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秋山黄色「サーチライト」
2020.11.13 Digital Release
秋山黄色がニューシングル「サーチライト」をリリースする。
テレビ朝日系土曜ナイトドラマ『先生を消す方程式。』(田中圭主演×鈴木おさむ脚本)の主題歌として書き下ろされたこの曲は、今年2月に配信リリースされ彼の名を広く知らしめた「モノローグ」に続くドラマ主題歌のタイアップ。不穏な演出と衝撃的な展開で話題を集める学園ドラマを彩る、真っ直ぐなバンドサウンドで駆け抜ける情熱的なロックナンバーだ。
今年3月にメジャーデビューアルバム『From DROPOUT』を発表。栃木県出身、やさぐれて行き場のない思春期を送ってきた「ドロップアウト」育ちの彼は、ニコニコ動画にハマり宅録で曲を作ってきたネット世代のクリエイターでもある。
ミュージシャンとして飛躍を果たしつつある彼は、今、どんなことを考えているのか。新曲について、自らの青春時代について、そしてコロナ禍の2020年とこの先について、語ってもらった。
――「サーチライト」は、どれくらいの時期に書きはじめたんですか?
原型だけは去年末にあったんですけど、その時はまだ20%ぐらいで。その後も好きなサビのメロディだったんで、ときどき引っ張り出して作ってはみたけど、なかなか完成しなかった。それがタイアップだということになって、すぐに上手いこと完成したんですね。こういうことだったんだろうなって思いました。たぶん、僕だけじゃ無理だった曲なんだと思います。人と協力するというか、他分野から刺激をもらって、やっと全部のピースがハマった感じだった。今までにない制作だったので、ステップアップした感じが個人的にはありますね。
――「モノローグ」もドラマ主題歌でしたけれど、オファーを受けて曲を作るという経験によって得られたものはありましたか?
いつも思うんですけど、曲作りって、出された問題に全部正解したって、全然いい曲にならない場合もあるんですよ。まず僕が納得できなくて。たとえできたとしても、毎回そのルートを辿ればいいということだったら、たぶん僕はつまらないからそれはやらないので。だから、前の経験を活かしたと思えるのは、戻る決心がついたということかもしれないですね。
――戻る決心がついた、というと?
「サーチライト」って、初期の段階のアレンジに戻ったんですね。もっといろんな形があったんですけれど、「最初のがいいんじゃない?」って言われて。いろんな道程を経てきたんで、それを元に戻すのってやっぱり勇気がいるんですよ。でも「それが一番いいです」と言い切れた。それは前の仕事があったからだと確実に言えますね。あとは、主題歌になるならよりキャッチーにしなきゃいけないとか、この楽器が必要だとか、いろんなルールがある中で、自分が最初にやった感じの、楽しくわーっと作って、スパッと完成しましたっていうものが世に出るのも最高だなって思うんで。「いいんですか?」みたいな感じでしたね。とにかくストーリーがすごいんで。
――ドラマのストーリーやモチーフとのリンクが大きかった。
それが一番でかいですね。観てくれたらわかるんですけど、すごい作品なんですよ。パッと見たらミステリーのような雰囲気なんですけれど、パンクなんです。脚本を読んで「なんですかあ!?」みたいに思って。ちょうど僕がこの曲を作りだした頃に「アレンジとは?」みたいなことで悩んでいたんですよ。今はこういう立場でもあるし、曲を片っ端から出せるならいいけど、厳選していく中で、いろんなことを考えなきゃいけない。でもそのどこに楽しさがあるんだ!?って。そんな中で、この曲は「やっぱり好きなんだよな、こういうの」っていう感じだった。「それくらいやってもいいよ」っていう一声が欲しかったんだろうなって思います。
――楽曲は、実は不思議な構成を持っていますよね。基本的には直球のバンドサウンドだけれど、最初の10秒のフックだけアカペラのコーラスになっている。
すごく古典的で子どもっぽい方法だけど、別に僕は歪んだギターを鳴らして3コードのロックでわめきたいわけじゃないんだよっていうことを言いたかったんですよね。普通の人なんだって思ってほしくて。僕、自分がいわゆるロックアーティストなタイプの人間だとは口が裂けても言い切れない部分があって。ゲームが好きで、マンガが好きな、現代的で普通な奴なんで。でも、リアルに言える範囲で、ほんとに怒ってる時だけ怒ってる曲を書こうと決めて書いていた。歌詞も素直に書いているので。そこだけに決めつけられないようにしたかったんです。それでバランスがとれなくなると嫌だった。「なくてよくない?」って言う人もいるんですけれど、僕にとってはすごく大事なパートです。
――しかも、あのイントロのフレーズが曲中にリプライズでもう一度出てくるのかと思えば、そうではない。
そうなんですよ。楽曲に組み込まないというのが本当に大事で。あれが自己紹介なんですね。聴く人にインパクトを与えるために、音量もわざと上げて、ちょっと人間味が失われたような声にしている。こういうことができる人が、こういう曲を今から歌うんですっていうのが必要だった。
――歌詞もドラマの話を受けて書いていったんでしょうか。
そうですね。話をもらってゼロから書き下ろしたんで、僕の中ではドラマに沿って作った感覚が相当しているんですけど、ただ、最初の段階から少しはありました。
――ドラマは学校を舞台にしているわけですが、秋山さんは照らし合わせて自分自身の中高生時代、青春はどんなものだったと振り返って思いますか?
