ART 2021.03.11

From the Every Outside vol.5:JOTA
by Maruro Yamashita (stacks bookstore)

EYESCREAM編集部
EYESCREAM編集部

ストリートから生まれたアートや、ストリートからの影響を感じさせる表現の数々を広義のアウトサイダーアートとして紹介するこの企画。今回は、90年代からグラフィティーのメッカとして知られてきた神奈川を拠点に、桜木町全盛期から現在に至るまで活動するグラフィティーライターであるJOTAをご紹介したい。語り継がれるべきストーリーから、グラフィティーと長年向き合う中でのスタンスまでを伺う中で分かったのは、グラフィティーというアートフォームの持つ”楽しさ“の強さだった。

ーJOTAさんがグラフィティーを始めたのはどういう切っ掛けだったんですか?

JOTA:俺は、元々一緒にスケボーをやってた友達に誘われて始めたんだよね。今も一緒に描いてるBASKに誘われて。96年とか97年くらいかな。その頃にKANEくんにも出会って。だから俺は同世代の神奈川のライターの皆よりも少し始めたのが遅いんだよね。最初、BASKから虫除けスプレーのキャップ(噴射部分)の部分だけを貰ったりしたのを覚えてるな。

ー当時って、スケボーとグラフィティーのカルチャーは密接だったんですか?

JOTA:一緒にスケボーしててペイントもしてるっていうのは、BASKとか本当に一部の奴らだけで、どっちかというと切り離れていたような気がするな。でも、各地のライターと会うと、やっぱりスケボーもしてるみたいな人は結構いたかな。

ーなるほど。やはり当時から近しいカルチャーではあったんですね。誘われて描くようになったということは、元々絵を描くのが好きだったりしたんですか?

JOTA:嫌いではなかったけど、別に絵が上手かったとかそういうのは余りなかった気がするな。

ーでは、何故誘われたときにやってみようと思ったんですかね??

JOTA:なんでだろうね(笑)。格好良く見えたんだよね、多分。それで、ライターとしての名前を決めて描き出して。98年くらいにようやく桜木町で壁をゲットできるんですよ。それまでは中々ゲット出来なかったんだけど。そっからは壁もどんどん増えてきて、毎週描くような感じになっていって、スケートは余りやらなくなっていくみたいな。

ー桜木町の当時の東急東横線の高架下の通りは、97年の時点で既に半合法的に描ける、グラフィティーのメッカになっていましたよね??

JOTA:そうだね。全部びっしり描かれてたからね。

ーそこで壁をゲット出来たというのは、周りから認められたということですよね?

JOTA:そういう感じだね。誰かが上から描いてたり、消されたりでぐちゃぐちゃになってるやつを綺麗にゲットしたみたいな感じで最初は描けるようになって(笑)。微妙なのを描いちゃうと、すぐに上から描かれちゃうみたいな感じだったんで。だから、桜木町で壁をいっぱい持ってる奴がキングみたいな感じで。

ー当時どういった方に影響を受けていましたか?

JOTA:桜木町からは基本、全部に影響を受けてたって感じで。先輩のライターもそうだし、同い年とか年下とか関係なく。全員の描いてる壁をチェックして、全部写真撮ってたし(笑)。桜木町で描いてた人のほぼ全てに影響を受けてるって言えるかな。

ー当時の桜木町の線路下って、半ば合法的に描けたっていうじゃないですか。その半ば合法っていうのはどれくらいの感じだったんですか?

JOTA:どれくらいだろうな。通報があったらお巡りさんが来たりとかはあったけど、連れて行かれたとかはほとんど無かったんじゃないかな。勿論、連れて行かれた人もいると思うけど(笑)。

ー同じタイミングで、あっちでは誰か他の人が描いてたりみたいなこともあったり?

JOTA:一時期、98年くらいは、その前とかはあんまり分からないけど、壁ゲットしたくらいの時は、週末に行けば誰かに会えるみたいな感じでしたね。夜描く人もいたけど、昼間から描いてる人もいて。まぁまぁ自由に。

ーグラフィティーにのめり込む様になったキッカケって覚えていますか?

