橙 [dai-dai]as photographed by TAIGA NAKANO vol.06 山田健人

vol.06 山田健人 / 映像作家

平成という時代は、どんな色をしていただろう。
俳優 仲野太賀がカメラを構え、平成に生まれた表現者たちの素顔と向き合う。

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作れるかどうかじゃなくて
作りたいかどうか

仲野太賀:OKAMOTO’SのPVに出させてもらったりとか、何回か地味に仕事はしてたけど、一緒に飲みに行くようになったりしたのは去年くらいじゃない?

山田健人:そうだね。そもそも役者の知り合いっていないから、数少ない友達の一人。遊ぶようになったのは、クローバー(菅田将暉の同名楽曲のショートフィルム)のあとくらいか。撮影を4月18と19日にやって。17の夜中に彼女にフラれたんだよね。

仲野太賀:そうだ(笑)それ後から聞いた。朝5時入りとかだったよね?

山田健人:4時半まで家で別れ話してて、そのまま行くという……。クローバーって歌がまたダルいんですよ。

仲野太賀:刺さっちゃうよね(笑)「足りないものなど〜何もないんだよ〜僕には君がいる〜♪」

山田健人:いないいないいない(笑)

仲野太賀:知らなかったから、初日朝5時から夕方まで撮って、次の日は俺が演じる主人公の部屋のシーンだったんだよね。宴会した次の日みたいな。

山田健人:家で飲んで友達と騒いで片付けもせずに寝てしまった朝のシチュエーションを撮りたかったし、時間的にも限界があったので実際に泊まることにして。

仲野太賀:その時もダッチは仕事してたよね。タフだなと思った。俺らは、ウイイレとかで遊んでそのまま撮影って感じだったけど、別れ話をして寝ずに現場きて、そのまま寝ずに編集して、また朝から撮影してるから。

山田健人:一番よかったかもしれない。家で一人で作業してたら死んでしまってたから(笑)横でみんなが騒いでても、意外とあの夜は集中できた。

仲野太賀:ダッチが最初に日の目を浴びたのはSuchmosのMVが最初になるのかな?

山田健人:そうだね。CMの曲になってから世間的にSuchomosが認知されて、それと翌年2017年に宇多田ヒカルさんとKOHHさんのMVがあって。色々と仕事の幅が広がったかも。

仲野太賀:自分の周りは俳優ばかりだったし、同世代のクリエイターで圧倒的に評価された人って今まで近くにいなかったから、喜びと衝撃があったな。今日ダッチのウィキペディアを初めて見てみたの。そしたら経歴の欄がわけわからなくて。

山田健人:あれ誰が書いてくれたんだろ(笑)

仲野太賀:アプリを開発して全国20位になったと思いきや、アメフトでU19の日本代表に選ばれ、現在yahyelみたいな。何者!?ってなるよね(笑)もともとプログラミングもやってたんでしょ。

山田健人:昔から図工とか物作りが好きで最初はシューティングゲームだったね。インベーダーみたいな。携帯電話いつから持ってた?

仲野太賀:小2。

山田健人:それは早いな(笑)誰とも繋がれないでしょそんなの。

仲野太賀:待ち受けがゴマキだった(笑)

山田健人:俺は中1で。だいたい平均すると中学くらいじゃん。今の子たちはもっと若いのかもしれないけど。男たちはガラケーのゲームとかするでしょ?俺もその一派でありつつ、どうしても作りたい欲が絡んじゃうんだよね。友達に配って、みんなでやれたらそんな楽しいことはないなと思って。

仲野太賀:ダッチ少年面白すぎるんだよな。ゲームを作ろうって考えにその年齢で至らないし、いきなりプログラミング始めて全国20位のアプリ作れないよ。

山田健人:負けず嫌いだからさ。今のプログラムとは違くて、もっとハードルが高かった。当時はもっと専門性が強くてインターネットも今ほどは発達してなかったんだけど、僕は結構凝り性なんだよね。当時アプリゲットっていうサイトがドメジャーで、ダウンロードランキングの全国20位の壁を越えたかったんだ。トップページにスクショとアプリ名と作者名が載るのよ。21位以下は一行だけみたいな。そこの差をすごく意識してて、絶対入ってやると思ったんだ。結果的に、中2で20位まではいけた。

仲野太賀:負けず嫌いだな〜!それってデビュー作がそうなったの?

