毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の連作短編シリーズ「インナー・シティ・ブルース」。混乱を極める東京の今と過去をつなぎながら、シーズン2には新たな登場人物たちを迎え、さらに壮大なナラティブを紡ぐーー
【あらすじ】 1960年代最初のクリスマス・イブの夜。麻布にある在日米軍の宿泊施設、パーティバラックスの敷地内へ、堺海舟は白いスバル360で乗り込んだ。彼に任された仕事は、そこで開催されるクリスマス・パーティのピアノ伴奏だった。見事な演奏を終えた堺のもとに、濃灰色のスーツを着た男が歩み寄ってきて……。
ハーディー・バラックスへの行き方は簡単だ。六本木交差点から渋谷方面に歩いて二つめの交差点を右折する。すぐにY字路が見えてくるから右手に進めばいい。すると何の変哲もない箱形の建物が見えてくる。そこがもう目的地だ。
6階建という高さは港区では珍しいものではないし、マスタード色の塗料が吹き付けられただけの外装は簡素とすら言える。だがここに立ち入るのは簡単ではない。敷地の周囲は先の尖った鉄製の黒いフェンスで囲まれているからだ。
フェンスには一定間隔でこのような文面を記した看板が掲げられている。
「WARNING RESTRICTED AREA Keep Out Authorized Personnel Only(警告 許可なき者立ち入り禁止)」
敷地唯一のゲートには警備員が24時間待機していて、出入りする者に厳しい検問を行なっている。1960年代最初のクリスマス・イブの夜も例外ではなかった。
一台の白い小型車が検問を終えると、門の中に滑り込むように入っていた。1958年に発売されたスバル360だ。丸みを帯びた白い車体は、警備員に駐車場の空き区画に誘導されるとエンジンを停止した。運転席のドアが開いて、男が降り立った。まだ若い。防寒用のコートの下に紺のブレザーとグレンチェックのスラックスを着ている。襟の小さなシャツには無造作にニットタイが結ばれ、顔にはセルフレームの黒縁眼鏡をかけていた。青年は警備員に笑顔で話しかけた。
「Good Evening」
青い瞳の警備員は無表情で同じ言葉を男に返すと、建物の玄関まで青年を先導した。両開きの重い扉を開けて青年が建物の中に足を踏み入れると、そこは広めのホールだった。シャンデリアの灯に照らされたウッドフロアには、長さ2メートル、幅1メートルほどのテーブルが等間隔に6卓並べられ、白いレースのクロスがかけられている。それぞれのテーブルの上にはローストチキンやマッシュポテト、キャセロールなどが銀の皿に盛り付けられていた。正面奥に金色のオーナメントが飾られた巨大なモミの木が見える。
すでにパーティは始まっており、三十名ほどの男女が談笑しながら目当ての料理を自分の皿に盛り付けていた。男たちの多くはカーキ色の軍服、女たちはイヴニング・ドレスを着ている。全員がアメリカ白人だ。
男は、日本人の給仕から楽譜の束を渡された。モミの木と並ぶように置かれたチーク材のアップライトピアノにむかって歩きながら彼はコートを脱いだ。ブレザーのポケットからハイライトの箱を取り出すと、その一本に火を付けて木製の椅子に座った。そして両手の細い指を絡ませて軽い屈伸運動のようなものをすると、その夜の仕事に取りかかった。
ハーディー・バラックスの愛称で呼ばれている在日米軍の宿泊施設、赤坂プレスセンター。そこで開催されたクリスマス・パーティのピアノ伴奏を、10分間の休憩を挟んで計2時間行うのが、彼に任された仕事だった。
青年は手渡された楽譜の曲に、自分の得意曲を織り交ぜながら演奏した。ファースト・セットの曲目はこのようなものだった。
Winter Wonderland
S’Wonderful
Polka Dots And Moonbeams
Greensleeves
O Tannenbaum
Dear Old Stockholm
My Funny Valentine
Cheek To Cheek
Santa Claus Is Coming to Town
The Christmas Song
White Christmas
彼の慎み深くスウィングするピアノ演奏は、パーティの会話を盛り上げる演出道具として正確に機能した。
