STYLIST PROFILE
元廣壽文
建設会社で約10年間勤務後、30代からファッション業界に転身。2018年にスタイリストとして独立。古着を取り入れたスタイリングを好み、ファッション誌・広告などで活動。
“○○リヴァイバル”といった言葉がファッションには付きもの。過去に一世風靡したトレンドが時代を巡って再び流行するのだから、ファッションスタイルのムーブメントは面白いわけだ。ブランドやセレクトショップのニューアイテムの解説でアイビーやプレッピー、モッズやテッズなどなど……よく聞くスタイルの言葉がある。だが、そのスタイルって本当はどんな姿をしていたのか、何となくしかわからないことが多い(ーと思うんですが、そんなことないですか??)。
そこで、ここではスタイリスト、元廣壽文さんに教わり、現在ではスタンダードとなっているファッションスタイルの歴史を辿って、時代背景を振り返りつつ、どんな服装だったのかを探究してみたいと思う。巷でよく聞く○○スタイルが、本当はどんなものだったのかを知る最初の一歩になればいいな、と思う。
FASHION STYLE CHRONICLE〜今さら聞けないファッションスタイルのヒストリー録〜、第1回目にピックアップするのはアイビースタイル。
アイビー(IVY)スタイルが生まれたのは1950年代。
ひと言で表現するのであれば、当時、アメリカ北東部にあった“8つの伝統ある私立大学”に所属する学生達が実践していたカレッジファッションのことです。
アイビースタイルのアイコニックなアイテムは紺ブレ、レタードカーディガン、ボタンダウンシャツ、ポプリン素材のパンツ、コインローファーなど。
※U.S.ブルックスブラザーズの紺ブレ。スタイリスト私物
※オールデンのコインローファー。スタイリスト私物
それまでのアメリカントラッドスタイルを当時の若者の解釈で着崩したスタイルが、アイビーの始まりでした。このアイビーと並んで耳にすることのある“アイビーリーグ(※)”は、この8大学の総称、または、これらの大学で構成されたカレッジスポーツ連盟のことを言うときに用いられる言葉なんです。
※ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、イェール大学。アメリカを代表する名門
ハーバード、コロンビア、イエール、etc……古着屋でよく見かけるリバースウィーブのプリントで誰もが1度は目にしたことはあるであろうこの8つの有名校は、アメリカの歴代大統領や政治家、その後のアメリカを動かした大きな歯車となる人物を多く輩出していて、彼らの趣向がアメリカ社会にも広く浸透したことは想像に容易いわけです。
さて、1950年代の音楽シーンを見てみると、当時のスターはジャズシーンにいました。
ビル・エヴァンスやアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズなどのモダンジャズミュージシャンたち、彼らの音楽はもちろん、ファッションの面においても当時のアメリカの若者の憧れとなっていたんです。ビル・エヴァンスの大名盤『PORTRAIT IN JAZZ』のジャケット写真(恐らく彼のもっとも有名な写真?)の7:3セットされたヘアスタイルにメガネ、ジャケットにサックスブルーのシャツ、タイドアップした彼の姿は現在の某シティボーイ誌の紙面に載ってもおかしくないくらいの完璧な着こなしを体現しています。
※LPは編集部私物
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「Dat Dere」でボビー・ティモンズがゆとりのある紺ブレ姿(映像はモノクロだがボタンが金ボタンっぽいので恐らく紺ブレと理解、、)で鍵盤を激しく打鍵する姿もたまらなくカッコいいですね!
