音楽というものが、長い歴史をかけて積み重ねてきたのは技術だけではない。鳴らすべき音を求め、その音を届けるための場所を作り続けてきた、あらゆる人間の意志だ。Marshallが生み出す音は、その意志と不可分に結びついている。
2026年6月1日、月曜日の夜。渋谷のライブハウスWWW Xで、Marshallの新製品ヘッドホン「Milton A.N.C.」のローンチパーティーが開催された。メインフロアのステージにはGliiico、YonYon、北村蕗という三組のアーティストが集まり、招待制のライブイベントとして夜が始まった。

小さくなっても、本質は変わらない。
Milton A.N.C.は、オンイヤー型のワイヤレスヘッドホンにアダプティブ・アクティブノイズキャンセリング(ANC)を搭載した新製品だ。コンパクトに折り畳める携帯性と、最大約80時間(ANCオン時で最大約50時間)というスタミナを両立している。真鍮製のメタルロゴ、レザー調のエンボス加工が施されたイヤーキャップ、パウダーコーティングのメタルアーム——細部に至るまで、60年以上かけて積み上げてきたMarshallのデザイン哲学が宿っている。そしてこのモデルが正面から向き合ったのが、「オンイヤーでありながら高性能なANC」という、他社がほとんど手をつけていなかった領域だった。


新しいMarshallの音が、渋谷に響いた夜。
WWW Xの2階メインフロアに入ると、ステージ正面にMarshallのロゴを象った発光パネルが吊り下げられていた。装飾はブランドカラーのブラックを基調としたミニマルなもので、余分なものを削ぎ落とした分だけ、Marshallという名前の存在感が際立つ。2Fから4Fまで吹き抜ける階段には大型プロジェクターで映像が投影され、会場のどこにいても、その世界観を体感できる設計になっていた。



4階のラウンジフロアに上がると、試聴コーナーが待っていた。DJ Mars89が東京の街音をサンプリングして組み上げた楽曲が、大音量で鳴り響いている。トランスペアレンシー・モードで装着してみると、外の音がそのまま届く。ヘッドホンの内側と外側で、音の世界が断絶していない。次にANCをオンにする。轟音が、すっと消えた。その落差が、MarshallがMilton A.N.C.に込めたものを語っていた。



ミュージシャンが求める音から、すべては始まった。
発表会でステージに上がったAPACマーケティング・ディレクターのRachel Wu氏に、登壇前に話を聞いた。
まずMarshallサウンドの本質について尋ねると、彼女はその答えを1960年代の創業まで遡らせた。ドラマーであり楽器店を経営していたジム・マーシャル。そこにRitchie Blackmoreのような著名なミュージシャンたちが訪れ、「当時市場にあるものよりもっと大きく、よりディストーションの効いたアンプが欲しい」とリクエストした。その要求から生まれたのが、最初のアンプ「JTM45」だった。JはJim、TはTerry(息子)、MはMarshall。その息子のTerry Marshallは今もサックスを演奏しているという。

Rachel Wu
「60年代のブリティッシュ・インヴェイジョン(1960年代半ば、The Beatlesを筆頭にイギリスのロックやポップスがアメリカの音楽市場を席巻した現象)、サイケデリックロック、フォークロック、70年代のパンク、80年代のメタル、90年代のグランジ──あらゆる世代の音楽ムーブメントを、それぞれの時代のMarshallが支えてきました。私たちのやることすべては、ミュージシャンがMarshallサウンドに何を求めているかということによって動いています」
Rachelはそう語りながら、続けてこう言った。
「JCM800やJCM900に繋いでステージで最初の一音を弾いた瞬間、そのパワーを全身で感じることができます。大きいだけじゃなく、あなたを突き動かす。ギタリストたちが私たちのアンプを使う時に感じる、感情的なつながりなんです」
Milton A.N.C.については、競合他社がANCを搭載する際にほぼすべてオーバーイヤー(耳全体を覆う)を選択してきた現状を指摘したうえで、こう話した。
「オンイヤーでありながら強力なANCを実現した製品は、他にほとんど見当たらない。その空白を埋めているところがMilton A.N.C.を特別にしている理由です」
この日、イベントに出演したGliiicoは今回のMilton A.N.C.グローバルキャンペーンに起用され、Marshallのオフィシャルアンバサダーも務めている。その起用理由についてRachelはこう語った。
「日本のミュージシャンやデザイナー、アーティストたちは、世界、特にアジア全体に非常に大きな影響力を持っています。世界中のお客様に、このキャンペーンが日本のバンドとともに作られたということを広くアピールしたいです」
2026年9月には日本版のブランド・プラットフォームを始動予定で、ミュージシャン支援やライブハウス支援を強化する方針も示された。インタビューが終わりかけたところで、彼女はさらに付け加えた。5月末の横浜「GREENROOM FESTIVAL」のスポンサードのこと、2026・2027年は日本のチームが日本のアーティストとさらに緊密に活動していくこと──。今後の展開に大いに期待したい。

