ベルリンへと渡るRen Yokoiに、その決意と真意を聞く:Motivators Vol.12

photography_Takao Iwasawa, text_TAISHI IWAMI

ベルリンへと渡るRen Yokoiに、その決意と真意を聞く:Motivators Vol.12

photography_Takao Iwasawa, text_TAISHI IWAMI

Ren Yokoiが今もっとも話したい人を迎える対談シリーズ「Motivators」。これまでミュージシャン、DJ、俳優、オーガナイザー、水墨画アーティストなど、さまざまな分野で活躍するゲストを招き、11回に渡り連載を続けてきたが、今回でファイナルを迎えることになった。理由は、彼がDJとしてさらなる進化を遂げるべくベルリンに渡る決意を固めたから。なぜ彼はベルリンに移住することにしたのか。その心境に迫るべく連載ラストは単独インタビューを決行。パーソナルな思いからクラブシーンの現状と未来のことまで、締めに相応しい熱のこもった時間となった。
(なお、写真は渋谷WOMBによるニュープロジェクト#WOMB [________ & FRIENDS]に、彼がヘッドライナーとして抜擢された、そのパーティーのはじまる直前に撮影した。展示されているTシャツやキャップやスニーカーなどはこのパーティーのために彼の家から持ち込まれた)

―今年はRenさんのキャリアにおいて、もっとも大きな動きがあった年だと感じます。近いところでは「SONICMANIA」「ULTRA JAPAN」といったビッグフェスティバルへの出演、そして渋谷WOMBでのヘッドライナーパーティーと大きなステージが続きました。

そうですね。グローバル・ハーツというマネジメントに所属することになった2年くらい前は、DJとして走り出した頃の、まだ卵の段階。そこから考えると今年に入ってのステップは大きかったと思います。CIRCUS TOKYOでのレジデンツパーティー「sHim」が始まったり、contactやOATHのレギュラーも安定してきて、それによって新しいステージへと向かうことができた。仕事も辞めて、ここからどうやって次に繋げていくか。まだ整理がついていない部分もあるんですけど、ようやくヒヨコになれたかなと思います。

―いくら大きな舞台に出ようが音源が売れようが、もちろんその積み重ねが未来をつくるわけですけど、終われば過去のこと。まだまだこれからですね。

はい。これは最近先輩に言われたことで、「あるレベルまでいってから3年、その同じレベルでがんばれたら、やっと芽が出る準備ができたってことだ」って。その初年が今年のように思うんです。で、あと2年。そこでベルリンに行ってキープできるのかどうか。チャンスを見出せなかったら終わり。すごく大事な局面だと思います。

―どうしてベルリンだったのでしょう。

会社に務めつつDJをしていて、ふと「そもそも俺は何やってんだろう」って思ったんです。アメリカの大学を中退したときに「音楽やりたいから日本に帰る」って親父に言ったのに、仕事で生活を守りながらDJして、物事がなあなあになっている感覚がありました。そこで、まず音楽だけに専念するために仕事を辞めた。でも、現状の国内のシーンのなかで、今トップでやっている人たちの位置まで時間をかけて辿り着いたその頃に、何があるんだろうって考えるようになったんです。それならダンスミュージックの本場であるベルリンで勝負して、それでダメだったら潔く引けばいい。さっきの3年計画の話で言うと、20代でそれをやるなら、今26歳だから最後のタイミングだった。

―ベルリンのメインストリームはエレクトロニック・ミュージック、ダンス・ミュージックですもんね。

日本だってそうですよ。過去にはYMOがエレクトロニック・ミュージックをポップに昇華して、今だってきゃりーぱみゅぱみゅもいる。でも、ヒットしたら”J-POP”という言葉が飲みこんじゃうから、エレクトロニック・ミュージックはメインストリームじゃないもの、という認識になっちゃう

―国内をベースに考えると、今のRenさんは上り調子で、活躍できる場はまだまだ増えるでしょうし、信頼できる仲間や先輩もいる。シーンを変えていけるだけのポテンシャルがあると感じます。でもベルリンに行くと、日本には現地のトッププレイヤーの情報しか入ってこない。

そこは正直なところ、もっとも不安な部分ですね。向こうでトップにならなきゃ、日本から見ればただのベルリンに行って消えた人ですから。でも、その不安があるからって、行かない理由にはならない。個人のSNSで発信したものとかではなくて、世界的な情報として俺の名前が日本に届くようになるまで、やるしかないですね。

―そういう気持ちになったことと、この「Motivators」で得たことに関連性はありますか?

めっちゃありますよ。いろんな人たちとお話することができて、本当によかった。出てもらった人たちを大きく分けると3通りのパターンがあると思っていて。まずは野村周平、KANDYTOWNからKEIJUとRyohuCHiNPANK.A.N.T.A山岸航介さんは、普段から付き合いがあって、あらためてメディアを通して音楽や表現について話した人たち。お互いが思っていることをシェアできた回もあれば、今まで真面目な話なんてしたことなかったけど、この機会だから話せた回もあって、そのどれもが有意義な時間でした。

―2パターン目は?

JESSEAIですね。俺より一回りも年上で、すでにアーティストとして広く世の中に出ていて、俺のことは親父(註:Zeebraのこと)繋がりで子供の頃から知っている存在。長くストリートを見てきた人たちだから、やっぱり言葉に重みがあって、ケツ叩いてくれる大切な存在だし、そんな二人に今自分がやっていることをアピールできたのは大きかった。

―とくると、3パターン目は、この企画を通して初めて会った方々ですね。

そうです。会ったことないけど同世代として共感できる部分があって、オファーした(村上)虹郎くんDaichi(Yamamoto)くんの回は、また新たに得るものがあったし仲間が増えた気がしてうれしかった。DJ DYEさん安澤太郎さんは、初期衝動的な意味で、話せて本当によかったと思います。

―それはどういった意味合いで?

DJ DYEさんは、THA BLUE HERBのメンバーとしても個人としても、自分がDJとしてもっとも話したかった大先輩のひとり。突っ込んだ話をたくさんできて、とても貴重な回でした。安澤さんは、自分がこの世界に飛び込むきっかけになったTAICOCLUBを作った憧れの人。そのTAICOCLUBをどういう気持ちで始めて、どういう理由で終わらせて、これから何をしようとしているのか。俺じゃ気付けない裏側にいる人のシーンに対する考え方が聞けました。

―TAICOCLUBは、独自性の高いこだわりがあるだけに、長く続けて広がっていくうちにコントロールが難しくなってきた。そこで安澤さんのオーガナイザーたる姿ですよね。見切るタイミング、そしてまた新たなことを始めるタイミング。

この界隈で長くやっている人って、そこが優れてるんだと思います。Yellowなんて、「なんで閉めるの?」って感じだっただろうけど、そこからelevenが生まれた。VISIONにしても、立ち上げたときなんて「絶対流行らない」って言ってる人たちもたくさんいたけど、今やアンダーグラウンドとオーバーグラウンドのちょうどいい位置にあって成功している。“見切り”と次を始める“思いきり”ですよね。逆に、引くタイミングを見失っていつまでもダラダラやってたり、辞めざるを得なくなってから閉めるところもある。もちろん、老舗としてずっと続けている素晴らしい場所もありますけど。

―その見切りと始めるタイミングから受けた刺激も、Renさんがベルリンに行く決断に至った引き金のひとつであると。

そうですね。安澤さんの話に戻ると、TAICOCLUBが終わって、同じ場所(こだまの森)にはFFKTを残して、自分だけが独立してまた新しいことを始めようとしている。そこには、他人にはわからない、絶対的な自信とか理由はなくても信じられるものとか、そういう強い気持ちがあると思うんです。それが、俺の場合はベルリンに行くということ。「今じゃない」とかけっこう言われましたけど、今が俺の正解です。

―そうやってはっきりと自分の意見を言える若者の強さは、この連載企画の大きなトピックだったと感じます。

俺もK.A.N.T.Aほどは思いっきり出せていないけど、その精神がないとやっていけないと思います。この対談には出てきてないけど、Licaxxxにしても今の俺よりは全然前に出てるし、すごくいいと思う。あと、俺が周りに思うのは、なぜ先輩と交流しようとしないのか、ということ。

―そういう部分もありますよね。

そうやって若いヤツらが自分たちだけで突き詰めてムーブメントをつくっていけるなら、それは素晴らしいこと。でも、今まで積み上げられてきたカルチャーがあってこその部分は無視できない。歴史への敬意や感謝は必要。そこで「先輩なんて関係ねえ」って言うのはどうなんだろう。そこ、わざわざ尖る部分なのかなって思うんです。俺は先輩に恵まれたことも自分の強みだし、自分たちだけがどうこうっていうより、心からシーンをデカくしたい。

―シーンを大きくする。具体的にはどういうことですか?