ラスト曲の「White Christmas」を弾き終えて青年が一服していると、濃灰色のスーツを着た男が歩み寄ってきた。歳は四十代半ばだろうか。背は低く髪も黒かったがヨーロッパ系の顔をしている。
「堺海舟くんだね」
日本語が流暢な米軍将校は少なくはない。だがそのほとんどは猛勉強したのがあからさまにわかる肩肘張った言葉使いの連中か、日系アメリカ人のどちらかだった。このスーツの男はどちらでもない。日常生活において日本語を使っていたことがわかる自然な発声だった。
「僕をご存知なんですか」
「君を指名したのは私なんだ。オーウェンに誰か腕利きのピアニストはいないかって訊いたら名前が出たのだよ」
「ああ、オースティン大尉にはいつもお世になっています」
自分でもサックスを吹くオーウェン・オースティン大尉は、キャンプ・ザマの娯楽担当者として多くの日本人ジャズ・プレイヤーをパーティのために雇っていた。
「ベンジャミン・フィッシャーだ」
スーツの男は名乗ると、堺海舟と呼ばれた青年に握手を求めた。
「日本語がとてもお上手ですね」
「ありがとう。だがずいぶん下手になってしまったよ。ワイフが日本人だったので、昔は家で日本語だけ話して生活していたのだが。昔の勘を取り戻すために君と暫くおしゃべりしてもいいかな」
「どうぞ」
「ハーディー・バラックスで演奏するのは初めてかね」
「はい。座間や横田では演奏したことがあるんですが」
「ここはミュージシャンを滅多に呼ばないそうだ。だがパーティで音楽が流れていないのでは興醒めだろう。そこでオーウェンに紹介してもらったのだよ。どうだね、感想は」
堺は口ごもった。
「感想と言われましても」
フィッシャーは堺の目を覗き込むと小声で喋った。
「米軍を批判してくれても結構。わたしは日本に来たばかりだし、いわゆる軍人ではないからね。国防総省の役人なのだ。先月の大統領選挙ではケネディに投票したよ」
堺は言った。
「批判するもなにも。ここが残っていたことすら知らなかったんですよ。フィッシャーさんは、通りを挟んだ赤坂檜町の土地をご存知ですか。戦後ずっと米軍の宿舎に使われていたのに2年ほど前に日本に返還されたんです。僕はそのときに一緒にここも返されたとばかり思いこんでいたんです」
「知っているよ。今年の1月に防衛庁がその土地に移転して、同じ月に日米安保条約が調印された。赤坂檜町と麻布新龍土町は、二・二六事件で中心となった歩兵第1連隊と歩兵第3連隊が駐屯していた場所だと聞いている。決起自体は失敗に終わったが、後の日本が辿った道を振り返ってみるとクーデターは成功したともいえる。そんな因縁の場所に防衛庁が移ってきたことが、日本の若者の危機意識を呼び起こしてしまったのかもしれない。今年の安保反対騒動は大変なものだったと聞いているよ」
堺は表情を崩した。
「参ったな。フィッシャーさんはノンポリの僕なんかより遥かに日本にお詳しい」
「だが今の自衛隊に決起する力はない。米軍の完全な指揮系統下にあるからね。それを証明しているのが、この場所が残されたことなのだよ」
「といいますと」
「ハーディー・バラックスはただの宿泊施設ではない。米軍の新聞「スターズ・アンド・ストライプス」の支社や陸海空軍の研究施設がある。ヘリポートからは座間や厚木、横須賀、横田との連絡便が行き来している。この場所こそが在日米軍の最高司令本部なのだよ」
「とんだ場所で僕はピアノを弾いたわけですね」
「君の演奏は素晴らしかった。オーウェンによると、東京のジャズのレベルはパリよりも高いそうだな。不思議なのは、軍国主義の国で育ちながら君たちがなぜ優れたジャズ・プレイヤーになれたかということだ」
「戦中だってオーケストラや軍楽隊はありましたし、子どもにピアノを習わせている資産家の家はありましたからね。クラシックを勉強していたそうした連中が戦後に在日米軍のラジオ局WVTR……今はFENか、そこから流れるジャズを聴いて、あまりにイカすんで一気にそっちに移っちまったんですよ」
「敵国の音楽なのに抵抗はなかったのか」
堺は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「言ったでしょう。資産家だって。彼らは太平洋戦争で儲けて朝鮮戦争でまた儲けただけなんです。それにフィッシャーさん、日本人は忘れっぽいんですよ」
