葛西臨海公園編:ヘイ、ナインティーン〜チェイン・ライトニング
長谷川町蔵 著

葛西臨海公園編:ヘイ、ナインティーン〜チェイン・ライトニング
長谷川町蔵 著

毎回、ある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の連作短編シリーズ。 小説「インナー・シティ・ブルース」。第13回は、葛西臨海公園編が舞台となる。

【あらすじ】
葛西臨海公園編の主な登場人物は群馬県に住む西原久作。ある日、久作がTwitterでその日に買った懐かしいCD2枚の写真を投稿したら、同じ日に同じCDを買ったという山梨県在住の女性からメンションが飛んできた。趣味の合うふたりはやがてtwitterのダイレクトメッセージを頻繁に交わす仲になる。そしてそれぞれ仕事で上京する機会が訪れ、ついに会うことに……

ヘイ、ナインティーン

 東京は意外と広い。随分前とはいえ、大学の四年間は東京で暮らしていたし、最近だって2〜3年に1度くらい訪れているので、めぼしいスポットはあらかた制覇したと思っていたんだけど。こんな場所に来るのは初めてだ。

 京葉線の駅の改札をくぐって階段を降りると、そこにはガランとした空間がどこまでも広がっていた。9月なのが嘘みたいに眩しく太陽が照りつけている舗道を歩いていくと、波の形をしたオブジェが据え付けられていた。そこには「葛西臨海公園」と彫られていて、ぼくが降りた駅が間違っていなかったことを教えてくれた。
 あたりを見渡すと、左手の林の奥に球体のガラスドームが見える。あそこが目的地の葛西臨海水族園か。辿り着くまでに体が干からびそうなくらい遠い。普段はコンビニにも車を使うぼくがこんな炎天下を歩くことになるとは。でも「お通夜祭りさん」に会わないと。
 お通夜祭りさんについて知ったのは、半年ほど前のことだった。その日、予定より早く仕事が終わったぼくは、国道沿いのブックオフで暇つぶしをしていた。日本中どこのブックオフもそうだとは思うけど、館林のブックオフはさながら平成に流行したものの見本市だ。本のコーナーには「だから、あなたも生きぬいて」や「人は見た目が9割」が、DVDコーナーにはビリーズ・ブートキャンプやザ・トレーシー・メソッドが山積みになっている。CDコーナーの常連はもちろんTKとあゆ。彼らのアルバムが平積みになった100円コーナーをぼんやり眺めていたら、信じられないものが目に飛び込んできた。フリーデザイン「Stars/Time/Bubbles/Love」とマイティー・ライダース「Help Us Spread The Message」だ。
 どちらも大学時代、アナログレコードで擦り切れるまで聞いたアルバムだった。再発CDとはいえ、こんな値段で叩き売られているなんて。家業を継ぐために地元に戻って以来、この手の音楽は聴かなくなっていたし、興味もなくなっていたけど、気がついたらレジで精算している自分がいた。

 テレビのニュースを見ながらイオンで買った惣菜を食べた後、呑みながらCDを聴いた。PCの小さな外付けスピーカーから流れるサウンドはショボかったけど、目を閉じると東京のクラブで過ごした夜の想い出が蘇ってきた。
 ストロングゼロのせいで酔っ払っていたせいか、この気持ちを誰かと分かち合いたくなった。こんな時、Facebookは仕事用に使っているので相応しくない。ぼくはフォロワーが12人しかいないTwitterの方に写真を投稿することにした。
「#freedesign #mightyriders #ひさしぶりに聞く #誰も知らないけどw」
そんな投稿をしたことすら忘れた頃にメンションが飛んできていることに気がついた。
「その2枚、わたしも買ったばかりです!」
 その投稿の主こそが、お通夜祭り @o2yama2ri さんだった。プロフィールを見ると、自己紹介に「三児の母、ときどきカメラマン兼ライター」とあり、場所は「山梨県韮崎市」で登録されていた。彼女の過去のつぶやきを遡ってみると、ぼくが投稿したのとほぼ同じ日時にフリーデザインとマイティー・ライダースのCDジャケの写真が投稿されていて、そこに「#freedesign #mightyriders #ひさしぶりに聞く #誰も知らないけどw」と、まったく同じタグが書き添えられていた。

