赤坂〜六本木編:シャンデリア①長谷川町蔵 著

毎回、ある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の連作短編シリーズ。 小説「インナー・シティ・ブルース」。第11回は、赤坂〜六本木が舞台となる。

【あらすじ】
赤坂〜六本木編・前編の主な登場人物は元カラーギャングのヘッド同士で今は親友の海崎信如(ノブ)と鳥越翔太。ノブの特殊能力を知る翔太は、ハロウィンに渋谷でおきた不可解な事件の真相を探るため、入院中の事件当事者をノブに引き合わせる。当事者がその事件の前にからんでいたのが囲間楽だと気づいたノブは、彼女と会う手筈を整えるのだが……

パート1 海崎信如

 鳥越翔太が待ち合わせ場所に指定した病院は、乃木坂駅のそばだった。
 夜間受付口からガランとしたロビーに入ると、すぐにあいつの姿が見えた。
「ノブ、久しぶり」
目が覚めるような鮮やかなブルーのロングコートなんか着ちゃって、相変わらずクソカッコいい。天パーなのか念入りにセットしているのか分からないあいつのクルクルした巻き毛を目にするたび、坊主頭の俺は気後れしてしまう。
 俺が翔太と知り合ったのは中学時代のことだ。そのときは敵対するカラーギャング、スカギャンとCボーイズ浅草支部のヘッド同士としてだった。

 でも俺は中3の頃にはそういった活動にはすっかり飽きてしまい、真面目に勉強するようになった。結果、地元で一番レベルが高い公立校に進学したんだけど、似たようなことを思っていたのか、あいつも同じ高校に進学してきたのだ。その高校には中学時代にカラーギャングだった奴なんて他にいなかったので、自然と翔太とツルむようになった。まあ親友になったといってもいい。あいつの初体験の相手なんか男女両方知っているくらいだ。そう、翔太はバイ・セクシャルなのだ。ちなみに同性にときめいた最初の相手はなんと俺だそうで、中2でタイマンしたとき、これまでになかった感覚を覚えたとか言っている。まあ、半分冗談だろうけど、少女漫画に出てくるようなイケメンからそう言われたら悪い気はしない。
「店の方は順調?」
「まあね。お前は」
「相変わらず。一昨日までカトマンズにフィールドワークに行ってた」

 ビルオーナーの息子である翔太は家業を継いで、今は都内でカフェやバーを幾つか経営していている。僧侶の息子である俺もある意味、家業を継いだのかもしれない。大学では宗教人類学なんてケッタイな学問を専攻して、そのまま大学院で助手をやっているんだから。今日は久しぶりに研究室に顔を出して、そのままアパートの部屋に帰るのも寂しいなあと思っていたところに翔太からLINEが送られてきた。待ち合わせ場所が病院ってことは、飲み会になる可能性はまずないだろうけど。

 翔太の表情が真剣なものに変わった。
「さっそく話なんだけどさ、お前ミカエルさんって覚えている?」
「Cボーイズの大幹部だろ。まだ付き合いがあったんだ?」
 ミカエル・セヴェリ。1990年代にハウスDJとしてフィンランドから来日してきた彼は、DJブームが衰退して稼ぎが半減したのをきっかけに、もうひとつの仕事に専念するようになった。パーティ・ドラッグの売買だ。Cボーイズに迎え入れられたミカエルは、地下世界にその名を轟かせるようになった。現在はその時代の蓄えで優雅に暮らしていると、風の噂に聞いている。
「あの人、盛り場のビルを結構な数持っているから、たまに世話になっていたんだ。電話で話したのは久しぶりだけどね。話はこうだ。ミカエルさんの下に内藤って奴がいるんだけど、そいつがハロウィンの仮装パーティーの最中に渋谷の交差点で襲われたんだ」
「すぐに犯人は捕まったんだろ?」
「ところが誰も目撃していないんだ。一緒にいた連中の話だと、内藤がいきなりナイフを取り出して、自分を滅多刺しし始めたようにしか見えなかったらしい。パンピーにはパフォーマンスと勘違いされて大ウケだったってさ。この病院に担ぎ込まれてから、もう1ヶ月以上も意識不明のままだ」
「クスリで頭がおかしくなったんじゃないのか」
「警察もその線で考えているからこの件では全く動いていない。渋谷のハロウィンにこれ以上悪いイメージを与えるわけにはいかないしな。でもミカエルさんはお前のことを思い出してさ。それで、問い合わせの電話が僕にきたってわけ」

