木津毅の「話題は映画のことばかり」
第6回:宇野維正と語る『ベター・コール・ソウル』

text_Tsuyoshi Kizu

木津毅の「話題は映画のことばかり」
第6回:宇野維正と語る『ベター・コール・ソウル』

text_Tsuyoshi Kizu

映画や音楽を中心にカルチャーのあれこれを書いて日々暮らすライター、木津毅が、各分野の映画好きとしゃべり倒す対談連載。

ウイルスの拡大によって外出が制限され、映画館で映画を観るという体験が失われているいま、映画好きに胸を張って推薦できるストリーミング作品は何だろうか? 今回のゲストである映画・音楽ジャーナリストの宇野維正によれば、いま最高の映像作品はテレビシリーズ『ベター・コール・ソウル』だという。

ニューメキシコ州アルバカーキを舞台に、真面目に生きてきた中年高校教師ウォルター・ホワイトが麻薬王へと変貌していく様を怒涛の展開で描き、爆発的な人気を得たテレビシリーズ『ブレイキング・バッド』。そのなかに登場する人気キャラクターのひとりだった悪徳弁護士ソウル・グッドマンを主人公にしつつ、『ブレイキング・バッド』の前日譚を語るスピンオフ・シリーズが『ベター・コール・ソウル』だ。いまのところシーズン5まで放送されているが、その緻密な脚本、高い演出力、俳優陣の見事なアンサンブル、そして現代アメリカを射抜くテーマによって、本家すら超える迫力を帯びてきている。その真髄はいったい何なのか、たっぷり語り合った。

リアルタイムの伝説、〈アルバカーキ・サーガ〉

木津:パンデミック下で映画館にも行けず、ストリーミングの需要がさらに高まっていますが、宇野さんは以前よりストリーミングのテレビシリーズの重要性について発信してらっしゃったと思います。そして、そんな宇野さんとしても、いまもっとも重要なテレビシリーズは『ベター・コール・ソウル』であると。そこは間違いないでしょうか。

宇野:重要かどうかは人によると思いますが、2016年のシーズン2あたりから、映画も含めて、現在作られている映像作品で最も優れたフィクション作品は『ベター・コール・ソウル』だと常々語ってきました。2020年4月20日にシーズン5の最終回が配信されたわけですが、その確信はシーズンを追うごとに強まっていて、いま、個人的にも興奮がピークに達しているところです。残すところあと1シーズン。我々は伝説をリアルタイムで目撃しているということに、できるだけ多くの人に気づいてほしいですね。

木津:おお、伝説になるであろう、と。たしかに僕も、とくにシーズン5のテンションには圧倒されました。田中宗一郎さんと三原勇希さんがホストのPodcast『POP LIFE: The Podcast』にいっしょにゲスト出演させていただいたときは、時間がなくてそれほど話せなかったので、今日はもう少し突っこんでお話を聞ければと思います。

宇野:了解です。

木津:いちおう、『ブレイキング・バッド』(2008年~2013年)のスピンオフであり前日譚というところでその話も軽くしておきたいのですが、宇野さんは『ブレイキング・バッド』も熱烈に支持してきてらっしゃいますよね。いまでも「史上最高のTVシリーズ」とも言われる作品ですが、そもそもどういったところが画期的だったのでしょう?

宇野:そこからですか(笑)。えーと、いまでは『ブレイキング・バッド』と『ベター・コール・ソウル』を合わせて〈アルバカーキ・サーガ〉なんて呼ばれ方もしていますが、ニューメキシコ州アルバカーキという小さい街――自分も『ブレイキング・バッド』を見るまではプリファブ・スプラウトの歌詞くらいでしか知らなかった、何の変哲もないアメリカ南部の小さい街だけを基本的には舞台にしながら、現代アメリカ社会の問題をどんな作品よりも深く描こうとしたのが、まず作品の視点として画期的だったと言えるのではないでしょうか。国の保険制度、格差社会、ドラッグの問題、移民の問題などなど、別にホワイトハウスやウォールストリートでなくても、アメリカの田舎の小さな街にすべてのイシューは凝縮しているという。