 彼女がフォローしてくれたことに気がついたので、ぼくもフォローし返すことにした。いつしか、ぼくはお通夜祭りさんの呟きを楽しみにするようになった。彼女の投稿のほとんどは自分で撮った写真に短い言葉を添えたものだった。
自然に恵まれた韮崎に住みながら、彼女の関心はショッピングモールや道路添いに咲いた花、自分の子どもの後ろ姿といったものに向けられていた。でも彼女の目を介すると、ありふれたものが不思議な輝きを放ちはじめるのだ。普通のスマホやカメラでは出すことができない独特な色使いも印象的だった。
 キモがられるかな、と思いながらメンションを飛ばしてみた。
「すてきな写真ですね。どうやって撮っているんですか?」
「懐かしのBIG MINI! 20年放ってあったのを最近また使いはじめました。デジカメは仕事で使っているので、気持ちの切り替えができないw」
 このやりとりをきっかけに、ぼくとお通夜祭りさんはtwitterのダイレクトメッセージを頻繁に交わすようになった。
 昔聴いていた音楽の話、最近観た映画の感想、群馬県と山梨県の違い。プライベートの話もした。それによると、何となく始まりあっけなく終わった結婚生活を除けば平坦そのもののぼくの人生と比べると、お通夜祭りさんのそれはなかなかハードなものだった。
 大学卒業後、東京の編集プロダクションで働いていた彼女は一時的に戻った地元で、高校時代の彼氏とばったり再会して結婚、そのまま地元に留まることになった。子どもは三人生まれたけど全員男の子で、家の中はいつも戦場状態。だけど旦那は毎晩飲み歩いていたので大喧嘩して、すでに別居5年目らしい。ここ数年は地元のタウン紙の記者兼カメラマンとして働いて、母親を含めた一家5人の生活費をひとりで稼いでいるという。気がつくと、ぼくと彼女は親友にも話せない悩み事を相談しあう間柄になっていた。

 そんなある日、ぼくは千葉の幕張メッセで水道業者向けの見本市が開かれることを知った。ここ数年顔を出していなかったので、そろそろ時代に取り残されてしまう。そのことをtwitterで呟いたら、お通夜祭りさんからダイレクトメッセージが送られてきた。
「その日、東京にいます」
 何でも彼女は、一橋メディア総研という立派そうな名前を持つ団体から「地方メディアを盛り上げる注目すべき女性記者」に選ばれて、取材を受けるため上京するらしい。
 せっかくだから実際に会ってお茶でもしましょうという話になった。お互い海無し県に住んでいることもあって、彼女が取材を受ける丸の内と幕張の中間地点にあたる葛西臨海公園で会うことに決めた。待ち合わせ時間は午後2時。場所は葛西臨海水族園のペンギンのコーナーだ。
 長い階段を登りおえると、ぼくは入館チケットを買い求めて円形のガラスドームの中へと入っていった。サメやマグロが回遊する巨大な水槽を横目に、一直線にペンギンのコーナーへと向かう。ペンギンの展示は海に面した屋外にあった。様々な種類のペンギンたちは大きな水槽とその奥に設けられた人工の岩場を行ったり来たりしながら、9月の午後を思い思いに過ごしていた。ぼくはあたりを見渡したけど、そこにいたのは母子連れと大学生らしきカップル、ベンチでボンヤリしている若い男だけ。約束の時間から10分近く遅れて来たのに、お通夜祭りさんらしき女性はいない。
「あのー」