ほんとろくでもないですよ(笑)。なんていうんですかね、どちらかというと冴えない、普通の子だったんですけど。でも、あの時期に教員と本当に揉めているので。もちろん僕が悪い部分もあったけれど、どうしても納得がいかないことがすごく多かった。この歳になっても「やっぱ間違ってなかったよな?」って思うようなことがあった。イジメを受けていたということじゃなかったんですけれど、「そんなこと、まかり通るのかよ?」っていうことがあった。その時期に、理不尽なことが本当に嫌いになった。できるだけ、こういう人になりたくないみたいな気持ちがあって。そういうのは確実に曲に反映されているとは思います。
――理不尽なことを目の当たりにしていた、というと?
ほんとひどかったですね。納得いかないことだらけだった。ただ、大人になるのであれば、いっぱい学んで、新しい考え方でいろいろ生み出す必要があると思うんで。あの頃に強烈に感じた違和感のまま過ごしていたら、そんないい人にならないだろうなっていう確信みたいなものがあった。自分だけがおかしいって感じていること、周りが気にも留めなくて自分だけが違和感に感じていることって絶対に大事にした方がいいと思ったので、それを一度全部曲で書きださなきゃっていう。振り返ると、ほんとろくでもないですけど、一応創作の糧にはなってるのかなって感じですよね。
――もし、今の秋山さんがタイムスリップして当時の自分に会いに行けるとしたら、どんな声をかけますか?
いや、何も声はかけないですね。ほんと、誰の言うことも聞かなかったので。俺に言われても納得しないと思う。何も言わないっていうか、ぶん殴るかもしれない(笑)。
――今年の活動を振り返っての話も聞ければと思います。1stアルバム『From DROPOUT』がリリースされて、予定としてはワンマンやツアーがあったけれど、新型コロナウイルスの感染拡大でそのプランが無くなってしまった。振り返って、どんな気持ちがありますか?
最初は、マジでわけわかんなかったですね。「いつ終わるんだろう」みたいな感じだったんだけど、長くなるっていう実感ができてからは、相当不安だったけど、一応先を見て準備しておこうみたいな気持ちにはなっていきました。ライブできないのが長いこと続いて、いろいろ考えることが増えて。そもそも音楽やっていて楽しいのかな、とか自問自答していた時間が長かった気がします。ライブに関しては本当に我慢していたので、フラストレーションは溜まっていて。次に人前でライブやる時、ほんとに爆発するんじゃないかって思いますね。
――まずは2月に渋谷WWWで予定されていたワンマンライブも無観客公演になりました。
あんまり態度に出さないできたんですけど、ほんとに楽しみにしていたので。「今はここが課題なんじゃないか」とか「次はこれをやってみよう」とか、いろいろライブのやり方を創意工夫してやってきて。まだまだ僕もこれから作っていきたい時期なんで。厳密に言うと、ワンマンでは渋谷のTSUTAYA O-Crestで300人の前でやったのが最後なんですよ。で、渋谷WWWはずっと憧れてた場所だったんですよね。この規模になったときにどこまで届くんだろう、って。単純にバンドマン的な強さの実力試しとしてワクワクしていた部分もあったので。
――8月には初の東名阪ツアーが中止になり、実際にツアーで立つはずだった渋谷クラブクアトロのステージで有料配信ライブが開催されました。その経験はどうでしたか?
クアトロなんて、現実的じゃなかったですもん。だから、配信でやりましたけれど、本当はここにお客さんがいたんだろうなって思うと、やるせなかったですね。演奏すること自体は楽しいんですけど、それだけじゃなくって、ライブって、準備をすればするほど夢が膨らんで、その答え合わせとして会場でのエネルギーのやり取りがあるというのが好きだったんで。配信は面白いですけど、それを主流にしていこうというところには気持ちは追いついてないですね。もともとそこまでライブにこだわってなかったタイプだったんですけれど、本当にワクワクしてたんで、その場を失ったら本当に自暴自棄になって。自粛期間の後半はゲームばっかりやってました(笑)。
――曲作りや制作に意識が切り替わった感じでしたか。
いや、比率はあんま変わっていなくって。ライブなくなったぶん制作に励んだという感じでもなかったです。どちらかと言うと、制作に時間を作ろうというよりは、自分自身を進化させようっていう時間だったと思います。こういう状況ってあんまりないので。去年まではワンマンが決まったり、タイアップがあったり、いろんなスケジュールの中でやっていたので。悩むことが多かった時期にこんなことになったんで、もっと先を見据えて見たり考えたりすることが一番多かったです。
――どういうことで自分をもっと進化させていこうと思いましたか?
やっぱり、感情のコントロールをもうちょっとできないとなっていうのがあって。ほんとに怒ってばっかりで「お前、ふざけんな!」って曲ばっかりなので。かねてから思っていたのは、本来は音の感触とか組み合わせが好きで作っているのに、わりと衝撃を与えたがりみたいなところが多くあって。肝心の自分の好きな部分があんまり最近出ていないなって思っていたんです。せっかく実験が好きで、人がやっていない手法を見つけたい好奇心があるタイプだったのに、そこを見失っていたなと。ライブでも、なかなか感情のコントロールが難しくて。何回歌っても気持ちを乗せられるように歌詞を書かないといけないので、相当キレて書いているんですね。演技ではなくて、本当に怒っているので。だから、今はもっと感情をコントロールしようかなって思います。そうしたら絶対に幅が広がるはずなんで。これまでは、見てほしいものは結構あるのに、自分の実力の全然狭い幅しか出せてなかった。成長するっていうよりは、持っているものをちゃんと見せてあげようっていう感じですね。
――自分のポテンシャルは、喜怒哀楽の全方位にあるはずだろうと。
そうなんですよ。喜怒哀楽っていうとざっくりなんですけど、もっと言葉になっていない気持ちとか感情があると思うんです。もともと、そういうものを発見して自慢するタイプだった。それが先に進む力になると思っていますね。
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