Ren Yokoiによるマンスリー対談シリーズ「Motivators」に、K.A.N.T.Aが登場。音楽を軸に、自身の作品以外にも他ミュージシャンとのコラボレーションやタイアップなどさまざまな現場をこなし、広くカルチャー全般に独自のアンテナを張り巡らせているプロデューサー/ラッパー/クリエイターだ。
Renの父はヒップホップ界を牽引し続けるZeebraであり、K.A.N.T.Aの父は日本初のヒップホップ・レーベル〈MAJOR FORCE〉を主宰したひとりであるK.U.D.Oという“二世ミュージシャン”以外にも、スポーツにあけくれた10代を経て、20代になって本格的に音楽の世界に身を投じたという似た境遇を持つこの二人。何かを成すために四苦八苦しているあらゆる人々に捧ぎたい熱い内容に、ぜひ注目してもらいたい。
―今日はK.A.N.T.Aさんの自宅兼スタジオでの取材ですが、Renさんはここにはよく来るんですか?
Ren Yokoi(以下、Ren):もともとはK.A.N.T.Aが原宿でやってたKANTALANDって店でよく遊んでたんで、ここに来たのは初めてですね。畳がいいですよね。
―KANTALANDはどんなお店だったんですか?
K.A.N.T.A:店というよりスタジオです。音楽制作で家賃とかは回して、物販は元々モノづくりが好きで音楽と切り離せないクリエイティブワークとして取り組んでいました。そのお金で音楽機材を買ったりレベルアップするためにやっていた。でも、ビル自体を壊すことになってそこにはいられなくなって。そこで、どうしようか考えたときに、俺には奥さんと子供が二人いるんですけど、そういえばほとんど家には帰ってなくて家族との時間なんてなかったから、もうちょっとダディーやんなきゃって。そこでこの家を見つけて、2階にスタジオを構えて、物販の店はまた別の場所でやることにしました。
Ren:じゃあ家族はみんな1階にいるんだ。
K.A.N.T.A:そうだね。生活は1階。奥さんは向こうの部屋で、自分のブランドを立ち上げる準備していて、2階はそういうクリエイションの部屋になってる。
Ren:子供は2階にも上がってくるの?
K.A.N.T.A:もちろん。子供がテンション上がっちゃって作業が進まないこともあるよ。
Ren:俺が子供だった頃、家に親父のスタジオがあってよく見てたんだよね。今となってそれがプラスになることが多くて。「ああ、これってこういうことだったんだ」って。
K.A.N.T.A:俺も高校の頃に親父が家にスタジオを移したの。でも、当時はサッカーばっかりやってたし、親父の部屋からキックの音が聞こえると、「うるせえよ」って壁にスリッパぶん投げてた。今思うと、すげえクリエイティブなことをしてたんだなって思うし、自分も音楽を作るようになって、あれでもたぶん音を絞って気を使ってくれてたんだってわかった。ほんとすいませんって感じ(笑)。
―K.A.N.T.Aさんは、幼少期からロンドンに住んでいて、中学高校は日本で過ごし、18歳でアルゼンチンのサッカーチームとプロ契約。その後、20歳を越えてから音楽に目覚めたんですよね。
K.A.N.T.A:ざっくり言うとそうですね。
Ren:俺も似てるんだよね。K.A.N.T.AはUKにいたこともあってサッカーに熱中してた。俺はアメリカのボストンに住んでてバスケをやってた。でも途中でスポーツは辞めて今は音楽やってる、という。
―音楽の道に進んだことを振り返ってみて、血は争えない、みたいな感覚はありますか?