 背中の方向から女性の声がしたので振り返ったら、そこに立っていたのは若い女の子だった。かなり可愛いけど猛烈にヤンキーっぽい。ニューヨークヤンキースのキャップから茶髪があらゆる方向にはみ出していて、ところどころ穴が空いたジーンズの上に、2匹の虎がGUCCIと描かれたロゴを挟んで睨み合っている悪趣味なTシャツを着ていた。どう考えてもお通夜祭りさんではないのは確かだ。これはどういうことだ? その子が微笑んだ瞬間、全身から血の気が引いた。「キャットフィッシュ」だ!
 出会い系サイトで、ダサい男の理想の存在になりすまして、相手を笑い者にするキャットフィッシュという遊びがアメリカで流行っていると聞いたことがある。それに影響された若い奴らが、ぼくを騙してみっともない姿をネットで拡散するつもりなんだ。
 気が動転してその場から逃げ出そうとしたけど、女の子に呼び止められた。
「久作くん、待って」
 この子、なんでぼくの名前を知ってるんだ?
「あなたが探している人は別の場所に来ることになっているから」
「えっ?」
「公園の入り口の正面に、門みたいな形をした展望台があったでしょ。クリスタル・ビューっていうんだけど、そこに2時半に来ることになってる」
「どういうことなんだ?」
「今から説明するから。わたし、藤野恋。あなたのTwitterのフォロワーなんだけど、3月に自分が買ったCDについて書き込みしたでしょ」
 フリーデザインとマイティー・ライダースのCDのことか。
「わたし、お通夜祭りさんのインスタのフォロワーでもあるんだけど、彼女が同じ日の同じ時間にまったく同じ投稿をしたんだよね。しかもタグまで全部同じ!」
「……インスタ?」
「で、思ったわけ。これは運命で、ふたりは引き合っているって。付き合っちゃったら最高じゃんって。でも久作くんはインスタを、お通夜祭りさんはTwitterをやっていなかった。このままじゃ知り合うことができないよね? だからわたしにとって師匠みたいな人がいるんだけど、その師匠に頼んで作ってもらったわけ。久作くんのインスタとお通夜祭りさんのTwitterのミラーアカウントを。で、ふたりの投稿が自動的にミラーアカウントに反映するプログラミングを組んでもらった。そうしたら予想通り、ふたりはすぐに話しあうようになって……」
「ぼくたちのやりとりを全部読んでたのか?」
「ごめんなさい。でもホノボノしたやりとりが可愛くて、読むのがやめられなかったんだよねー」
「ということは書き込み自体は本人のものだったってことなのか?」
「そうだね。でもこっちでやったことがひとつある。今日、お通夜祭りさんが取材を受けた一橋メディア総研って、師匠のお父さんがオーナーなんだ。無理やり頼んで取材をセッティングしてもらっちゃった」
 ぼくはしばらくの間呆然としていたけど、だんだん腹が立って来た。この子、お節介すぎないか?
「恋さん、だっけ? きみ幾つ?」
「19歳」
「きみはまだ子どもだから、わからないとは思うけど、本当に失礼なことをしたんだよ。ぼくも彼女もそれぞれ大人としての生活があるんだから」
「大人の生活? それって最初の結婚にしくじったせいで、家と仕事を行き来するだけの生活のこと?」
 恋さんの容赦ない言葉が胸に突き刺さった。
「付き合っちゃたら最高だなんて、勝手すぎるよ。俺と彼女は単なる話相手なんだから」
「恋しちゃえばいいじゃん」
「友情と愛情は別物なんだよ。それにぼくは群馬で彼女は山梨だし」
「車で3時間も飛ばせば通えるでしょ?」
「ぼくには母親の面倒をみる義務があるんだ」
「えっ、つい最近モロッコにひとり旅していたあの人? むしろ面倒を見られているのは久作くんの方じゃない?」
「彼女の方には病気がちのお母さんがいる」
「お通夜祭りさんの妹って韮崎のすぐ隣の北杜市に住んでいるんだよね。あの人にもっと手伝ってもらればいいよ」
「お通夜祭りさんの三人の息子はみんなまだ十代だ。ぼくのことなんかよく思ってくれるわけがない」
「父親代わりになろうなんて思わないで。それは自意識過剰すぎるよ。友達になればいい。健一くん、健二くん、貴男くんの三人とも母親に似て洋楽が大好きじゃん」
 ぼくは言い返す言葉が無くなってしまった。
「久作くんたちはもう準備ができているってわけ。あとは実際に会って恋に落ちるだけ。わたしはその手伝いをちょっとしただけだよ。でもお節介だったのは確かだったから、今日は早めに呼んで事情を説明したってわけ」

 恋さんは自信満々だったけど、19歳の女子に恋愛指南されるのは癪だった。
「あのさあ、人って知り合ううちに段々好きになっていくもので、恋する準備をするとか、自分から好きになる努力なんて普通はしないものだよ」
 恋さんはしばらく周りをキョロキョロ見渡してから、小さな声で言った。
「わたし、幽霊を見たり、話せたりできるんだよね」
「えっ?」
「それが原因で、これまで男子と付き合ってもすぐ上手くいかなくなっちゃって。師匠と会うまでは人生メチャクチャだった。でも今度、自分のことを分かってくれそうな人と知り会えたら、自分から相手を好きになるようにマジ努力すると思う」
 恋さんは話を続けた。
「そもそもあなたたちをフォローするようになったきっかけを話すね。師匠から、渋谷の除霊を頼まれたとき、あなたたちの残留思念と会ったんだよね」
「残留思念?」
「人間が絶体絶命の時に強い想いを抱くと実体化するもの。ようするに生き霊。久作くん、渋谷系とかいう音楽が大好きだったでしょ?」
「……ちょっとはね」
「ちょっとのわけない。久作くんの残留思念は渋谷でレコードショップを経営しているつもりになっていたくらいだもん。店名はWild Honeybee Records」
 大学時代のぼくがレコードショップを開いたら付けようと決めていた名前だ。
「渋谷にはお通夜祭りさんの残留思念も残っていたんだけど、彼女は実在しないそのレコードショップの常連になっていたの。ふたつの霊魂が惹かれあっていたのを、わたしは見ていたんだ。だから現実世界のふたりのアカウントを探して、フォローし続けていたってわけ」

