神田明神編:ウェディング・ベル・ブルース①長谷川町蔵 著

毎回、ある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の連作短編シリーズ。 小説「インナー・シティ・ブルース」。第14回は、神田明神編が舞台となる。

【あらすじ】
神田明神編は、「第1話・渋谷編」に登場した不思議な力を持つ少女・藤野恋と、「第4話・三ノ輪・浅草編」で登場したカラーギャングのヘッド・海崎信如のまさかの結婚式で幕を開ける。その席には、囲間鴎、楽、雨の陰陽師姉妹がいた。藤野恋と、カコイマ・シスターズとのつながりとは……

「会社に入ったときは結婚相手なんてすぐに見つかると思ったんだけど、全然うまくいかないんだよね」
 灰色の空を見上げて囲間雨が嘆いた。
「相手ならいくらでもいますけど」
「ミサオちゃん、何度も言わせないで。お見合いはイヤなの」
 江戸時代から続く名門の囲間家の三女、雨は三姉妹の中でも特に美しいとの評判から、執事であるぼくの父、一橋広司のもとには政財界から縁談が押し寄せていた。だが父は本人の意思を尊重してそれらを丁重にお断り続けてきた。
「雨ちゃんのご両親だってお見合いじゃないですか。でもお幸せそうでしたよ」
「だけどパパとママは職場恋愛で結婚したんでしょ。わたしはそっちの方がいい」
彼女を産むと同時に亡くなってしまったせいで、雨ちゃんは実の母をよく知らない。彼女を実質的に育てたのはぼくの両親なので、雨ちゃんは実の父をお父様、ぼくの両親をパパとママと呼んでいた。ぼくは彼女にとって兄代わりで従者でもあるという奇妙な存在だった。
「うちの親だってお見合いみたいなもんですよ。ご存知とは思いますけど、囲間家にお仕えするための条件って厳しいんですよ。生い立ちとか価値観とか。つまり若い男女が同僚になった時点で、お見合いをセッティングされたのと変わらないことになる」
「ふーん」
「雨ちゃんがOLになりたいって言ったときも話したじゃないですか。社内恋愛なんてお見合いと一緒だって。当人たちは奇跡の出会いをしたと信じているけど、実際は環境や周囲がお膳立てしているっていう。最近の日本で生涯未婚率が増えているのは、企業が女性事務職を派遣会社にアウトソーシングしたせいで、一緒に働く男女が生い立ちや価値観を共有できなくなったのが原因なんですよ」
「だとしたら恋ちゃんと信如さんはラッキーだよね。本当に奇跡の出会いをしたわけだから」
「……まあ、そうですね」
藤野恋と海崎信如の結婚式は、先ほどここ神田明神で行われたばかりだった。事情をよく知らない出席者にとって、これほど不思議な式はなかったかもしれない。信如の実家は寺なのに式は神前だったのだから。にもかかわらず住職である新郎の父の昌如は、鮮やかな色留袖に身を包んだ三人の若い女たちに囲まれて満足気だった。
もっと不思議がられたのは、新婦がその三人を「お姉ちゃんたち」と呼んでいたことだ。
「あんたにお姉さんなんていたっけ?」
驚く友人たちに恋はこう答えていた。
「うん。わたしも三ヶ月前に初めて会ったんだけどねー」
藤野恋は、囲間鴎、楽、雨の異母妹だった。

 今から3ヶ月前、囲間家の長女と次女である鴎と楽が、ある事件を通じて海崎信如と知り合った。信如は自分が囲間家の遠縁にあたり、囲間家が代々持つ霊能力を保持していると告白した。しかも彼が妊娠させたガールフレンドの藤野恋も同じような力を持っているという。
藤野恋に仕事を世話していた〝師匠〟がインターネットに強いらしいとの話を信如から聞いた鴎さんと楽は、翌朝早くぼくの部屋に押しかけてきた。藤野恋とは一体何者なのか?師匠とはお前ではないのか。なぜ自分たちに隠れて世話をしていたのか。問い詰めてくるふたりを前に、ぼくは寝ぼけ眼でこれまでの経緯を説明する羽目になった。
その一年ほど前。自分の父が霊能力者を探すために未だに家系図や古文書に頼っていることに疑問を抱いたぼくは、本格的にインターネットで探してみることにした。今どきの奴ならそんな力を持っていたらSNSで自慢するにちがいないからだ。
 早速、テキストと音声で霊能力に言及するキーワードを自動的に抽出するスクリプトを組んでサーチしてみると、ネット上に大量の自称霊能力者たちが浮かび上がってきた。そのほとんどが嘘、詐欺目的、単なる思い込みだったけど、「恋の幻覚日記」という動画サイトをtumblerでひっそりやっていた藤野恋だけは別だった。
彼女は「バカにされるから友達にも話していない」という自分の幻覚体験を克明に語っていたのだが、その描写はぼくが囲間三姉妹から聞いていた話にそっくりだった。そっくりだったのは話だけではない。一見垢抜けない顔をよく見ると、三姉妹を足して三で割ったような造作だったのだ。慌てて彼女の動画を父親に見せると、こう言われた。
「その方に会って生い立ちを聞き出しなさい。結論が出るまでは、お嬢様たちには一切口外しないように」
普段は父親の言いつけを聞かないぼくだったが、今回ばかりは従うことにした。囲間家の先代当主だった修斗様はクールなイケメンで、隣に立つとどんな男も霞んでしまうカリスマ性を持っていた。そのせいもあってか、三姉妹は揃いも揃って重度のファザコンだった。
鴎さんは「わたしは父さんの尻拭いばかりやっている」と事あるごとにぼやいていたけど、それは自分こそが父の後継者であるという自負の裏返しだった。楽は修斗様について殆ど口にはしなかったけど、あいつこそが一番重症であることはぼくが一番知っている。そして雨ちゃんにとって、五歳のときに世を去った父親は神にも等しい存在だった。そんな父親が、母親以外の霊能力を持つ女と付き合い、娘まで作っていた可能性があると知ったら、どう思うだろう。真相が100%確定するまでは、彼女たちには秘密にすべきなのだ。

「じゃーん」
白無垢からウェディングドレスに着替えた藤野恋が、ぼくと雨ちゃんの前に現れた。明神会館で行われた新郎新婦の親族による食事会はまだ続いていたが、同じ敷地内の複合施設EDOCCOで開かれる友人中心のパーティがまもなく始まるため、早々とお色直ししたのだ。
「ちょー可愛いよ!」
 歓喜の声をあげる雨ちゃんの傍で平静を装ってはいたものの、ぼくも感無量だった。今でこそ姉たちと比べて遜色ないほど洗練されているけど、彼女の地元である町田で最初に会ったときの藤野恋は、ファストファッションに身を包んだ典型的な郊外のティーンだったのだから。
待ち合わせ場所のデニーズで、キャラメルハニーパンケーキを奢ってあげると、彼女は生い立ちを訥々と語り出した。いまは美術系の専門学校に通っていて、幻聴や幻覚が始まったのは中学一年のときに江戸東京博物館に社会科見学に行ってからだという。
「もしかして同じ日に墨田区の復興記念館も見学しなかった?」
「あ、行きました」
復興記念館には関東大震災と東京大空襲で犠牲になった身元不明の遺骨が祭祀されている。三姉妹が口を揃えて「あそこはヤバイ」と評する霊的スポットだ。
ぼくは囲間家の存在を伏せながら、藤野恋にこちらの正体と要望を伝えた。ぼくの一族は代々、霊能力者をマネージメントしていること、幻聴や幻覚は病気ではなく霊能力の可能性があること、これからそれが本当のものか証明するテストを行なっていくこと、この件は他人に決して喋らないこと。
彼女は了承した。

「それにしてもここって気の力がすごいね。神さまみたいな人たちが沢山見える!」
「鴎ちゃんが言うにはみんな、わたしたちの守り神なんだって」
 恋と雨の姉妹が神田明神の霊について語らっている。最初の頃、藤野恋はさほど鋭い感覚の持ち主ではなかった。対等に語れるほどになったのは、修斗様が遺したカリキュラムのおかげだ。
霊能力の練習にも、修斗様が子どもの頃の鴎さんに行っていた実践レッスンを応用させてもらった。渋谷や世田谷など、歴史が浅くて霊的に比較的安全なエリアの除霊を任せてみたのだ。最近は鴎さんが多忙のため、こうしたエリアの依頼は殆ど断らざるをえなかったので、ぼくらにとっても有難い話だった。
藤野恋は、ミッションをことごとくクリアーしてみせた。下北沢で怪我したときはひやっとさせられたし、支払った報酬をブランド物に費やしたのには閉口したけど。でも彼女は明らかに囲間家の血を受け継ぐ者だった。
証拠を確定する仕上げとして、藤野恋からもらった髪の毛と、ぼくの母親が三姉妹の部屋に掃除に入ったときに、こっそり入手した髪の毛をラボでDNA照合してみた。判定は「99.99%親族」だった。
「お父さんについて何か知ってるかな?」
「知らない。ママは妊娠したことも相手に言わなかったらしいから」
「そのお母さんも君が小さい頃に亡くなったんだろう。ひとりで大変だったよね」
「えーっ? あいつピンピンしてますけど。なんなら今呼びましょうか?」
 