すると、囁き声がした。
「忘れるわけがない」
言葉はフィッシャーが発したものではなかった。彼は口を閉じたままだったからだ。海舟は、もうひとりの自分が頭の中で囁いているのだと理解した。
「堺君も資産家の子どもというわけか」
フィッシャーの問いに堺が答えるたび、もうひとりの自分は異なった言葉を囁いた。
「まあ、そんなもんですね(向島生まれの俺は違う。石鹸工場で働いていた親父は徴兵されて中国で行軍中に餓死した。割烹店に働きに出たお袋は、空津のおじさんの妾になった。ピアノは自分の娘に教えそこなったおじさんが代わりに俺に習わせたんだ)」
「いまは大学に通っているのかね」
「ええ、京南大学の2年生です(学費は空津のおじさんが出してくれている。それが嫌で俺は高校のときからジャズピアノで稼いで、36万円もする車を乗り回しているんだ)」
「勉強よりもジャズ演奏の方が忙しいようだな」
「そうですね。大学の仲間とシルバーサーフ・セットというコンボを組んでいて、昨晩は銀座の不二家ミュージック・サロンで演奏しました。そいつらとはそのあと葉山までドライブして、さっきまで飯倉片町のイタリアン・レストランのパーティで一緒でした。キャンティって今年オープンしたばかりの店です。小説家の先生たちが踊っていたり、昏睡状態の美女が転がりこんできたりでなんとも刺激的だったなあ。今日もこのあと店が閉じたあとのカリオカってキャバレーで仲間と合流して、ジャム・セッションに参加する予定なんです(予定をこれだけ詰め込んでいるのは、空津のおじさんの千駄ヶ谷の屋敷に顔を出したくないからなんだ)」
「寝る時間もなさそうだね」
「ハハハ、まだ若いですから(不眠症なんだ。この1週間というもの一睡もできていない)」
「大学卒業後はプロのミュージシャンになるのかな」
「いやー、そこまで天狗になっちゃいませんよ。綺麗さっぱり足を洗います(こんちきしょう、本当はプロになりたかったんだ。でも同年代には俺より凄いピアニストがゴロゴロいる。佐藤や大野、コルゲンにはテクニックもセンスも太刀打ちできない。それに妹の学費を払わなきゃいけないし、空津のおじさんを裏切る勇気はない)」
「ご両親の事業を継がれるというわけか」
「まあ、そうですね(空津のおじさんは実の息子のように思っている俺に、自分の会社を継がせたがっている。そのために岬と結婚させようとしているんだ)」
会話が途切れるとフィッシャーは腕時計を見た。
「おお、もうセカンド・セットの時間のようだな。また君の演奏を楽しみに聴かせてもらうとしよう」
そう言いながら堺の肩を叩くと、パーティの人混みの中に消えていった。
堺は煙草に火を付けると再び演奏に取り掛かった。セットリストは前回と同じだ。
鍵盤に指を走らせながら、彼は空津家のひとり娘、岬を思い浮かべた。3歳で初めて会ったときの彼女はどこにでもいる子だった。様変わりしたのは、今から15年前の5月24日の夜に3600人の死者が出た山の手空襲のときだった。B―29が投下した焼夷弾が彼女が寝ていた離れに直撃して、3日3晩瓦礫の下に閉じ込められていたのだ。
この夜以来、彼女は変わった。戦後、空津のおじさんは屋敷を一切違わず元どおりに再建したけど、岬は元に戻らなかった。人混みを避けて部屋に閉じこもり、予言か冗談かよくわらないことばかり口にするようになった。
先月、たまたま千駄ヶ谷の屋敷でふたりきりになったとき、岬は海舟にこんな言葉を口にした。
「海舟さん、わたしのことは無理に好きにならなくていいの。だって今からぴったり20年後にわたしは死ぬんだから。あまり好きになってもらっちゃ、こっちだって困るわ。その頃にはあなたが婿養子だなんて誰も言わなくなっている。だからわたしが死んだら他の誰と一緒になっても構わないのよ」
「岬さん、僕を犠牲者のように思っているみたいだけど、もしかするとジュリアン・ソレル的野望の持ち主かもしれないんだぜ。君こそが悲劇のヒロインなんだ。だって好きでもない男との間に跡取りを作らされるんだから」
「あら、あなたのことは嫌いじゃないわ。それにわたしが生むのは女の子ひとりだけよ。その子はね、わたしと同じ能力を持っているの」
「君にとって人生は終わったも同然ってわけか」
