PROFILE
長谷川町蔵
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門2』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
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Twitter : @machizo3000
毎回、ある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の連作短編シリーズ。 小説「インナー・シティ・ブルース」。第8回は、新大久保〜新宿が舞台となる。
【あらすじ】
新大久保〜新宿編の主人公は、囲間楽。表向きは姉と建築事務所を営んでいるインテリア・コーディネーター、裏では新宿の歓楽街エリアで不幸な境遇に置かれた女の子たちを助ける仕事を請け負っている。そんな彼女のもとへ、ある日見知らぬ男が話しかけてきて、地下アイドルをやっている姪っ子がトラブルに見舞われたので助けてくれと言う……
「真実には2種類ある。ひとつは目に見える真実。もうひとつはその裏側に隠されている真実だ」
パパはよくそう言っていた。その言葉は今、私が歩いている西新宿の高層ビル街にも当てはまる。新宿駅の西口から高層ビル街に行くための最も効率的なルート。それは横断歩道や階段で何箇所も遮られている地上は歩かずに、いったん地下に下りてから地下道を歩いていくことだ。すると平坦な歩道をまっすぐ歩いていくだけでビル街の1階へと辿り着く。でもなぜ地下1階の延長に地上1階があるのだろう。そこに何か真実が隠されているって思わない?
でもオフィスへと急ぐサラリーマンたちは、そんなことは気にもしていない。その中のひとりなんか、私にぶつかっておいて一瞥すると舌打ちして立ち去ってしまった。ジバンシィのヴィンテージのリトル・ブラック・ドレスのせいで、カタギじゃない女の朝帰りと思われたのかも。ま、当たってはいるけど。
朝6時45分。三井ビルの前に辿り着いた私は、レンガ色のタイルが敷き詰められた広場への階段を降りていった。そこはクライアントに指定した待ち合わせ場所だった。
彼と会ったのは今から9時間前のこと。週3で通っている百人町のパクさんの店で、遅い夕食代わりにチヂミをおつまみにマティーニを飲んでいると、見知らぬ男が話しかけてきた。
「あのー、囲間楽(かこいま・らく)さんですね?」
歳は30代前半。背は小柄で小太り。ギョロっとした目。髪は天然パーマで、襟のよれたポロシャツを着ている。
「そうですけど、何か」
「俺、赤城照夫っていいます。よくこのお店に来てるって伺ったもので。囲間さんって、人助けをされているんですよね」
「私はただのインテリア・コーディネーターですよ」
私は表向き、姉と仲良く建築事務所を営んでいるインテリア・コーディネーターということになっていた。
「でも聞いたんですよ、マニラから拉致されてきた女の子たちを……」
「黙って。その話はいいから」
あのときは派手に動きすぎた。最初はちょっとした人助けのつもりだった。この界隈で飲むようになってから、店の外国人オーナーたちが日本の消防法や食品衛生法を知らないのをいいことに中間業者にボラれていることに気がついた。それで良かれと思って届出のノウハウを教えてあげたのだ。そうしたら彼らは大喜びしてくれて、この界隈の店の私の飲み代はほとんどタダになった。
調子に乗った私は、ますますこの界隈に通うようになった。そうするとたまに目に入ってしまうのだ。信じられない境遇に置かれた女の子たちを。そんな時、私は「囲間家は黒子であれ」という家訓を無視して、実力行使に出てしまう。あの事件がまさにそれだった。
「この子も助けてほしいんです」
赤城照夫はプリントアウトされたチェキを私に差し出した。そこには女の子が写っていた。大きな瞳が印象的。バストショットの写真だったけど、すっきりした体つきなのが見てとれる。
「赤城凛、15歳。俺の姪っ子なんです」
「この子、背が高そうだね」
「そんなことないっすよ、150センチあるかないかくらいで。うちの血筋なんです。ほら、見てください」
赤城照夫はスマホを取り出すと、しばらくそれをいじってから私に見せた。彼のスマホのディスプレイの中ではたくさんの女の子たちが歌い踊っていた。でも後列にいる赤城凛は前列の子たちに埋もれて顔が半分くらいしか見えない。
「凛はアイドルに憧れていて、中1から地下アイドルをやっていたんです。地下アイドルって何なのかはご存知ですよね?」
もちろん。彼女たちがこの界隈のあらゆるイベントスペースで歌い踊っていることも知っているし、あらゆる店でバイトしていることも知っている。
「ハフハフ・ハーフ&ハーフってグループで」
「ふうん」
「ハーフしかメンバーになれないっいうコンセプトのグループなんです。この子、母親がイラン人で。でもその母親が厳しい人だから、こっそり新宿でレッスンを受けたり、ライブをやっていたりしてたんです。俺もそのアリバイ作りに協力させられちゃって。でもご覧の通り、グループの中で目立たなくて。今年は高校受験だし、そろそろ将来を考えろって説得したら、あいつも諦めて辞めることになったんです」