K.A.N.T.A:研ぎ澄まされたセンスが日常的にあった、という影響はあると思います。なんとなく流れてる音楽とか。だからなのか、ずっとサッカーばっかで音楽の教育は受けてないんですけど、21歳で初めてアルバムを作ったときも感覚的にできた。それってお金じゃ買えないから、家族に感謝ですね。
Ren:ああ、なんかわかる。
K.A.N.T.A:アルゼンチンのサッカーチームでは、18歳~21歳のカテゴリーのチームに所属してたんだけど、そこに一人だけ14歳のヤツがいて、そいつが誰よりも上手くて。まさにサッカーをやるために生まれてきたヤツなんだって思った。俺の場合は、めちゃくちゃ練習して必死にしがみついて、ようやくそこまでいけたから。でも、音楽に対しては自然に入っていけた。シンセとかギター、ベースとか、当たり前のようにそこにあったから、自分が初めて触ったときも、ワクワクやドキドキもなければ逆に抵抗感もなかった。
Ren:俺もそういう感じだなあ。今も、いいDJやミュージシャンから盗みたいって思っても、目で見たり教えてもらっても覚えられなくて、体で感じて踊っているときがいちばん入ってくるんだよね。子供の頃ってみんな、“曲”っていうひとつのまとまりとして聴くと思うんだけど、俺は親父の作業を見てたから、キックだけとか、シンセだけとか、そういうパーツの音もいつも聴いてた。今考えると、ありがたいよね。
K.A.N.T.A:あとは、音楽で飯が食うなんて夢のまた夢、みたいな刷り込みってあると思うんですけど、俺にとっては常識だった。そこに対して“不可能”っていうラインは引いてなかったです。
Ren:そうだね。音楽だけで食える人は一握りっていう、厳しい現実もリアルにわかったうえでね。自分も落ち込んだことがあったけど、親父がやれてることが励みになってる。
K.A.N.T.A:だよね。アップダウンあっても、親父たちは辞めないから。やり続けたらなんとかなる。
Ren:最初、親父には「棘の道だけど諦めないヤツが勝つ。その覚悟があるならやれ」って言われた。
K.A.N.T.A:同じだ。俺は、26歳くらいまで親父に「音楽なんて辞めろ」って言われ続けてきた。どれだけこの職業で食っていくことが大変かわかってる人たちだからそうなるよね。でも、音楽で自分の子供を食わせてる姿を見せ続けて、ようやく認めてくれた。俺も子供がミュージシャンになりたいって言ったら同じようにすると思う。俺が言ったくらいで辞めるようじゃ、やれないし。
―では、お二人の親がやってきたことそのものについては、どう思いますか?
K.A.N.T.A:すげえ。
Ren:本当に、すげえとしか言いようがない。化け物ですよ。
K.A.N.T.A:親父たちの世代はいい時代だったんだとも思います。音楽をやることだけで食っていけた。単純に、昔はCDが売れてたし、稼げる部分がはっきりしていたから。今は、ミュージシャンとかDJというより“ライフスタイル・アーティスト”というか。全部がアートだし、Renという、K.A.N.T.Aという人間が、センスをどうちりばめるか。総合的なキャラクタービジネスだと思うんです。その中心に俺はたまたま音楽がある。それがファッションの人もいればアートの人もいて、時代は明らかに変わっていると思います。
Ren:ヴァージル・アブローがデザイナーだけじゃなく(FLAT WHITE名義で)DJ活動をやっていたり、PATTA SOUNDSYSTEMがあったり、ファッションも音楽に近づいてきていて、いろんなものがクロスオーヴァーしてるからね。
K.A.N.T.A:昔の考えのままいたら食えないし、そこに順応して自分のシステムを作ることだよね。今までは大きいレーベルがアーティストの面倒を見てたけど、今はアーティストが自分自身でインディペンデントな、ソリッドなビジネススキームを作らないといけない。実際、世界中でアンダーグラウンドであろうがメジャーであろうが、総合的にやってる人が多いし。
Ren:自分をアピールすることが大切。そのアプローチや軸になるものとして、それぞれ音楽とかデザインとかがあって、K.A.N.T.Aがすげえのは、そこのプランニングがちゃんとできてるところ。
K.A.N.T.A:ありがとう。よく若い人たちからも相談を受けるんだけど、もはや音楽っていう固定概念にはめこんだら、その時点で難しくて。シンプルに、「自分がパブリックに提示できる価値は何か?」ということ。それがあればお金になる。20年後はまた今とは違うだろうし、常にフレキシブルな考えと動きを確保していかなきゃいけない。
―それって、今のほうが楽しいとも言えませんか?
K.A.N.T.A:2011年に俺がデビューした頃は、音楽ビジネスが崩壊したところで、CDの代わりにマネタイズできるプロダクトはなにか?という試行錯誤の時期でした。今ってどんなビッグなミュージシャンでも、マーチャンダイズで稼いでない人はいないというのも、そういうことだと思います。
Ren:今はやたら広告にラッパーが出るじゃないですか。ヒップホップがでかくなってるっていうのもあると思うんですけど、アーティストもそうしないと食っていけない。話は戻るけど、KANTALANDみたいな取り組み方をしようと思ったのはなんでなの?