「ううん、わたしそんなおセンチじゃないの。わたしはあの空襲の夜から自分が死ぬ日までを同時に生きているのよ。だから今この瞬間も感じているの、焼夷弾の炎の熱さを。ひょっとすると火葬場の炎なのかもしれないけどね」
そんな岬を空津のおじさんは疎んでいる。言動が彼女の母そっくりだったからだ。華族の家に生まれた岬の母は、赤ん坊のときに世界で流行したスペイン風邪に罹った後遺症で、子どものときから周囲にあることないこと言いふらしていたそうだ。
困った彼女の両親は新興財閥だった空津家に彼女を押しつけた。だから空津のおじさんは心の癒しを俺のお袋に求めたのだ。
その事実を知った岬の母はある冬、おじさんにこう告げた。
「今から百日後にわたしは死にますから」
おじさんは相手にしなかったが、ちょうど百日後にあたる翌年の春分の日に彼女は自然死したのだ。
だが岬の言うことを堺はなんとなく理解できた。自分たちは皆ある意味、十五年前に死んだのだ。人生はこうして今弾いているピアノソロとよく似ている。ジャズに詳しくない人間にとっては自由気ままに弾いているように聞こえても、旋律は和声のルールを外れることはないし、32小節もすれば元のメロディに戻ってしまう。そして曲はいつか必ず終わる。
「White Christmas」を弾き終えた堺は壁時計を見あげて、持ち時間がまだ5分ほど残っていることに気がついた。考えごとをしていたせいかファースト・セットよりテンポが早くなっていたのだ。得意曲を弾いて時間調整をしていると、楽譜を持ったフィッシャーが近づいてきた。
「いま子どもたちがクリスマスの礼拝から帰ってきてね。ここでも賛美歌を歌いたいと言うんだ。この曲を弾いてくれないか」
楽譜には筆記体で「Angels We Have Heard on High」と記されている。
「『荒野の果てに』にか」
子どもたちが近づいてきた。総勢9人。うち8人は雪のような白い肌をしていたが、ひとりは日本の血が入っているようだった。
堺の弾くピアノに合わせて子どもたちは澄んだ声で歌った。
「Glo — ria, In Excelsis Deo、Glo — ria, In Excelsis Deo」
堺の演奏は今夜初めて大きな拍手を浴びた。正確には子どもたちに向けられたものだったわけだが。
「やれやれ、子どもにはかなわないや」
椅子から立ち上がった堺は、給仕にバックヤードに手招きされ、キチンの奥にある小部屋で休むように指示された。そこはハーディー・バラックスで働く日本人の休憩部屋のようだった。
「扉越しに聴かせてもらったけど、兄ちゃんの演奏、ご機嫌だったよー」
興奮する日本人シェフから振る舞われたコンビーフ・サンドとコカコーラに堺が手をつけようとしていると、扉の影から声がした。
「こんばんは」
硬質だが綺麗な日本語とともにさっきまで賛美歌を歌っていた日系らしき女の子が入ってきた。といっても紺色のセーターにグレーのスカート、白いソックスに黒と白のコンビ靴といういでたちはアメリカの少女のそれである。堺は彼女の目元がさきほどまで自分と親しげに話していた男と似ていることに気がついた。
「ああ、もしかしてフィッシャーさんの娘さん?」
「マリーナ・フィッシャーです。ナギサっていうミドルネームも持っているの。はい、これダディから」
堺は封筒を手渡された。中に今夜の報酬の小切手が入っているようだった。
「さっきの曲、素敵でした」
「どの曲かな」
「わたしたちが礼拝から帰ってきたときに弾いていらした曲」
「『My Foolish Heart』だ。もとは映画の主題歌らしい。礼拝に行ったのは麻布教会?」
堺はハーディー・バラックスのすぐそばにある教会の名を挙げた。京南大に通うガールフレンドたちが少なからず通う教会だ。
「いいえ、そちらはカトリックの教会でしょう。わたしたちが行ったのは聖公会のセイント・オルバンです。美しい教会でしたわ」
堺は、飯倉町と芝の境界に建つその教会についてもよく知っていた。建物の設計者はアントニン・レーモンド。オーストリア=ハンガリー帝国に生まれたレーモンドはプラハで建築を学んだのち、アメリカに移住した。フランク・ロイド・ライト事務所に入社した彼は、帝国ホテルの設計のために1919年に来日する。ライト事務所を独立後も彼は日本を拠点に多くの建築物を手がけた。