山田健人:シューティングゲームでいうと2本目だね。もう少しマリオみたいなやつも作ってた。

仲野太賀:すごいな〜。興味深すぎる。

山田健人:身内でやってたし俺もプログラマーじゃないから、ガバガバしてるところがあるわけよ。マリオみたいな横スクロールでゴール目指すやつで。左から右に動いてて、右端行ったら次の画面がロードされて進んでいくんだけど、テニス部の柏木って友達があるとき、「マップを読み込む瞬間に飛ぶと、この隙間に入れるんだけど」って言ってきて。

仲野太賀:それもダッチが作ったゲームでしょ?

山田健人:そう。実際に結構流行ってたから、周りの友達がみんなやってたのよ。だからフィードバックもらって次作に生かすカルチャーができてて、20位は柏木のおかげと言っても過言ではない。

仲野太賀:へえ〜。

山田健人:その柏木が見つけたバグは”柏木バグ”って名付けて、逆に柏木バグを使ってクリアするっていう作品も出てきたの。「ここは柏木バグで行くんだよ」みたいな会話があって、これは忘れられないわ。

仲野太賀:柏木バグおもろいな!あえて抜け道を作ったんだ。中学くらいの時からダッチと友達になっておきたかったよ。

山田健人:でもプログラミングは20位になって燃え尽きちゃって、というかそれより上に全く行けないし、高校ではアメフト入ったから週6日練習があったんだよね。

仲野太賀:それも強いところにいたんでしょ?すごいね振り幅が。

山田健人:神奈川1位で全国ベスト8くらいかな。それなりに強かったからハードな練習をしてて、すごく音楽に救いを求めてた。音楽にハマって、そこからちょっとこじれて、もうちょい高音質で聴きたくなってオーディオの道に(笑)秋葉原に毎週通ってたね。

仲野太賀:オタク気質だな。機械が好きなんだね(笑)

山田健人:ソフト作りからハードになった感じ。だから高校の時はアンプ作りしてたな。買うんじゃなくて自分で設計して作る電子工作。ほぼ宗教なんだけどね。

仲野太賀:変な人出てきた〜(笑)ガシガシに体育会系でありながらも週末は文化系だったんだね。

山田健人:そう、そのイメージが皆にあったから、高3のときに、「パソコン強いでしょ?イベントのオープニング映像できる人を探してるんだけど」って同級生に言われたんだよね。“青二祭”って首都圏の高校生のバンドとかダンサーが出るイベントがあったんだよ。まぁ、やったことなかったけど、できるんじゃないかな?と思っちゃって、「できるよ」って言ってた。部活引退したらやることもなくて、そこから映像の世界に入っていくんだよね。

仲野太賀:それまでカメラって回してたの?

山田健人:一回もない。しかもその映像ってCGだったの。最初は実写じゃなかったんだよ。要はイベントタイトルが出て日付が出るようなパソコンだけで完結できるCGから映像に入った。それが高3。

仲野太賀:へえ〜。それやりながらアメフト日本代表になったの?

山田健人:それは大学。

仲野太賀:大学まで続けたんだ。その時はまだバンドはじめてない?

山田健人:まだだね。青二祭やったおかげで高校生バンド登竜門的なライブハウスに通うようになって、ヨンスとかSuchmosの前身バンドOLD JOEとかD.A.Nのみんなとはそこで会った。高校生バンドとかアマチュアだしコピバンやってるイメージだったからOLD JOEのヨンスを初めて見た時に衝撃を受けて。オリジナルソングだしめっちゃかっこよくて。

仲野太賀:めっちゃ人気あったよね。

山田健人:それでその時たまたま実家にあった一眼レフを持って写真や動画を撮ったりしてた。バンド界隈にはそんなにカメラ持つことができる人がいなかったから、割と重宝してもらってたと思う。そこから感覚的な物に惹かれたんだよね。今まではプログラムも電子工作もCG映像も全部パソコンに命令を送ったらそれ通りにしか動かないっていう超理屈の話だったから、体を動かして撮るのが楽しくて。