『ブレイキング・バッド』シーズン1~3予告編

木津:主人公の高校教師ウォルターが癌になってしまって、治療費をまともに払えないというところから麻薬ビジネスに足を踏み入れていく。『ブレイキング・バッド』が始まったのが2008年で、たとえばアメリカの医療問題を扱ったマイケル・ムーアの『シッコ』が2007年ですから、社会的にもそういった機運があったということですね。あとアルバカーキという土地性にしても、国境近くの町なので移民が多かったり、人種間の緊張があったりと、2010年代により前景化していくボーダー・ポリティクスの問題を提示するのに打ってつけだった。その辺りの設定のうまさはありますね。ただ、もちろんそうした社会性の高さもありつつ、何よりべらぼうに面白かった、と。話が進むほどに魅力的なキャラクターも次々と登場しますし。

宇野:そうですね。『ブレイキング・バッド』の最も重要な功績は、テレビシリーズに映画的な作劇を大胆に持ちこんだところにあると思います。『ブレイキング・バッド』以前と以降で、テレビシリーズのナラティヴは確実に底上げされました。代表的なのは、新海誠監督も『君の名は。』で参考にしたと言っていた時制の入れ替えですね。アバン(タイトル前のシーン)でそのエピソードのクライマックスのシーンをいきなり見せたり、場合によっては数エピソード先につながる重要なシーンや象徴的なシーンを仕込んだりするという、視聴者が画面に釘づけになってさまざまなことを読み解くのを前提とした作劇をした。これを全シーズン合わせて何十時間もあるテレビシリーズで本気でやると、当然映画よりも深いカタルシスを生み出すことができるわけです。ただ、それまでのテレビシリーズの作り手はそこまで視聴者のことを信頼してなかった。

木津:なるほど。いまから思うと、それはストリーミング時代を先駆けるような作劇でもあるわけですよね。視聴者が気になるところを確認するために観直しても、リピートに耐えうるだけの強度があり、それがのちのテレビシリーズのクオリティや視聴者のリテラシーを抜本的に変えた部分もある。

宇野:実際に自分も含め〈アルバカーキ・サーガ〉のファンは、『ブレイキング・バッド』も『ベター・コール・ソウル』も何度も繰り返して観ている人がとても多いですね。

木津:トリッキーな時制の手法は『ベター・コール・ソウル』にも引き継がれていますが、ただ、とくに演出面ではテクスチャーがまたアップグレードされたように思えます。そこはやっぱり、『ブレイキング・バッド』の時代と『ベター・コール・ソウル』とでは映像作品の水準が変わったからなのでしょうか。

宇野:史上最高のテレビシリーズとしてよく比較される『ゲーム・オブ・スローンズ』もそうですが、『ベター・コール・ソウル』が始まった2015年の時点で、ストーリーテリングという点では、テレビシリーズはもう極限まで洗練され尽くされていたと思うんですね。ちなみに、『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作者ジョージ・R・R・マーティンは『ブレイキング・バッド』の大ファンとして知られていて、『ブレイキング・バッド』の最高傑作回とも言われているシーズン5エピソード14「オジマンディアス」の放送直後には、「ウォルター・ホワイトはウェスタロスの誰よりも恐ろしいモンスターだ」なんてブログに書いてたくらいなんですけど。

木津:へえー! もはや、ただの熱いファンだ(笑)。

宇野:それはそれとして、『ベター・コール・ソウル』は「『ブレイキング・バッド』を超える」という、スピンオフ作品であることを踏まえると、どう考えても不可能なミッションを達成する上で、ちょっと嫌らしいくらい演出の徹底的な洗練をはかった。自分がその野心に気づいたのが、さっき言ったようにシーズン2〜3くらいのタイミングでした。