さて、日本にアイビーが持ち込まれたのは1960年代に入ってからのことです。石津謙介氏が自身のブランドVANと、当時数少なかったメンズファッション誌の協力体制のもと、大々的なタイアップなどの広報活動を行い、アイビー思考をファッションに関心のある日本の若者に浸透させていきました。戦後の高度経済成長期、アメリカナイズドされた考え方が芽生え始めた日本では、このアイビー思考は浸透しやすかったのかもしれません。
とはいえ、本場のアイビーリーガーが有名私立大学に通う裕福層であったのと同じように、当時の日本でもアイビースタイルに身を包むことができるのは財界人や富裕層を親に持つ若者たちでした。これに憧れを持った世代が一度は耳にしたことがあるであろう”みゆき族”です。
アイビーに憧れた当時10代の若者がアイビー風ファッションに身を包み、銀座のみゆき通りで何をするでもなくたむろしていたのは、当時の大人達の反感を買い社会問題にもなっていたのだそう。(みゆき族のムーブメントはわずか半年、1964年に開催された東京オリンピック前の国際社会へのクリーンイメージアップ作戦により一斉検挙されたわけですが、みゆき族とは一線を画していたアイビーはその後も社会に根強く残っていくことになります)
それから時は流れて2000年代。改めてアイビーの価値が見出され『TAKE IVY』が再発行されました。この書籍は石津謙介氏らによるアイビーリーガーたちの日常生活を納めた本で初版は1965年のことでした。
日本でアイビーの全盛期を迎えた1960年代中頃では、外国映画誌からはジョージ・ハミルトンやアンソニー・パーキンス、アラン・ドロンなど当時のハリウッドセレブファッションを纏めた別冊本まで発行されるなど、ハリウッドスターのファッションは、お洒落に関心のある日本人の支持を受けていたようです。
数年前に発行された『HOLLYWOOD AND THE IVY LOOK』には、1950年代〜60年代のハリウッドセレブたちのアイビールックがまとめられていて、当時のアイビールックが今現在、改めて見ても充分に洗練されていてカッコいいことを示しています。
※書籍は編集部私物
現在のファッションアイコン的な存在にもなっているウディ・アレンの抜け感のあるアイビールックももちろん洒落ているんですが、アイビーの似合うハリウッドスターといえばやはりアンソニー・パーキンスではないでしょうか。本場アイビーリーガーの健康的な体躯の良さもやはり素敵なんですが、アンソニー・パーキンスのスラッと伸びた手足の長さ、髪型、塩っ気のある顔立ちから構成されるアイビールックはとてもファッショナブルに感じられます。
同じ頃、国内のエンターテイメント業界では映画「涙くんさよなら」で全面的な衣装がアイビールックに纏められています。また、当時活躍していたフォークグループのモダンフォーク・フェローズやザ・リガニーズのLP盤ジャケット写真では日本人のメンバーたちがアイビールックに身を包んで登場していたり、ファッションに関心のある若者だけでなく、一般社会にもアイビースタイルが浸透してきていることが見てとれます。
※LPは編集部私物
タイドアップしたジャケットスタイルや紺ブレにチノパンといった定番のスタイルは、ラペルの大きさやパンツの太さ、サイズ感など細かなディテールは時代ごとのトレンドによって変化はありますが、着こなし全体においては今とあまり変わりません。つまるところ、その当時にアイビースタイルはすでに確立されたものになっていたのではないでしょうか。
その後、世間ではヘビーデューティやモッズ、ヒッピーといった数々のファッションカルチャーが生まれていきましたが、アイビーは今日までファッションカルチャーを構成する1つの定番要素として存在しています。特に10年ほど前からファッション誌では紺ブレやチノパン、ボタンダウンシャツといった定番アイテムを用いたコーディネートがよく見られるようになり、最近ではお尻が隠れるくらいの着丈のジャケット、ボリュームのあるチノパン、そのチノパンをロールアップした裾から見えるリブソックスの弛み具合、などなど……いろいろな趣向を含んで時代にフィットしています。
ゆったりしたファッションが許容される今の空気感で言えば、アメリカ製ブルックスブラザーズの程よく身幅のあるボックス型のジャケットやボタンダウンシャツはとても取り入れ易い時代だとおもいます。
最初のムーブメントが起きた1960年代では、アイビーについてのハウトゥー本もあったくらいコーディネートのルールが数多くあったようです。物事の多様性が認められる現代においては、ファッションスタイルも違いを認める、互いの良さを見出すということが求められてきているように感じます。アイビースタイルもこれからどんな変化を経て社会にフィットしていくのか、引き続き興味深く眺めていきたいですね。
そしてこれを機にアイビーを知らなかった人も、是非、古着屋で紺ブレに袖を通してみてほしい。(もちろん新品でもOK!!)
今持っておけば、20年後に再び着たくなる日がやってきます。そんなアイビーの魅力を長い目で見ながら体感してください。
STYLIST PROFILE
建設会社で約10年間勤務後、30代からファッション業界に転身。2018年にスタイリストとして独立。古着を取り入れたスタイリングを好み、ファッション誌・広告などで活動。