JOTA:なんだろうな(笑)。あんまり考えないでやってたような気もするんだよね(笑)。

ーでは、初めて描いた壁って覚えてますか?

JOTA:覚えてる。家の近所の凄い狭いトンネルにとりあえず描いてみようってことで描いたんだよね。それは結構最近まで残ってたんだけど(笑)。

ー20年以上ってことですね!

JOTA:すげーローカルなトンネルで。結構気持ち悪い形のレタリングで描いてて。ここ2、3年くらいの間に消えて。なくなったなー、みたいな。

ーロングランだったんですね! 最初に描き出したときは、見様見真似みたいな感じだったんですか?

JOTA:最初はそういう感じで、上手に描こうとかそういうことをなんとなく考えてたんだけど、そういうことじゃないな! みたいなのも桜木町で知れたっていうか。要はアウトラインの形っていうか、スタイルが重要で、缶のコントロールとかだけじゃなくて、スタイルを追求するっていうのが段々と凄い格好良く思えてきて。それで、割と自分の表現もそういう方向に寄っていってるのかな。

ーJOTAさんが現在の自分のスタイルを形成していく上でも、桜木町っていうのは大きな影響を与えていますか?

JOTA:そうだね。色んなのを見ていくうちに、スタイルみたいなものを理解してきて。こういうことだ、みたいな。そうなって来ると、皆と違うものをっていう感じで、差を付けようとし出すんだけど、どういう風に見せることで自分のものにしていくかみたいな、それが重要なんだなって考えるようになって来て。スケートもスタイルが重要なわけじゃないですか。それに似てるんですよね。スケートをしてた時のその感覚なんです。

ー当時と現在で、グラフィティーというものに対して感じている魅力の中身って異なっていますか?

JOTA:うーん、基本的には一緒なのかな。

ーでは、どういったところが最も大きな魅力なんでしょうか?

JOTA:なんだろうな、自分のスタイルっていうものを追求するっていうのが、スッゲー楽しいんだよね。終わりがなそうだし。特に、俺の場合は絵が上手い訳でもなんでもないから、キャラクターを上手に描いたりとかは出来ないし、そういうのはどっちでも良いかなって感じなんだけど、そのレタリング自体で誰のものって分かるようなスタイルを追求したいと思っていて。

ーグラフィティーを続けてきた中で、JOTAさんの中でのターニングポイントってのはどんなことがありますか?

JOTA:多分、すげー細かくいっぱいあるみたいな感じなんだよね。

ーと言いますと?

JOTA:例えば、先ずは桜木町でいうと、kumeとかを見て、スタイルが全く他の人たちと違うんだけど凄い格好良くて、なんだこれ!? って思ったのもターニングポイントの一つだと思うし。シティーボムに初めて連れて行って貰ったときの、こういう風に動いて描いていくんだ! とかもそうだし。勿論電車もそうだし。衝撃を受けるたびにじゃないけど、凄いジグザグとターニングポイントがある感じかな。

ー活動を続けていく中で、シンパシーを覚えるライターの人たちは常に周りにいらっしゃいましたか?

JOTA:俺の周りにはそういう人がずっといたかもしれないです。

ー神奈川のグラフィティーシーンて、他の地域と比べて異なる点があったりすると思いますか?

JOTA:自分がそこにいるとよく分からないけど、外から見たらちょっと違うのかもしれないな。

ー昔から各地のライターとの交流はあったんですか??

JOTA:当時の日本には、そんなに沢山ライターっているものでもなかったから、自然と好きな人たちは集まってくるような感じだね。でも、今みたいな感じではないのかな。

ースマホとSNSが発達することで、情報の拡散スピードが凄い早くなったと思うんですね。スケボーでも、どんどんトリックが更新されていったり。そういう面で、昔と今の違いを感じることってありますか? 例えば、スケボーだったらInstagramですぐにムービーが見れるようになって、格段にスキルが上がって来ていると聞きますが。

JOTA:グラフィティーでもそういうのはありそうだよね。それに、個人的には便利に越したことは無いと思っているから、Instagramにネガティブな印象は無いな(笑)。

ー壁以外の作品はいつくらいから作られているんですか?