木津:たしかに。

現代アメリカを巡る神話としての『ベター・コール・ソウル』

『ベター・コール・ソウル』シリーズ予告編

木津:僕が『ベター・コール・ソウル』を観ていてすごく思うのが、「デヴィッド・フィンチャーがテレビシリーズにいる時代のテクスチャーだな」ということなんです。脚本の緻密さはもう前提で、構図とライティングの美しさが本当に図抜けている。シーズン2から3はちょうどシリーズのテーマも深まっていくタイミングだったと思うのですが、それと同時に画面の洗練も磨かれていった。そうした演出面の説得力で、『ブレイキング・バッド』のファンを喜ばせるスピンオフという地点をはるかに越えて、作品単体としての圧倒的な強度を持ったんでしょうね。

宇野:ショーランナー、脚本家、演出家それぞれが、ソーシャルメディアやポッドキャストでストーリーボードや撮影風景や裏話を積極的に発信していることも含め、そのあたりはとても意識的に取り組んでいますね。『ブレイキング・バッド』を進化させたというんじゃない、とんでもない高みに自分たちが挑んでいるという自覚をチームとして持っている。

木津:スピンオフってキャラクター商売になりがちだと思うんですよ。主人公の悪徳弁護士ソウル・グッドマンはもともと『ブレイキング・バッド』の人気キャラクターなわけで、そういう危険性もなくはなかった。だけどありがちなファン・サービスに堕さなかったのは、のちにソウル・グッドマンとなるジミー・マッギルの背景が緻密に描かれるからなわけですが、その辺り、『ブレイキング・バッド』の時点でショーランナーのヴィンス・ギリガンの頭のなかにはあった設定なのでしょうか?

宇野:いやー、『ブレイキング・バッド』は『ブレイキング・バッド』で、その段階ではやり尽くしたと思っていたはずですよ。ただ、昨年その後日談の映画作品『エルカミーノ』(2019年)も作ったように、時間が経ってから、語り残したこと、そしてまだこの物語を掘る価値があることに気づいていったんじゃないでしょうか。

木津:なるほど。

宇野:そこで重要なのは、やはり物語のスケールを無闇に広げなかったことですよね。成功したテレビシリーズが陥りがちなのが、人気の高まりと予算の増大に合わせて、シーズンを経るごとにどんどんスケールアップして収集がつかなくなっていくパターンです。ヴィンス・ギリガンのやり方は、その真逆ですよね? 同じアルバカーキで、同じキャラクターを、とことん掘っていく。そういうミニマリズムの先に、物語の無限の宇宙を発見していく。『ブレイキング・バッド』も終盤はそうですが、『ベター・コール・ソウル』もどんどんシェークスピア的、あるいはギリシア神話的になってきています。 それをリアルタイムで追うことができる幸福を繰り返し見ながら噛み締めている毎日ですね。

木津:ははは、さすが熱狂型の宇野さんですね。しかし、神話的というのは本当にそうですね。僕、最近『ブレイキング・バッド』を観直していたのですが、ソウル・グッドマンにしろ、ガスの用心棒の老人マイクにしろ、サブ・キャラクターの「キャラ感」は強かったと思うんですよ。マイクなんて超人だし。ただ『ベター・コール・ソウル』で彼らの過去を掘り下げていくことで、人間ドラマとしての深みがぐっと増してるんですよね。シーズン序盤では、しょうもない詐欺師だったジミーが優秀な弁護士の兄チャックに助けられ、やがて確執を深めていく過程が中心になりますが、兄弟というモチーフ自体も神話的で。とくにシーズン3エピソード5の心理戦となるコート・プレイなんかはそれこそ古典の戯曲のような風格すらあり、いっしょに観ていたアメリカ人が終わった瞬間「ファッキン・グレイト・エピソード!!」と絶叫していました(笑)。

テーマを背負う女性キャラクターの登場

宇野:『ブレイキング・バッド』でも『ベター・コール・ソウル』でもいいですけど、木津さんが思い入れのあるキャラクターは?