仲野太賀:面白い!今までやってきたとこも繋がってきたってことでしょ。

山田健人:そうそう全部やっててよかったなって思った。だからウィキペディアで文字に起こすとちょっと変なことばっかりしてるけど、常に作りたい欲が先行してるんだと思う。作れるかわからんけど、頑張って勉強するみたいな。別に学校に行ったわけでもないし、とにかくインターネットと本に教えてもらう感じ。

仲野太賀:とりあえずやってみて、それが形になっての連続なんだ。ダッチの立ち回りの面白さが不思議だったんだよね。映像とyahyelって二本軸が、どうなってるのかなって。

山田健人:最初はやっぱり映像っていう関わりあい方で、PV出すなら監督やるしライブの時には映像演出するっていうだけだったけど、一緒にいると曲作りとかいろんなところにコミットしてくるようになるから、結果的に全体的にバンドの人っぽくはなったというか。

仲野太賀:なるほどね。俺もバンド始めようかな、すでにバンド20組くらい組んでるんだけどね。

山田健人:ちょっとそういう話欲しかったわ今。ふざけとかないと。今僕が言ったの嘘だからね。

仲野太賀:ここまで作り話?(笑)

山田健人:うちに代々伝わってる話。親父もこれ昔話してたし。

仲野太賀:あ、そうなんだ。これ山田家のテンプレなんだ?

山田健人:そうそう言い伝えなの。上手かったでしょ、話し方しごかれてるから。

仲野太賀:相当うまかった。さすがだね、山田亭ダッチ。でも俺が20組くらいバンド組んでるのは本当なのよ。活動してないだけで。

山田健人:「組もう〜!」「いいね〜」。が1組なんでしょ。それは20いくな。

仲野太賀:でしょ?中学生くらいの時からカウントしてる。

山田健人:一緒にバンド組むかは置いといて、勝手に役者って華やかそうだし、俺はアホみたいに飲んで騒ぐようなタイプでもないし、空気的に合わないかもって思っちゃってたんだよね。だから菅田くんとか太賀はすごく尊敬してて、同い年で芝居の面でも人間的にもちゃんと、自分の真面目な話ができる相手として見てる。今こういう気持ちでこういう風に考えて映像作ってるんだよねって話しても、ウェイって人たちからすると伝わらずに終わっちゃうんだよね。同年代で話せる人がいないから、そういう意味ではすごく尊敬してる。真面目だなってイメージがあるな。

仲野太賀:意外にね。

山田健人:考えてやっているかどうか。とりあえず来た仕事を当たり障りなくやるって誰でもできるし、そういう意味で売れていく方が簡単なことだと思ってて。考えながら必要なことを選んでやる方が大変で。そういうことをしてる人だなっていう印象。だから好きですね。

仲野太賀:ありがとな(笑)

山田健人:これだけは本当。他は入りから全部嘘。

仲野太賀:もちろんウェイウェイしてる人もいるけど、やっぱ面白い人もたくさんいるから、ダッチもいろんな人に会ってほしい。あとは音楽だけじゃなくて映画というか、ぜひそういうのを撮ってほしいな。

山田健人:結構マジで撮りたい。

仲野太賀:そういう交わり方ができたら一番いいなって思う。

山田健人:本当にそう思うね。

ジャケット¥87,000、Tシャツ¥30,000/ともにsacai(sacai tel_03-6418-5977)

山田健人

平成4年生まれ、東京都出身の映像作家。宇多田ヒカルやSuchmos、水曜日のカンパネラをはじめMVを中心に多くの作品を手掛け、数々の賞を受賞。同時にバンド、yahyelのVJ兼ギタリストとして海外でもツアーを行うなど精力的に活動中。


仲野太賀

平成5年生まれ、東京都出身。13歳で俳優デビュー。カメラに魅了されたのは小学生の頃。主演映画『泣く子はいねぇが』が公開中。
https://www.stardust.co.jp/section1/profile/nakanotaiga.html

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