 恋さんの表情は真剣そのものだったけど、ぼくとお通夜祭りさんを付き合わせたいあまり、出まかせを言っているようにも見えた。そうだ、この子を試してやろう。
「本当にきみが超能力者なら、それを証明してほしいな」
「わたしが出来るのは、その土地に残っている残留思念と話すことだけだよ。ここは埋立地で歴史がないから、そういったものは漂っていない。だから無理」
 ぼくは苛立って声をあげた。
「何かやってもらわないと、信用できるわけないだろ! そうだ、雪がいい。この場所で雪を降らせてくれたら信用する。お通夜祭りさんにも会いにいく」
恋さんの顔がこわばった。
「そんな能力ないし」
「そのくらいしてもらわないと、きみの話は信じられない」

 説得することを諦めたのか、彼女は目を閉じてブツブツとなにか念じ始めた。すると、何てことだろう。あたり一面が曇り空に変わって雪が降り始めたのだ。ペンギンたちが一斉に空を見上げて喜んでいるように見えた。ぼくは観念した。
「わかった。お通夜祭りさんに会うよ」
 恋さんは飛び上がって喜んだ。
「ありがとう! でもふたりには本当にうまくいってほしいから、付き合いはじめても1年くらいはわたしのことを話さないでくれる?」
「わかったよ。でも付き合わなくても呪うなよな」
「呪う力なんて無いから大丈夫」

 ぼくは、手を振って見送る恋さんをあとにクリスタル・ビューへ駆け足で向かった。時計を見たら2時35分だった。急がないと。クリスタル・ビューは全面ガラス張りなので、遠くからでも建物の中にどんな人がいるかがわかる。空中に浮き上がった2階中央部分に、ベビーカーを押す母親や、ハンチングを被った老人に混じって、ボーダーシャツに黒いパンツ、ストローハットという出で立ちの小柄な女性が佇んでいるのが見えた。お通夜祭りさんにちがいない。建物の中に入り、階段を駆け上ると彼女がこちらを振り返った。想像した通りの素敵な人だった。
「えーと、9sackさん?」
「そうです。本名、西原久作。お通夜祭りさんですよね?」
「変なアカウント名でごめんなさい。本名は大山マリです」
「待ちました?」
「ちょっと前からいたんですけど、海を見ているだけで何だか嬉しくって。ずっと見ていても全然飽きない」

 展望台からは東京湾の彼方まで見渡すことができた。マリさんが海を眺めたままなので、横並びに立って同じことをすることにした。海を眺めながら、ぼくは密かに驚いていた。普通だったら初対面の相手が飽きないか気を使って、バカなことばかり話してしまうのに、なぜか焦る気持ちが一切起こらない。代わりにずっとこのまま何もしなくてもいいやと思えたのだ。
 そうやって5分も過ごすと、この満ち足りた感覚を失ってしまうことが恐ろしくなってきた。恋さんからは話すなとは言われていたけど、この人には正直でいたい。いつ真相を話そうか。そんなことを考えていたら、青空にぴかっと稲妻が走った。すると、海を眺めたままマリさんが口を開いた。
「恋ちゃんに言われたこと、考えているんでしょう」
「えっ?」
「わたしも知ってるんです、ミラーアカウントの話。今日の午前、取材が終わったあと、部屋にあの子が入ってきて全部打ち明けられたから」
 マリさんも知っていたんだ。ぼくは凡庸な言葉を返すほかなかった。
「そりゃビックリしたでしょう」
 彼女は笑いながら答えた、
「ビックリどころか泣き叫んじゃった。オバさんの心を弄ぶな!って。でも根はいい子っぽいし、まんまと言いくるめられてここまで来ちゃった。そのことを1年は話さないでとか頼まれたけど」
「ぼくたち被害者同士だったってわけですね」
「ちがいます」
マリさんはこちらを見て真顔で言った。
「わたしたちは当事者」