Interview with YonYon
─境界を横断する40分のDJセット─
第二部の幕を開けたのはYonYonのDJセットだった。
ハウス、ディスコ、R&B、アフロビーツ、K-POP、日本のエレクトロニックミュージック。異なる文化圏から生まれた音楽たちが、彼女の手にかかると不思議なほど自然に隣り合う。印象的だったのは、その選曲が終始ダンスフロアの機能性だけを追いかけていなかったことだ。グルーヴを途切れさせることなく繋ぎながらも、常に中心にあったのは「歌」だった。身体を揺らすためだけではなく、感情を運ぶためのダンスミュージック。セット全体から浮かび上がってきたのは、クラブカルチャーへの深い愛情とポップミュージックへの敬意だった。

そして最後、彼女はDJブースを離れ、自ら歌声を響かせた。流れ出したのは80KIDZとの共作曲「Your Closet」。クラブミュージックの旅路の果てに、自身の歌へと帰還するような瞬間だった。世界各地のダンスミュージックやポップスを横断してきたセットが、この曲によって初めてひとつの物語として結ばれる。DJとしてのYonYonと、シンガーとしてのYonYon。その二つの顔が重なり合ったラストシーンだった。

ライブ前のインタビューで、彼女は満を持して昨年リリースしたファーストアルバム『Grace』についてこう振り返った。
「ファーストアルバムで表現したのは今までの自分の歩みのまとめであり、これまでの自分自身についてでした。次はコンセプチュアルにテーマを絞って、短編集のような形の作品にトライしてもいいかなと思っています」
日韓の音楽シーンについて尋ねると、YonYonの視点は具体的だった。
「BTSが出始めた頃よりも、日本と韓国の音楽シーンは近づいてきていると思います。最初はK-POPが日本で流行るイメージでしたが、今はJ-ROCKやJ-POPが韓国で聴かれるようになり、日本のアニメブームも同様です。日韓のみならず、いろんな国のいろんな音楽が、いろんな場所で小さなブームをたくさん起こしているのが面白いなと思います」
アーティスト同士はSNSを通じた交流がすでに活発に起きているが、権利の問題など制度的な壁がまだ多いとも指摘した。
「私は日本と韓国のシステムや事情、それぞれの違いをわかっているからアーティストに説明しますけど、わからない人たちの架け橋になれる大人がもっといたらいいなと思いますね」
今年の抱負については、こう話してくれた。
「今年は自分を大事にするイヤーにしようと思っています。いろんなことをたくさんトライしているからこそ、自分が本当は何がやりたいのかを模索する1年にしたいです」
その言葉は、誰よりも多くのものを繋いできた彼女が、今は自分自身の中心に向かっているということを静かに告げていた。
Interview with Gliiico
─未来のノスタルジーを体現する─
Gliiicoは、長男Nico、次男Kai、三男Kioによる3兄弟インディーバンドだ。バンクーバーで育ち、東京を拠点に活動する。Nicoがギターとコーラス、Kioがベースとコーラスを担い、Kaiがボーカルを操る。この夜はドラマーのHarukiとギター・シンセのKosyが加わった編成でステージに立った。ノスタルジーを懐かしさとして消費せず、未来への入口として鳴らす。その音は、聴く者の出身地も年齢も問わない。2022年にKhruangbin、2023年にPhoenixの日本公演でオープニングアクトを務め、2024年にはSXSWに出演。同年10月のデビューEP『The Oath』にはCharaが参加し、2025年にはアジアツアーを敢行、韓国のアーティストとの共同制作にも乗り出した。Louis Vuitton、Hermès、Dieselといったブランドのランウェイにも立つなど、音楽とファッションのあいだを自在に横断している。
ステージ後方に映し出されるライブ映像はリアルタイムで歪み、色彩が滲み、万華鏡のように増殖していく。Gliiicoのライブは演奏と映像が分離していない。目の前で鳴っているロックンロールそのものが、サイケデリックな夢の中へ引き込まれていくような感覚だった。




