インナー・シティー・ブルース シーズン3
長谷川町蔵 著
第六話:オール・シングス・マスト・パス(千代田線)中編

illustration_yuriko oyama

インナー・シティー・ブルース シーズン3
長谷川町蔵 著
第六話:オール・シングス・マスト・パス(千代田線)中編

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毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3がスタート。新たな幕開けは、銀座を本拠地に繰り広げられる探偵物語? ディストピア感が増す東京を舞台に繰り広げられる、変種のハードボイルド小説をご堪能ください!

【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)は29歳のフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は弱冠27歳のアパレルショップ経営者、円山和馬(まるやま・かずま)。円山に会いに行くと、マワローが追っている男ではないことが判明し、円山を騙る別人物がいることを知る。しかし円山はその借金を肩代わりすると申し出て、その代わりに今川瑠璃という女性の家を訪問してほしいと言う……。

 もしあなたがこの季節に、今川瑠璃が住むマンションのラウンジに足を踏み入れたなら、高さ4メートル近いクリスマスツリーに圧倒されるはずだ。電飾からは柔らかいシャンパン色の光が周囲に放たれていて、まるで住民たちの満ち足りた精神状態を表現しているかのようだ。でもクリスマス・シーズンが過ぎたら、こんな巨大なものを一体どこにしまいこむのだろうか? そんなことを俺が考えていると、今川瑠璃はベージュ色のひとりがけソファーに座るように促した。
 向かいのソファーに足をきちんと揃えて座った彼女に、俺はあらためて自己紹介を行った。
「町尾回郎(まちお・まわろう)と申します。さきほどWFFMの採用担当者と名乗りましたが、本当は違います」
 いま俺が話している相手は「俺が追っている方の今川瑠璃」ではない。正直に正体を明かしてしまった方がいい。俺はスーツの内ポケットから名刺を一枚取り出して、彼女に渡した。
「わたしは別会社の従業員なのですが、WFFMの円山社長からインターンだった今川瑠璃さんと面会するように依頼されていたのです。でも会社で記録されていたIDの写真と、あなたの顔は明らかに違うものです。どうやら別人があなたの名を騙っていたようですね」
 今川瑠璃が戸惑いの表情を顔に浮かべる。
「本当にWFFMで働いたご経験はないのですか?」
「いいえ、ありません……あ、そういえば」
「そういえば?」
「最近WFFMからダイレクトメールが送られてくるようになったんですけど、わたしの家ってそういうものがたくさん届くものだから、見ないでそのまま捨てちゃっていました」
 その封筒はダイレクトメールではなく、WFFM人事部からの手紙だ。
「今川さんになりすましていた女性はWFFMで熱心に働いていたみたいで、正社員への登用を検討されていたそうです」
「わたし、事務仕事とか向いていなくて。ニセモノの方が仕事ができそうですね。大学出たら代わりに働いてもらおうかな」
 彼女は冗談を言うと、微笑んだ。
「俺の目の前にいる今川瑠璃」は人当たりが良くて誰にも好かれそうな一方、細かいことを気にしない性格のようだ。富裕層の子によくいるタイプである。「俺が追っている方の今川瑠璃」は、彼女のこうした性格を知っていて、なりすましの対象に選んだのかもしれない。犯人は彼女を良く知る人間にちがいない。
 俺はWFFMから手渡されていたID写真をプリントした紙をリュックから取り出すと、今川瑠璃に手渡した。
「この女性に見覚えはありますか」
 彼女は少し考えこんだあと、その人物を思い出したようだった。
「あ、もしかして武田杏奈ちゃん?」
「お友達ですか?」
「友達っていうか、アルバイト仲間でした」
「武田さんについて教えていただけますか」
 彼女が、俺の問いに答えようとした瞬間、ダークグレーの制服を着た女性が恭しく何かを持ってきた。ティーカップだ。高級マンションによくあるコンシェルジュ・サービスというやつだろう。今川瑠璃とその女性が世間話を始めたので、俺はしばらくの間待たされることになった。今川瑠璃が武田杏奈との出会いを話し始めたのは、彼女が紅茶をカップの半分ほど飲んでからだった。
「わたし、アルバイトってものはどんなものかなって、ずっと思っていて、大学1年生のときにようやくやらせてもらえたんですよ」
 小遣いに困っていない階層ならではのアルバイト観に目眩を感じながら、俺は聞き取り調査を続けることにした。
「どんな仕事だったんですか」
「大手町に丸ビルってオフィスビルがありますよね? その中にあるコンファレンスセンターの受付です。でも働いていたのは年上の人ばかりで。その中でただひとり学年が一緒だったのが杏奈ちゃんだったんです」
「武田杏奈さんも京南大だったんですか?」
「いいえ。たしか聖橋学院だったかな」
 京南ほど名門ではないけど、就職に強いことで知られる大学だ。
「仲は良かったんですか?」
「お互い助けあっていましたし。まあ、ほとんど助けてくれていたのは杏奈ちゃんの方でしたけど。さっきも言いましたけど、わたし事務仕事がダメだったんで。でもわたしが杏奈ちゃんを助けたこともあったんですよ」
「どんなときですか」
「杏奈ちゃんが過呼吸になって、わたしがトイレでずっと介抱したことがあったんです」
 会話の内容が人探しから外れていっている気もするが、今川瑠璃から少しでも情報を得なければいけない。聞き込みを続けよう。
「そのときの事をもう少し思い出していただけますか」
「たしかアパレル業界のコンベンションがあった日でした。その日は発表会が終わったあと、そのまま立食パーティになる形式のイベントだったので、受付だけでなく偉い人たちにお酒を注いで回る仕事もやらなきゃいけなかったんですよ。先輩たちはいやがって、わたしと杏奈ちゃんが仕事を押しつけられちゃって。それで会議室の中を走り回っていたら、コンベンションに参加していた人に声をかけられて」
「どんな人だったんですか」
「若い男の人です。おじさんたちばかりの中でその人だけ二十代みたいでした。わたしたちを気にいったみたいで『インターンを募集中だから興味があったらやらない?』とか言って名刺を渡されたんですけど杏奈ちゃん、それがよっぽどイヤだったみたいでその人がいなくなったあと、急に過呼吸になっちゃったんです」
「その男が生理的に耐えられないくらい気持ち悪かったんですね」
「わたしは全然そう思わなかったんですけどね。むしろイケメンなくらい。それがちょっと不思議だったんですけど」
 俺はスマホで画像検索をすると、今川瑠璃に画面を見せた。
「ひょっとしてこの男性ですか」
「あ、この人です!」
 俺のスマホの画像検索ワードは、「WFFM  円山和馬」だった。
「武田杏奈さんとは今でも連絡を取り合っていますか」
「いいえ。お互いバイトを辞めたあともしばらくはLINEしあっていたんですけど」
 今度は、今川瑠璃が自分のスマホを俺に見せてくれた。過去に彼女と行ったLINEのトーク履歴の相手先は「unknown」になっている。なりすましがバレることを恐れて、向こうから関係を絶ったのだろう。
「突然押しかけたのに色々教えてくださって、ありがとうございます。真相がわかったらご報告いたします」
 俺は今川瑠璃に礼を言うと、マンションを後にした。
 赤坂駅方面に戻りながら、円山和馬にショートメールで進捗状況を報告する。すぐに返信が帰ってきた。

 武田さんの居場所を探してくれませんか。教えていただければすぐにでも伺います。

 なりすましとの再会を熱望するなんて、変わった男だ。それにしても困ったことになった。行方不明の武田杏奈と円山和馬を会わせない限り、話がツケの回収に進まない。俺は囲間楽に電話した。
「ちょっとこんな時間に何?」
 電話に出た楽さんは露骨に不機嫌そうだ。午後早い時間は彼女にとっての早朝だったことに気づく。俺は慌てて詫びると、事の次第を説明した。
「おひとよしだね、マワローって」
 彼女は俺の間抜けな行動を知って、機嫌を取り戻したようだった。
「仕方ないでしょう。武田杏奈と会うのがツケの支払い条件だって言っているわけですから」
「でも素人探偵さんの捜査は行き詰まっちゃったんでしょう?」
 素人呼ばわりされるのは癪だが、楽さんの言う通りだ。
「ええ。名前と顔と大学名くらいしか分からないですからね」
 彼女は意外な反応をした。
「しょうがないなー、情報をぜんぶ送って。うちの執事に調べてもらうから。カフェかどこかでしばらく待っていて」
 俺はTBSラジオのすぐそばにあるドトールに入ると、ID写真をプリントした紙をスマホのカメラで撮影して、そのほかの情報と一緒に楽さんのメールアドレスに送った。彼女から返信があったのは、三杯目のコーヒーを飲み終わった後だった。

 この投稿を見て。

 リンクをタップすると、画面に映しだされたのはインスタグラムのアカウントだった。アカウント名はニックネームと数字が混じったもので本名ではない。しかしそこに写っているのは。紛れもなく武田杏奈だった。
 彼女は和定食の出来損ないのような食事を前に、端正な顔立ちと不釣り合いなおどけた表情をしている。文章はなく、#もはや我が家 というハッシュタグだけが添えられていた。投稿のロケーションには「谷中純情亭」と書いてある。
 Googleマップで調べると、店は谷中銀座の中心部にあった。最寄駅は千代田線千駄木駅。彼女はこの食堂の常連にちがいない。