 そのあと、ぼくとマリさんは観覧車へと場所を移して、東京スカイツリーや船着場から出発していく水上バスを眺めながら、あらためてお互いのことを紹介しあい、観覧車から降りる頃には他人だという感覚が一切無くなっていた。以来、ぼくらは数え切れない面倒臭い体験をしながらも一緒にいる。
 恋さんとはあの日以来会ってはいない。でも交際記念日のディナーでは、ぼくらは必ず最初の一杯を捧げるようにしている。悪趣味なTシャツを着たキューピッドに。

チェイン・ライトニング

 久作くんがマリさんのもとに走っていくのを見届けると、わたしは師匠にお礼の電話をかけた。
「ミサオさん、ミッションは大成功です! それと、わたし雪を降らせるようになったかも!」
 電話を切った途端、遠くからパチパチという音が聞こえてきた。音のする方に目を向けたらキャップを被った男の人がベンチに座ったまま、わたしにむかって拍 手をしていた。
 歳は二十代後半くらいだろうか。この人に一部始終を見られていたんだ。男の人は立ち上がると、身構えるわたしのもとに近づいてきて興奮気味に話しかけてきた。
「ここ、さっきまであのオッさんが立っていたところだね。うーん、いいヴァイブス! 君って、もしかして囲間雨(かこいま・あめ)さん?」
「ちがいますけど。そんな人知らないし」
 男の人はちょっとガッカリしたようだったけど、すぐ気を取り直したようだった。
「幽霊と話せるのって本当なんだろ? 俺、そういう人とたくさん会っているから本当か嘘かすぐ分かっちゃうんだよね。でも東京で会うのは初めてだから、ついつい話しかけちゃった」
「あのー」
「あ、ごめん」
そう言って、彼はリュックをごそごそと漁って名刺を渡してくれた。そこには「京南大学 文学部 宗教人類学研究所  海崎信如」と書かれてあった。
「俺、ひとりで黄昏れるのが好きなんだ。地元が浅草だからそういう場所がなくて。だからたまに水上バスに乗ってここまで来るんだよね。でも偶然こんな現場に出くわすとはねー」
 男の人はひとりで喋り続ける。
「腕ケガしてるけど大丈夫? ひょっとしてタチの悪い霊にヤラれたとか?」
 この人、なんでそんなことまでわかるんだろう。わたしは正直に答えることにした。
「下北沢で小劇場関係者の除霊をやろうとしたんだけど手強くて。しかもそいつらと戦っていたらロックバンド関係者の霊がむこうに加勢してきちゃって……」
 彼は笑い出した。
「それ、最高! 俺もカンボジアで悪霊に絡まれて肋骨2本折られたことがあってさあ」
 えっ、この人なに話しているんだろう? 
「実は俺も幽霊と話せるんだよね」
 そしてわたしを見つめるとこう言った。
「それと雪を降らせたのは俺だから」

 彼がそう言った瞬間、青空にぴかっと稲妻が走った。
「俺さ、その場所の過去の景色を呼び出せる力も持ってるんだよね。君がオッさんに問い詰められて困った顔をしていたから、雪の日の景色を呼び出して助けてあげたってわけ」
 ずっと考えてきたことを実行に移すときがとうとうやって来たんだと、わたしは思った。
「わたしのこと知りたい?」
「そりゃ、もちろん」
「わたし、藤野恋。もうすぐ二十歳」
「ロイホが近くにあるから、そこでお茶しながら話す?」
「ううん。水上バスであなたの街まで連れていって。そこで話す。それともうひとつ条件がある」
「条件って、どんな?」
「まずあなたが最初に好きになった女の子について話してくれる?」

 それ以来、ノブ君からはことあるごとに「いきなりそんなこと訊く奴なんている?」ってからかわれる。
 そのたびに「緊張していたから、ワケわからないこと口走ちゃったんだよねー」とか言って誤魔化してはいるけど、本当のことを言うと青空に稲妻が走った瞬間、わたしは心に決めたんだよね。こいつを全力で好きになって、最後の女になってやるって。

「葛西臨海公園編:ヘイ、ナインティーン〜チェイン・ライトニング」了

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門2』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000