 翔太とタイマンしたとき、俺は自分の”能力”を初めて使った。当時、報告を受けたミカエルはタイマンで負けた翔太の苦し紛れの言いわけだと思ったにちがいない。でもありえない襲撃事件を前にして、その認識を考え直したのだろう。
「Cボーイズと対立していた俺の仕業だって言うわけ? いつの時代の話だよ。それに俺の代が引退したあと、スカギャンが子ども神輿の親睦会に戻ったことは知っているだろう?」
「ミカエルさんだってそんなことは分かっているって。それほど犯人探しに行き詰まっているってことだよ」
「だいたいそんな“能力”は俺にはない。それにハロウィンの夜は、もうカトマンズにいた。大学の記録を調べればわかる。アリバイ成立。ミカエルにはそう伝えといてくれ」
「わかった。お前じゃないことは分かっていたけどさ。今日こんなところに来てもらったのは、内藤の様子を見てもらいたかったからなんだ」

 翔太に連れられて俺はエレベーターで6階にあがった。病室は非常階段の隣。ギャングのセオリーを守っている。内藤の周辺が今も裏家業に精を出していることが分かった。
 ベッドに寝かされた内藤は、マンガに出てくる怪我人のように全身が包帯でグルグル巻きだった。体には点滴やカテーテルが何本も取り付けられている。俺は思わず声をあげてしまった。
「ひでえな」
「深さ3センチ以上の傷が50箇所近くあるらしい」
 もし内藤がハードなドラッグをキメていたとしても、それだけの回数、全力で自分を滅多刺しにするなんて不可能だ。
「内藤を恨んでいた相手とか心当たりはないのか?」
「しょっちゅうトラブっていたから数えきれないってさ。この夏も、女と揉めて新宿駅前で大怪我を負わされて、ここに通院していたらしい」
「その女の身元は割れているのか?」
「名字はわからないけど、下の名前が「楽(らく)」ってことだけは分かった。店の連中に聞いてみたんだけど、モデル体型の美人なのに飲みっぷりがいいことで知られていて、新宿界隈では顔らしい。でもミカエルさんによると、その女には絶対手を出すなってお達しがもっと上から来ているそうだ。もしかすると暴力団の組長の娘なのかもな」
 組長の娘じゃない。陰陽師の一族、囲間家の次女だ。ここで名前を聞いたのも何かの縁かもしれない。
「内藤のスマホを調べられないかな。その女との通話記録が残っているかも」

 翔太は、内藤のベッドサイドの引き出しからスマホを取り出すと、画面を確認しはじめた。
「これかな。発信元は匿名だけど。8月24日午前1時26分着信。題名は『シルバーサーフ・フィルムズの件で至急話したい』本文は『場所は新宿東口前の広場。目印は、黒いドレスを着た女』」
 俺はふと思った。親父からは囲間家の人間と直接会うことは固く禁じられている。でも偶然出会ってしまったってことにしてしまえばいいんじゃないかって。
「ちょっと見せてくれないかな」
 俺は翔太からスマホを奪い取ると、返信メールを打った。
「題名『楽へ、囲間家の件で至急話したい』『場所は任せるけど赤坂周辺希望』」
 翔太の顔色が変わった。
「ノブ、お前、楽って女を呼びつけるのか? だから手を出すなって……」
「Cボーイズじゃなくて、俺個人の判断で呼び出しているんだから問題ないだろ? それにそいつから話を聞くだけだし」

 俺はメールを送信すると、スマホを引き出しに戻すために内藤の枕元へと近づいていった。その時、誰かが俺の手首を掴むのを感じた。包帯で包まれた内藤と顔が合った。奴の口がくわっと開くと、ガスのようなものが口の中から溢れ出てきて、それは俺の口を無理やりこじ開けると、体の中へと入ってきた。
 これはマズいことになった。自分を制御しないと大変なことになる。でもこの非常事態をどうにかできるのは、これから会う囲間楽以外にいないことも確かだった。

パート2 囲間鴎

 タクシーは、虎ノ門の交差点を右折して国道一号から外堀通りへと入っていった。すぐに赤坂見附だ。後部座席に沈みこむように座っていた私は、ふたつの過ちを後悔していた。

 ひとつは睡眠薬を飲んでしまったこと。今この瞬間も睡魔と戦っている。もうひとつはブラトップの上にガウンを羽織っただけでタクシーに乗り込んでしまったことだ。
今夜の私は、霊を鎮める仕事を三つもこなしたあとでヘトヘトだった。でもこういう日に限って興奮してしまって、なかなか寝つけない。お風呂に入るのも、マンションの1階に入っているコンビニに食べる物を買いに行くのも面倒臭いので、ビタミン注射だけ打って眠ってしまおうと思った。そして睡眠薬を飲みこんだちょうどその時に電話が鳴り、続いて鈍い音とともにファックスが送られてきたのだった。

 病院のカルテのコピーのようだ。写真に写されたクランケの顔には深い傷跡が無数に刻まれている。おぞましさを感じる以上に興味をそそられた。何処かで見たことがある気がする。記憶を辿っていると、今度は電話がかかってきた。
「鴎様ですね。よかった。お部屋にいらっしゃいましたか」
 執事の息子、一橋貞(ひとつばし・みさお)からだった。
「ミサオくん、“様”付けは気持ち悪いからいいよ。楽とはタメ口で話しているんでしょ」
「恐縮です。実は楽も絡んでいる件でして」
「このファックスと関係あるのね」
「お送りしたのは、内藤夜太という半グレの男のカルテです。8月にこの男を楽が懲らしめたんですが、今になって彼から“囲間家の件で至急話したい”というメールが来たので、楽に転送したんです。楽は待ち合わせ場所として、赤坂見附駅の通りを挟んで向かいのビルに立つクリスマス・ツリーを指定しました」
「あそこなら、あの子は安心」
「私もそう思ったんですが、念のため内藤のSNSをチェックしたら、1ヶ月以上更新されていないんです。さらに調べたら奴はハロウィンの夜、渋谷の交差点で自傷騒ぎを起こして以来、入院中だと判明しました」
「その容態が記されているのが、このファックスってわけね」
「はい」
「この傷のパターンって、もしかして……ゾディアック?」
「その可能性が高いと思います。内藤の代わりに楽を呼び出した者の正体も気になります」
「ミサオくん、渋谷でいま杭工事を行なっているビルを割り出して。ビルが見つかったらお札を用意して、私が合図するまでそのビルの前で待機していて。私はタクシーを拾って赤坂見附の様子を見てくるから」
 こうして私は、着の身着のままでマンションの部屋を飛び出したのだ。こんな最悪のコンディションで、よりによってゾディアックと戦うことになるなんて。
 タクシーの窓からオフィス街をぼんやり眺めていると高い木が見えた。小さな赤い飾りが幾つもぶら下がっている。きっとあれがクリスマス・ツリーだ。私は慌ててタクシーを停車させると、大通りを渡りながら、誰かいないか周りを確認した。クリスマス・ツリーの下で三人の男女が対峙しているのが見えた。何も知らない人が見たら、忘年会シーズンで酔っ払っている会社員に見えたかもしれない。でも私には分かった。三人は今、東京の存亡を賭けた戦いを繰り広げているって。

パート3 鳥越翔太

 気がつくと、僕は燃え盛る炎に包まれていた。
 周囲を見回すと、ホテルのような空間の長く狭い内廊下の真ん中に立っていることが分かった。どうしてこんな場所にいるんだろう。遠くの方からは悲鳴やガラスが割れるような音が聞こえる。
 さっきまで、僕らは大通り沿いのオープンスペースに立ったクリスマス・ツリーの下にいたはずだ。ノブが連絡を取った楽という女が指定した場所だったので、念のためすぐそこから逃げ出せるようにと、通りには僕の車を横付けしていた。女がバイクに乗ってやってきたのは、僕らが着いて15分くらい経ってからだ。革ジャンにブラックジーンズという出で立ちの女は、ヘルメットを取るなりノブに話しかけてきた。
「内藤じゃないとは思ったけどさ。で、何の用?」
「囲間楽さんですね。今日はあなたにお会いしたかっただけなんですけど、ごめんなさい。俺、ミスりました! 何かが俺に伝染したみたいで……」