 囲間家は代々の婚礼を神田明神で執り行ってきた。そもそも囲間家の開祖が徳川家から江戸の街づくりを任されたときにまず行なったのが、奈良時代に創建された神田明神を大手町から江戸城の鬼門にあたる神田に移すことだったのだ。
囲間家は大国主と恵比寿、平将門の三神を合わせて祀っている神田明神のパワーに注目して、江戸時代を通じて稲荷や金比羅、建速須佐之男命や水神といった神々を祀った神社を周囲に配した霊的な防波堤を作り上げた。
「結婚式なんて面倒臭い」「できちゃった婚だから恥ずかしい」「そもそも入籍する意味があるのか?」そんな文句を口々に言う藤野恋と海崎信如に、この場所で結婚するように諭したのは鴎さんだった。
「あなたたちは囲間家の一員なんだから、伝統を守って」
 その鴎さんは食事会の席で、藤野恋の母、葉子との会話が弾んだせいもあって、もともと行く気がなかった楽と同様、パーティの方に顔を出すのは取りやめたようだった。

 藤野恋にLINEで呼び出されてやってきた葉子さんと初めてあったとき、溌剌とした様子に驚いた。霊能力者を産んだ女性が、子どもが成長するまで元気だった例は稀なのに。しかも三姉妹の母親とはまるで異なるタイプだった。
ぼくの母曰く、「修斗様は貞操観念が江戸時代」の人だったようで、妻を心から愛する一方、他所では結構遊んでいたらしい。その際は妻とはタイプが全く異なる女性を好んだという。
 早速「先代のタイプ?」というテキストを添えた葉子さんの写真を、フェイスブックのメッセンジャーで母親に送ったところ、すぐ「いいね」マークが帰ってきた。
葉子さんは、1998年に始まってすぐに終わった囲間修斗との短い恋愛について語ってくれた。
「その頃、蒲田のカラオケボックスでバイトしていたんですけど、ある時から場違いにオシャレな人が毎晩ひとりでやってくるようになったんです。それが囲間さん。一曲も歌わないでソファで休んでいたみたい。ある晩、そのまま部屋で倒れちゃったときがあって。それで看病したのがきっかけでなんとなく……」
「どういう仕事をやっているか聞きましたか?」
「たしか空港関係の仕事をやっているとか言ってました」
かつて占領軍として東京を支配したGHQが、移設を試みたものの超常現象が起きたために断念したスポットがふたつある。
ひとつが、ここ神田明神が元々あった大手町に今も残されている平将門の首塚。もうひとつが羽田空港の敷地内に残されていた穴守稲荷の大鳥居だ。最終的に大鳥居の方は1999年に移設されたのだが、実現の裏には修斗様の働きがあった。その前年に修斗様は空港から依頼を受けて霊を鎮める祈祷のために毎日のように羽田に通っていたのである。
 父の話では、修斗様は毎晩遅くに涼しい顔をして帰ってきていたそうだが、実際は稲荷の霊に打ちのめされていたとしたら? スタイリストのあの方のことだ。誰にも見られないところでしばらく休憩してから家に帰っていたにちがいない。
「娘さんが強い霊感をお持ちなのはご存知ですよね? それはあなただけでなく、修斗さんから引き継がれたものでもあるんです」
「あら、この子ってまだ霊感あるの? 恋ちゃん、ちゃんと言いなさいよ!」
「話したじゃん! 聞いてないのはママだよ!」
 母と子はぼくの目の前で喧嘩を始めた。
「わたしの一族では、女の子がそうなのは珍しくないんですよ。わたしもそうだったけど島から離れた頃には消えていたし。この子もすぐ消えるって思っていたんだけど」
「島?」
「ママは小笠原諸島の母島出身なんです」
小笠原諸島は、東京都の一部でありながら、東京湾から1000キロも離れた太平洋上にある亜熱帯の島々だ。母島に行くためには、竹芝桟橋から船に乗って24時間かけて父島に行き、そこから別の船で二時間、波に揺られなければならない。手つかずの自然は日本よりもミクロネシアやオセアニアに近く、世界遺産に指定されている。そして世界有数のパワー・スポットでもある。
「葉子さんは、修斗さんが霊能者だったのはご存知なかったんですか?」
「あの人、自分のことは何も話さなかったし。でもそうだとしたらわたし、凄く長生きしちゃうかも」
「ママは長生きしなくていいよ!」
「どういう意味ですか?」
 ぼくが尋ねると、葉子さんは囲間家で共有されている認識をひっくり返すようなことを言った。
「うちの一族には霊能力がある男の人と子どもを作ると、長生きするって言い伝えがあるんです」

「神田明神編:ウェディング・ベル・ブルース①」了(次回、4月17日掲載予定)

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門2』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000