木津:僕はマイクが一貫して好きですけど――ああいう寡黙なタフガイの苦悩みたいなものに弱いので――、彼はやっぱり有能すぎて、ちょっと作劇的にも便利なキャラだなと思わなくもない。となると、いまは圧倒的にジミーのパートナーである弁護士キム・ウェクスラーですね。これは『ブレイキング・バッド』も通してです。彼女の迷いや苦悩、揺らぎみたいなものが、本当に繊細に描かれているので。〈アルバカーキ・サーガ〉最高の女性キャラクターだと言いたいです。

宇野:自分は『ブレイキング・バッド』では本当に主人公のウォルターに感情移入して見ていたんですよ。「俺は家族のためにこんなに頑張ってるのに、家族はわかってくれない!」っていう、きっと多くの男性視聴者も入り口はそこだったんじゃないかな(笑)。ただ、ウォルターはそれが自分の都合のいい思い込みだったことに、最後に気づくわけですけどね。あの瞬間は、本当に全身に鳥肌が立ちました。それと、偏愛の対象としては、ジェシーの恋人のジェーン。覚えてますか? あのジェシーの隣に住んでた部屋の管理人で、ヘロイン中毒の女の子。

木津:ええ、もちろん。ただ、彼女を偏愛するっていうのはどういったポイントなんですか? 

宇野:ちょうどジェシーと同じくらいの年頃に、ジェーンのような恋人がいたからです(苦笑)。だから、そういう意味ではジェシーにもすごく思い入れがある。つまり、『ブレイキング・バッド』はメインの2人にこれ以上ないほどどっぷり入れこんで見ていたわけです。一方、『ベター・コール・ソウル』は、より俯瞰的に物語を楽しんで、その展開に翻弄されている感じですね。

木津:宇野さんはジミーに肩入れしてご覧になっているのかなと勝手に思ってました。

宇野:悪徳ジャーナリストとして?(笑)

木津:どんな職業ですか(苦笑)。ジミーが優等生の兄であるチャックに対して抱いている、複雑な愛憎についてはどうですか? そこは僕も思い当たるところがあります。

宇野:ジミーとチャックに関しては、両親との関係も重要ですよね。ジミーは、商売人なのに人が良すぎる父親のことを不甲斐なく思ってきた。一方、チャックは優等生の自分ではなく、ダメな弟の方が愛されていることをずっと根にもってきた。きっと、いろんな人が思い当たるような家族間の普遍的な物語が織り込まれている。

木津:ええ。

宇野:ただ、シーズン5はもはやキムが主人公といってもいい内容になっていますよね。当初は誰もが、ジミーが悪徳弁護士ソウル・グッドマンになるまでを描く話かと思っていたわけですけど、そういう意味ではシーズン5の序盤でソウル・グットマンは誕生しちゃってるわけですから。

木津:キムの存在は本当に大きいですよね。ダメ男を見限れないというところで僕は勝手に共感してしまうところもあるのですが(笑)、もちろんそんな次元ではなくて。シーズンのはじめでは、彼女は「法」を正当に扱い、生真面目にキャリアアップしていこうと努力しているのですが、ジミーの影響もあって「法」を外れることも繰り返し経験していく。『ブレイキング・バッド』から「悪とは何か」という問いがあるわけですけど、『ベター・コール・ソウル』ではジミー以上にキムがその主題を引き継いでいるように思います。社会が複雑化するなかで、「法」はイコールで「善」ではない。だとしたら? という。それってもはや、「法」で定義された国としてのアメリカへの問いですよね。

宇野:そう。『ブレイキング・バッド』から『ベター・コール・ソウル』で舞台の中心がドラッグディールから法曹界へと移ったとき、最初はちょっと地味な話になったなって思ってましたけど、じつはより芯を食った「道を踏み外す」話になっているということですよね。

木津:〈アルバカーキ・サーガ〉は現代アメリカ文学の重鎮コーマック・マッカーシーの諸作としばしば比較されますが、それは風景的なものだけではなく、主題的な部分も大きいんでしょうね。『ブラッド・メリディアン』や(『ノーカントリー』原作の)『血と暴力の国』なんかに近い、善悪の境界が破壊されていく場所としてのアメリカ。