K.A.N.T.A:2014年に、レコーディングのために半年間アメリカに行ったの。ショートフィルムにも出演するって話で、バジェットがあったからガンガンお金を使ってたんだけど、結局そのギャラが入ってこなくて超赤字。一気に借金だらけになって日本に帰ってきた。子供が生まれて2年目、当時は茅ケ崎の家をスタジオにしてたんだけど、そこを売り払って金の足しにして、奥さんと子供は奥さんの実家に行かせて、文無しの状態で東京に戻った。で、自分のビジネスマネージャーをやってくれてた人に連絡して、状況を説明した。彼は優秀なビジネスマンだから、何かヒントをくれるんじゃないかと思ったんだよね。そうしたら家に住ませてくれて、俺がやってることをどうビジネス化するか、企画書の作り方とか、交渉の仕方とかを教えてくれたの。恩人だね。
Ren:大変だったんだ。
K.A.N.T.A:それまでは特にこっちからは何も仕掛けず、入ってきた仕事しかしてなかったんだよね。どうやって自分で仕事をゲットするかなんて考えたこともなかった。そこから自分でも企画書を作ってアディダスに行ったら仕事が取れた。そこから、いろんなところに自分ができる企画を売るようになって、そこで仕事のやり方が変わってきたんだよね。そのタイミングでRenがよく遊びに来てくれてたKANTALANDのスペースもゲットできたの。
Ren:そうなんだ。
K.A.N.T.A:だから、これを読んでる人たちは本気で信じてほしい。デカいものを失ったらデカいものが入ってくる。これはユニヴァースの法則。俺が失敗したときは、感謝してるって口では言いながらも天狗だった。みんな俺のために働いてる、くらいに思ってたし。でも今は、こうやって自分の言葉に耳を傾けてくれてる人にも、一緒に仕事をしてくれる人にも、心から感謝してる。意識が変わると景色が変わる。もうポイ捨てとか、絶対しないもんね。ポイ捨てしたぶん、金は逃げてく。
Ren:俺は、K.A.N.T.Aとは状況は違うけど、今がピンチなんだよね。でも腹を括って会社を辞めたの。それまでは、金がないことに対して、会社の給料がいくら入ってきてDJのギャラがいくらで、みたいなことばっか考えてた。そうすると、「こんなままで生きてくのか俺は」って辛くなってくる。でも、そもそも自分はちゃんと成長してるのか、自分らしさって何なのか、純粋にそこと向きあったら、なんとかなるだろうって思えるようになった。もしどうにもならなかったら、仲間に助けてもらう。なんてのはお角違いだけど、そこで頭に浮かぶ仲間がいることの大切さもわかった。そうしたら、その次の日に、これまでは届かなかった仕事の依頼がきて。
K.A.N.T.A:あるよね。俺はどの宗教にも入ってないけど、ユニヴァースは見てるから。Renがやりたい仕事を取れたのは、「Renに仕事を頼もう」って思って会議かなんかで提案してくれた人がいたからで、すべては繋がっている。そういうエネルギーを回すには、日々の行いが大切なんだよ。ちゃんとしてれば仕事もあるしお金も入ってくるし、仲間も増える。逆をやると悪い結果しか出ない。
―すごく納得できる話です。精神論とか宗教に由来するようなこともまた人の行動がもとにあるわけで、例えばポイ捨てしないとか、そういうことから発せられるポジティブなエネルギーってほんとうに大切なんだと、あらためて思わされました。
K.A.N.T.A:ピンチのときはネガティブになりやすいけど、そうすると周りが見えなくなって、ついつい人間的にもダメになっちゃう。でも、お金の問題で言うと、ビル・ゲイツの方が絶対大変でしょ。桁が違いますから(笑)。
Ren:一文無しなんてまだ余裕だよね。
K.A.N.T.A:常にニュートラルでいること。ローだとダメだし、妙にハイでもダメ。不思議なもので、ニュートラルなときにこそ奇跡みたいなことが起きるんだよね。
Ren:間違いない。いい話ができたな。ありがとう。
K.A.N.T.A:こちらこそ。じゃあ、ちょっとセッションしてメシでも行こうぜ。
「Motivators」
Vol.01 : JESSE
Vol.02 : 野村周平
Vol.03 : AI
Vol.04 : 村上虹郎
Vol.05 : 安澤太郎(TAICOCLUB)
Vol.06 : Ryohu × KEIJU as YOUNG JUJU
Vol.07 : DJ DYE(THA BLUE HERB)
Vol.08 : CHiNPAN
Vol.09 : Daichi Yamamoto
INFORMATION
■ K.A.N.T.A
Instagram:@kantaland
Broke City Gold:@brokecitygold
オンラインストア:http://kantaland.thebase.in/
店舗:東京都渋谷区神宮前4丁目27-6
■ Ren Yokoi
7/20(金) sHim feat. Tasker @ 渋谷Circus Tokyo
7/26(木) BLACK ON IT @ 渋谷BPM Music Bar
7/27(金) 渋谷hotel koe tokyo
8/4(土) – 5(日) SAKAZUKI 2018 @ 山梨・大渡キャンプ場
Instagram:@renyokoi