JOTA:渋谷にあったエンインていうお店で、個展みたいのを初めてやることになったタイミングがあって。それまでもグループ展みたいのは参加したことあったんだけど、1人で全部ってのはその時が初めてで。それくらいからわりと同時進行で、自分の部屋に飾る用の自分のレタリングとか(笑)、その程度だけど、物に残すようなことはずっとしてて。

ーでは、壁に描くこと以外は興味ないっていうことでもなく。

JOTA:うん。全くそんなことない。

ーレタリング自体に対して、凄い興味があるっていう感じなんですね。

JOTA:そうそう。勿論、壁に描くときの方が重要視はしているんだけど。そこ(描くという行為自体)は変わらないんだよね。

ー壁に描くときの方が重要視しているというのは、グラフィティーが本来持つ魅力って感じなんですかね?

JOTA:そうだね。やっぱり、スプレーで吹くっていうのはペンで書くのとはやっぱりちょっと違うから。

ーJOTAさんがグラフィティーを始めた頃に、BASKさんから虫除けスプレーのキャップを貰ったとおっしゃっていましたが、虫除けスプレーのキャップを使うというのは、当時のグラフィティーのシーンでは一般的なツールだったんですか?

JOTA:そそうだね。ライターの中では使っている人が結構多かったね。あとは、普通のキャップの口だけ取って、ファットキャップを横に入れるみたいな。物によって、吹き上がり方が全然変わってくるんだよね。

ーそういうのって、当時周りの皆さんと情報交換し合ったりしていたんですか?

JOTA:そうだね。皆で教え合ってた感じ。

ー現在参加されているクルーは?

JOTA:クルーはいくつかあるんだけど、今アップしているのは、IMFっていう自分の、クルーっていうか、なんだろ… クルーっていう訳でもないな、ユニットみたいな? それは俺が作ったクルーなんだけど、当時アフリカバンバータのレーザーディスクとかを見てたら、Zulu Nationの話をしてて、めっちゃカッケーって思って。そういうイメージのクルーやりたいなって思って作ったクルー。でも、絶対アップして、とかそういう話ではないかな。

ー昨年、大阪のVOYAGE KIDSでの個展では、テーマとかを設けられてたんですか?

JOTA:テーマみたいのはちょっと分からないけど、ある程度統一感のある感じにしようかなって思ってたかな。カラーリングとかで見せるのが好きなんで。そういう感じで見せれたら良いなと思って。

ーシルバーにブルーっていうカラーリングで数多く描かれていますよね。

JOTA:あれは小田急線のカラーリングをレタリングに取り入れてるんだよね。小田急線のローカルだからさ。

ー今後、どのような形でグラフィティーを続けていきたいと考えていますか?

JOTA:まぁ、無理せずにって感じだね。マイペースにやっていきたいと思ってるかな。1年に1回は1人とか2人で展示もやってっていう感じで。

ーでは、グラフィティー以外に興味のあることって何がありますか?

JOTA:なんだろう。グラフィティーくらいしかないからな(笑)。本当に描くのが楽しくて。だから作品も作れるって感じで。

ー自分が楽しめるっていうのが第一なんですね。

JOTA:あ、それは多分そうだね。そこがベースになってる。他人からの評価っていうのも凄い重要だとは思うけど、先ずは自分が楽しくなってないと。そうじゃないと作品も壁も描けないと思うから。

ーその時々の趣味だったり、生活で感じていることとかが、JOTAさんがペイントする時に反映されることはありますか?

