FASHION 2020.07.30

FASHION STYLE CHRONICLE〜今さら聞けないファッションスタイルのヒストリー録〜 Vol.04 Hippy STYLE

EYESCREAM編集部
EYESCREAM編集部

“○○リヴァイバル”といった言葉がファッションには付きもの。過去に一世風靡したトレンドが時代を巡って再び流行するのだから、ファッションスタイルのムーブメントは面白いわけだ。ブランドやセレクトショップのニューアイテムの解説でアイビーやプレッピー、モッズやテッズなどなど……よく聞くスタイルの言葉がある。だが、そのスタイルって本当はどんな姿をしていたのか、何となくしかわからないことが多い(ーと思うんですが、そんなことないですか??)。
そこで、ここではスタイリスト、元廣壽文さんに教わり、現在ではスタンダードとなっているファッションスタイルの歴史を辿って、時代背景を振り返りつつ、どんな服装だったのかを探究してみたいと思う。巷でよく聞く○○スタイルが、本当はどんなものだったのかを知る最初の一歩になればいいな、と思う。
FASHION STYLE CHRONICLE〜今さら聞けないファッションスタイルのヒストリー録〜、第4回目にピックアップするのはヒッピースタイル。

FASHION STYLE CHRONICLE Vol.04 Hippy STYLE

ファッションカルチャーとして今でもハイブランドが時折リバイバルさせているヒッピーですが、始まりは1960年代のサンフランシスコからです。この頃アメリカでは『正義なき戦争』として泥沼化していたベトナム戦争、人種差別への問題を取り上げた公民権運動や女性解放運動といった社会問題を抱えていました。ヒッピーはこのような社会問題に対し、あえて反社会的な行動をとることで既成の社会主義や価値観を否定するカルチャーとして生まれました。

彼らはフリーセックスやLSDといった行動で脱社会主義を体現し、人間本来の姿である自然に回帰することを望み、「反戦・平和・自由」を掲げてコミューンと呼ばれる共同体の楽園を築いていました。

フリンジ、ベルボトムデニム、タイダイ、エスニック風のビーズネックレス、髪飾り、足元はビーサンか裸足、といったヒッピーの定番ファッションはエスニックなどの異文化を積極的に取り入れ、当時のアメリカの物質主義、資本主義へのアンチテーゼが表現されています。

スタイリスト私物 70年代のシングルステッチ517。

ヒッピーカルチャーは彼らの意思、思想といった社会政治的なムーブメントに加え、音楽、文化、芸術といった文化的な表現方法も加えられ飛躍的に広まっていきました。そして1967年の夏、約10万人がサンフランシスコのヒッピーの聖地、Haight and Ashbury周辺に集まり、Summer of Loveという文化的・社会的主張を伴う社会現象を引き起こしました。時代的にまだドラッグに対する取締りも未成熟だったこの頃、爆音の音楽と共にLSDで恍惚になり踊り狂う自由主義の多くの若者たち、、想像するだけでカオスです。。
インターネットもスマホもない時代にこれだけの人を集めるということは、いかにこの時代背景とヒッピーのムーブメントがマッチしていたのかが見て取れます。
このSummer of Loveのころがヒッピーの最盛期とも言われていますが、ムーブメント自体はあと数年続きます。

ヒッピーカルチャーのアイコン的ミュージシャンは、Grateful DeadやJanis Joplin、Jimi Hendrixあたりでしょうか。Janis Joplinのスモーキーで鬱蒼とした空気感をぶち壊すような歌声、Jimi Hendrixのエフェクターによる激しいギターサウンド、どちらも魅力的ですが今回は何よりも自由で実験的な音楽を作り上げてきたGrateful Deadについて少しだけ触れます。

キャプテントリップと称されるJerry Garciaを筆頭に7-9人体制でメンバーを入れ替えて構成されたこのグループはヒッピー・サイケデリックカルチャーのアイコン的なバンドとして君臨しています。