「良かったじゃない」
「でも急に辞められなくなったって言ってきて」
「なんで?」
「問いただしたら、運営に騙されてビデオに出演させられたことがあったらしいんですよ。辞めたら親にバラすって脅されているんです。どういうビデオかは……まあ分かりますよね?」
そのときの私の血圧を測ったら、200くらいあったかもしれない。
「そのビデオのマスターを奪いとってほしいってこと?」
「そうです。入手した上で、データをサーバーから削除してほしい」
「でもそれは警察の仕事だよね」
「せっかく本人が勉強に頑張る気になったのに、親と揉めごとを起こしたくないんですよ。それとビデオは特定の会員しか見られないんです。だから警察も証拠を掴むまでは時間がかかってしまう」
「ビデオを撮影したのはいつ頃か、姪御さんは覚えているの?」
「去年のちょうど今頃で、場所が新宿だったってことは覚えているって。だからあなたを頼ってみたんです。この一帯のことは何でも知ってるって話だから」
「そんなわけないでしょ。大体このへんにそういうものを撮影できる場所が幾つあると思ってんの」
軽くキレたら、赤城照夫はこんなことを言った。
「あ、そういえばビキニを着て泳がされた記憶があるって言ってたな」
私は思わず笑いだしたくなった。だってそんなことが出来るスタジオはこのあたりにひとつしかない。明日の朝からしばらくの間、姉さんの仕事を手伝わなきゃいけないけど、これだけ確実な手がかりがあれば夜のうちに片付くだろう。
「わかった。明日の朝には報告できると思う。ケータイの電源は切らないでいてくれる?」
「あ、ありがとうございます!」
赤城照夫は携帯番号を私に教えると、ペコペコお辞儀しながら店を出ていった。パクさんが私を冷やかす。
「また安請け合いしちゃって」
「だって楽勝な仕事だよ、これは」
すぐに私は、花園神社のそばに立つ撮影スタジオのオーナーに電話した。
「楽です。お久しぶり。大体察しはつきますよね? うん、迷惑はかけない。去年の今頃に領収書を切った会社のリストを送ってくれます?」
1時間ほど飲みながら待っていたら、スマホにPDFが送られてきた。私はそれを開封もせずに、その手の資料をいつも送っているアドレスに転送すると電話した。
「ミサオ? 私。いま隣に女の子とかいる?」
「いない。ていうか、いても関係ないんだろ」
一橋貞(ひとつばし・みさお)は代々、囲間家の執事みたいなことをやってくれている一家の跡取りだ。彼の父親は息子に、私たち姉妹を「様」づけで呼ぶように厳しく躾けていたけど、同い年の私と貞はふたりきりのときはタメ口で話していた。
「今送ったリストからさ、チャイルド・ポルノを作ってる会社を見つけてほしいんだよね」
「なんだよ、それ!」
ミサオはハッキングやダークウェブに詳しい。私が百人町や歌舞伎町の店で何軒も聞き込みしてようやく手に入れる情報を、ベッドの上でキーボードをカタカタ叩いて手に入れてしまう。
「じゃあ頼んだから、よろしくー」
一方的に電話を切って、30分くらい飲んでいたら、メールが送られてきた。そこには「シルバーサーフ・フィルムズ。業界でも悪名が高かった会社の残党が設立」と但し書きが添えられて法人登記先のリンクが貼ってあった。クリックをしたら住所は新宿バッティングセンターのすぐそばだった。都合がいい。
「パクさん、金属バット持っていたよね? バッティングセンターに行きたくなっちゃったから借して」
パクさんはニヤニヤ笑いながら年季の入ったバットケースを渡してくれた。店を出て、新大久保のメインストリートに出ると、この時間になってもまだ営業している韓国コスメ専門のショップ前に、若い女の子たちが灯に集まる虫のように群れをなしていた。
いつ頃からだろうか。この一帯の店でプッシュしているメイクを、少し遅れて表参道に集まる女の子が真似るようになったのは。もう東京はアジアのトレンドセッターではないのだ。
極彩色の看板を見渡しながら、ゆっくり通りを歩くグループを次々に追い抜くと、私はメインストリートを山手線の高架にむかって歩いた。新大久保は一見、混沌としているけど、東京の中では風通しの良い街だと思う。盛り場としての歴史が浅いからだ。
私のような“能力”を持っている人はとても少ないとは思うけど、もし持っていたならパパが私に教えてくれた“歴史の勉強”という技を試してほしい。
まず左手の親指と人差し指でアルファベットのLの字を作り、それに右手の親指と人差し指を90度の角度で添えてカメラのファインダーのような形を作る。そして、ファインダーの中の街の景色を見ながら、頭の中で数字を150数えるのだ。すると景色はDVDの逆回転のように時代を遡っていき、やがて150年前の百人町の景色が映し出される。そこは一面のツツジ畑のはず。
百人町という町名は、徳川家が江戸にやってきたときにセキュリティガードとして伊賀から連れてきた百人の鉄砲隊員を住まわせたことに由来している。でも幕府の体制が安定してくると、彼らは用済みになり石高は減らされた。そこで彼らは生活費を稼ぐためにツツジを栽培しはじめた。