JOTA:それはあるね。ピースを描くときとかも、俺の中では勝手にイメージみたいなものを作ってて、それに合わせてピースを描くんだけど。こないだマルくんと一緒に見に行ったところのやつだったら、俺の中でのイメージ画像はこれなんだけど。元アルゼンチン代表のシメオーネとベロンの世代交代の時の写真なんだけど、これにしよって思って、水色のバックグラウンドにクロームで塗って、水色のアウトラインにしたんだよね。

ー直接的なレファレンスって訳ではないんですね。

JOTA:そうそう(笑)。本当にイメージって感じなんだよね。スケーターとかが遊園地とかに行ったら、ここでこう滑ってみたいなイメージをするみたいに、全体の色味というかそういうのを見ちゃうときがあるんだよね。

ーそういうイメージをJOTAさんのレタリングに変換するって感じなんですね。

JOTA:そうだね。まぁイメージを変換っていうか、色のバランスを参考にするだけなんだけど(笑)。

ーそれは昔からそういうやり方なんですか?

JOTA:俺は結構一定した色合いっていうか、好きなカラーリングの中で描くみたいなのが多くて。色でもスタイルを出すみたいな感じかな。

ー何に描くに対しても、レタリングをどう描くかっていうところなんですね。

JOTA:そうだね。やっぱりレタリングが好きだから。

ーちなみに、元々SCAMって名前で描いていたんですよね? 名前を変えた理由は?

JOTA:単純にあまり気に入ってなかったんだよね。結構適当に決めちゃったなってのがずっとあって。最初の頃とか、桜木町ではずっとSCAMって描いてたんだけど。で、変えようって決めたのは、誰だか分からなくしたくて。本当にシーンに居ないと分からない! みたいなことを一つ増やしたいみたいな感じで(笑)。訳分かんない感じにしたいっていう気持ちが、後押ししてくれて改名しました(笑)。今はJOTA(ジョタ)です。

ーIJOTA(イヨタ)って呼ぶ方もいらっしゃいますよね。

JOTA:そう、人によってそこはバラバラで、訳わからない感じになってるよね(笑)。南米系な読み方するかとか、アルファベット読みするかとかでも違ってくるしね(笑)。

ー何か由来はあるんですか?

JOTA:車だね。ランボルギーニで”JOTA”ってモデルの車があって。だから、LAMBO(https://eyescream.jp/culture/66377/)を知ったときは、おっ? って思ったんだよね(笑)。

ーシーンに居ないと分からないことを増やしたかった、というのについて詳しく教えて頂けますか??

JOTA:グラフィティーを続けている中で、相手が誰だか分からなかったけど、なんとなく交流出来たりするようになることがあって。それが凄い楽しかったんだよね。だから、あんまり分からなくて謎が残ってる方が面白いなって。それこそ、タグだけを見てもさ、どこの国の人かとかも分からない訳じゃん。でも、推測は出来て。そういうのが楽しくて。描き始めたくらいの頃とか、これを描いてる奴はどんなやつなんだろ? って推測するのが、描くのと同じくらい楽しくてさ。

ーなんて描いてあるんだろ? って解読したり。

JOTA:そうそう。そういうのも面白かったからさ。最初は誰が描いてるとか分からないんだけど、スタイルで人のことを認めさせる。どんな奴が書いてるか分からないけど、ヤバい! みたいな。

ー街の中で、会ったこと無い人のタグとかが増えてたら、今でも気になりますか?

JOTA:気になるね。俺は、他人のとかも結構写真を撮るから、こういう奴が出てきたんだ、みたいな感じで。休みの日に壁の写真を撮りに行ったりとか、未だにやっちゃうからね(笑)。

REPORTER PROFILE
From the Every Outside
From the Every Outside Vol. 4 : LURK by Maruro Yamashita
From the Every Outside Vol. 3 : LAMBO by Maruro Yamashita
From the Every Outside Vol. 2:REMIO by Maruro Yamashita
From the Every Outside Vol. 1:SECT UNO by Maruro Yamashita
Interview&Text_Maruro Yamashita (stacks bookstore)

POPULAR