JERRY GARCIA BAND T-SHIRT ¥8800
Jerry Garcia個人の名前で活動したJerry Garcia BandのツアーTシャツ
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特に大きなメガヒット曲が有るわけでは無いが、このバンドの人気の理由は何と言ってもライブにあります。レコードの売り上げに固執せず、ライブ活動をし続けてファンを増やしていきました。ライブ会場では事前の綿密なサウンドチェックなど無しに本番に挑み、新たな音響機器に積極的にチャレンジした挑戦的な音楽作り、そしてその作り込まないライブスタイルがアメリカ国内でファンを増やしたようです。
彼らのライブは録音自由という画期的な条件で、録音した音源をファン同士が交換してコミュニティが生まれるという新しいモデルを作り出していました。

ライブ映像を見ても長時間ぶっ通しでインストゥルメンタルをJAMし続けるバンドメンバー、そして観客は楽しそうにしてるんじゃなく、本当に音楽とその場を楽しんでいることが感じられます。
音楽的な流行に左右されないノンジャンルで自由なそのスタイルは、多くの若者に支持され、デッドヘッズというファンがライブ会場の後を追ってテントと共に移動していたと言われています。古着でもデッドベアやスカル&ローズのパンチの効いたアイテムはなんとなく敬遠する若者もいますが、彼らの音楽性に触れれば少しは興味を持ってもらえるんじゃないかと思います。

90s Grateful Dead Tシャツ USA製 タイダイ
¥10780古着屋で一度は目にしたことがあると思うGrateful Deadのアイコン、タイダイとデットベア。
vostok

Grateful Deadについてのコラムになりそうなので、ヒッピーに話を戻します。

野外音楽フェスティバルとして伝説的なイベント、フリンジに身を包んだJimi Hendrixがギターを燃やしたので有名なWoodstock(ウッドストック・フェスティバル)が行われたのは1969年の夏、まさにヒッピームーブメントの最中に行われたものです。愛と平和、反戦を掲げた3日間のイベントには40万人が集まったと言われています。

当時のヒッピーたちは「自分たちが社会を変える」、「今まさに本来の姿を取り戻して生きている」ということを感じていました。しかしこのイベントの成功が企業や資本家、レコード会社の目に留まり、要はロックは「金になる」ということが気付かれてしまいました。
Woodstockは半分は柵をよじ登って入ってきた観客だとも言われていましたが、その後野外音楽フェスティバルは商業的なツールとして扱われてしまうきっかけとなってしまったのです。これを期にカウンターカルチャーとしてのヒッピームーブメント、「反社会的な行動により世界を変える」そんな夢を見ていた若者たちの盲目的なイデオロギーは弾けてしまいます。

その後1970年代に入り、薬物の取り締まり強化やベトナム戦争の終結といった社会状況の変化、そしてカルト化したコミューンの行き過ぎた行動(Once Upon a Time in Hollywoodでも取り上げられたマンソンファミリーによる悲劇的な事件)がヒッピーカルチャーの発散へと繋がっていきます。

ヒッピーカルチャーの自由主義・ドラッグ肯定といった部分に対し嫌悪感を抱く方もいるかもしれません。しかしアップルの創業者スティーブ・ジョブズやアメリカの著名な物理学者も若かりし頃はヒッピーであったとして公表されています。異物を退けるのではなく理解しようとする、取り込もうとするそのハイブリッドな精神性や包容力を持ったカルチャー、ヒッピー。現代のカオス化した情報社会の中ではそんなカルチャーに興味を持ってみるのも良いかもしれません。

Vol.01 IVY STYLE

Vol.02 MODS STYLE

Vol.03 HIPHOP STYLE

STYLIST PROFILE

元廣壽文

建設会社で約10年間勤務後、30代からファッション業界に転身。2018年にスタイリストとして独立。古着を取り入れたスタイリングを好み、ファッション誌・広告などで活動。

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