 話しかけようとするノブの口が大きく開かれると、中からガスのようなものが飛び出て来て、相手の女の口に吸い込まれていった。女が豹変したのはそのすぐ後だ。彼女は怒りに満ちた目で、両手の指でカメラのファインダーのような形を作ると、僕たちを銃で撃つようなポーズを取ったのだ。途端に周りの景色がぐにゃっと歪んだ。次の瞬間、僕はこの燃え盛る廊下に立っていたというわけだ。
 なぜ彼女は僕をこんな目に遭わせたんだろう。ひょっとして、僕があまりに美しすぎるから三島由紀夫の「金閣寺」みたいに燃やしたくなったってこと? 
 ウットリしていると、隣に立っていたノブに怒鳴られた。
「何ぼっーとしてんだよ。この炎は本物だからウカウカしていると焼け死ぬぞ」
「え、どういうこと?」
「ここは、さっきいた場所の過去の世界で、俺たちはそこに送り込まれたんだ」
「過去ってことは、ホテルニュージャパンか」
「ホテルニュージャパン?」
「1982年にこの場所に立っていたホテルで、寝タバコが原因で火災事故が起きたんだ。オーナーはロビーのシャンデリアに大金をかける一方で、消火設備に手を抜いていたから、ホテルはあっという間に全焼してしまった」
「お前よくそんなこと知ってるな」
「商売柄、ナイトクラブやバーの歴史を研究しているうちにオタクになっちゃったんだよね……そうだ!」
 たしかホテルの南東側までは炎が回らなかったはずだ。僕は煙越しに廊下のサインを確認し、ノブの手を取って走り出した。廊下の正面はYの字型に分かれていて、さらにそれが枝分かれしている。この複雑な配棟が大惨事を引き起こす原因になったわけだけど、逆に南東側がどちらかの方角なのか感覚的に理解出来る。廊下の終点まで走り抜けると煙は薄くなった。ここまで来たなら大丈夫だ。
「翔太、サンキュー。でもこのあとが問題だな」
「というと?」
「そろそろ“能力”の効き目が消えて、俺たちは現代に戻れるとは思う。でもそこでは楽さんが待ち構えていて、俺たちはまたこの世界に送り込まれちゃうってわけ。こんなことを何度も繰り返されたらこっちの体力が尽きてしまう」
「ノブも“能力”で対抗すればいいよ」
「えっ?」
「昔、お前が僕にやった過去の景色を映し出す技を使うんだよ。えーと、そうだな。1964年3月25日。場所はこの場所の地下。現代に戻った瞬間にそこの景色を映しだすんだ。あの女はびっくりするはず」
 ノブはうなずいた。僕たちは廊下の隅っこで女の技の効力が切れるのを待った。周りの景色が次第にぐにゃっと歪み始めた。
「今だ!」
 ノブは両手を合わせて般若心経を唱えはじめた。すると、僕たちの頭上には貝のようなフォルムをした白い天井が現れた。周りにはアメリカ人らしきダンディなピアニストを中心に、ドラム、ベース、ギター、サックス奏者がいて、更に後ろには正装した日本人のビッグバンドがずらっと顔を揃えている。どうやらうろ覚えだった日付が合っていたようだ。ショータイムのスタートだ。僕たちの目の前にはカクテルドレスを着た艶かしい女性シンガーが現れると、吐息交じりに「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」を歌い出した。テン年代とは別世界の光景に、僕らを待ち構えていた女は呆気に取られている。

 ノブが怒り出した。
「これ、何だよ?」
「えっ、ホテルニュージャパンの地下にあった伝説のクラブ、ニューラテンクオーターで行われたジュリー・ロンドンの来日公演だけど」
「これ、単なるお前の趣味だろ」
「まあ、見たかっただけって言われればそうだけどさ。単なるトリックだって奴に気づかれる前に車で逃げようよ」