明治維新後、ツツジに包まれた街並みが評価されてこのあたりは閑静な住宅地になった。新大久保から歌舞伎町に連なる一帯に細い路地がはりめぐらされているのはその名残りだ。そうした狭い通りを抜けると職安通りへとぶつかる。通りの向こうはもう歌舞伎町だ。
この悪名高き歓楽街では、毎晩やってくる大量の客をもてなすために、あらゆる形態の店で何千人もの人が働いている。東京に次々やってくる若い子たちは、この街へと吸い寄せられていく。そして新宿で働いていたけど今は故郷に帰って幸せに暮らしているという人の話は聞いたことがない。
その理由も、“歴史の勉強”を使えばわかる。ファインダーを通して歌舞伎町を見ながら数字を60かそこら数えると、この街は一面の畑になってしまう。
宿場町としての新宿の歴史は17世紀まで遡るけど、その範囲は今でいう新宿一丁目から三丁目の範囲に限られていた。歌舞伎町は第二次大戦後、何もないところに歌舞伎座を招聘しようとして人工的に開発されたニュータウンなのだ。
だから東京の盛り場に必ず漂っている残留思念、わかりやすく言えば夢破れた人間の怨念みたいなものは意外とここには感じられない。私のような“能力”はなくても、その風通しの良さは無意識レベルで感じとれるはず。だから上京してきた子は自然とこの街へと流れ込んでいくのだ。もっとも、最近はこの職安通りにもホストやホステスの姿をした残留思念が歩いているのを見かけるようになってきたけど。
カラオケ747の角を右に曲がって、私は歌舞伎町の中心へと足を進めていった。整体、ホルモン焼き、コインパーキング、ホストクラブ。あたりにはアンモニアと血が混じった匂いがうっすらと立ち込めている。
ラブホテルの角を左に曲がれば、そこはもう新宿バッティングセンターだ。でも私はそこをスルーしてその脇に立つ雑居ビルの3階に階段を上がっていった。
この時間でもきっと誰かいるはずだ。ブザーを押すと案の定、チェックのシャツを着てメガネをかけた小太りの男が出てきた。頭に包帯をしている。私は「あのー」と話しかける男を無視して部屋に入っていった。
ブラインドで閉めきられた部屋は編集作業の真っ最中で、デスクの上のモニターにはモゴモゴと動く何かが映し出されている。私はケースからバットを取り出すと、モニターにむかってフルスウィングした。液晶パネルがこなごなに飛び散り、ダークブラウンのフローリングに落ちて、光り輝いた。
「ち、ちょっと!」
男は私を制止したけど、私は無視してバットで、壁一面の棚からファイルや撮影小物、照明機材を次々叩き落とした。
「ひーっ、何やってるんですか。やめてくださいよ!」
「何やってるって? お前らがやってることこそ何やってるんですか、だよね」
「う、うちはちゃんとしたアート系イメージビデオ・メーカーなんです。ちゃんと親御さんと出演契約も結んでいますし」
「別に法律の話をしにきたわけじゃないから」
私はチェキを男に突きつけた。
「1年くらい前に撮影したこの子のビデオがあるはず。あんたたちがどんな名前をつけて売っているか知らないけど、赤城凛って子。そのマスターをこっちに渡して。それとサーバーから記録を全部消して」
男はきょとんとした顔をして答えた。
「それ、もうやりましたけど」
「は?」
「一昨日の今頃の時間かな、知らない男が、今のアンタみたいに急に押し入ってきて脅されて……」
「どんな男?」
「青いバンダナで顔を隠していたから、わからないっすよ。もう勘弁ですよ。そのときは殴られたし。ヒドいじゃないですか、それを先に言ってくれれば良かったのに……」
私は男を睨みつけると部屋を破壊しつくしてから立ち去った。赤城照夫は何日か前に別の連中に同じことを頼んでいたのだろうか? その可能性は低い。その手の奴らを動かすには金がかかるし、わざわざプロに頼んだ後に、無料でやってくれる私に仕事を依頼するなんてありえない。
東京都健康プラザのビルにある24時間営業のスポーツジムのロッカーにバットケースを預けると、私はふたたびミサオに電話した。
「なんだ、またかよ」
「新宿が拠点の、青バンダナがトレードマークの半グレっていたっけ?」
「うーん、池袋のカラーギャングでCボーイズっていただろ。たぶんそのOBだな。2時間くれれば誰か特定する」
「それとハフハフ・ハーフ&ハーフって地下アイドル・グループに赤城凛って子がいるんだけど。それ込みで1時間で調べてくれる?」
「新大久保〜新宿編:タイニー・ダンサー②」へ続く (次回、10月17日掲載予定)
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
PROFILE
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門2』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
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