新大久保〜新宿編:タイニー・ダンサー②
長谷川町蔵 著

illustration_Rio Arai

新大久保〜新宿編:タイニー・ダンサー②
長谷川町蔵 著

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毎回、ある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の連作短編シリーズ。 小説「インナー・シティ・ブルース」。第9回は前回に引き続き、新大久保〜新宿が舞台となる。

【前回までのあらすじ】
表向きはインテリア・コーディネーター、裏では新宿の歓楽街エリアで不幸な女の子たちを助ける仕事を請け負っている、囲間楽。今回の裏仕事は、地下アイドルが騙されて出演させられたビデオのデータ削除。楽は一人で敵地に乗り込むが、すでにその証拠は隠滅されていた。それを実行したのは池袋のカラーギャング、CボーイズのOBだと知った楽は……

 私が内藤にしたのは、パパが教えてくれた”歴史の勉強”のバリエーション技“歴史の勉強:実践編”だった。狙った相手を、今いる場所の過去へと送り込めるのだ。

 残念ながらその効果は長くは続かない。過去に送り込まれた相手は3分ほど経つと今の世界に戻ってきてしまう。でも使い方によっては3分もあれば十分だ。事実、3分後に再び姿を現した内藤は、全身傷だらけで息も絶え絶えだった。
 私が彼を飛ばした先は、1968年6月30日の真昼間。その日、フーテンと野次馬300人が駅前の交番を襲撃して、新宿東口は怒号と投石が飛び交う無政府状態になったのだった。
 私はもう一度、内藤に尋ねた。
「誰に頼まれてシルバーサーフ・フィルムズを襲った?」

 内藤は腫れた顔のあちこちから流れる血を手で押さえながら言った。
「天神プロモーションだよ。お前、俺に何をした……ったくワケわかんねえ」
 私はそこを立ち去ると、地下道をくぐって駅の西口側に出た。青梅街道や甲州街道、明治通りといろんな通りに繋がっているからなのだろう。闇の中でタクシーのヘッドライトが思い思いの方向へと飛び交っていた。朝までまだ時間がある。私は思い出横丁へと入っていった。行きつけの中華料理店は閉店間際だったけど、私の顔を見ると中に入れてくれた。
「ごめんなさい、ちょっとの時間だけでいいから」
「楽ちゃんなら朝までいていいよ。なにが欲しい?」
「老酒とメンマだけでいい」
老酒で心を鎮めると、スマホを取り出してミサオにショートメールを送った。
「天神プロモーションって知ってる?」
ちょっとすると返信があった。
「芸能界では老舗のプロダクションだけど、社風がブラックなせいか最近、所属タレントに次々独立されてる」
もうひとつ私は質問した。
「売れるアイドルの必要条件って何だと思う?」

 少し間を置いてミサオは自分の考えを書いて送って来た。そしてその後さほど間を置かずに今度はメールを送ってきた。

 タイトルには「おまたせ。ハフハフ・ハーフ&ハーフと赤城凛」と書かれていて、本文にはたくさんのリンクが貼ってあった。

 クリックすると、ラインのスクショや、Instagramやツイッターのアカウントへと接続できた。わたしは2時間ほどかけてそれをひとつひとつ確認していった。中学校で撮られた写真はほとんどない。あるのは、アプリで顔がデフォルメされた地下アイドル仲間とのグループ写真ばかりだ。

 その中で他と雰囲気が違う写真に目がとまった。かなり年上の女性とツーショットでハグしあっている。相手は髪をブロンドに染めているけど顔立ちは明らかに日本人だ。背は彼女と同じくらい。“裏側に隠されている真実”に想いをめぐらしながら、私は写真をスワイプし続けた。すると、イベントスペースの楽屋らしき狭い場所のドア近くに、ある人物の姿が映っていることに気がついた。

 ハンドバッグからコンパクトを取り出すと、ルージュ・ディオールのNO.999を唇に塗り直した。私はミサオに電話すると、呼び出してほしい人物の名前を挙げて、待ち合わせの時間と場所を告げた。
そのあとすぐ赤城照夫にも電話して、こう告げた。
「問題はほとんど解決したから。朝の7時に新宿西口の三井ビルディングの前の公園で待ちあわせということで」
新宿駅の西口から高層ビル街に行くための最も効率的なルート。それは横断歩道や階段で何箇所も遮られている地上は歩かずに、いったん地下に下りてから地下道を歩いていくことだ。すると平坦な歩道をまっすぐ歩いていくだけでビル街の1階へと辿り着く。でもなぜ地下1階の延長に地上1階があるのだろう。

