ART 2020.05.28

書家・華雪の個展が開催。「今日という日の手触り」を「日」という文字にあらわすこと

EYESCREAM編集部
EYESCREAM編集部
写真:湯浅哲也(colonbooks)

京都府出身、綿密なリサーチに基づく漢字一文字の作品づくりに取り組むほか、〈文字を使った表現の可能性を探る〉ことを主題に、国内外でワークショップを開催する書家、華雪の個展「ながれる」が、6月5日(金)から原宿HARUKAITO by islandにおいて開催される。

映像 : 播本 和宜

華雪の字は「字=記号、意味」を超えて、意味を含みながらも風景さえ見えるような、文字への深い理解と「思いやる」やりとりがあって生まれている。本展では、華雪が2017〜2019年の一時期、ほぼ毎日書いてきたという「日」をはじめ、「水」(2019〜2020年)、「心」(2018年)、「鳥」(2016年)、「風」(2013年)が展示される。

先の震災は「立ち止まる」ことを真剣に考えるきっかけになったが、新型コロナウイルスの世界的感染拡大により、再び「立ち止まる」ことを考える時期にきているのではないか、と華雪は言う。今回の展示作品は、時期は違えど「立ち止まる」ことを書いた作品が揃うこととなる。

写真:湯浅哲也(colonbooks)

写真:湯浅哲也(colonbooks)

以下、作家によるコメントだ。

それでも日々は進む。先へと進んでいく。(エッセイ作品集『ながれる』より)

【日】

 東北の震災から1年ほどが経ったころだった。
 毎日眠る前(それは夜だったり明け方だったりする)に特別に準備することなく手元にある材料で「日」を書く、というルールを決めて、「日」を書くようになった。
 以来、中断しては、またはじめる、を繰り返しながら、9年が経つ。

 書くときには酔っ払っていたり面倒だったりする日の方が多い。だから、ふだんなら失敗だと決めて捨てるようなものがしばしば出来上がる。
 目の前の失敗だと思える「日」を見る。もう一回書き直そうかと思うときもあるが、それさえ面倒で、そんな気分でまた「日」を見ると、そもそもほんとうはいったいなにが失敗なのかと思えてくる。今日一日が失敗だったのではないかとまで思い詰めたところで、なんとなくしかたない、今日はこれでいいと思う自分がいる。

 束ねて部屋の隅に置いた日々増える紙切れの「日」は、毎日何度も視界に入る。そのたびに、大きさも素材もまちまちの紙の束が、これからどうなっていくのかは自分でもわからない。けれど、それが日々というものの正体なのかもしれない。
 
     ・

 今年の春、コロナウイルスがわたしたちの日々を一変させた。
家に閉じこもるようになり、一日が長く感じられる。起きて、食べて、眠る。空の様子が春から初夏のそれに変わっていくのを窓ごしにぼんやりと眺めていると、今日が何日かさえ、ふとわからなくなる。いつもは気に留めない時計のカチカチカチと時を刻む音に耳をそばだてる。

 4月の終わり、長く病いと闘っていた友人が逝ったと昼間、友人から知らせがあった。
夜になっても眠れずにいると窓の外の空が明るんできた。彼が逝ってしまった日が過ぎてゆく。
 
 彼は自分の目に映る日常の景色を、澄んだ色合いで描き続けた人だった。彼が病いを患ってから、「日」の字を送ったことがあった。彼を思い浮かべるとなぜか山吹色が目に浮かんで、山吹色の「日」を書いて、送った。彼は、わたしが山吹色を選んだことをおもしろがって、後日、その「日」を額に入れたと知らせてくれた。
 去年の冬、彼の暮らす広島の小さな町を訪ねた。町からの帰り道、彼から、額を見てもらおうと思っていたのにすっかり忘れていた、とメールが届いた。また今度、そう伝え合った。

 赤と黄の絵具を混ぜて、山吹色をつくって「日」を書く。彼と過ごしたなんでもない時間が頭に浮かぶ。またひとつ、もうひとつ、「日」を書いているうちに、朝が来る。
 
     ・

 「日」をまた書きはじめた。
 眠る前、机に向かって、「日」を書く。紙に筆先が触れた瞬間、二度と巡って来ることのない今日という日の手触りがそこにあらわれる。

INFORMATION

華雪「ながれる」

会期:2020年6月5日(金) – 7月5日(日)13:00 – 18:00
会場:HARUKAITO by island(東京都渋谷区神宮前6-12-9 BLOCK HOUSE 2F)
休廊:月〜水
TEL:03-6874-3273

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