ART 2020.09.27

写真家、横山隆平の個展が京都にて。“ストリートにおけるグラフィティの存在”をテーマに展開

EYESCREAM編集部
EYESCREAM編集部

写真家、横山隆平の作品展『WALL Stanza -映像に或るものを拭い去るとき、確からしさ、は、やがて-』が、京都・藤井大丸の特設スペースで10月18日まで開催中だ。本展は、現在開催中の「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2020」と連携した公募型アートフェスティバル「KG+2020」公式プログラムとなる。

被写体から意味を排除し、アブストラクトな様相を出現させる写真家、横山隆平の個展

今年3月に馬喰町BAF studio tokyoで行われた展示をスケールアップした内容となり、3メートルにも及ぶ大型作品3点にコンクリート破片にプリントされたWALL crackシリーズを加えた、写真でありながらもその枠組みを超えた平面と立体の展覧会となっている。ストリートにおけるグラフィティの存在、すなわち「誰かが描き、次から次へと上描きされもし、野晒しで打ち拉がれ流転してゆく様」を切り取ったかのような、あるいはその視覚イメージから逸脱したかのような作品が並ぶ。

以下は、作家によるステートメントだ。

始まりはグラフィティだった。
正確に云えばグラフィティの存在そのものだった。
僕はその在り方をいくつかの要素に解体し、
様々な状況、環境、メディウムを混在させ、
印刷方法と紙を作業の度に変更しながら、
プロセスを辿った。
幾度となく、その作業を繰り返すうち、
次第に、
被写体は徐々にその意味を成さなくなっていた。
映像から意味は排除され、アブストラクトな様相が出現する。
手元には、何が写っていたか判然としないプリントだけが残っている。
そこには崩れた文字や記号、風景の断片が匿名的に転がっているだけだ。
その物体はそれでも写真でいる。
そこが何処かであり、何かが確かに存在したという事だけは変わらない。
例えばそれは、
幾人もの手を渡り、
繰り返し聴かれ、
擦り切れて傷つき、
音飛びし、
いまやノイズしか聴こえなくなっても
なお切実に音を鳴らし続ける草臥れたレコード盤のように。
その物体はそれでも写真でいる。
僕はストリートフォトグラファーだった。
僕にはそれで充分だった。
映像に或るものを拭い去る時、確からしさ、は、やがて。

INFORMATION

『WALL Stanza -映像に或るものを拭い去るとき、確からしさ、は、やがて-』

会期:開催中~2020年10月18日‬(日)10:30‬ – 20:00
会場:藤井大丸6F 特設スペース1(京都市下京区貞安前之町605)
作家:横山隆平
キュレーター:細野晃太朗(BAF STUDIO tokyo)
協力:株式会社サンエムカラー

KG+2020 KYOTOGRAPHIE SATELLITE EVENT
http://kyotographie.jp/kgplus/2020/

POPULAR