宇野:一方で、ドラッグカルテルの話も、途中まではほとんど交わることなく平行して描かれていく。そんなトリッキーな手法が許されるのは、視聴者が登場人物たちの未来を知っているスピンオフならではで、『ベター・コール・ソウル』はスピンオフとしての強みも最大限活かしてますよね。

木津:なるほど。基本的にはジミーとキムが中心の法曹界を舞台にしたストーリーと、マイクやナチョらによる麻薬カルテルのストーリーがパラレルで進んでいって、シーズンのここぞというときでそのふたつが交わる。その作劇も本当に見事で。しかも、その瞬間にテーマ性がグッと前に出るようなクライマックスの作り方をしているんですよね。物語の進行自体はけっこうスローだし、ある意味では地味ではあるんですけど、その分カタルシスは大きいように感じます。

宇野:『ブレイキング・バッド』から作品として明らかに更新されているのは、女性の描き方ですよね。正直、『ブレイキング・バッド』にはミソジニックなところもあって、それは当時、とくに男性の視聴者からあの作品がファナティックに支持された理由のひとつでもあったと思うし、それをもって作品を否定するのは間違ったことだとはっきり思いますけど。

木津:いま『ブレイキング・バッド』を観ると、それこそ近年取り沙汰されるトキシック・マスキュリニティの問題も発見できますね。僕なんかは、「いやー、ウォルター、そんな面倒な男のプライドなんか手放しちゃえばいいのに」と思ってしまうところも多々ありますよ。それは悪い意味ではなくて、逆にリアルということなんですけどね。ただ、ウォルターの妻スカイラーがとくに、一方的に悪役めいた描き方をされていた部分はあると感じます。

宇野:その点、『ベター・コール・ソウル』はちゃんと2010年代後半以降のテレビシリーズになっている。それを象徴するキャラクターがキムで、さっき「キムが主人公といってもいい内容になって」いると言いましたけど、それは必然だったと思うんですよ。

木津:ええ。とくにシーズン4、5と来て、そのことがより明確になってきた感じがありますね。

『ベター・コール・ソウル』シーズン5予告編

木津:というのは、『ベター・コール・ソウル』がリーマン・ショック以前の2000年代の話であることを踏まえると、キムが象徴的なキャラクターになっているからです。彼女がやっとの想いで掴んだ銀行との大きな仕事に対して、シーズン5では彼女自身が疑問を持つようになっていくじゃないですか。つまり、大銀行が「法」を駆使して庶民を追いつめていることに、自分も加担していいのか? そちら側こそが「悪」ではないのか? と自問する。だから、彼女はたしかに「道を踏み外そうとしている」んですけど、ある意味で彼女の変化は「目覚めること」でもある。そこもじつは、2010年代的なフェミニズムの機運を引き継いでいると言えます。

宇野:そっか。言われてみれば、たしかに『ベター・コール・ソウル』ではこれからリーマン・ショックがくるのか。なんか、さすがに役者がどんどん老けてきてるから、ときどき『ブレイキング・バッド』の前日譚であることを忘れちゃうんだけど(笑)。『ベター・コール・ソウル』に唯一の弱点があるとしたら、「役者の加齢問題」ですね。

木津:90年代にまで遡るシーンとか、さすがにちょっと無理がありますもんね(笑)。ただ、キムは『ブレイキング・バッド』には登場しないので、その問題とも無関係です。

宇野:そう。「キムは『ブレイキング・バッド』に出てこない」。その事実の重さを思い出す度に、胸が締めつけられ、ときに吐きそうになる。もう、『ブレイキング・バッド』と繫がらなくなってもいいから、ジミーとキムは一緒に幸せに暮らしてほしい(笑)。

木津:いやー、ほんとそうなんですよね……!