 ちょっと見に行ってきます。

 俺は楽さんにそう返信すると、ドトールの外に出た。ふと俺は疑問を抱いた。楽さんにはこれほど有能な執事がいるのに、なぜ俺なんかにツケ回収をやらせているのだろうか。一切合切を執事に命じれば今頃は回収が完了しているかもしれないのに。でも仕方ない。500万円以上のツケを溜め込んでいる人間に異論は許されないのだ。
 俺は赤坂駅から綾瀬行きの千代田線にふたたび乗りこんだ。
 千代田線は不思議な路線だ。さきほども書いたように、東京西側の沿線駅はどれもアメリカ進駐軍の影が濃厚だ。しかし大手町より東側になると一転して、新御茶ノ水、 湯島、根津といった戦前の東京の名残を留めたエリアを走るようになる。千駄木はそのエリアのひとつだった。
改札から地上に上がり、不忍通りを北上して、郵便局の角を右に入って進んでいくと、谷中銀座へとたどり着く。約200メートルに渡って軒を連ねているのは、竹や硝子細工の店、立ち飲み屋、和食器の店、そしてこの商店街の主要客であるお年寄りをターゲットにしたのであろう何とも形容し難い商品を扱うギフトショップ。前職の旅行代理店時代は、よく外国人観光客にこの一帯を案内したものだ。
 目指す谷中純情亭は、一階に土産物店が入ったコンクリート打ち放しのビルの二階にあった。この辺りでは珍しいモダンな建物だ。黒く塗られた鉄階段をのぼり、ドアを押して店内に入ると、まだ日が高かったにもかかわらず、店内には飲み始めているお年寄りが何組もいた。店内を見渡すと、カウンターの奥に六十代くらいの男女が立っている。オーナー夫婦のようだ。カウンター席に座ると、おかみさんの方が注文を取りに来た。
「ホットの烏龍茶をお願いします。それと伺いたいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「武田杏奈さんという方はご存知ですか」
「杏奈ちゃん? ご存じも何も、今日はシフトの日だから、じきここに来るよ」
 しめた。この店でアルバイトをしていたんだ。彼女が食べていたのは、定食の出来損ないではなく、まかないだったのだ。
「ここで武田さんを待っていいですか」
 おかみさんが興味深そうな視線で俺を見る。
「いいけどお兄さん、ストーカーじゃないでしょうね」
「まさか。WFFMって会社を知っています? そこの採用担当者です」
「本当? あんた! あんた!」
 おかみさんが叫び出す。カウンターの向こうに立つオヤジさんがフライパンを片手に「なんだよ?」という訝しげな表情でこちらを見る。
「杏奈ちゃん、就職が決まったんだって!」
 オヤジさんの顔色が変わった。
「そりゃ良かった!」
 俺は慌てて口を挟んだ。
「まだ採用と決まったわけじゃないんですけど……」
 おかみさんが凄い勢いで俺を睨む。
「ねえ、採ってあげてよー。あの子、学費が払えなくて、今年は大学を休学していたのよ。うちの他にも別のバイトをやっているの。可哀想じゃない?」
 仕方ないから適当に相槌を打とう。
「わかりました。お会いできたら前向きに検討いたします」
 武田杏奈の家の経済状態が良くないのは分かった。貧しかったから、裕福な今川瑠璃を妬んで彼女の名を騙(かた)ったのか? いや、彼女がリスクを犯してやった事といえば、過呼吸するほど嫌悪感を覚える男が社長を務める会社でただ働きしただけだ。本当に就職したいのなら、本名でインターンに応募すればいい。全くもって意味不明だ。
 まあいいや。彼女と円山和馬を引き合わせれば、この件は終わり。あのボンボン社長は、自分が飲んでもいないアルゴンキンのツケを払ってくれる。いや、待てよ。なんでそんなチャリティ紛いのことまでしてくれるんだ? もしかすると円山和馬は、アルゴンキンで飲んだ男を知っているのかも。
 俺がスマホで「アルゴンキン」で撮影された集合写真を見返していると、烏龍茶を運んで来たおかみさんが、聞いたことがない名前を口にした。
「あら、松斗くんじゃない」
「松斗って?」
「この子。武田松斗くん」
 おかみさんが指差したのは、「俺が追っている方の円山和馬」だった。
「もしかして兄妹いっしょに雇ってくれるの? 松斗くんも大変そうだからありがたいわー。ちょっと本当に頼んだわよ」
「いや、そこまでは……」
 俺は誤魔化しながら、円山和馬に現状報告を、楽さんには自分の考えをメールした。長い文章を打ち終わって送信ボタンを押し、烏龍茶に口をつけた瞬間、店のドアが開いた。
 そこにいたのは、「俺が追っている方の今川瑠璃」、武田杏奈だった。


『インナー・シティ・ブルース』発売記念

『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:前編
『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:後編

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000

『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters

2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税

著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク


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