 僕がそう言い終わるか終わらないかのタイミングで、背後から女の声が聞こえた。
「そういうわけにはいかないの」
 振り返ると、そこにはガウン姿の気怠げな美女が立っていた。
 ノブが興奮してガウンの女に話しかける。
「もしかして貴方、囲間鴎さんでは……。俺、海崎信如といいます。すみません。俺のせいで妹さんが何かに伝染ちゃったみたいで」」
鴎さんと呼ばれた女は表情を曇らせた。
「ゾディアックは楽に取り憑いているのね」
「ゾディアック?」
「東京に住む人々のストレスが集積して出来た悪意の塊。暴力衝動だけで出来上がった残留思念ってところね。これまでも人間に取り憑いては凶悪犯罪を起こしてきたの。その発端はゾディアックの残留思念にあると私は考えているんだけど」

 名前を聞いた僕はつい口を挟んでしまった。
「ゾディアックって、70年代にサンフランシスコで連続殺人事件を起こしながら、捕まっていないあの殺人犯のことですよね?」
「戦前、青山学院大学のキャンパスに子ども時代のゾディアックが住んでいたという話があるのよ。活動範囲が城南中心で、犯罪を起こしはじめた時期も、ちょうど同じだから、私たちが勝手にそう呼んでいるだけなんだけどね。ともかく、そのゾディアックと私たちの父が昭和の終わり頃に対決したの。最終的に父は、渋谷と青山、麻布を囲む3ポイントに強力なお札を仕込んで、そこにゾディアックをおびきだして封印したというわけ」
「じゃあもう安心なはずでしょ。なぜ?」
「最近、渋谷の再開発でビルがあちこちで取り壊されているでしょう。きっとそれで空気の流れが変わってお札の効力が薄れたのね。ハロウィンの夜、街に漂う邪気によって解放されたゾディアックは、その場にいた中で一番暴力衝動が強い男に取り憑いた。でも強すぎる力に耐えきれなかった男は自傷行為で力を使い果たしてしまった」
「それが内藤だったってわけか。で、俺を経由して楽さんに伝染したんだ」
 何だかワケがわからない話だったけど、ノブは納得したようだった。鴎さんがノブに尋ねる。
「ゾディアックにはより強い力を持つ人間に伝染していく性質があるの。ということは、あなたの方があの半グレより強いってことになるんだけど。信じられないわ。楽みたいに暴れなかったのも不思議だし」

 ノブは得意げに答えた。
「俺もあなたたちと同じような”能力”を持っているんです。一番得意なのは霊力を抑えつけることで」
「残留思念の力を抑えられるのね。それは他人に取り憑いた残留思念にも使える?」
「一応。つい最近までネパールで悪魔憑きとやりあってきましたから」

 鴎は言った。
「このままだと楽は周囲の人々を傷つけ続けてしまう。安全のために一旦ゾディアックを私に伝染させるから、あなたは私を抑えつけて。そのあと残留思念が強いエリアに行って、その場所が持つ力でゾディアックを身体から引き剥がすから」
 ノブは困惑した顔をした。
「今いるところって大火事の現場みたいですよ。ここで全部済ませられないんですか?」
「ここでは無理。隣に山王日枝神社があるでしょ。こういう場所って残留思念が鎮められてしまっているから、私には操れないの」
「あんな凄い相手だと、俺も10分やそこらしか制御できないかもしれません」
「車があるんでしょう? みんなで霊力が強い場所を探しに行きましょう」
「見つからなかったら、どうするんです?」
 鴎さんは弱々しい笑みを浮かべながら答えた。
「そのときは自分で自分を始末する」
 そう言うと鴎さんは、「楽ちゃん、私」と呼びかけながら女に近づいていった。女から鴎さんに口移しのような形でガスが流れ込んでいくのが見えた。ジュリー・ロンドンが歌い終わった瞬間だった。

「赤坂〜六本木編:シャンデリア②」へ続く

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門2』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000