宇野:ちなみにジミーにいまいち感情移入できないのは、あんな素敵な恋人(妻)がいることが、ただただ羨ましいから(笑)。

木津:た、ただの本音じゃないですか! とにかく、視聴者はみんな、「キムがいなくなる」事実にうろたえるしかないですよね……。ただ、それはこのサーガにおける避けようのない「運命」でもある。「わたしたちは運命に逆らえるのか」……、これも『ベター・コール・ソウル』に幾度も立ち現れる問いです。それも踏まえて、完結となるシーズン6のポイントはどういったところになると予想、または期待されますか?

宇野:前日譚なわけだから、よく考えればそうなることは予想できたはずなんだけど、シーズン5に入ってから「自由意志と運命論」っていう、わりといま流行りのテーマが『ベター・コール・ソウル』でも前景化してきましたよね。それは、ジミーやキムだけでなく、マイク、ナチョ、ガス、あとシーズン4の終盤から出てきていきなり本国でも大人気キャラクターとなってるラロにとっても。でも、〈アルバカーキ・サーガ〉に関しては、予想すること自体が無駄だと思ってる。ヴィンス・ギリガンは、絶対に我々の想像力を超えてくるだろうから。

木津:そうか、もう身を委ねるしかないんですね。

宇野:ただ、シーズン6への期待という点では、やっぱりウォルターやジェシーの登場ですね。『エルカミーノ』でもワンシーンだけ出てきたけれど、これまでの『ベター・コール・ソウル』の積み重ねの先でもしウォルターやジェシーが出てきたら、その瞬間、間違いなく号泣しますよ。ちなみに、シーズン5でようやく出てきたハンクは、ちょっとドヤ顔が過ぎたけど(笑)。

木津:たしかに、たしかに(笑)。まあ彼も美味しい役ですからねえ。ただ、ウォルターやジェシーが出てくるにしても、たんなるファン・サービスではないことをやってくれると僕は信じています……たとえブライアン・クランストンが老けていても! ほんと、作品としてのクオリティもさることながら、確実に何かしらの思い入れを持てるサーガだと思うので、未見の方はいまからでも観てほしい。『ブレイキング・バッド』から観ても、まだまだ間に合いますよね。

宇野:『ブレイキング・バッド』は全5シーズン62エピソード。『ベター・コール・ソウル』は現在まで5シーズン50エピソード。ここまでで112エピソードあるわけだけど、それをこれから初体験できるなんて、夢のような話ですよ。『ベター・コール・ソウル』のシーズン6は一応2021年配信予定になってますけど、パンデミックによって予定通り撮影がスタートできない可能性がある。そういう意味でも、まだまだ時間はあります。ちなみに、『ベター・コール・ソウル』はシーズン6の13エピソードで終了することがあらかじめ告知されています。

木津:ああ、なるほど。

宇野:つまり、『ブレイキング・バッド』を1シーズン、そして1エピソードだけ「超える」わけです。いまのところエミー賞やゴールデン・グローブ賞などでわりと冷遇されてますけど、それもすべてシーズン終盤に向けての「フリ」だと自分は思っています。来年(以降)の『ベター・コール・ソウル』ファイナルは世界中で間違いなく現象化すると思いますよ。

木津:そうか……そうですね。さすがにサーガのキャラクターたちみたいに「道を踏み外す」わけにはいかないけれど、そのときまでどうにかして、この混乱の時代をサヴァイヴしないとですね。

PROFILE

宇野維正
映画・音楽ジャーナリスト。著書に『1998 年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』 (くるりとの共著、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表と Mr.Children』 (レジ―との共著、ソル・メディア)、『2010s』(田中宗一郎との共著、新潮社)がある。

木津毅
ライター。2011年『ele-king』にてデビュー、以降、各媒体で音楽、映画、ゲイ/クィア・カルチャーを中心にジャンルをまたいで執筆。紙版『EYESCREAM』では〈MUSIC REVIEWS〉ページに寄稿。編書に田亀源五郎の語り下ろし『ゲイ・カルチャーの未来へ』(Pヴァイン)。cakesにてエッセイ「ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん」連載中。

INFORMATION

『ベター・コール・ソウル』

Netflixオリジナルシリーズ
シーズン1~5独占配信中

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