今の日本のクラブシーンは分母が圧倒的に少ないと思うんです。このあいだ、いろんなジャンルの先輩や仲間と話していて、今って例えば渋谷のクラブで遊んでいる人を全力で集めてもマックス3000人とかじゃないかって。エントランスが2000円として、そこで稼げるお金をみんなで分け合う。そんな規模感で数字を気にしても意味ないですよね。今はその日の動員数どうこうより、底上げが大切かと。

―そのためにはどうしましょう。

世代とかジャンルを超えて、価値観をシェアしてシーンが大きくなるよう、誰かが率先して動かなきゃいけない。だったら俺がそれになろうと思います。

―世代やジャンル間の交流とは話が違いますが、少し前までのEDMの隆盛はひとつ参考になると思います。音楽性どうこうではなく。

今も、音楽は求められていると思います。でも、それはヴィジュアル面や店の内装や雰囲気も含めたすべての要素のうちのひとつ。そういう意味で、EDMってひとつのアトラクションみたいな感じなんですよ。そこは参考にすべき点だと思います。でも、日本はEDMのブームが長すぎた。それだけ日本人の個性に合っていたのかもしれないですけど。

―音がくっきりしていて、展開がわかりやすくてシェアしやすい。

そうだと思います。でも、海外ではもはや完全にEDMは失速している。で、それに代わるのがテックハウス。最近のイビサの流れとかを見ているとそうですよね。今は日本でも、インター(ナショナルスクール)出身の子や海外生活も長かったグローバルな感性の若い子たちなんかは、海外の流れを汲んで「俺らちょっと尖ってるぜ」って感じでテックハウスやハウス〜テクノが流れる場所にもよく来るんです。だから、国内でもちょっとずつお客さんは増えてきている。「SONICMANIA」のelrowステージは、まさにそんな感じでめちゃくちゃはまってました。

―そのなかで、これからのRenさんは、DJというプレイヤーにこだわりますか? パーティーのオーガナイズや店の運営の重要さにも目が向くようになったことで、立ち位置は変わっていきますか?

俺は今のところプレイヤー以外のスキルを磨くことは考えてないです。自分をDJとして、どう見せていくか。となると結局は”シーン”の話になるんです。アーミン・ヴァン・ブーレンだって、いきなり一人で出てきたわけじゃない。アヴィーチーも、EDMというシーンがあった上でのこと。クラブでやっているDJたちが知られるには、そもそもクラブに来てもらわなきゃいけない。DJにしても箱にしても、ちゃんとしたブランディングと、その場にいる人をとことん楽しませるスキルがあることで集客力はついてくる。その相互関係のなかでどれだけやれるか。

―それも含めて本場のベルリンを感じたい、と。

今の俺は日本でどうなのか。正直、新規のお客さんに対してアピールできることがないのも事実。だから逆輸入でスーパースターとしてちゃんと帰ってきます。まずは「ULTRA JAPAN」や「SONICMANIA」にも出演できたので、次は海外に渡って向こうでしか得られない体験をしてさらなる武器を手に入れてきます。その頃にはもっとメディアにもバンバン出たいので、またよろしくお願いします!

INFORMATION

■ Ren Yokoi
11/5(月) World Connection @ 渋谷Contact
11/9(金) sHim feat. Nathan Micay @ 渋谷Circus Tokyo
11/10(土) Sparkle-Opening Bash- @ 渋谷R Lounge
11/17(土) Independent @ 渋谷Sound Museum Vision
11/17(土) GL 2018 @ 銀座Bar Boo
11/22(木) Tunnel Holiday @ Aoyama Tunnel

Instagram @renyokoi