太平洋戦争中にそんなレーモンドに注目したのが、米軍のカーチス・ルメイ少将だった。日本空襲を準備していた少将は、ユタ州の砂漠に東京の下町の街並みをそのまま再現することをレーモンドに命じたのだ。
日本建築を熟知する彼は、障子や襖、家財道具に至るまで下町を完璧に再現してしまった。この砂漠で行った実験によって焼夷弾は最大限の効果を挙げるようになり、15年前の3月10日、たった3時間の攻撃で一般市民が10万人以上虐殺されたのだ。
あの夜のことは忘れない、忘れるわけがない。東武電鉄の操車場に停車していた列車が焼ける匂いも、北十間川に浮かんだ無数の遺体も。
「空津のおじさんを頼って」それが堺が最後に聞いた母親の言葉だった。
彼は我に返ると、マリーナに訊いた。
「君は礼拝に行ったのに、お父さんは付いてこなかったんだね」
「そうなの。ダディは神様を信じていないから」
「お父さんは仕事で日本に来たばかりのようだけど、しばらく住むのかな」
「3年間はいるって言っていたわ。わたしも一緒です。年明けからはワシントン・ハイツって場所に住むんですって」
「ああ、あのあたりならよく知っている」
「実は」
マリーナは周囲を窺うと声のトーンを下げた。
「四年後に東京でオリンピックが開催されるでしょう?」
「ああ」
「ワシントン・ハイツをオリンピック選手村として明け渡す計画があるの。ダディは日本語を見込まれて交渉の責任者に任命されたんです」
「なるほど」
同意しながらも堺は半信半疑だった。麻布新龍土町を返す気がない国があっさりと代々木の土地を明け渡すだろうか。
「わたしの日本語はわかりやすいですか?」
「ああ、日本の女の子と変わらない」
「良かった。喋る方は自信があるんです。ママとは日本語で話していたから。でも書く方は全然ダメ。漢字がわからないんです」
「そりゃ意外だね」
「せっかく日本に住むんだから漢字を読み書きできるようになりたいわ。だからお願いがあるんです。文通してくれません?」
堺は笑った。
「君とは歳が離れすぎているよ。何歳?」
「13歳です」
「戦後生まれとじゃ話が合わないな。俺は昭和15年生まれなんだぜ。もともと東京オリンピックはその年に開かれるはずだったんだ。でも中止になっちまってね、そのあと戦争に一直線ってわけさ。だから君に何を書いていいのかわからない」
「なにを書いてくださっても構わなくてよ。ワシントン・ハイツの住所はその封筒に入っているからお手紙を書いて下さいね。お願いします」
マリーナは微笑みながらそう言って軽く会釈をすると、休憩部屋から出ていってしまった。
ひとり残された堺は、コンビーフサンドを平らげ、コカコーラを飲み干すと、キチンで洗い物をするコックたちに挨拶をして、従業員通用口から建物の外に出た。スバル360に体を押し込んだ彼はエンジンを起動した。小型車は検問を終えると軽やかな音を立ててゲートの外へと出ていった。
深夜のジャム・セッションが開催されるキャバレー・カリオカがある銀座は、ゲートから向かって左の方角だったが、堺はハンドルを右に切った。スバル360は少しの間走ると、最初の信号で斜め右の細い路地に入り込んだ。
街灯がない路地の両側には地面を詰め尽くすように突起した物体が並んでいた。雲が動いて月明かりが地面を照らすと無数の物体の正体が明らかになった。それらはすべて墓石だったのだ。そこは東京都が運営する7万9千坪にも及ぶ公営墓地、青山霊園だった。
静かな夜だった。スバル360は、しばらく走るとエンジンを停止した。堺はコートを着込んで車から降りて数十歩歩いた。そして彼の名字が書かれた墓石の前で立ち止まるとその場にうずくまり、そのまま久しぶりに深い眠りに落ちた。
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PROFILE
長谷川町蔵
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000
『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters
2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税
著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク