実は、この物語全体が谷崎潤一郎の『細雪』へのオマージュなんです。
――そして第5話、新大久保・新宿編で囲間家の次女・楽が登場して、ついに主軸となる女性陣勢揃いとなります。これまで別の人間を通じて女性たちが語られていたのに、この回は楽自身が語り手になっていますが、その理由は?
「“物語の語り手が女性たちを通じて残留思念に関わる不思議な体験をする”って話をつづけて4本書いて、バリエーションを使い果たしたんです(笑)。だから囲間姉妹本人を主人公にしちゃえと思ったんです」
――新宿と地下アイドルとの組み合わせは、どういう狙いがあったんですか?
「前回の浅草編で古典文学のパロディをやったので、今度はハードボイルドのパスティーシュをやってみようと思ったんです。それなら場所は新宿だろうと。でも新宿を舞台にしたハードボイルド小説は、歴史と伝統があるし、おいそれと手を出せる領域ではないので、犯罪に巻き込まれる人物の年齢を少し下げた結果、地下アイドルとの組み合わせになりました。チャンドラーの『キラー・イン・ザ・レイン』(ハヤカワ文庫)という短編集があるんですけど、その中にハリウッド女優でこれからブレイクしようとしているのに元カレにブルーフィルムを握られて困ってて、それを探偵に相談する話が三つくらいあって。それを日本に置き換えてみたんです。あと『放浪記』で、カフェーの女給だった林芙美子がつらくなって橋から身投げしようって妄想をめぐらすって場面だけ憶えていて……西新宿って、昔は浄水場で巨大な池だったじゃないですか。そのことを思い出して、話のオチを編み出したんです」
――このあたりから、これまで登場した人物が再登場してつながってきます。ここで新しく、囲間家の執事の息子のミサオも登場しますが、ハッカーにした理由は?
「映画でハッカーを相棒にして事件を解決する話が増えているじゃないですか。それをやってみたかったんです。実際に書いてみたらこれはラクだわって思って(笑)。全部ハッカーがやってくれる。この仕組みを考えた人は天才だなって」
――そして第6話の舞台は小石川後楽園です。
「このへんからは読切っぽさがなくなってきて、ひとつの繋がった話になってくるんです」
――ファーストシーズンの大団円に向けて、まとめに入ってきます。
「囲間家の姉妹全員を集合させて、一体何者なのかを説明する回ですね」
――でも、実際はまったく説明っぽくなくて、姉妹の建前が全然違う本音とともに綴られる丁々発止のやりとりなど、めちゃくちゃ楽しく読めます。囲間家が紅葉を愉しむ会の場所に、小石川後楽園を選んだ理由は?
「もともと毎回、異なる区で話を展開したいという考えがあって。ファーストシーズンの最後は千代田区を舞台にしたかったので、千代田区の公園は使えない。新宿区はすでに書いてしまったので新宿御苑も使えない。なので、文京区しか適当な区がなかったんですよね。六義園でもいいんですけど、あそこは側用人の柳沢吉保が作った庭なので、徳川光圀が作った庭の方が格上かなと思って後楽園にしました。後楽園っていうと東京ドームの遊園地のイメージが強いので意外性も少しありますし」
――ここで、囲間家の分家であり、天敵でもある阿房家が登場します。そして物語の中で阿房家の苗字の由来が明かされます。
「囲間も、ある苗字のアナグラムなんですよ。実は、この物語全体が谷崎潤一郎の『細雪』へのオマージュなんです。『細雪』の主な登場人物は、蒔岡(まきおか)家の4人姉妹、鶴子・幸子・雪子・妙子。英語訳のタイトルは、“The Makioka Sisters”というんですが、このアナグラムから“The Kakoima Sisters”というタイトルを思いついたんです。4人の名前も原作にちなんで、鶴子→鴎・幸子→楽・雪子→雨・妙子(小説での愛称:こいさん)→恋と名付けました」
――なんで『細雪』なんですか?