 私は三井ビルの前に着くと階段を下りて、レンガ色のタイルが敷き詰められた広場で赤城照夫を待った。
 7時ちょうどに彼はやって来ると、上ずった声で尋ねてきた。
「ビデオのマスターは手に入ったんですか?」
「ここにはない。マスターは天神プロモーションの手に渡った」
これ以上ないほどガッカリした表情をしている彼に私は言った。
「あなたは赤城凛の叔父さんじゃないよね」
「えっ、なんで」
「ビデオ会社で、教えてもらった。あそこで作っているビデオは必ず親と出演契約を結んでいるって。あの子の母親がイラン人みたいなことをあなたは言っていたけど、母親は日本人だった。写真をいろいろチェックしたけど、父親はイランに帰ってしまっていて母子家庭なんじゃないかな。生活レベルは高くない。だからビデオ出演は母親が決めた。それでも母娘の仲はいいみたい」
 自分が赤城凛の叔父だと偽っていた男は黙りこんでいる。
「あなたの正体は、ハフハフ・ハーフ&ハーフの運営だね。通称、河田P」
「……その通りです」
「プロに訊きたいんだけど、売れるアイドルの必要条件って何か教えてくれる?」
「えーと、それは人に愛される才能だと思います」
「そんなボンヤリしたものなの? 私は頭の小ささだと思うよ」
河田Pは何か言い返そうとしたようだけど口ごもってしまった。私は話を続けた。
「赤城凛の写真を最初に見たとき、この子の背は高いなって思った。なんでそう思ったのか考えてみたら、彼女の頭ってすごく小さいんだよね。私が信頼している人の話だと、顔はあとからいくらでもいじれるけど骨格は変えられないから、芸能プロダクションは頭が小さくて背が低い女の子を血眼で探しているんだって。男子のアイドルやお笑いタレントには小柄な人も多いっていうけど、赤城凛が隣にいたら背がとても高く見えるんじゃないかな。だから上手く売り出せばスターになるかもしれない」

 河田Pは気がつかなかったという表情をしている。
「そんな彼女に、所属タレントに逃げられて困っている天神プロモーションが目をつけた。赤城凛のポテンシャルをわかっていなかったあなたは、引き抜きに気が動転した。それで腹立ち紛れに、彼女から話を聞いていたビデオを入手して、天神プロモーションから金を揺すり取ってやろうと思いついた。でも半グレを雇うお金なんてない。そこで、正義のヒーローぶっている私の噂を聞いて、こいつを利用してやろうと考えた。真相はこんなところじゃないの?」
 河田Pは答えた。
「ええ、ビンゴですよ……。でもハフハフ・ハーフ&ハーフのコンセプトを作ったのは俺なんです。彼女は俺のヴィジョンの大事なパーツなんですよ。これだけ頑張ってきたのに、それをよそからやってきて一部だけつまみ取ろうなんて、許せませんよ」
「偉そうなことを言うんなら、もっと女の子たちに手間暇をかけてあげなきゃダメだよ。歌舞伎町や百人町のお店の方がまだマシだよ。商品である女の子たちを最低限守ろうとしているからね。でもあなたはその商品を適当に仕入れては、使い捨てにしているだけ。ネットで知ったよ、ハフハフ・ハーフ&ハーフにはオリジナル曲もないし、服もスタジオレンタル代も女の子たち払い。ライブチケットの販売もメンバーにノルマを課しているって。あなたはプロデューサーごっこをして悦に入ってるだけだよ」
「ち、ちがいますよ! 金と時間がない中で、俺はベストを尽くしているんです。じゃなかったら、次々女の子がグループに入れてくれってやってきます? 俺は女の子を食い物になんかしていない!」
「立派な仕事をやっていると思ってるんだね。でももしそうだとしても、この仕事には向いていないと思う。だからはっきり言うけど、荷物をまとめて故郷に帰りなよ」
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないんですか、俺は絶対帰りませんよ!」
私は仕方なく、両手でカメラのファインダーの形を作ると、頭の中で数字を数えた。55も数えれば十分だ。ファインダーの景色が過去に遡っていく。そして右手人差し指を河田Pに向けると引き金を引いた。次の瞬間、彼の姿は消えた。

 西新宿の高層ビル街の一帯がなぜワンフロアー分、地下に下がってているのか教えてあげる。この一帯は昔、浄水場だった。高層ビル街の1階はもともと浄水場の水底だったのだ。

 3分後、再び姿を表した河田Pは溺死寸前の状態で倒れこんでいた。周りを出勤途中のサラリーマンが歩いているけど、誰も気に留めない。通勤途中で倒れる男なんて日常茶飯事の光景なのかも。

 酸欠で意識が朦朧としている河田Pに向かって、私は最終通告を言い渡した。
「あなたの顔をまたこの街で見たら、今度はこれじゃ済まない。カミソリで喉をかき切ってやる。何が流れ出るか見てみたいね」
 新宿で働いていたけど今は故郷に帰って幸せに暮らしているという人の話は聞いたことがない。でも溺れ死にそうになったから仕方なく故郷に帰ってきたっていう男がいたら、それは私の仕業だ。

 倒れ込んでいる河田Pを放っておいたまま、私は階段をワンフロアあがるとロイヤルホストの店内に入っていった。開店したばかりでまだまばらな客席を見渡すと、ミサオに呼び出してもらっていた人物を窓側の席に見つけた。赤城凛だ。フレンチトーストを頬張っている。私と河田Pのやりとりを見ていたのだろう。彼女は興奮した調子で話しかけてきた。
「マジすごくないですか。ねえねえ何をやったんですか?」
「それは内緒。これでアイツは東京からいなくなると思うけど、ハフハフ・ハーフ&ハーフは大丈夫なのかな?」
「毎回ライブに来てくれる人に、保険会社で課長をやっているって人がいて、ずっと俺の方がPにふさわしいって言い続けていたんですよ。だからその人が色々やってくれると思います」
「あなたはグループを抜けて天神プロモーションに移籍するんだね」
「はい。でもわたしってラッキーですよね、あんな大手から声がかかるなんて。あのビデオのことがずっと気になっていたんですけど、それももう大丈夫になったって言ってくれてるし。でも後列で踊っていたわたしを発見してくれるなんて、スカウトさんには超感謝ですよー」

 私は心の中で答えた。ちがう。天神プロモーションのスカウトは、ハフハフ・ハーフ&ハーフのライブなんか見にいっていない。例のビデオに出演している女の子たちの中から、小柄で頭が小さいあなたを選んだだけ。今度は自分たちに絶対逆らわない子をスターにしようって考えているだけだ。
「神武以来の〜センセイション!」
突然、赤城凛が言った。
「それなに?」
「天神プロモーションが考えてくれたわたしのキャッチフレーズなんです。これでプッシュしまくってくれるって!」
 この子は、ビデオの存在をちらつかされながら働かされ続けるのだろう。このまま放っておくわけにはいかない。私は、天神プロモーションのオフィスを金属バットで襲撃して、ビデオのマスターを叩き壊したり、社員たちを淀橋浄水場で窒息させる自分の姿を思い描いた。
「楽、それはやりすぎだ」
 パパが耳元で注意する。私は反論する。
「囲間家は黒子であれって言うんでしょ。でもそのせいで悪い奴がはびこったら? それは仕方ないってこと?」
私の中にいるパパが私に語りかける。
「お前は人間の暗い面も見れるはずだろう。よく考えろ、この子には見た目以外何もない。それだけを手がかりに崖をなんとか這い上がろうとしているのに、お前は崖そのものを崩してしまおうとするのか」
 長い沈黙のあと、私は凛ちゃんに言った。
「売れるといいね」
 凛ちゃんは朗らかに答えた。
「大丈夫。絶対売れますから!」
 私は、赤城凛の手の甲に手を置くと、彼女の分の会計を済ませてロイヤルホストから外に出た。すでに辺りは出勤ラッシュのピークになっていて、あちこちの高層ビルへとサラリーマンたちが吸い込まれていく。でも私は、どの建物にも立ち寄らずに新宿公園の方角へと歩いていった。
 ビニールハウスが立ち並ぶ公園の向こう側には、室町時代から新宿を護ってきた熊野神社がある。神社と通りを挟んで立つ古いマンションの4階に私は部屋を借りていた。
 エレベーターで4階までのぼって、玄関キーを回したときに気がついた。扉がロックされていない。もしかすると内藤の仲間が復讐しに来たのかも。私はアーミーナイフをハンドバッグから取り出すと、音がしないように扉を開け、息を殺しながらダイニングへと歩いていった。
「おう」
 ダイニングにいたのはミサオだった。そういえば今朝は私を姉さんの職場まで車で送ってくれる約束をしていたんだっけ。
「お疲れ。ぜんぶ終わったって感じ?」
「終わってないけど、もう止めた」
 ミサオはコーヒーをマグカップに注いで私に手渡すと、勝手にテレビのスイッチを入れてチャンネルを民放へと変えた。ニュースのかわりに芸能ネタやグルメコーナーばかりやっているモーニング・ショーが放送されていた。
「ミサオって、バカっぽい番組を見てんだね」
「社会を知るためには必要悪なんだって。お前もさ、ただでさえ浮世離れしてるんだから、こういう番組でも観ないと世の中から完全に置いてかれるよ」
 番組の司会らしきアナウンサーが、デリカシーのない声で原稿を読みあげる。
「次はブランニュー・フェイスのコーナーです。“天の岩戸の捧げ物”というキャッチフレーズで、いま話題沸騰のアイドルです!」
 テレビの中で、小柄な女の子がくるくると踊りながら、キンキンした声で歌いはじめた。
 二日酔いの頭には辛い。ミサオが言った。
「この子、スゲえ売れそうじゃね?」
 頭がとても小さい。手足がすらりと長い。そして大きな瞳が印象的。すべてが赤城凛の上位互換に思えた。直感した、この子のせいで赤城凛は決してスターにはなれないだろうって。

 アナウンサーが彼女を褒め称え、画面にはテロップが流れ続けている。私はその子の名前を覚えようとしたけど、すぐに忘れてしまった。

「新大久保〜新宿編:タイニー・ダンサー」了

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門2』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000

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