60年代のサイケデリックロック、2000年代初頭のガレージロックリバイバル、ニューウェーブ、シンセポップ、インディロック──そうした音楽の断片が聴感上に次々と現れる。しかし彼らは決して懐古主義には陥らない。荒々しいロックンロールの衝動から始まり、タイトなビートを軸にしたニューウェーブへ向かい、さらにメロウなドリームポップへと景色を変えていく。それでも散漫にならないのは、どの曲にも共通して「ノスタルジー」が流れているからだ。特に印象的だったのは、そのノスタルジーが実体験としての懐かしさではなく、まだ見ぬ過去への憧憬として鳴っていることだった。
終盤になるにつれて会場の熱量はさらに上昇する。ニューウェーブ由来のダンスビートとレイヴ的な高揚感が交錯し、WWW Xはライブハウスでありながらダンスフロアのような様相を帯び始める。そして最後に鳴らされたのは、THE BLUE HEARTS「リンダ リンダ」のカバーだった。世代も国境も越えて歌い継がれる日本のパンクロックアンセム。その普遍性への敬意であり、バンクーバーで育ちながら日本語のロックを鳴らす彼ら自身のルーツ表明でもあったのだろう。

ライブ前のインタビューでは主にNicoとKaiが言葉を重ねたが、三男Kioはその隣で静かに頷いていた。3人が同じ場所を見ていることは、その佇まいからも伝わってきた。長男のNicoはバンクーバーで育った経験についてこう語った。
「バンクーバーは本当にいろんな国の人が混在している場所で、友達の親がカリビアン系だったり、自分と同じ日本人の友達はほとんどいなかった。そういう環境で育って日本に戻ってくると、自分の目線が少し違って見えてくる。日本人としての感覚と、外からの目線が両方あるというか」
次男のKaiはこう補足した。
「バンクーバーは一つの国籍が多数派を占めるような街じゃないんだよね。子どもの頃から友達の家に行くたびにいろんな文化に触れてきた。だからこそ、日本のことを世界に持っていきたいという気持ちが自然に育ってきたと思う」
3兄弟でクリエイティブすることの強みを聞くと、Kaiは即答した。
「一番簡単だと思う。スタジオでそんなに言葉を使わなくていい。好き嫌いの感覚がほとんど同じだから、いいと思ったらお互いすぐわかる。喧嘩もないし、制作はいつもスムーズ。やっぱりファミリーだからだと思う」
今の東京についての問いに、Nicoは正直に答えた。
「今はそれほど好きになれなくなってしまっているかな。世界では戦争とか、どんどん変わってきていて、音楽のゴールデンエラみたいなものが終わっていく感じがする。街ってその時代の鏡みたいなものだから、東京もそれを映してる気がして」
Kaiはそれとは異なる角度から語った。
「今の時代自体は正直あまり好きじゃない。でも東京には、前の時代の場所がまだ少し残っている。昭和の雰囲気が残ってるスナックとか、タイムレスな空気が漂う場所を見つけた時にすごくインスピレーションをもらえる。それが自分たちの音楽でいう『フューチャーノスタルジア』というコンセプトに繋がっていると思う」
フューチャーノスタルジア──それがGliiicoの音楽の核心にある言葉だった。アナログとデジタル、過去と未来。どちらかを選ぶのではなく、そのあいだに宿る感覚そのものを音にしていく。8月には新しいEP『The Veil』のリリースを予定している。
「今は未来にリリースするフルアルバムの前のファイナルステップみたいなところにいると思う」(Nico)
「まずはEP『The Veil』を早くみんなに聴いてもらいたいね」(Kio)
Gliiicoが今作り続けているのは、懐かしさを再現することではなく、「未来のノスタルジー」そのものだ。
Interview with 北村蕗
─ジャンルの外側に、もっと自由な音がある─
北村蕗のライブは、ジャンルではなく音の質感におけるグラデーションの変化によって進んでいく。