「『細雪』って大阪の旧家の話じゃないですか? 東京都心部で話を書いてって言われたときに、『細雪』の舞台を東京の山手に移したら、どんな話になるかなと思ったんですよね。結果的に随分かけ離れた話になってしまったんですが」
――このことを知ってから、『細雪』と本作を読み比べてみても面白いですね。
「どうでもいい感じのオマージュ・シーンがありますので、見つけていただければ嬉しいです(笑)」
――小石川後楽園編には、話題になった高輪ゲートウェイも出てきます。
「最初にWEBに載せた時はまだ駅名が決まっていなかったんですよね。単行本ではもう決まっていることにして、ボロクソに言われているように書き直しました」
――そして第7話の舞台は赤坂・六本木です。ここで大きく物語が動きます。語り部を何人も変える構成にした理由は?
「これは場面がばんばん動く話なので、1人の視点だと書けなかったんです。本来は三人称で書くべきなんでしょうけど、この章だけそうすると変なので。だから、場面ごとに一番適任の人に変える手法をとりました。前の話で登場した人物が次の語り手にバトンタッチするので、読者もわかりやすいかなと思って」
――赤坂・六本木を舞台にしたのは?
「最初は、そろそろファーストシーズンとしてまとめてほしいって言われた時に、まとめる前に派手なバトルの話を池袋でやりたいって話していましたよね。でも執筆期間中に、『殺人鬼ゾディアック』(亜紀書房)を読んで、連続殺人犯ゾディアックと思われる人物が子ども時代、渋谷のある場所に住んでいた事実を知ったので、渋谷と隣接した港区を舞台にしました。ホテルニュージャパンとトゥーリアっていう2大案件もありますし。個人的にニュージャパンの地下にあったニューラテンクォーターというナイトクラブへ並々ならぬ興味があって、どうしても舞台に使いたかったんです。本当は伝説のディスコ・赤坂MUGENも出して、そこで三島由紀夫と川端康成を登場させたかったんです。MUGENで三島と川端が踊ったって逸話があったんですよ。うまくいかずキャンティに集約させたんですけど」
――キャンティの場面で三島由紀夫や川端康成らしき人物が登場していることに、どれだけの読者が気づくでしょう?
「別に気がつかなくてもいいんですけど(笑)。会話で示唆されているのは『美しき星』です。キャンティでジェリー藤尾からUFOの目撃談を聞いた三島がその後に『美しき星』を発表した逸話が『キャンティ物語』(幻冬舎文庫)にあります。それから川端らしき人物のところで、『眠れる美女』のネタを書きたいがために、ここへ来る前に長女の鴎に睡眠薬を飲ませたんですよ(笑)」
――この章の最後で、海崎信如が最近つき合い始めたカノジョがいて、その娘が霊と話せることを告白します。そこで次の葛西臨海公園編で、ずっと使いたかった「ヘイ、ナインティーン」という曲名が復活します。
「この話も、打ち合わせのときは東京スカイツリーを舞台にしたいと言っていたんですよね。でもしっとりした話をやるには、スカイツリーは舞台として派手過ぎるかなと思って、もう少し寂しげな雰囲気のある葛西臨海公園にしたんですよ。それと第1話の2人がちょっとかわいそうだったから、現世では救ってあげようと思って」
――久作と大山マリさんですね。マリさんの三人息子の名前が健一、健二、貴男というのもニヤリとしますね。
「黒沢健一、小沢健二、田島貴男ですね」
――これは二度目に読んだ時にやっと気づきました(笑)。細かい90年代オマージュで第1話とつながる。ウェブのなりすましが主要モチーフとして出てきますが。
「『American Vandal』っていうアメリカのドラマがあるんですけど、シーズン2(アメリカを荒らす者たち)がキャットフィッシュ(編註:出会い系サイトで、ダサい男の理想の存在になりすまして、相手を笑い者にする遊び)に高校生が惑わされてグループ犯罪をしちゃう話なんです。そこで逆に善意のキャットフィッシュってあるかなと思って、考えたアイデアなんです」
――そして第8話のタイトルは「チェイン・ライトニング」という曲名とのメドレーになっています。
「スティーリー・ダン・メドレーですね。語り手が途中で変わるからタイトルをメドレーにしようと思いついたんです。それでスティーリー・ダンのほかの曲を日本盤の歌詞を見ながら探して、稲妻は徴(しるし)みたいな意味になるなと思ってつけました。啓示のような」
――「チェイン・ライトニング」は恋さんと信如の出会いの話になります。
「最初はふたりが全くの偶然で出会った話にしようと思ったんですよ。でも取材で葛西臨海公園をさまよっていたら、なんと浅草行きの水上バスの発着場があるじゃないですか。おぉ、と思って。この発着場を発見して、最終話で語られるオチが出来上がったんです」
――「まずあなたが最初に好きになった女の子について話してくれる?」っていう恋さんのセリフについて説明してください。
「この会話の前に、恋は信如に『あなたの街に連れていって』と言っていますよね。だからこの後、水上バスに2人は乗るんですよ。時間軸が前後するんですけど、そこから浅草編の冒頭の1行めに飛ぶんです。『ちょっと長い話になるけど、浅草に着くまでまだ時間があるから話しちゃおうかな』。これは信如が恋に水上バスの上で「最初に好きになった女の子」との思い出を話している設定なんです。WEB版ではこの設定じゃなくて、もうちょっと同世代の男とバーで飲みながら話している感じだった。このアイデアは単行本化の時に思いついたので、浅草編は年下の女の子に話しかけるように少し柔らかくして全部書き直したんですよね」
――そしてファーストシーズン最終話は結婚式。タイトルはローラ・ニーロの曲「ウェディング・ブルース」から。舞台は神田明神です。
「最後は神田明神での結婚式にしようとあらかじめ考えていて。でもさっき言った葛西臨海公園の取材で、一連の出来事に黒幕がいたってオチを思いついたんです」
――さて誰が黒幕なのか、ってところは読者のお楽しみですね。ところで長谷川さんは霊感は強いんですか?
「霊感はほぼ無いです。自分に限らず、歴史がない郊外に育つと霊感とか生まれにくいんじゃないですかね。そんな考えが自分にあるので、浅草出身の信如は物心ついたときから霊感がある一方で、町田市出身の恋は社会科見学で行った下町で霊能力が覚醒した設定にしています」
――著者ご本人は霊感が弱いけれど、そのぶん想像力で物語を構築したんですね。
「この小説って本来は街歩きしながら、昔はここにこんなものがあった、というエピソードを書きつらねていくエッセイとして書くべきものなのかもしれないんですよね。無理矢理エンタメ化したからこうなっちゃった(笑)」
――執筆当初から、残留思念縛りでいこう、と考えていたんですか。
「『細雪』オマージュのつもりだったので、旧家の姉妹という設定が先にあったんです。最初に考えたのは、こういう話なんです。なんらかの既得権益で都心のど真ん中に先祖代々受け継いだ屋敷を持っている囲間家の当主が冒頭に急死する。でも財産の相続は江戸時代の条件のままになっていて、遺された姉妹の誰かが婿養子を取らないと屋敷は国に没収されてしまう。そこで困った姉妹たちが互いに婚活を押し付け合うという」
――『ダウントン・アビー』みたいな。
「そうです。その名残が豊洲編に残っているという(笑)。でも話があまりに地味かなと思って、不動産を霊能力に変えてみたんです」
――すごい飛躍(笑)。
「それで先祖代々受け継がれた霊能力を持っているんだけど、お家断絶の危機に瀕している陰陽師一家の話になったんです。でも最初はこんなに残留思念ネタで埋め尽くされるとは考えてなくて、もうちょっと関係ない話も挿入しようとしていたんです。でも途中から流れがみえて、とりあえずいけるところまでこれでいこうと決めました」
――1編1編、サラリーマン風小説だったり、ハードボイルドだったり、恋愛ものだったり、スタイルを変えていくのも当初から決めていましたか?
「はい。これからも続く限りスタイルを変えていくことにはチャレンジしたいですね」
『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:前編
INFORMATION
『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters
2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税
著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク