触即発の状況に。そして、誰かが警察を呼び、あろうことか楽な警備員がレジーに銃口を向けるのだ。この一連のシーン、実際に現在流行っている人気ラッパーの曲を使ってどこまでもリアルに描かれており、一丁の拳銃によってもたらされる緊張感を体感することができる。それは、まるで砂を噛むような嫌な緊張感だ。そして、不当とも言える理由で突然銃口突きつけられる恐怖感もひしひしと伝わってくる。このエピソードのメガホンを撮ったのは、映画「ムーンライト」で一躍脚光を浴びたバリー・ジェンキンス。「ムーンライト」で主人公ブラックの繊細な心の機微を描いたジェンキンスらしく、わずか30分という尺の中においても、いくつもの登場人物の想いを交差させて、クライマックスではレジーが銃を突きつけられるシーンを描ききっている。そして本編ではこの出来事が決定的となり、サムたち有色人種の生徒たちの反体制的な姿勢はさらに熱を帯びていくこととなる。
シーズン1の最終話でもあるチャプター10において、デモ運動を先導するサムは、白人生徒にこう問いただされる。
「いい加減にしろ、君は自分で問題を作って勝手に怒ってるんだ。君の行動が本当に世の中をよくしていると思うのか?」
サムはこの問いにうまく答えることができず、その視線の先には困惑したようなゲイブの姿が写る。サムが掲げてきた<正義>大きな揺らぎが訪れる瞬間だが、ほぼ同時に、ライオネルはウィンチェスター大の出資者に向けてこう質問する。
「僕たち、黒人生徒の価値はいくらですか?」
<ブラック・ライヴス・マター(BLM)運動>では、ケンドリック・ラマーの「Alright」をテーマ曲の一つとし、2年ほど前からアメリカ国内で盛り上がりを見せている。だが、実際にその運動や余波がアメリカ市民にどんな影響を与えているのか、ここ日本で感じる機会は少ない。本作の監督、ジャスティン・シミエンは「The Rolling Stones」のインタヴューで「キャンパスは国家の縮図である」とも説明していた。『親愛なる白人様』で描かれるそれぞれの群像劇を見れば、BLM運動以降、人種の問題が普段の生活にどう反映されているのかを感じ取ることが出来よう。もう一つ。ア・トライブ・コールド・クエスト”We The People”や、ラン・ザ・ジュエルズ”Legend Has It“などの劇中歌の使われ方も素晴らしく、それらは全てオリジナル・サウンド・トラックとしてSpotifyのプレイリストにまとめられているので、ぜひ同時にチェックしてほしい。現代版『ドゥ・ザ・ライト・シング』とも言われるこの作品、劇中でいくつもの問題定義がなされるが、果たしてあなたは何を思うだろうか。
Spotify
A Tribe Called Quest – We The People
Run The Jewels – Legend Has It