流麗なピアノの旋律が鳴ったかと思えば、その下では重低音が静かに蠢いている。ジャズを通過した演奏感覚と、DTM以降の音響感覚。その二つが同じ体温で並走している。中盤ではラップともスポークンワードともつかない言葉のリズムと浮遊するファルセットが交差し、反復するループの中で声が幾重にも重なり、ゴスペルにも似た精神性を帯び始める。フルートの生演奏が加わると、アコースティックな息遣いと電子音のあいだにあるはずの境界線が、自然と溶けていく。終盤、ビートはダンスフロアへと大きく接近する。ハウス由来の反復的なグルーヴの中でも、メロディは最後まで人間の情感を手放さなかった。


23歳の彼女は、幼少期からピアノを習い、童謡を歌い続けて育った。高校生の頃に矢野顕子と出会い、コード感や和声への興味が芽生えた。
「童謡をずっと歌って育ってきた流れで矢野顕子さんに惹かれて、矢野さんの曲からコード感や和声への興味が生まれました。矢野さんはYMOのサポートもされていたので、そういう音楽にも触れていくようになって。自分が触れてきたものが、次のジャンルへの扉を開いていく。そういう感覚がずっとあります」
ハウスミュージックへの入口になったのは、Emma-Jean Thackrayというイギリスのトランペッターでありマルチ奏者だった。
「アコースティックなサウンドでハウスをやっていて、弾き語りをやっていた私にはすごく新鮮でした。こういう音楽があるんだと思って、そこからDTMで打ち込みを始めました」
インタビューで印象的だったのは、ジャンルに関する意識の持ち方だった。
「ジャンルというよりは、サウンドのイメージや色、視覚的な発想から曲が生まれることが多いんですね。あるジャンルで使われている音でも、自分の曲に持ってきたら面白いかなと思ってよく試しています。意識的にジャンルを越えようとしているというよりは、最初からそういう区切りがあまりないないんです」

ストリーミング世代ならではのリスニング体験が、その感覚の源にあるとも話してくれた。
「アーティストを知らないまま好きな曲だけループして聴いていた、というのが学生の頃はよくあって。そういう聴き方がジャンルへの縛りのなさにつながったと思います」
DJとしては2023年からkuyurimiという別名義でダンスミュージックに特化した活動を始めた。
「DJはお客さんと即興的に音楽で楽しめる感覚があって、自分のライブとはまた別の面白さがあります。お客さんの反応を見ながらその場で判断していく、あの即興性がすごく好きです」
北村蕗のライブを観終えたあとに残るのは、「シンガーソングライターだった」「トラックメイカーだった」という印象ではない。もっと曖昧で、もっと自由な何かだ。北村蕗は歌を作っているというより、新しいポップミュージックの形そのものを提示している。その現在地を示す40分だった。
音楽の意志は、形を変えて、未来へ。
この夜、渋谷WWW Xで鳴った音楽はそれぞれまったく異なっていた。しかしYonYon、Gliiico、北村蕗の三者に共通していたのは、ジャンルの外側に立つことが目的化していないという点だ。それぞれが自分の音楽的出自を深く信頼しながら、その先へ向かっている。
Marshall Milton A.N.C.というプロダクトもまた、同じ方向を向いていると言えるかもしれない。大きな音だけがMarshallではない。どんなミュージシャンでも、どんな場所でも、その人が求める音と向き合うための道具。1962年にジム・マーシャルがミュージシャンの声に応えてアンプを作った時から続く意志は、この夜の渋谷でも確かに鳴り続けていた。




